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護衛騎士のクリームコロッケ 4

 この日は、ジェイドさん家族と一緒に、晩餐を一緒にとることになった。

 どうも、その晩餐でジェイドさんは何やら企んでいるらしい。何をするのか聞いてみても、内緒だと教えて貰えなかった。


 一旦、準備があるというジェイドさんと別れて、フリーダさんと一緒に食堂へと向かう。

 その道すがら、深々と雪が降り積もる中庭に、小さな東屋があるのが見えた。

 その東屋の近くには、今は水がない噴水があって、それと雪に埋もれるようにして小さなベンチがひとつ。ぽつん、と雪の中に寂しそうにそこにあった。

 なんとなく、そのベンチから目が離せないでいると、一緒に食堂に向かっていたフリーダさんが、ぽつりと呟いた。



「……あのベンチ。小さい頃、ジェイドがよくあそこで日向ぼっこしていたのよ」

「日向ぼっこ?」

「そう。姿が見えなくなって探すと、必ずあそこにいるの。空を見上げて――あの子、ひとりでぼうっとしているのが好きだったから」



 フリーダさんは、その様子を思い出しているのか、どこか懐かしそうに東屋を眺めていた。

 けれど、次の瞬間、表情が曇る。そして、真剣な面持ちで私に向かい合った。



「茜さん。聞いて欲しいことがあるの。……ジェイドのことよ。ねえ、知っているかしら。ジェイドは、少し前まで、酷く不真面目な騎士だったのよ」

「……はい。話には聞いています。今となっては、信じられませんけれど」



 私の言葉に、フリーダさんはまた東屋へと視線を戻して、どこか切なそうな表情で語り始めた。



「――三男一女。ジェイドは、その一番末っ子。歳の離れた兄弟たちに囲まれて、大切に大切に育ててきた……つもりだったの」



 努力家で優秀な長男。天才肌でなんでも器用にこなす次男。面倒見が良くて、誰にでも好かれる長女。そんな兄妹に囲まれて生まれてきたジェイドさんは、良くも悪くも普通の子どもだったらしい。



「ジェイドはとても『いい子』だったのよ。私や使用人たちの手を煩わせることは滅多になかった。長男と次男なんかは、歳が近いのもあって、小さい頃は大変だったんだから。それに比べたら、あの子は本当に育てやすくて――そのせいなんでしょうね。放って置いても大丈夫だと『誤解』してしまったの。私は、『あの子なら道を間違うことはないだろう』と、必要以上に干渉しなかった。それに、三男だったから跡継ぎになる可能性もほぼなかったわ。無理に教育を施す必要性もなかった。ああ、この子には『自分の好きなように』させてあげよう――そう思った」



 けれど、それは大きな間違いだったと、フリーダさんは語った。

 気がつくと、ジェイドさんはこの家のなかで浮いてしまっていたのだそうだ。



「……私は取り返しのつかないことをしてしまった」



 何に対しても情熱を持たず、真剣に取り組まない。こだわりを持つことをせずに、流されるままに自分の主張をすることがない。無気力で、表情が乏しく、投げやりな子ども。フリーダさんが気がついたときには、ジェイドさんはそういう子どもになっていたのだという。



「ある日、ジェイドは私たちに言ったわ。父さんも母さんも、俺には何も期待していないんだねって」



 ――今にも泣きそうな顔をしているのに、涙ひとつ零さずにそう言ったのだそうだ。

 その姿を思い出すと、フリーダさんは今でも苦しくなる、と語った。



「そこでやっと気がついたの。私は、母親としてこの子に何をしてあげたんだろうって。思い返してみると、長男や次男のときのように、ジェイドを気にかけていたかと言うと……正直、自信がなかった。言い訳が許されるのなら、当時、何年も続く悪天候で領地が混乱していて、忙しかったのもあるかもしれない。でも、決して時間が皆無だったというわけではないわ。あの子は、もの言いたげに私を見ていた。けれど、その視線から逃げていたのは――私。縋るようにスカートを掴んだ、あの子の手を外したのは――私」



 フリーダさんは、苦しげに瞼を伏せた。



「私はとても愚かな母親だったわ。『自分の好きなようにしなさい』……それは、とても耳障りのいい言葉だけれど、子どもにとって、母親に口うるさいくらいに心配されたり、世話を焼かれたり、悪いことをしたら怒られる――そう言う『初めての束縛』は、絶対に必要なものだったのに……それをしなかった。

 ジェイドは騎士学校を卒業したらそのまま騎士団に入って――宿舎に寝泊まりするようになると、滅多に顔を合わせることもなくなったの。気がついたら、私の手の届く場所には、ジェイドはいなかった」

「なんとか、歩み寄ろうとはしなかったんですか?」

「勿論、そうしようと思ったわ。でもね、ジェイドは曖昧に笑うだけで――心を開いてはくれなかった。当たり前よね、何を今更って話だもの。自立してから、親にあれこれ言われたって――嬉しいわけないじゃない」



 私がジェイドさんと一緒にいるようになって、もうすぐ一年が経とうとしている。

 初めて会ったのは、離宮の中でのことだ。護衛騎士として任務に就くことになったジェイドさんは、今思えば随分とそっけなかった気がする。当時、離宮ですることがなくて暇を持て余していた私は、ジェイドさんに声をかけてみたこともあったけれど、ちっとも会話が弾んだ記憶がない。


 彼が、積極的に私と接するようになったのは、いつからだっただろうか。私の記憶の中のジェイドさんは、何事にも真摯な姿勢で臨む、穏やかだけれどまじめな人だ。

 ――フリーダさんが語る人物とは、まるで違う。なんだか別人の話を聞いているみたいだ。



「だからね、あなたには感謝しているの」



 フリーダさんは、私の手をぎゅっと握ると、少し赤くなった目で私を見つめた。



「あの子、あなたと出会ってから変わったわ。仕事にも真剣に向き合うようになったし――何よりも、生き生きとしているもの。さっき、ジェイドがエマに軽口を叩いていたでしょう? あんなの、今まではなかったのよ。あの子は、家族とはあまり口をきかなかったから……」

「私の……?」

「そう。あなたのお陰。私なんかが、言っていい言葉じゃないのかもしれないけれど、どうかこれからもジェイドと一緒にいてあげてくれないかしら。あの子には、きっとあなたが必要だわ」

「でも、ジェイドさんのお父様は、普通の貴族の女性と結婚してほしいから、お見合いなんて考えているんですよね?」

「ああ、馬車でもそんなことを言っていたわね」



 そうだ、そもそも今日この場にいるのも、急にジェイドさんにお見合い話が持ち上がったからだ。

 全員に祝福して欲しいとは言わないけれど、ジェイドさんの肉親に歓迎されていないと言うのは、心情的に辛いものがある。

 すると、フリーダさんはくすりと笑った。



「大丈夫よ。あの人は、ちょっと暴走しているだけ。末っ子のジェイドが、心配で心配で仕方がないだけなのよ。だから――あの子が大丈夫だってわかったら、納得してくれるわ。それにね、あの人はどちらかと言うと、厳格な父親なんて柄じゃないのよ。不器用で可愛い人なんだから」

「――可愛い?」

「そうよ」



 フリーダさんは柔らかな微笑みを浮かべている。私は、そんな彼女に、話している間じゅうずっと脳裏に浮かんでいた疑問をぶつけた。……聞いておかなければならない、そう思ったから。



「フリーダさんは、本当のところ――どうだったんですか。ジェイドさんに、期待していなかったんですか」



 すると、フリーダさんは柔らかな笑みを浮かべたまま、答えた。



「……ジェイドは、わたくしの愛する息子よ。他の子供たちと、同じように愛しているわ。

 ほら。そろそろ行きましょうか。ジェイドが待っているわ」



 フリーダさんは、私の手を取ると、食堂に向かって歩き始めた。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 食堂には、既にジェイドさんのお父様が到着していた。

 ジェイドさんのお父様はラルフという名前なのだそうだ。

 ジェイドさんと同じ黒髪に、蜂蜜色の瞳をしていて、固く口を引き結び、じっとこちらに厳しい視線を注いでいる。私が自己紹介をすると、ラルフさんは忌々しそうに顔を顰めて、目をそらしてしまった。



「――君が、聖女の姉か。何をしに来た」

「なにを……って」

「ジェイドには、相応しい婚約者を用意する。君は必要ない」

「――ッ!」



 ラルフさんの口から出たのは、拒絶の言葉。それが胸に突き刺さって、酷く痛む。

 あまりの物言いに、フリーダさんが窘めると、ラルフさんはこれ以上私と話すつもりはないのか、黙って席へ着いた。

 その時、食堂の扉が開かれて、エマさんとジェイドさんが入ってくる。一緒に、食事が乗ったワゴンを押した侍女も入ってきた。

 ジェイドさんは私の表情が曇っているのにいち早く気がつくと、私の傍に来て肩を抱いた。



「父さん、茜に何か言いましたか」

「……当然のことを言ったまでだ」

「何が当然のことなのかを決めるのは俺です」

「それに、その娘は、騎士であるはずのお前を、まるで下男のようにこき使っているというじゃないか!」

「料理を手伝うと決めたのは俺です。強要されたわけではありません」

「それに、いずれその娘は異界に帰るのだろう。ならば、尚更構う必要はない。早くきちんとした女性と婚約を――」



 するとその時、エマさんが両手を打ち鳴らした。

 一気に、みんなの視線がエマさんに集まる。エマさんは髪をかき上げ――にっこりと微笑んだ。とんでもない美人が、眼力を強めて笑うと、とても迫力がある。ラルフさんは眉を顰めると、押し黙ってしまった。



「食事が冷めてしまうわ、お父様。その話は、また後にしましょう」



 その言葉を皮切りに、各々食卓に着く。食堂の中は、なんとも居心地の悪い空気に包まれて、皆、表情が強張っている。そんななか、侍女が皆の前に食事を配膳していった。



「――ロロッコの、ポタージュでございます」



 それは薄い黄金色をしたポタージュスープ。

 確か、『ロロッコ』とは、とうもろこし相当の穀物の、こちらの世界での呼び名のはずだ。そして、これは――私が異世界に来て、初めて妹の為に作った『コーンポタージュスープ』ではないのか。

 思わず、隣りに座ったジェイドさんに目配せをすると、彼は私の視線に気がついて柔らかく笑った。

 ラルフさんは、配膳された料理を目の前にして、何事かを考え込んでいるようだった。



「見たことのない料理だな」

「はい、旦那様。本日は、料理人がいつもとは違う趣向で作ったとのことです」

「……そうか」



 ラルフさんは、そう言うとスプーンをスープへ差し込んだ。そして、ひとくち飲むと――若干だけれど、頬を緩めて「悪くない」と言った。

 途端に、場の空気が若干和らぐ。そして、他の面々もそれぞれ料理に手をつけ始めた。

 甘いとうもろこしの風味に、じゃがいものせいで、かなりもったりしているスープ。……どう考えても、これは私のレシピだ。

 ひとり困惑している間にも、次から次へと料理が運ばれてきた。


 私は運ばれてくる料理を目にする度、味わう度に驚かされっぱなしだった。ひとつひとつは、こちらの世界の料理ではあるのだ。王妃様との昼食会などで、見たことがあるものも何点かあった。けれど、どこかしらに日本由来の醤油やら、味噌やら――異界の調味料が使われている。



「――ドラットのスモーク、冬野菜添え。果実酢のソースでお召し上がりください」

「半生? これは……」

「最近考案された、新しい調理法でございます。是非、ご賞味ください」



 終いには、この国では馴染みのない、生――まあ、スモークはされていたけれど――の食材まで出てきて、ラルフさんは非常に驚いていた。

 桜のチップで香り付けされたドラット――鮭相当の魚――と、果実酢と醤油を合わせたソース。そのソースが、生臭くなりがちなドラットを爽やかな酸味で締めてくれていて、なかなか美味しい。



「まあ! お魚を半生でなんて、どうなのかしらと思ったけれど、これは中々いけるわね」

「そうね。お母様、この醤油とかいうのも癖になるわ……」



 フリーダさんとエマさんも、異界の調味料の味は口に合ったらしく、ぺろりと皿の上の料理を平らげていく。

 そうして、とうとうメイン料理が運ばれてきた。



「――海老のクリームコロッケでございます」

「ころ……?」

「コロッケでございます。パンを削ったものを衣にしてまぶし、油で揚げたものなのだそうです。中身は大変熱いそうなので、お気をつけてお召し上がりください」



 それは、俵型をしたクリームコロッケ。真っ赤なトマトソースの海に、狐色に揚がったコロッケがふたつ乗っていた。

 ……これは。

 私は、ごくりと唾を飲み込むと、フォークをコロッケに突き刺し、ナイフで切り取った。

 すると、どろりとした白い中身が断面から覗いて、更にはプリプリの海老の姿が見える。

 柔らかなホワイトソースは、カリカリの衣に包まれているからこそ、ギリギリ形を保っていたのか、切り分けるととろりと皿の上に流れだそうとした。

 慌てて、ホワイトソースをナイフで押し戻して、たっぷりトマトソースを絡めて口へ運ぶ。


 ――さくっ。


 きつね色に揚げられたサクサクの衣の香ばしさ。その香りが鼻を抜けると、次の瞬間には口の中を濃厚なクリームが蹂躙する。バターがたっぷり使われたホワイトソース。小麦粉で丁寧に仕上げたのであろう、そのホワイトソースは非常に滑らか。そのソースにごろごろと入っている海老の身は、きちんと下処理をしているのだろう。歯を弾くくらいぷりぷりで、柔らかいコロッケのなかで、その触感が楽しい。

 それに、長時間煮込んだのだろう、トマトの旨味が濃縮されたようなこのソース!

 これが、海老に合わない訳がない。海老の旨味が溶け出したホワイトソースと、トマトソースが混じり合うと、脳天が痺れるくらい美味しい……!


 じっと手元の皿を見つめる。

 このクリームコロッケはつい最近(・・・・)……一週間くらい前だろうか。ジェイドさんと一緒に作ったものだ。その時、ジェイドさんは初めて食べると驚いていたから、偶々似ている料理が出てきたとは考えにくい。けれど、私はこのトマトソースのことは知らない。私は、そのまま何もつけずに食卓に出していた。でも、このソースのお陰で、クリームコロッケが二倍にも三倍にも美味しく感じる。

 ――それにしても、どうして、このクリームコロッケがここに出てきたのか。

 ひとり悶々としているうちにも、他の人たちは料理に舌鼓を打っていた。



「ああ、もう! たまらないわね! このトロットロのクリーム! なんでこんなに柔らかいのに、固まっているのかしら。衣の香ばしいところもいいわね」

「そうねえ。まったり、濃厚で……。お腹の底からぽかぽかしてくるわ。寒い冬に食べたくなる味ねえ。ねえ、あなた。私、揚げ物は苦手だったのだけれど、これだったら食べられるわ。あなたも、そうでしょう? このトマトのソース、あなたが好きそうな味付けだわ」

「……確かに、これは美味いな。ひとくち食べるごとに新しい発見がある。素晴らしい。料理人を呼んでくれないか」



 とうとう、その味に感動したラルフさんが、料理人を呼びつけた。

 ……おお、ドラマとかでよく見る、シェフを呼んでくれないかっていうシチュエーション……!

 暫くして、コック帽を被った老年の男性がやってきて、ラルフさんに向かって頭を下げた。



「お呼びでしょうか。旦那様」

「うむ。今日の晩餐は非常に美味であった。伝統的な料理を好むお前にしては珍しく、色々と挑戦的な料理だった。……偶には、こう言う趣向も悪くない。特に、最後のコロッケだったか。これは、また食べてもいいと思うくらいの出来だった」

「ありがとうございます。旦那様。けれど、今回の料理は、私だけで作り上げたものではないのです」

「ほう?」



 料理人の男性は、目尻に皺をたくさん作って笑い、ジェイドさんに顔を向けた。



「この料理は、ジェイド坊ちゃまと一緒に作ったものなのです」

「――ジェイドが?」

「はい。これは、異界の料理なのだそうですよ」

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