雪合戦 姉対弟(下)
「聞いたわよ! そうとわかれば一直線! 覚悟しなさい!」
穴から這い出たエリノラ姉さんが、嬉々として俺の足跡が残る道をたどり、やって来る。
雪合戦なのに、拳と足に魔力を纏わせているのはおかしいと思う。
それは雪合戦とか魔法云々じゃなくて殴るつもり満々だと思うんだ。
真っすぐと俺の元へと向かって来る、エリノラ姉さんへと俺は雪玉を投げまくる。
馬鹿一直線に突撃してくる、エリノラ姉さんへと飛んでいく雪玉だが、ことごとく拳で打ち払われる。
「意味が分からない!? 中身は氷魔法で作った氷塊なのにっ!?」
「雪玉にしてはやけに硬いと思ったら! あんた何てことしているのよ!」
どうして体の一部にだけ魔力を纏わせるという高等テクニックができるのに、お湯が三回に一回しか作れないのか。
相変わらずに謎だ。
身体を低くしながらグングンと近付いてくるエリノラ姉さん。
「トール! 雪玉ちょっと借りるぞ!」
「お、おおっ!?」
雪を作っていては間に合わないので、無属性魔法サイキックでトールの雪玉を十個貰い浮かべる。勿論中身は氷魔法で強化した。雪玉とは名ばかりの氷塊だ。
それを俺は迫りくるエリノラ姉さんへと、全方位から囲むように叩きつける。
それは雪玉を投げるスピードとは比べものにならないくらいの速さ。
一撃でも当たればノックダウンは避けられない程の威力を秘めているというのに、当たる気配はない。
エリノラ姉さんは柔らかな身体を生かして身を捻り、地を這うようにして身を動かす。
その中で当たると判断した氷塊は、自慢の拳と蹴りで打ち砕く。
意味が分からない。全くもって。いつからエリノラ姉さんは剣士から拳闘士へとジョブチェンジしたのだろうか。
氷塊の全てがエリノラ姉さんの身体一つに砕かれ、キラキラと結晶を降らせる。白銀の粉が舞い散る中、赤茶色のポニーテールが大きく揺れるその姿。他の人にはさぞ美しく見えたに違いないが、俺にはおぞましい何かにしか見えない。
「観念なさい!」
俺は近付いてくる、エリノラ姉さんへと普通の雪玉を投げつけた。
「はっ! 今さらそんな物!」
鼻を小さく鳴らし、余裕の表情で振り払おうとするところを、サイキックで軌道を変える。
「なあっ!?」
本来ならば、顔に向かうそれはエリノラ姉さんの腕を僅かに掠め、胸へと直撃した。
バスッ!
そうその音は何か硬質な物に当たったような音だった。
…………。
『『『…………』』』
だ、駄目だ……今笑ったら……殺される。
何という残酷な世の中だろうか。神はこんなにも胸元に差をつけるだなんて。
俺は固まったエリノラ姉さんの胸元へと視線を向ける。そこには雪玉が崩れ、細かな雪がさらさらと流れていた。そう、なにもひっかかる物が無いが故に。平らな坂を下るように。
シーラさんとは大違いだ。
「ブフッ」
あっ、いけねえ。思わず吹いてしまった。
殺されると思い、視線を上げるとそこには予想通りに肩を震わせたエリノラ姉さんの姿が。
「我は求める。いかなるものを焼き尽くす小さな火球を!」
やけくそのように唱えられた呪文により魔力がエリノラ姉さんの掌へと集まり、燃え盛る火球を生み出す。それは勢いよく発射され、俺達の氷壁を溶かしていく。
その射線上にあった雪は全て溶け、もとの土が顔をだす。相変わらずの威力だ。無駄に高温にする事だけは得意なんだから。
その威力に村人達は感嘆の声を上げ、トールとアスモは悲鳴を上げる。
「アルー! やべえよ! 俺達の防壁が!」
「熱いぃ! うわ! 玉が溶けた!」
「待っていろ! 今俺が張り直す!」
補給部隊を狙うとは卑怯な!
「そんな事させると思う? エマ! 木刀貸して!」
「はい!」
エマお姉様の凛とした声とともに、投げられた木刀はエリノラ姉さんの手に綺麗におさまる。くそ、こんな日でも木刀を持ち歩いているとは。
「トール、アスモ! 体勢を立て直すぞ!」
「わかった!」
「アルは逃がさないわよ? この屈辱……許さないわ」
俺も下がりたいところなのだが、目の前の姉が許してくれない。
氷の壁がなくなり足元の雪すらなくなってしまったので、トールとアスモが民家へと撤退する。
だがそこを敵が逃すはずがなく、嬉々として敵が雪玉を投げつける。前に出ていたトールはその分逃げ遅れている様だ。
アスモが裏へと隠れ、遅れて何とかトールも民家の傍へとたどり着く。
「よっしゃあ! 民家にさえ隠れればこっちのもんだ!」
「シーラ! あれを狙うわよ!」
「わかったー」
二人の手からそれぞれ雪玉が放たれる。それは大きな放物線を描き屋根にぶら下がっている、氷柱へと当たる。
「はっ! どこ狙ってんだよ――って、げえっ!」
頭上より落ちて来る氷柱を身を投げ出す事で、間一髪事なき事を得るトール。
「いらっしゃいトール」
「……あ」
身を乗り出した事で、瞬く間にエマお姉様にマウントを取られてしまったトール。
べ、別に羨ましいとか思ってないからな。
一方、裏側にいるアスモは何となくトールが危機である事に気付いた模様。
このままではマズイ。
そこで俺は先程の氷柱を見て、ある事を思いつきアスモへと命令を出す。
「アスモ! その民家へとタックルしろ!」
俺の意図を読んだアスモが、黒い笑みを浮かべて頷く。
一方で他の面子はまだ様子が呑み込めていないようで、疑問符を浮かべている。
そうだ、こうなったらトールもろとも敵を沈めてしまえ。これは優しさなんだ。敵兵に捕まった兵士がどうなってしまうか。決して敵を一網打尽にできるチャンスだから、生贄になれという事ではない……決して。これは指揮官としての正しい判断なんだ。
「トール、悪く思うなよ」
「……何だ?」
「何かしら?」
「何かするのかなー?」
民家の裏側から聞こえるアスモの声に、トールとマウントを取ったエマお姉様の動きがピタリと止まる。
するとすぐさまに、民家に衝撃が加わり軋む音を鳴らす。
『アイツ俺の家に何しやがる! 壊れるだろうが!』
『まあまあ』
『今面白い所なんだ黙っとけ』
『お、お、おもしろ!?』
すると、傾斜になった屋根から勢いよく雪がトールとエマお姉さんの所へと降り注いだ。
いわゆる雪落としだ。よく木の下にいる友達にやる冬の技だ。
「うわあああ――」
「きゃああああ――」
二人の悲鳴は最後まで聞こえることなく途切れた。
しかし、シーラさんが民家の傍に着く前に止まってしまったので無事だ。まあそこはアスモと一対一でおいおいやれば――
「何でアスモも埋もれているんだよ!?」
確認の為にアスモへと視線をおくれば、トール達の反対側でこんもりと埋もれているアスモの様子が。
い、意味がわからない。自分の方にも落ちてくることが予測できなかったのだろうか。
「あー、あーこれは皆駄目だねー。リタイアだよー」
コロコロと笑いトール達を掘り出す。どうやらシーラさんは救助隊へとまわるようだ。
これで残るは俺とエリノラ姉さんだけになってしまった。
「色々小細工をしようとしたみたいだけど、全滅みたいね」
剣を構えたエリノラ姉さんが好戦的な笑みを向ける。
まだまだやる気が満々のご様子で。
さてどうするか。仲間はあほして全滅。雪玉もないのでサイキックも使えない。
エリノラ姉さんとやるには不利すぎる。というか今思ったんだけど、向こうは木刀で襲いかかってくるとか……。もういっそ清々しく氷魔法で氷塊を投げつけるか? いや、それは後で怖い気がするからやめておこう。雪合戦という言い訳ができなくなる。
他に雪玉は……あ、あった。それも超特大の奴が。
思いついた瞬間――俺は魔力を足に纏わせて民家の屋根へと飛び移る。
「……何するつもりよ」
エリノラ姉さんが警戒の声を上げるが、それには笑顔で答えた。
屋根の上から見える村長の家。そこにある大きな雪玉を『サイキック』の力で持ち上げる。
おお、ちょっと重くて細かい制御がしにくいが問題ない。
『おいおい何だありゃ』
『でっけえ雪の玉か!?』
『……どこにあったんだよ』
『村長の家を塞いでいた奴か?』
『ああ、あの超硬くて誰にも動かせなかった雪だな』
『村長が雪解けまで外に出られない。というのを期待していたのに残念だな』
宙に浮かぶ巨大な雪玉を見て、村人達が口々に言葉を漏らす。
そして俺はその雪玉をエリノラ姉さんのところへと飛ばす。
質量が大きいだけに対した速さは出ない。当たれば大変な事にはなるが、エリノラ姉さんに当たるはずがない。
「そんなデカいだけの雪玉に当たるわけがないじゃない!」
「それはどうかな?」
その為に、俺は発射された雪玉へと高魔力をつぎ込んだ大きな火球を打ち込む。
それは見事に雪玉の中心へと当り、爆炎と轟音を立てて破砕する。
巨大な雪玉が破砕される事によって、多くの圧縮された雪、もはや氷塊と言える強度の物が雨のように降り注ぐ。
俺はその中でも村人や民家に当たると危ない物を、全て『サイキック』でコントロールして支配下におく。これで誰にも被害は出ないし、俺の持ち球にもなる。一石二鳥だ。
一番近くにいるエリノラ姉さんは、今頃氷塊の乱舞に身を打たれ――ることはなく、身を屈めて駆け回り、木刀を振り回す姿が……。
雨のように降り注ぐ氷塊を木刀一つで舞い踊るように斬る。時には木刀で逸らし受け流し、他の氷塊とぶつける合う事で相殺。
予測すら困難な氷塊の嵐を、鮮やかに駆け回る。
あれは本当に人間なのであろうか。人の域をも超える身体能力。氷の嵐に身を置きながらもエリノラ姉さんの鋭い視線はこちらを射抜く。
俺は破砕による氷塊だけではエリノラ姉さんを倒す事ができないと判断し、先程支配下に置いた氷塊を追加で撃ち出す。次々とエリノラ姉さんへと襲い掛かる連撃。先程の飛び散った氷塊の雨はもうなくなったものの、息をもつかせぬ攻撃。
やらなければやられる。圧倒的優位な状況にいるにも関わらず、俺の心は焦りを覚える。
それは少しでも距離を詰められれば殺られるという俺の勘からきているもの。絶対に近付けさせてたまるか。あの目はヤバい。
サイキックで撃ち出した氷塊は百をも超えるが、当たった物は先程の一発のみである。同じ手が二度通用する相手ではない。先程から軌道を曲げて変幻自在に飛ばしているのだが、全てが弾き返されている。まるでこちらの思考を読んでいるかのよう。
一体どうなっているのか。
気付けば俺の周りには氷塊が一切ない。慌てて俺は地面へと落ちた氷塊へと再び『サイキック』をかけて補充しようとする。
その隙を逃さないとばかりに、猛スピードでエリノラ姉さんがこちらへ疾走する。
慌てて迎撃のために僅かな氷塊を飛ばすが、残っていた氷の壁を盾にし、なおかつ足場にして俺へと斬りかかる。
「くたばりなさい!」
「ヒイッ!」
とっさに氷の壁を展開しようと思ったが、俺の第六感が真っ二つになるぞと囁いたので、シールドを足場にして空中へと逃げる。
それはもう連続で発動させ、跳躍して上へ上へと飛び移っていく。
「待ちなさい!」
背後ではエリノラ姉さんが俺のシールドを利用して同じように接近してくる。
ど、どこまで俺を追いかけてくるんだよ!
シールドを早く解除して上ってこられないようにするが、消えてしまうよりも早くにエリノラ姉さんは飛び移って来る。
さっきから人の魔法で作った物を足場にして利用しやがって。
俺は次の足場へとシールドを展開し、飛び移る。その瞬間、後方に氷の壁を縦に展開。
「う、うそ!」
振り返れば、エリノラ姉さんが剣を氷の壁に突き刺し、なんとかぶら下がっている姿が。
あっさりと木刀に突きたてられた壁を見て俺は愕然とする。
危ねえー。さっき氷壁で防御しなくてよかったー。勘を信じて良かった。
ともあれ今はエリノラ姉さんに状況を理解してもらわなければ。
「ねえエリノラ姉さん、今ここがどれくらいの高さか把握しているの?」
「……えっ?……」
俺の問いかけにエリノラ姉さんはきょとんとした顔をして、ゆっくりと下を見る。
地上とは違い、冷たく強い風が吹き荒れる。下には村人達であろう豆粒サイズの人影に、小さくなった民家の数々。果てには俺達の家である屋敷すらも見える。
エリノラ姉さんはそれらをおもむろに眺めた後に、顔をさっと青くさせた。
「…………そ、その……」
「さーて、そろそろ下に降りようかな」
「ちょ、ちょっと! あたしも」
「俺は氷像に悪戯なんてしていないのになー」
「いや、でもそれはアル達が作ったって言うから」
「どうやって降りようかな。氷魔法でながーい滑り台にするのもいいよね。もちろん一人で」
「あー! 疑ってごめんなさい!」
「それと?」
「え? 他に何かあった?」
「勝負が続いているなら続きをしないと」
「…………ました」
「え? 何? 聞こえない?」
「参りましたぁ!」
半泣きの表情で叫ぶエリノラ姉さん。
この日アルフリートは、初めてエリノラ姉さんから勝利をもぎ取ることが出来たのであった。