幕間 聖女と姉の心の距離(ひより視点)
私たちの計画はこうだ。
普段は誰も立ち入ることが許されていない、炎の神殿最奥で行われる儀式。最奥には『核』がいるという、祠の様なものがあるらしい。サラマンダーの炎の魔石付与の儀式では、精霊へと供物を捧げた後、『核』から神官へと魔石が与えられ、それを聖女が賜る……そういう流れなのだそうだ。
その儀式の中で、供物を捧げる際に騒ぎを起こす。その騒ぎに乗じて、祠を開けて『核』を確認するのだ。
――けれど。
ゆっくりと雪の上を進む馬車の中で、私はカインを睨みつけていた。
怒りに任せて、カインが手紙を握りしめている方の手首を掴む。すると、微かにカインが顔を顰めた。
「おねえちゃんが、なんでこの計画に関わってくるの!? ルイス王子にカインが頼んだの!?」
「それはない。元々、兄上が神官たちの気を引くための手配を引き受けてくれたのだが――まさか、茜に声をかけるとは……いや、供物……料理に関連することだから、適役と言えばそうなのだが」
私は首を振ると、ぎり、と奥歯を噛みしめる。そして、ありったけの怒りを言葉に込めた。
「適任とか、そう言う問題じゃないの! おねえちゃんに何か危険があったらどうするの!? 万が一にでも、サラマンダーに精霊界に連れ去られて、今度は戻ってこれなかったら、どうするのよ!!」
「それは……」
「聖女様、落ち着いてください!」
セシルの静止する声が聞こえる。けれど、私は込み上げてくる怒りを抑えることは出来なかった。
おねえちゃんは、私の唯一の肉親だ。両親代わりに、幼かった私を育ててくれた親代わりでもある。……とても、とても大切な人だ。ただでさえ、私のせいで異世界召喚に巻き込まれて迷惑をかけているのに、これ以上おねえちゃんに迷惑をかける訳にはいかない。
「……この儀式は危険を伴うものではないと聞いている。それに神殿内部にも内通者がいると書いてあった」
「でも、確実じゃないでしょう!? 今回は私は聖女として参加するんだもの、レイクハルトの時とは違う。あの時みたいに、傍で守ってあげられない――!」
秋の旅路の最中、レイクハルトで古の儀式に参加することになった時は、供犠巫女として参加するおねえちゃんの傍で、何があっても大丈夫な様にこっそり守っていた。けれど、今回は私は自由に身動きがとれない。おねえちゃんに何があっても、すぐには駆けつけられないだろう。
「おねえちゃんに何かあったら。……私……私……!!」
おねえちゃんが傷ついたり、いなくなったりすることを考えると、心が引き裂かれそうになる。
そんなの駄目だ。おねえちゃんは、あの家で笑っているのが一番なのだ。私を笑顔で迎えてくれて、美味しいご飯を作ってくれる。それがおねえちゃんなんだから。
「ひより」
カインは、私の指をゆっくりと自分の手首から引き剥がしていった。よっぽど力を込めていたのだろう。カインの手首には私の手の跡が残っていた。
そのことに気がついた瞬間、ふと我に返り、途端に激しい後悔が襲ってきた。
「……ごめん」
「いや、いいんだ。気にしなくて良い」
赤くなってしまった手首をさすりながらも、カインは笑ってくれた。
「神殿には兄上もいらっしゃるはずだ。兄上には到着次第、事情を聞こう。それに、茜も自分の判断で、供物を作ることを請け負ったんだろう? 茜にもどういうつもりなのか、聞いたほうが良い。君も自分の考えで物事を判断するように、茜だって誰かに強制されたのでなければ、何か思うところがあって請け負ったんだろうし」
「……そうだね」
カインは俯いた私の頭を、ぽすぽすと軽く叩いた。
「茜を大切な気持ちはわかるけれど、一方的になってはいけない。そう思わないか?」
「でも」
「君たち姉妹は、お互いを思いやり過ぎて、すれ違っている部分がある。どうせ、聖女召喚をなくしたいという考えも、まだ話していないんだろう」
「う」
カインに図星を刺されて、思わず黙り込む。
「今回のことは、君たち姉妹にとっていい機会だ。儀式は夜だ。まだまだ時間はあるから、この機会にゆっくりと話し合うといい」
「……」
顔を上げてカインを見る。その優しげな眼差しに、声に、触れた体温に。なんだか泣きたくなった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――はあ、はあ、はあ……」
「ひより? どうしたの? ほら、お水」
おねえちゃんが差し出してくれた水を一気に飲み干す。ずっと神殿の中を走ってきたから喉がカラカラで、冷えたその水は、まるで命の水の様に体に染み渡っていった。
「可愛い衣装だねえ。それが儀式用の衣裳なんだね。似合ってる」
おねえちゃんは、私の衣裳の袖を摘んでのほほんとしている。私はそんなおねえちゃんに内心苛立ちながら、話がしたいと申し出た。
「話? そう……じゃあ、別の部屋に移動しようか。厨房は暑いからね。ジェイドさん、お鍋おまかせしてもいいですか?」
「ああ、大丈夫だよ」
ジェイドさんがおねえちゃんの言葉に頷くと、その傍で立っていた神官服を着た女性が、こちらへ近寄ってきた。
「茜様が退出するのなら、私は一度失礼しますね〜。儀式の準備がありますので……味に関しては煮込み終わったあとに、また確認しましょう」
「あ……すみません、お手数おかけします」
「いいえ。お気になさらず。また参りますね〜」
すると、その女性は私の傍を通り抜けて部屋の外へと去っていった。すれ違う瞬間、赤い目をした首に巻き付いたイグアナくらいの大きさの爬虫類と、その女性の黄土色の髪から覗いた尖った耳に視線を奪われる。
「隣の部屋にね、私たちの荷物とか置かせてもらってるんだ。そこで話そうか」
私がぼうっとして、その女性が遠ざかるのを見ていると、おねえちゃんは厨房から出てすぐ隣の部屋へと入っていった。
慌てて後を追いかけると、そこは簡易ベッドが置かれているだけのがらんとした部屋だった。部屋の中は、小さな燭台が照らしているだけで、かなり薄暗い。
「ちょっと待ってね。着替えさせて? もうね、暑くて暑くて。汗だくなんだよ〜」
「……うん」
ゴソゴソと荷物を漁っているおねえちゃんを見ながら、私はベッドに腰掛けた。
――あの馬車で一悶着あった後、半日ほどの行程を進み、神殿に到着した頃には、既に太陽は天辺を過ぎた辺りだった。暗闇に包まれた炎の神殿に到着し、神官長のまどろっこしい挨拶を聞いた後、すぐに身を清めて着替えた私とカインは、先に到着していたというルイス王子の控室に押しかけた。そして、おねえちゃんを作戦に参加させるのを止めようとしたのだけれど――。
「それは、茜自身の申し出なのかな?」
「……え」
「茜は、今も厨房で供物を調理していると報告を受けているけれど、違ったのかな」
紅茶を優雅に飲みながら、笑みを浮かべたルイス王子が放った言葉は、決して甘いものではなかった。
「茜がどうしてもやりたくないと言うのなら仕方がないと思うよ。だけど、そうじゃなくって、妹である君の判断でそうしたいと言うのなら、私は聞き届けることは出来ない」
「……どうして! おねえちゃんはのほほんとしてるし、気がつくと変なトラブルに巻き込まれていることが多いですけど、こういうことには全然向いてないんですよ!」
「まあ、それは私もそう思うけどね」
苦笑したルイス王子は、背後に控えているエーミールさんにカップを渡すと、両手を組んで私をじっと見つめた。
「それでもね。私が供物の用意をお願いした時に、彼女は言ったんだ。『妹の為になるなら、なんでもやる』と」
「……!」
「ねえ、君は自分の勝手な判断で、茜の気持ちを踏みにじるつもりなのかな?」
……その時の事を思い出すと、まだ胸の奥がもやもやする。
ルイス王子は、私がおねえちゃんと直接話をして、その上でおねえちゃん自身が辞めたいと言うのなら、別の手を考えてくれると約束してくれた。
ルイス王子が何を思っておねえちゃんを巻き込んだのかは知らないけれど、それだけは阻止しなければならない。おねえちゃんにこれ以上迷惑を掛けられない。
そう心に決めて、おねえちゃんの魔力を頼りに神殿内を探し回ったのだ。……因みに、案内役の神官をつけてもらったけれど、神殿内は走るのは禁止なんて宣ったものだから置いてきた。私には時間がないのだ。
「――おまたせ。ああ、さっぱりした!」
「おねえちゃん!」
「ん?」
着替え終わったおねえちゃんが私の隣に座ったので、体勢を整えて正面から見据える。
おねえちゃんはにこにこ笑っていて、どうして私がこんなに焦っているのか理解していない様だった。
「あのね、儀式で――」
「ああ、ミネストローネのこと? 初代聖女のレシピが失われてしまったんだってね。炎の神殿なのに、ボヤでレシピを失うってどういうことって感じだよね」
「あー。うん……そうだね……」
「でもね、神官のヴィルマって言うエルフの人がね、味と具材を覚えてくれていて。なんとか再現できそうなんだよ。これで、儀式も恙無く出来るね」
「え? エルフ? なにそれ、ファンタジー!」
「ああ、ひよりはエルフに会ったことないんだねえ」
「え? もしかしてさっきの人!」
それから暫く何故かエルフ談義に花が咲いてしまった。……だって、ファンタジーって言ったらエルフでしょう!? 耳長の長命種。なんて浪漫! ……って、それどころじゃなかった!
「……って、今話すべきことはエルフの話じゃない!」
「え? 私の友達のエルフの話、いらない?」
「それは超気になるけど! 後で絶対に教えてね! ……って、だあああああ! だから、私が今したいのは、おねえちゃんが炎の魔石授与の儀式の最中に、神官たちの注意を引く役目をするって話!!」
「………………」
すると、おねえちゃんは固まってしまった。ピシリと、まるで石の様に固まって、真っ直ぐ私を見たまま微動だにしない。心配になって肩を揺さぶると、漸く意識を取り戻したおねえちゃんは、顔を手で覆って震え始めた。
「……あれ。もしかして、私ってば知らない間になんかに巻き込まれてる……?」
「自覚なかったの!?」
「いや、ひよりの晴れ姿が見れるよーって言われたから……あー。確かに、なんか企んでそうではあったけれど。……供物。サラマンダー。注意を引く。なるほど……私にぴったりの役目だね……」
「おねえちゃん!?」
あの腹黒王子! もしかしなくても、おねえちゃんに計画のことは話していなかったらしい。頭に血が昇って、沸々と怒りが沸いてくる。
――あいつ、おねえちゃんに禄に事情も話していないのに、巻き込むつもりだったのか……!
あのルイス王子のにやけ顔が浮かんできて、ものすごく苛々する。ここにいないのが非常に残念だ。仕方がないので、脳内であの王子様の整ったお顔を思い切りぶん殴っておいた。
すると、ひやりと冷たいものが私の額に触れた。それは、おねえちゃんの手だった。
「ひよりが怒っちゃ駄目だよ」
「え」
おねえちゃんは、じっと私の目を覗き込んでいる。その眼差しは、とても真剣で、手の冷たさも相まって、私の中の怒りがしゅるしゅると窄んでいったのがわかった。すると、おねえちゃんはすぅっと目を細めると、にやっと邪悪な笑みを浮かべた。
「アイツには、私自身で仕返しするから」
「それでこそ、おねえちゃん!」
姉妹でガッチリと握手をして、あのにやけた王子様に復讐を誓う。暫くふたりでクスクスと笑ったあと、ふとおねえちゃんが真剣な面持ちに戻った。
「……まあ、ルイス王子のことは置いておいて。それでも、私やるよ」
「…………どうして!?」
おねえちゃんの口から飛び出した言葉に、心臓が激しく跳ねた。
一気に体の中をモヤモヤしたものがうずまき始める。萎んだはずの怒りが、焦りがまた湧き上がってきた。
「なんで!? どうして! どうしてそういうことを言うの!? 駄目だよ、危ないよ!」
「……でも、ひよりがやりたいことには、必要なことなんでしょう?」
「……ッ!」
言葉が詰まる。確かにそうだけれど。……でも、それをおねえちゃんがやる必要はないはずだ。
そう言おうとした時、いきなりおねえちゃんが両手で私の頬を挟んできた。ぶにゅ、と顔が変形して、きっと相当おかしな顔になっているに違いない。
「ねえ、ひより。おねえちゃん、頼りなくてごめんね」
「……!?」
おねえちゃんは、私の顔を手で挟んだまま、ぽつぽつと話し始めた。
「私ってば、泣き虫でしょう? すぐ泣くからさ、安心して頼れないよね。心配かけちゃいけないって、思っちゃうよね。ごめんね。私がもっと強くて、頼りがいがあれば……。本当にごめん」
「おねえ……」
「でもね」
おねえちゃんは私が喋ろうとするのを遮った。黙って聞いていて欲しい。そんなおねえちゃんの気持ちが伝わってきたから、喋るのを止めておねえちゃんの声に耳を傾けた。
「私、欲張りだからさ。自分が頼りないのを棚に上げて、ひよりに頼って欲しいって思っちゃうんだ。私に力がないのも、重々承知してる。ひよりみたいに、魔力が沢山あるわけじゃないしね。……でもさ、おねえちゃんだから。ひよりのおねえちゃんは私だから、妹の為だと思ったら張り切っちゃうんだよ。頑張れるんだよ……」
おねえちゃんは、顔を挟んでいた手を離すと、額に自分の額を合わせて、そして優しく私を抱きしめた。
「ミネストローネ。頑張って作ったんだ。上手く神官の気を引けるかわからないけど、どうか頼って欲しい。作戦の詳しい内容とか、ひよりがやろうとしていることとか、無理に話さなくてもいいからさ。
家にいて、ご飯を作って待っていること以外も、ひよりのために私に出来ることってあると思うの。
……だから。お願い。いいでしょう?」
おねえちゃんはそこまで言うと、ゆっくりと瞳を伏せた。
その表情はどこか淋しげで、何かを怖がっている様にも見えた。
……ああ、多分。多分だけど、おねえちゃんが怖がっているのは――私からの拒絶だ。
「――違う……」
そっとおねえちゃんの頬に触れる。
視界が歪む。心が罪悪感で悲鳴を上げている。……ああ、私の意地っ張りが、おねえちゃんに辛い思いをさせてしまった。
「違うの、おねえちゃん。謝らなきゃいけないのは、私の方。ごめんね、内緒にしてて。
……格好付けたかったの。おねえちゃんに内緒にして、実際うまく行ったときだけ、胸を張って報告したかったの。だって、失敗したら格好悪いでしょ? おねえちゃん、私に失望しちゃうかもしれないでしょう?」
「――失望なんて……!」
「うん。わかってる。おねえちゃんが、私に失望なんてしないだろうってこと。今まで散々迷惑かけてきたもの。それでも、おねえちゃんは笑って私のことを見守ってくれていた。
……それでも怖かった。失望しないってわかっていても、怖かったんだ。おねえちゃんにとって、出来の良い妹に、自慢の妹になりたい欲を押さえきれなかった」
――声が震える。お腹の底から、色々なものが涙と一緒に溢れてくる。その気持ちは、おねえちゃんへの感謝の気持ち、家族への愛情、尊敬の念――そして、この世に唯一遺された肉親への執着心。見捨てられたくない、ずっと一緒にいたい、ひとりにしないで、寂しい。そんな悲しい願い。
そして、お父さんにお母さん。そして、祖父母。次々と家族が死んでいって、たったふたりで世界に取り残された時の孤独感。
泣き虫のおねえちゃんが、ボロボロ涙を流しながらも、背中に私を庇って守ってくれた時の安心感。私を養うために、おねえちゃんが自分の許容量を超えて頑張っている姿を見て、いつか壊れてしまうんじゃないかっていう――危機感。
それらがごちゃごちゃに混ざり合って、ひとつの形を成す。そして、最後に出来上がった感情は――あまりにも子供な自分への失望感だ。
「……弱いのはおねえちゃんじゃないんだ。私だよ。弱いくせに、強がって自分勝手なことばかりして。けれど、弱いからどうにもならなくなって、結局はおねえちゃんに迷惑かけるんだ。……ごめん。ごめんね。いつまでもなんにも出来ない子供でごめん。早く大人にならなくちゃいけないのに――」
「馬鹿ね」
熱い涙が頬を伝う感覚を感じながら、何度も何度も謝る。おねえちゃんはそんな私を強く抱きしめてくれた。おねえちゃんの柔らかな胸に顔を埋める。私の涙で濡れてしまったそこから、どくんどくんとおねえちゃんの穏やかな心臓の音が聞こえて、悲しいのに、感情を持て余してどうしようもないのに、それでも少し安心してしまうのは何故だろう。
「ひよりは、馬鹿。本当に馬鹿。初めから大人な人間なんて、どこにもいないんだから。――私だって、まだ大人になりきれていない部分はたくさんあるんだから。ひよりはこれから、ゆっくりと大人になっていけばいいんだよ。大丈夫。私がついていてあげるから――……」
おねえちゃんのその言葉に、私の涙腺はとうとう崩壊してしまった様だ。
ポロポロ、信じられないくらい涙が溢れてきて、私はおねえちゃんの腕の中で、思い切り泣きじゃくった。
涙がやっと治まった頃。私は涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔でおねえちゃんを見上げた。
おねえちゃんも、目を真っ赤にさせて私を優しく見下ろしてくれている。
私はゆっくりと、おねえちゃんに「聖女が必要じゃなくなる為」の計画を話し始めた。
おねえちゃんは話を聞き終わると、「それってすごいことじゃない! 流石、ひよりだねえ」と満面の笑みで褒めてくれた。
私は体中が温かくて、むずむずして、なんだか走り出したい気分になった。
活動報告にて、本日カインのキャラデザを公開しています!是非ご覧ください〜