52 『教会』
狂信者が突然の暴挙に出て、金属バットを張り倒してしまった。
俺は慌てふためき、当然の事をしたと言わんばかりの態度でいる狂信者に詰め寄った。
「ロビンさん。い、いきなり何をするんですか……!」
「いきなりも何も……」
ロビンは胡散臭そうに俺を見て、踵で強く床を踏み鳴らした。
「ディートさん、猫を被らないで下さいよ。デレデレして、みっともない」
「……」
あれはビジネススタイルだ。
デレた訳じゃない。これも仕事と割り切ろうとしただけだが、ロビンにはそう見えなかったようだ。
金属バットは床に踞り、打たれた頬を擦りながら俺に熱い視線を送ってくる。
勿論、好意的なものじゃない。
「…………」
俺はこの一幕に早くも疲れ、右手で顔を拭った。
だが、ロビンの言う通りだ。どうであれ、こうなった以上、取り繕っても仕方がない。見ればルシールの唇は破け、唇の端に血が滲んでいる。
俺は小さく舌打ちして、軽く指を鳴らした。
するとルシールの身体がパッと一瞬輝き、たちまちの内に唇の傷は癒される。痛みも消え去った筈だ。
「……!」
軽い祝福を与えたのだが、それに気付いたルシールが困惑して口元を擦っている。
「分かりましたか? 軽い祝福でもこの効果です」
ロビンは険しい表情のまま、困惑するルシールを見下ろしていた。
「確かに、この方は幼いです。軽く見るのは分かりますが、実際は第三階梯に留まっているような器ではありません。第二階梯か、それ以上の力の持ち主です。本来は、こんな場末の教会でお前たちの教役などしていていい方ではないのです」
「……」
ルシールは俯き、小さく頷いた。
最初、ぶん殴っておけば虎も猫になる。おそらくだが、それがロビンの思惑だろう。
大きく溜め息を吐き、俺は頭を振った。
ロビンは口調こそ丁寧だが、やっている事はアビーとあまり変わらない。これはヤクザのやり口だ。
「私の無能により、第三階梯としての認定しか受けられませんでしたが、今、ここに居られるのは大変な奇跡だと思いなさい」
「……」
おそらくは金属バットであっただろうルシールだが、ロビンの曲がった思惑で借りてきた猫になってしまった。
その場に平伏し、ルシールは額を床に押し付けた。
「失礼を、神父さま。申し訳ありませんでした……」
「よろしい」
ロビンはドヤ顔で言い放ち、得意満面で俺に向き直ったが、俺は当のこいつをこそ張り倒してやりたい気分だった。
今の俺は子供のなりをしている。権威ありとはいえ、何処の馬の骨とも知れない子供の下に置かれて、反発を覚えない大人の方が不自然だ。多少の失礼があったからといって、いきなり張り倒す事はないだろう。
「ああ……ルシールさん。顔を上げて下さい。こんなつもりではなかったのです……」
「……いえ、シュナイダー卿の言う通りです。卿は私の無知を糺されただけです……」
「シュナイダー卿……?」
なんだ、その偉そうな名前のヤツは。と言いかけて、俺は長ったらしいロビンの本名を思い出した。
レネ・ロビン・シュナイダー。
これが教会騎士、ロビンのフルネームだ。この聖エルナ教会では、ロビンはシュナイダー卿と呼ばれているようだった。
「シュナイダー卿、これはやり過ぎだ」
俺のその呼び掛けに、ロビンは酷く傷付いたように目尻を下げたが、一瞬後には平淡な表情になって冷静を装った。
「は。以後、留意致します」
◇◇
その後、しおらしくなった金属バットの先導で、俺とロビンはこの聖エルナ教会の各所を見て回った。
まずは居住区である外塔を降り、扉口がある前室へ。続いて側廊を辿り、中央交差部。左右に別れた袖廊があり、どうやら十字の構造になっているようだ。
奥まった場所は内陣と呼ばれており、祭壇があって、そこには母の偶像が置かれてあった。
よく造られてある。
それが俺の感想だった。飾り気がなく、内部構造に力を振り切ってある。
(これが、教会か……)
見て回って思ったが、神官が教会に留まる理由がよく分かる。
静かで飾り気はなく、仄かに香る伽羅の匂い。静けさの中に謙虚さを感じる。周歩道から繋がる放射状の礼拝室には、聖女エルナが遺した聖遺物と呼ばれる品々が置かれており、俺はその物珍しさに、何度も聖印を切って短い祈りを捧げた。
その後は内陣にある聖職者席で暫く休んだ。
辺りは静寂に包まれており、俺はとにかく落ち着いていた。
自然な流れで手を組み、感謝の祈りを捧げていると、その光景を静かに見守る狂信者と金属バットの気配を感じた。
ややあって――
「ディートちゃん!」
不意に甲高い声で呼びつけられた俺は、祈りの時間を破られる事になった。
「……?」
顔を上げると、そこには俺を教役に推薦した年かさの修道女の姿がある。四十代半ばのふくよかな女性だ。
三十代を超えれば分かるが、四十代の女性を『おばさん』と呼んではいけない。
祈りの時間を破られ、少し……いや、かなりイラッとしたが、まぁ、ほぼほぼ初対面の女性だ。
なるべく朗らかに微笑んだ。
「これは……修道女。すみません、貴女のお名前は……」
「あたし? ポリーだよ! 教役を受けてくれたんだね! 気軽にポリーって呼んでね!!」
やけに元気のいいポリーだったが、次の瞬間には狂信者の強烈な洗礼を受ける羽目になった。
静かな内陣に張り手の激しい炸裂音が響き渡り、吹き飛んだポリーに金属バットが殺到して蹴り上げる。
静かで平和な時間が逆転し、地獄のような光景だった。
タコ殴りにされ、やがて、ぐったりとしたポリーを金属バットが無言で袖廊の方へと引き摺って行って姿を消した。
まぁ、あの調子でいつも話し掛けられては堪らない。成り行きだが、狂信者も金属バットもいい仕事をした。心の安寧の為、そう思う事にした俺は、ポリーが引き摺られて行った方向に静かに聖印を切った。
「……」
気分を切り替え、瞑想する。
ロビンは静かにその場に佇み、勿論、瞑想の時間を破ったりはしない。
「…………」
暫くして瞑想を終え、薄く目を開くと、目の前には半泣きのルシールが立っていた。
「大変な失礼をしました。ポリーには自室で内省を促しておりますゆえ、ご容赦下さい」
どうでもいい事だ。
俺は十歳の子供のなりをしているし、ポリーの年齢からして、特別おかしな態度ではない。ただ、立場上許されないだけの話だ。二人きりなら、特別な問題は起こらなかっただろう。
ルシールの謝罪に無言で聖印を切って返すと、ルシールはそれを赦しと受け取ったのか、ホッとした表情で聖印を返した。
その後は二人を引き連れたまま、堂内中央部の身廊を通って前室に戻り、扉口から屋外へ出た。
外から見た聖エルナ教会は、居住区である二つの尖塔を挟んで教会堂が建てられており、その周囲を低い壁で囲い込むという造りで、見た目自体は地味なものだった。
ルシールの説明では、教会堂に於いてはその内部空間が重要であり、外観は昔から変わらないとの事だった。
内部空間について、各所の説明を受けながら、俺は教会周囲にある外庭部分に向けて歩いた。
その間、俺は黙っていて、何故か焦るルシールは、あれやこれと色々と喋り捲っていたが、それを鬱陶しく感じ出した頃、ロビンが気を利かせてくれた。
「いい加減に黙りなさい。神父さまは気軽に散策しておられるだけです」
「……」
ルシールは小さくなって黙り込み、俺は上機嫌で散策を続けた。
途中、井戸があったので軽く蹴飛ばして祝福した。やたら不味い水だったが、これで飲めるようになるだろう。
ぱっとエメラルドグリーンの星が瞬くように煌めいて祝福された井戸を見て、ルシールは目を剥いてその光景を見つめていた。
ロビンがドヤ顔で呟いた。
「これがディートさん……高位の神官の姿です。私の見立てでは、確実に第二階梯の力はあります」
「は、はい……これ程とは……」
ただ祝福しただけだ。
そして、俺のこの力は、俺自身を基盤としない儚い力に過ぎない。俺自身の功績ではないという事だ。
俺は狂信者と金属バットの二人を無視して気ままに歩き、教会周囲にある複数の井戸を蹴飛ばして祝福して回った。
上機嫌の俺は何も気付かなかった。
何も考えず祝福して回った井戸の幾つかは近隣の住民にも開放されており、そういった井戸を祝福する度に、狂信者と金属バットの二人が目を輝かせて喜んでいる事に、俺は気付かなかった。
教会騎士というゴミクズが金属バットと結託して、ザールランド帝国に対して井戸の祝福、及び浄化代金として金貨三百枚という途方もない額面の喜捨を要求する等とは思いもしなかった。