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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第二部 少年期教会編
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70 告解

 その翌日、俺は礼拝堂に修道女シスタたちを集め、仏頂面で説法を行った。


「事の真相というものは、妙におかしなものになりがちだ」


 修道女シスタたちは各々席に着き、真剣そのものの表情で傾聴しているが、俺は別に説法がしたかった訳じゃない。


 ここで一丁、『神父』らしい事の一つでもしておかないと、後々、俺は侮られる事になる。『権威』とはそういうものだ。


 実に面倒臭い。


 袖廊には顔に青痣を作ったアシタと、何事もなかったかのように平淡な表情のロビンが佇み、祭壇アプスに立ち、説法を行う俺を見つめている。どちらも男物のシャツにレギンスという格好。アシタ・ベルの扱いは、教会騎士ロビンの『従卒』だ。その内、狂信者の仲間入りをするかもしれない。なんとおぞましい。

 俺は首を振った。続ける。


「……誰か一人の言う事を聞くと、間違ったり誤解したりする。だが、多くの者の話を聞いたとしても、これも同様の事だ……」


 礼拝堂中央部を挟み、反対側の袖廊には、ルシールと並んで修道服姿のゾイの姿も見える。中々、似合ってる。


「……多勢の者の言う事を真面目に聞くと、全く真相が分からなくなる……」


 それが俺の今の心境だ。

 アシタの話など真面目に聞くのではなかった。ゾイにしても同様だ。


「……何にしても……結局は、各々の流儀によって事の真相に辿り着くしかない……」


 一際高い場所にある祭壇アプスより、俺は言った。


「それによってのみ、人は各々の真理に辿り着くのだ」


 誰の仲がいいとか悪いとか、俺には全然関係ない話だ。

 アシタの与太話から得た教訓がそれだ。


「……我々の持っている性質で徳になり得ぬ欠点はなく、また欠点になり得ぬ徳はない。つまり……」


 そこまで言って、俺は結局の所、面倒臭くなった。


「事の真相など人による。誰かの話など真面目に聞く必要はない。話し半分に聞いておけ。以上」


 突然雑になったその言葉に、皆がポカンとした表情になったが、それもまたどうでもいい。そんな事より、そろそろケリを着けたい事がある。


「さて、ルシール。前に出ろ」


 俺のその言葉に、ルシールは達観したような悲しげな笑みを浮かべて頷いた。


「はい……」


 俺は俺だ。

 そのようにしかならないし、そのようにしか出来ない。言った。



「お前の罪を告解こっかいせよ」



 ルシールは静かに祭壇アプスの前に進み出てひざまずく。


 その様子に修道女シスタたちがざわめき立つが、ロビンが手に持った鞘入りの長剣を床に押し付けるようにして打ち鳴らし、全員を黙らせた。


 そしてルシールは語り始める。


 『聖女』エリシャ・カルバートの正にアスクラピアのごとき力。


 悪性腫瘍。


 死に行く人々。


 退けられた願い。


 運命。


 百に渡る打擲ちょうちゃく


 失われた信仰。


 殆どの者がこの経緯を知っているようだ。皆が深刻な表情で話を聞いている。ロビンも『聖女』の名が出た瞬間、眉をひそめて顔を背けた。


 ルシールの告解は続く。


 この聖エルナ教会の運営費を不正に着服し、蓄財に励んだ事。出入りする業者と癒着し、不正な払い戻しにより利益を得ていた事。あの豚のエサも、奉仕による散財を控える為にああなったのだと包み隠さず全ての罪を告白した。

 俺は鼻を鳴らした。


「我が騎士、ロビン」


 その呼び掛けにロビンは刮目し、全身を大きく震わせる事で応えた。


「この者の罪は如何なる物が相応しいか。教会法に則って答えよ」


「……」


 ロビンは答えない。いつもは冷徹そのもので、顔色一つ変えない『教会騎士』のロビンは居ない。今は狼狽えてあちこち視線をさ迷わせている。


 教会は……寺院を含めて言えば、この世界のどの国にもある超巨大な組織だ。そこには、勿論、独自のルール……教会法が存在する。


 そして『教会騎士』であるレネ・ロビン・シュナイダーは教会法について熟知している。


「ロビン。何故、答えない」


「あ……」


 ロビンは怯み、祭壇アプスに立つ俺と、告解を終え、ひざまずき、裁きを待つばかりのルシールとを見比べている。


 愚か者が……!


 ロビンはルシールの不正を知っていて見逃していた。

 その理由は分からない。

 だが、いつかこうなる日を想像出来なかった訳ではないだろう。その時、処刑執行人になるのが他の誰でもない己である事が分からない筈はないだろう。


 ロビンは考えなかったのではなく、考えたくなかった。


 それは何故か。


 ロビンの人間性は、ルシールの行動に一定以上の理解を示したからだ。


 そろそろ答え合わせの時間だ。


 レネ・ロビン・シュナイダーの人間性は、どの方向を志向するのか。答えを出す時が来たのだ。


「どうした、ロビン。何故、黙る」


 いつだって俺は俺だ。深刻な怒りに神力が溢れ出す。髪が舞い上がり、身体中に小さな稲妻のような迸りが伝って激しい『雷鳴』の前兆を告げる。叫んだ。


「ルシール・フェアバンクスに相応しい罪はなんだ! 答えろ! レネ・ロビン・シュナイダー!!」


「……!」


 雷鳴が落ちた瞬間、ロビンは稲妻に打たれたように全身を震わせ、その場に平伏した。


 わなわなと震える声で言った。


「う、運営費と喜捨の着服は、し、死罪です……」


「だろうな」


 命が安いクソみたいな世界だ。簡単に死罪を言い渡すぐらいの事はやって退けるだろう。俺は驚かなかった。


「では、我が唯一の騎士、ロビン。教会法に照らして刑を執行せよ」


 死罪の執行は、仕える神官に代わり、教会騎士であるロビンが行う。これも教会騎士に与えられた責務の一つだ。


「…………」


 だが、ロビンは応えない。騎士の礼でなく平伏したまま、身体を震わせているだけで動かない。


「どうした、ロビン。お前はルシールを嫌ってるだろう。何故、喜んで刑を執行しない」


 種族相性など知った事か。


 俺は、レネ・ロビン・シュナイダーの人間性に問うたのだ。


 ルシール・フェアバンクスは他者の為に這いつくばって助力を乞うた。それを百杖に渡る打擲という非道で報いた教会騎士と聖女が正しいかを問うている。


 そうした事情で道に迷い、信仰を失ったルシールが犯した罪を、酌量の余地なく罰するのかと問うている。


「……」


 ロビンは応えない。刑を執行する訳でもなければ、何か意見する訳でもない。


 長い沈黙と静寂が続く。


 ルシールは静かに裁きを待ち、その罪の執行人であるロビンは騎士の礼すら忘れ、平伏して動かない。


「我が騎士、ロビン。これ以上の沈黙は命令無視と取るが、異議があるなら、今、申し立てよ」


「…………」


 ロビンの出した答えは、沈黙。


 好きも嫌いもない。レネ・ロビン・シュナイダーの人間性は、ルシール・フェアバンクスを罰する事を拒絶した。


 これが『答え』だ。


 俺は深く頷いた。


◇◇


 清い人間性だけが、全ての罪を償う。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 もし、ロビンが刑を執行する素振りを見せたなら、俺は永久にロビンを許さなかっただろう。


「我が騎士、ロビン。顔を上げろ」


「……」


 面を上げたロビンの表情は冷酷な教会騎士のものでなく、泣き濡れた一人の人間のものだった。


「お前の判断は正しい。泣くのではなく、堂々と胸を張れ」


「――!」


 ロビンは、袖でぐいと涙を拭い、片膝を着いた騎士の礼の姿に戻った。


「それでこそ、俺の騎士だ」


 俺はロビンの人間性を称える。種族相性などクソ喰らえだ。


 そして、俺はいつだって俺だ。


「ルシール」


 ひざまずき、俺を見上げるルシールもまた泣いている。


「全ての罪は、傲慢な教会と聖女エリシャ・カルバートの無知非道にある」


 細かい事情など知らない。だが、これまで俺に見せたルシールの人間性は善良な人間のそれだった。


「泣くな、ルシール。俺は、お前の泣き顔が苦手なんだ」


 人には得手不得手がある。

 俺はルシールの泣き顔が苦手だ。その思いから出た言葉だったが、何故かルシールは一層激しく涙を流し、遂にはその場に泣き崩れてしまった。


 回りの修道女シスタたちを見渡すと全員が泣いている。特にポリーは嗚咽を漏らして激しく泣きじゃくっている。


 アシタとゾイは、訳が分からないから、この状況に肩を竦めて辟易しているが、それはそれだ。


 俺は『神父』らしく、厳かに言った。


「この一件、外に漏らすこと罷りならん。全てはこの俺、ディートハルト・ベッカーが預かった」


 まあ、不正に蓄財した金は没収するが。内心でそう付け加え、俺は『聖女』エリシャ・カルバートについて考えた。


 何故かは分からない。だが、俺の中の蛇が騒ぐのだ。こいつの存在を許すなと騒ぐのだ。

 そして――

 俺自身もまた、『聖女』エリシャ・カルバートの在り方を聞いて虫酸が走った。


 これは『アスクラピアの子』ではない。


 その刹那――

 俺は瞼の裏に、確かにアスクラピアの姿を見た。




 アスクラピアが、戯れる指先で儚い虚空にその名を描く。


 ――エリシャ・カルバート――




 俺はいずれ……


 『聖女』を殺す事になるだろう。


 それはいい。


 だが、こうも思う。


 敬愛する母よ。しみったれた女。あんたの汚れたケツを拭いてやるんだ。


 これは『貸し』だ。純然たる『貸し』だ。いずれ、必ず返してもらう。


 その時を思い、俺は嗤った。

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[良い点] 難解すぎてイラってする時もあるけど、こういうところがあるから読むのをやめられない。とても悔しい
[一言] 面白すぎて震えるんよ
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