14
夏の名残が残る森からは、むんと篭もるような土と緑の香りがした。
下生えも生い茂り、藪や蔓も盛大に繁茂している。
盛夏の頃よりはマシだけれど、見通しがこうも悪いと危ない。
「ドワーフの目は真っ暗闇でも見通せるそうだけど、視覚に頼り過ぎないようにね」
「は、はい」
後ろを歩くルゥに振り向くと、そう注意した。
ルゥは鋲打ちの革鎧を着込み、兜を被り、ぴかぴかの戦斧を手にしている。
元がしっかりした体つきなだけに、ちゃんとした武装をしてみると、なかなか格好がつくものだ。
「……確認をしようか、これから向かうのは?」
「西の、《柱の塚》ですね」
ここ最近の魔獣討伐で、人の領域も拡大している。
山菜採りや狩りのために深くに踏み入った狩人や、魔獣討伐の冒険者が新しい遺跡を見つけることも多い。
今回、僕たちが不死者退治に向かうのも、そういう場所だ。
発見者が《柱の塚》と呼ぶそこは、どうやら古い、朽ちかけの木の柱が立ち並ぶ小高い丘であるらしい。
「ごく最近、発見報告があったけど、まだ探索は行われていない。
その理由としてあげられるのは、だいぶ森深くにあることと――」
風が吹く。
辺りに、靄がかかってきた。
「地形的な問題なのか、古い魔法的な結界か、それとも土着の精霊か何かの悪戯なのかは分からないけれど、霧が出やすいこと」
薄く白い霧は、進むごとに濃くなってゆく。
「そして最後に、不浄の気配があったこと。
発見者の狩人さんはアンデッドを見たって言っているけれど……」
だいぶ動転していたらしくて、目撃情報は曖昧だ。
ゾッとするような気配とともに、霧の中で何かが動いていたような気がした――という感じで。
「何が出るか分からない。
雰囲気に呑まれての勘違いならいいんだけど、注意して進もう」
「はいっ」
それからしばらく、無言で霧の中を探り歩くと――
ふと、視界が開けた。
「ひ……」
後からやってきたルゥが、悲鳴を飲み込んだ。
「……これは、凄い」
僕は、その光景に圧倒されていた。
深い霧巻く丘に、無数の木製の柱が立ち並んでいる。
半ば剥げているけれど、どうやらかつては、赤い塗料が塗られていたらしい。
「ぶ、不気味……ですね」
「そうだね。でも、荘厳だ」
薄い白の靄の中。朽ちかけ、塗料の剥げ落ちた赤の柱の林立。
奥へ視線を向ければ向けるほど、霧のなかでそれらは曖昧となり、ゆらり、ゆらりと揺れて見える。
まるで、ひどく歪で細長い、血色の巨人の影のように。
かつてこの場所に、確かにあった営為の残骸たちが、静かに佇んでいる。
手の動きで合図をすると、湿った土を踏み、慎重に前に進む。
今回、メネルはいない。
実力的にツートップである僕とメネルが両方出張るほどでもないし、《ヒイラギの王》の予言のこともあるので、《灯火の川港》に待機してもらっているのだ。
けれど、これはちょっと後悔した。
こういうのの探索に長けたメネルなら、あっという間に安全確認が出来たはずだ。
……まぁ、居ないものは居ないので、今回は僕がなんとかするしかない。
「…………」
左右に目配りしながら、ゆっくりと丘に近づく。
とりあえず柱を確認すると、やはり木製だ。
きちんと製材されて、八角形か六角形にされて、地面深くまで埋められている。
赤い装飾には、今では失われた何かの部族の風習や文化、宗教的な祈りが込められていたのだろうか――
そんな風に考えていると、不意にひゅるりと、と生暖かい風が吹き――
「わぁっ!?」
ルゥの悲鳴があがった。
蒼白になったルゥが指差す方角、柱の陰。
――こちらを見ている何かが居た。
◆
「ゾ、ゾゾゾン……!」
咄嗟に《おぼろ月》を構えつつ、蒼白になったルゥが指す方を見る。
「…………」
ひび割れた顔。
腐りかけた茶色の肌。
虚ろな眼窩に、乱杭歯。
それは。
それはまさに――
「腐乱死体じゃない」
「へ?」
「ほら、よく見て」
ルゥを連れて、近づく。
それは恐ろしげに黒い眼窩を目を見開き、鳥の羽の軸で作られた歯を剥いた、人型に削りだされた木製の人形だった。
多分、使われた木は立ち並ぶ柱と同じものだ。
「墓守さん、かな?」
「は、墓守?」
「うん。ここ、塚……墳墓なんだよ、多分」
辺りに立ち並ぶ柱を見る。
きっと……この一本一本が、かつてこの地に生きた誰かの墓標なのだ。
そう考えると、この不思議な場所も、すっきりと説明が通る気がする。
「恐ろしげな顔をした人形が置いてあるのは、多分、盗掘者を脅すため」
人形ごときでと思われるかもしれないけれど、前世の日本人形しかり、念の篭った感じのするヒトガタというのは怖い。
後ろめたい気持ちで墓荒らしにきた人間にとっては、更に怖く見えるだろう。
気合の入っていない相手を追い返せる、というだけでも有効だ。
「霧が出るのもひょっとして、魔法的な結界か、土地の精霊との契約なのかもね」
先に逝ってしまった大切な人の、安らかな眠りのため。
昔の人々が、工夫をこらした結果なのだろう。
「何代にも渡って、たくさんの手間をかけて作ってきた……気持ちのこもった場所なんだ、多分」
「…………」
槍を置いて、膝をついた。
……手を組んで祈る。
墓所を荒らしに来たわけではありません。
どうか、安らかにお眠り下さい。
しばらくの祈りを終えると、ルゥも同じようにしていた。
「……けれど」
「ん?」
「それじゃあアンデッドは、どこに?」
「ここがお墓となると、見間違えの可能性が高いのかなぁ、と思い始めてる」
「……? お墓というと、不死者が出やすいような気がしますが」
ルゥの言葉に、僕は首を傾げた。
「どうして? みんな供養されてるんだよ?」
お墓というのは基本的に、正しい手続きを踏んで弔われた死体ばかりなのだ。
イメージ的にはともかく、むしろ不死者の発生率は低い。
「殺されて隠された遺体とか、野ざらしの遺体とかのが、不死神の加護を受けやすいんだ。
――あの神さまは、あの神さまなりに優しいからね」
ぽつりと呟く。
「不死神が……やさ、しい?」
「優しいよ。凄く優しい」
肩をすくめる。
不死神スタグネイトは、優しい。
ただ僕や、恐らく他の多くの人たちが、その優しさを受け入れられないから悪の神と呼ばれるだけで。
その呼称は、決して彼の優しさを否定するものでは、ないと思う。
「人が見るも無残に、失意の、悲嘆の死を迎える。あの神さまはそれが、我慢ならないんだ。
だからこの世界には、たとえば精霊神の祝福で季節と自然の様相が移り変わるように。
あらゆる死んだ生物は、己の悲劇を覆す権利が、不死神から与えられている。
……アンデッドとなり、再び起き上がることで、ね」
「…………あの」
「ああ、もちろん言いたいことは分かるよ。そんなもの多くの人間にとって、嬉しくないどころか傍迷惑な祝福だ」
肩をすくめる。
「生きてる方も、死んだ両親が腐った体で自分を抱きに来たら、嬉しいどころか色々な意味でたまったものじゃない。
死んだ方も死んだ方で、大抵、死の直前の後悔ばかりが頭に焼き付いて、ろくな理性が残らず暴走するばかり。
理性的なアンデッドになれるのは……ごく一部、強い意志と魂を持ってる人たちだけだ」
ただ、それでも――
「それでも、不死神が善意で祝福を与えてるのは事実なんだよ。
彼は心底から、『君たちは失意のままで生を終えなくていい。その魂の輝きで、死を覆せ』って、そう思ってる」
「…………あの」
ルゥが凄く何か言いたげにしていた。
「ウィル殿。その……やけにお詳しいですけど、あの、まさか……」
あっ。
「不死神の《木霊》……あ、いや、まさかウィル殿でもそれはありませんよね。
《遣い》か何かと、遭遇したことでも、あるとか?」
「…………」
「な、なんで目をそらすんですか!?」
「い、いや……その、なんていうか、その。ハハハ……」
「ハハハじゃないですよ!?」
「ハハハ……」
◆
そんな一幕をはさみつつ。
それから暫く丘を歩きまわったけれど、やはり不審なものは見受けられなかった。
「うん、これは見間違いが濃厚っぽいね」
「か、空振りですかー……」
「あはは……まぁ、そういうこともあるよ」
せっかくの初陣と覚悟を決めてきたのに空振り。
ルゥは虚しさと切なさが入り混じった表情で、がっくりと肩を落とした。
「あ……で、でも、狩人さんは不浄の気配がしたと言っていましたよね!」
「気配って曖昧なものだし、この雰囲気だと『アンデッドを見た!』と思えば、そんな気配がした気になっちゃうかもしれないよ?」
「それもそうですけれど……」
とはいえ、確かにそこだけは気になるところだ。
本当に見間違いだったなら、何事もありませんでした、で良いんだけれど……
もし、「何事もありませんでした」と報告して後で被害が出たら大変だ。
「ん?」
そんな風に考えつつ、丘の周りを一回りしていた時だ。
霧の中。丘の麓、灌木と下生えの影に、何かがちらりと見えた気がした。
「ルゥ、こっち」
下生えを踏み分けて、近づく。
それは朽ちかけた扉だった。
丘の麓、下生えや灌木に紛れるようにして、設置されている。
「塚の……内部への入り口?」
丘の大きさからして、多分そう大きなものではない。
「…………」
盗掘者対策の魔法や罠が仕掛けられている可能性もある。
けれど、確かめないわけにはいかない。
心のなかで埋葬者さんたちに詫びの言葉を述べる。
「ここも、調べよう」
「はい」
聞き耳を立てる。
十分に注意しながら扉に手をかける。
扉は鍵もなく、きわめて単純な構造をしていて、ずいぶん年月が経過した今もなんとか開いた。
「《光》……と、よし」
湿った土の通路……確か羨道というそれを、崩落の気配に注意しながら慎重に奥に進んでいく。
塚の最奥である玄室には、間もなくたどり着き――
「……っ!?」
「ひっ」
その瞬間、異常なほどの密度の不浄の気配が全身を襲った。
全身が硬直するとともに、総毛立つ。
違う。
これは違う。
尋常の、自然発生のアンデッドなんかじゃ
【――ようこそ。我が寓居へ】
闇の奥から、声が響いた。
背筋が凍った。
その濃密で、思わず膝をついてしまいたくなるほどの気配に――僕は、覚えがあった。
ルゥが、戦斧の柄を両手で握ったままガタガタと震えている。
【3年ぶりかね? 灯火の戦士よ】
紅い目が、玄室の奥の闇にある。
笑っている。――目を細めて、笑っている。