二十八話 聖夜祭の夜に①
「はぁ……できない……」
今日も森で魔法の練習をしていたパトリシアは、ぐったりと地べたに座り込み呟く。
相変わらず聖女の刻印が現れない焦りから、無理やりにでも魔法の同時使いを試みたが、魔法陣に魔力を大量に吸い込まれるだけの失敗に終わった。
「今のままじゃ心もとないのに」
時はどんどん過ぎて行き、あと数か月で学院の入学式だ。
断罪イベントが発生するまでに、この身を守れるだけの力がどうしてもほしい。
「貴様は一体、なにを目指しているんだ?」
自分以外誰もいないはずの森で声を掛けられ、パトリシアは間抜けな声を出し飛び起きる。
辺りを見回してみたけれど人の気配は感じないのに。
「修行に明け暮れる貴様をずっと見てきたが、どこまで強くなる気だ」
「だ、誰?」
警戒しながら戦闘態勢に入ろうとしたパトリシアの目の前に現れたのは、手のひらサイズの小さな……妖精?
「ほうほう、私が見えるのか。大したもんだな」
えっへんと踏ん反りかえる妖精は、エメラルド色の髪と目をした中性的な容姿をしている。とても美しく邪悪な感じはしないけど。
(妖精なんて初めてみた)
「それで先程の質問だが貴様はなぜ故、そこまで力を求めている」
「それは……」
口ぶりからして恐らくこの森か目の前にある泉に住み着いている妖精なのだろう。パトリシアはいつもこの場所で魔法の訓練をしていたので、ずっと様子を見られていたのかもしれない。
「どんな困難からでも自分を守れるぐらい強くなりたいんです」
「だが、この国において女は、男に守られるものだろう」
「それは王子様がいるヒロインの特権ですよ。わたしが信じられるのは自分の腕っぷしのみです」
だから修行に明け暮れていたけれど、見ての通り独学に限界を感じて打ちひしがれていたところだと言ったら、妖精は声を上げて笑い出した。
「貴様、前から思っていたが面白い奴だな」
「前からって……いったい、いつからわたしの修行を覗き見していたの?」
知らぬ間に見られていたなんて正直ちょっと恥ずかしい。
「ふふん、細かい事は気にするな。貴様が望むなら、暇つぶしにこの私が訓練に付き合ってやってもいいぞ」
「え?」
「風魔法を使いこなしたいんだろう? 中級魔法レベルぐらいまでなら貴様の努力次第でだが引き上げてやる」
「ほ、本当!?」
まさか偶然修行を見られていたのが風の妖精だったなんて。
「師匠、よろしくお願いします!!」
「うむ、明日の夜からビシバシしごいてやるからな」
「あ、明日の夜はちょっと……」
「おい!」
「ごめんなさい。大事なパーティーに出席しないといけなくて。あの、その分、今日から稽古を付けてもらう事は可能ですか?」
「貴様が良いなら構わないが」
「よろしくお願いします!」
自分は天に見放されているんじゃないかと嘆きたくなることもあるけれど、時たま運が良いこともあるようだとパトリシアは感謝したのだった。
「ふぁ~」
コルセットでぎゅっとウエストを締められたうえに、パニエで膨らませた豪奢なドレスを着せられながら、パトリシアはあくびをかみ殺した。
昨日は突然現れた妖精もとい師匠と朝方まで風魔法の特訓をしていたせいでいつも以上に寝不足だ。
完全に張り切りすぎた。今日は聖夜祭の夜。大切な日だというのに。
支度が出来た自分の姿を鏡で見てみる。ワインレッドのドレスは胸元がざっくりと開きすぎている気がするが、これがブレントの趣味なのだろう。
「お嬢様、こちらは奥様からです」
「え?」
そう言ってメイドが付けてくれたのは上品なパールのネックレスだった。
(ミア様がわたしに?)
予想外の事に少し驚いた。ミアからこんな贈り物をもらったことは今までなかったから。
「ブレント殿下がお迎えにいらっしゃいました」
「分かったわ、ありがとう」
支度を手伝ってくれたメイドにお礼を言うと、窓の外に目をやる。日は傾きもういい時間だ。
迎えに来てくれた王子を待たせるわけにはいかないので、パトリシアは急いで部屋をでたのだった。
「ちょっとあなた、なに眠そうな顔してるのよ!!」
玄関へ向かっていると呼び止められ振り向く。そこにはリオノーラの姿があった。
ドレス姿を上から下までチェックされ、なにか文句でも付けられるのかと思っていたのだが。
「ふん、せいぜい楽しんでくるといいわ。今夜の主役は……間違いなくあなた、だから」
「え?」
「で、でも、来年はわたくしも絶対に参加してみせるんですから!」
家出騒動の日からお互いあの夜の事には触れずにいたのだが。
「来年こそは、サディアス殿下なんて足元にも及ばない最高に素敵な男性と聖夜祭に参加するわ」
リオノーラは吹っ切れたのか、すがすがしい顔で笑っていた。
「ふふ、そうですね」
パトリシアは、リオノーラが思っていたよりも立ち直りが早かったのでよかったと安心した。
聖夜祭の夜に正装で現れたブレントは、いつにも増して麗しの王子様だった。
が、会場に着いて馬車を降りアニメで観ていたのとそっくりの外観の建物を目にして、パトリシアの内心はそれどころではない。
ブレントになにを話し掛けられても気も漫ろになってしまう。
「おい、なにをぼうっとしている、行くぞ」
「は、はい」
今日はまだ事件が起きる一年前。なにも怖がることはない、そう自分に言い聞かせても指先が震えた。
「オマエ、珍しく緊張してるのか?」
エスコートのため手を取ったブレントは、パトリシアの震えに気が付き驚いた顔をした。
パトリシアがパーティー一つでこんな反応をするとは思っていなかったようだ。
「緊張というか……怖いです」
パトリシアは素直な気持ちを口にしていた。なにが怖いのかと聞かれても答えられないのに。
「ふん、なにを怖がる必要がある。オマエはオレの隣で澄ましていればいいんだよ」
「っ!!」
ブレントは少し強引にパトリシアを引き寄せ会場へと歩き出した。
そんな彼の横顔を、少しだけ頼もしい気持ちでパトリシアは見上げた。
「わぁ、ブレント殿下だわ。素敵」
「……隣にいるのが聖女様ね、ふーん」
会場に入った瞬間からブレントとパトリシアは注目の的だった。
最初はブレントのご学友たちを紹介されたり、挨拶にくる生徒たちに愛想笑いを振りまいてやり過ごしていたが。
そのうちブレントに好意を寄せているのであろうご令嬢たちが集まってきて、パトリシアは追いやられた。
気が付けばご令嬢たちに囲まれるブレントを、輪から外れてポツンと眺めることに。
(……オレの隣で澄ましていればいいって言ったくせに)
と、少しだけ恨めしい気持ちになったが、これはチャンスなんじゃないかと思い直す。
今、自分は自由に会場を見回ることができる。
来年起きるかもしれないもしもの事態に備えて逃走経路を確認しておこう!!
そう閃いたパトリシアは、ブレントがこちらに視線をやっていない今の隙に、そ~っとその場を離れたのだった。