9:旅の終わり
「――というわけで、本当に申し訳ありません!」
と、頭を下げる。
相手は無論レイストフさんで、謝罪しているのは当然あの件、神殿長にポロリと零してしまった話のことだ。
「頭を上げろ」
僕は村の方に戻ってきて早々、レイストフさんとアンナさんにその件を謝りに来ていて……
とりあえず先に捕えられたレイストフさんに、こうして頭を下げた、のだけれど。
「いずれは片付けることだ」
最近ずいぶん広がり始めた麦や雑穀の植わる畑の傍。あぜ道を歩き出しながら、レイストフさんはうっそりと言う。
「早いも遅いも、変わらん」
……お、男らしい。思い切りがいいなぁ。
「…………」
「…………」
それからしばらく、無言であぜ道を歩く。
どうやらレイストフさん的には、もうこの話はこれで終わり、ということらしい。
なんとも物事に頓着しない人だ。
「……レイストフさんは、アンナさんと、何故?」
この人が、女性に執着するというのは少し不思議な気もする。
気になって、不躾かもしれないと思いつつ、尋ねてみた。
「真面目で、健気でな。……絆された」
端的な回答だった。
そして、なんとなく納得できる回答でもあった。
「そうですか」
「ああ」
それからまた沈黙が落ちる。
村の外れの野原へ。
「……そして、お前が居た」
「僕が?」
レイストフさんが、ゆっくりと頷く。
頷くのだけれど、話がつながっていないので僕は「?」と首をかしげるばかりだ。
「この腕と剣のみで、どこまでゆけるか。どれほど強くなれるか。
俺はそれを試したかった。――それが、俺の夢だった」
ビィからも、彼の武勲は聞いている。
巨大な人喰い蜘蛛を突き殺し、村を襲う妖魔の集団を討ち取り、怪鳥を瞬く間に斬り捨て。
その武名は、高い。
「だが……」
次の瞬間。
レイストフさんは、殺気も、予兆も無く。
ほとんど予備動作すらも感じさせずに、振り向きざま、閃くように剣を抜き放とうと、
「っ!」
したところで、僕は反射的にレイストフさんの前腕を抑えこむ。
そのまま流れるように足を刈ると、倒れこんだレイストフさんの剣を握る手を膝で抑えこむ。
ほとんど同時に、首を押さえた。
完全な「詰み」の形が成立して、流れが止まる。
それから彼は、一つ息を吐いた。ゆっくりと、長く。
「…………お前は強い。恐ろしく強い。
あの酒場で一目見た時に、届かぬと悟った」
レイストフさんは、そう言って、空を見上げた。
ほろ苦く、笑いながら。
――それは僕が初めて見た、彼の微笑みだった。
「そして、そのお前に力を認められた」
そうだ。僕は彼と、彼の間合いで戦いたくはない。
その賛嘆に、変わりはない。
今だって、もう少し気を緩めていたら、こう綺麗には制せなかった。
「――だから、俺の夢はここで終わりだ」
夢が醒めたのだ。
あとは起き上がって、現実を生きるのだ、と彼は言った。
そううそぶく、彼の心情は、うかがい知れない。
夢を諦める。それはここまでだと見切りをつける。
そこに至るまでに、彼は何を考えたのだろう。
――それは、どんな心境なのだろう。
「配下に加えてくれ。お前も、お前以外に動かせる武力は必要だろう。
……メネルドールの奴は、お前と対等であらんとしているからな。
お前の下につくことは承服すまい」
珍しく饒舌に、そして悪戯めかして、彼は言った。
「――俺は、なかなか強いぞ?」
「知っています。そして、魅力的な売り文句ですね」
「だろう?」
にやりと笑う彼の表情に。
なるほど確かに笑顔が魅力的なのだなと、僕はアンナさんの惚気話を思い出した。
僕が、この人ほどの人物を、きちんと扱えるかは分からない。
分からないけれど――僕は、3人に鍛えられた僕の力は、知らず彼の夢を折っていた。
「いらぬならば断れば良い。……責任を感じる必要もない」
こちらが勝手に折れただけだ、と彼は言う。
けれど、尋常でない力を持つということは、やっぱりそういうのと付き合って生きていく、ということでもあるのだ。
……3人だったら、こんな時はどうしたのだろう。
考えても、答えはでなくて。
「レイストフさんが力を貸してくれるなら、とても嬉しいです。
……よろしくおねがいしますね?」
僕はただ、その複雑な感情を仕舞いこむと、微笑んだ。
◆◆◆
ぎぃ、とてこ棒の軋む音がする。
数人がかりで体重と筋力をかけて引き下ろすと、てこの先で、地面に埋まっていた一抱え以上ある岩が少し動いた。
そこに一人が石を差し込む。
「ふう……そろそろこの岩も終わりですね」
先ほどから、僕は新たに開墾中の土地で、岩の処理をしていた。
岩の周囲を掘り起こし、てこで浮かせ、そこに石を差し込んで、また別の箇所からテコを差し込み、浮かせ、石を差し込み……
そんな地道な作業を繰り返して、地面に近い高さまで上昇させたら、ロープやコロを使って隅に運んでしまう。
掘って、それすらできないくらい大きな岩だと判明した場合、しばらく火を焚いて岩を熱して、冷水をかけて割って、あとは同じように処理する。
とても地味で、時間のかかる作業だ。
「そういや、神官さまよ。こういうのは、魔法で何とかはできんのかねぇ……
こう、ぱぱっと浮かせちまったり、割っちまったりよ」
「ああ、ダニエルさんの言うようなことも、不可能ではないです」
作業をしていた農夫の一人にそう問われて、僕はそう答えた。
「おや。……なら、なんでやらんのかね」
「それに頼ると、僕が死んだらそれまでですから」
そういうことに応用できそうな魔法もある。
けど、そもそも魔法というのはあまり安定したものではないし、万人が使える普遍的な技術でもない。
そして僕は不死神とかに目をつけられてる分だけ、戦いに巻き込まれて死ぬ可能性が高い。
「……誰かに頼って何かを済ませたら、その分だけ別の何かが鈍ります」
そう言うと、その場に居た人の半分くらいが納得した顔をして、半分くらいは不満げな顔をした。
そうは言っても、といった様子だ。
実際、人力でやるのはひどく疲れるし、時間も浪費する。
家畜が使えればまだ楽になるし、僕が最近《白帆の都》と往復しているのもそれが一つの目的なのだけれど。
ただ、それもなかなか行き渡らない。まだまだ村では、役畜の利用は順番制だ。
だから――
「でも、たまにはズルもいいですよね?」
と、笑ってそう言うと、皆も目を見開いて、それから笑った。
きちんとした手順を時々確認するのは大事だけれど、全部それでやれというのも理不尽だ。
「この岩だけやったら、あとのは魔法で浮かせちゃいますから、掘り出し作業だけお願いします。
……でも、あんまり魔法でやったってことは言いふらさないでくださいね?」
そう言うと、皆がおお、と頷いた。
後は魔法でいいという言葉に力づけられたのか、皆、あっという間にその岩を片付ける。
人間、延々終わりの見えない運動をやってへたばった後でも、「ラスト一本!」と言われると何処かから力が湧いてくるものだ。
皆がどんどん岩を掘り起こしてゆく間に、僕は地面に《ことば》を刻んで準備をする。
《浮遊のことば》で、高重量物を動かすのは、簡単そうに見えて高度な技術だ。
「……正直に言うのだな」
背後から声がかけられた。
「ええ。魔法使いってのは、誤魔化すのも沈黙するのも良いけれど、嘘はついちゃ駄目なんです」
「ほう」
地面に幾つかのしるしを刻みながら、答える。
「これは魔法使いの間で定説なんですけど、嘘をつき続けると、《ことば》の持つ力が弱るんですよ」
――《ことば》は扱うものによって、軽くもなれば重くもなり、鈍くもなれば鋭くもなるもの。
大昔にはガスも授業の端で言っていたし、近くはハイラム師も言っていた。
だからこそ、学べば上達するものであるにもかかわらず、大魔法使いになれるものは一握り。
「嘘つきの《ことば》には、重さも、鋭さもありません」
そういうものなのだ。
「そういうものか」
「ええ。そういうものなのです」
そう言って、僕は振り向き――目を見開いた。
目の前には、蓬髪で髭モジャの、鋭い目をした男はいなかった。
さっぱりした短髪に、整った顎髭の、堂々とした若者がいた。
「ど、どちらさまですかっ?」
声が似ている別人だった!
真っ先にそんな考えが浮かび、僕は赤面しながらそんな言葉を咄嗟に吐き出し、
「…………俺だ」
不機嫌そうな彼の声に、現実に引き戻された。
「え……」
間違いなく二十代で通じる、貴公子めいた顔立ちの、この人が、
「レイストフだ」
彼の声で、彼の名を名乗った。
「えええええええ――ッ!!?」
驚愕の叫びをあげる僕。
そしてレイストフさんの背後からアンナさんが顔を出し、いたずらっぽく舌を出した。
「凄いでしょう。彼から父に挨拶に行くと伺って、散髪してみたんですけど……ビックリしました」
「び、ビックリどころじゃないですよ!」
僕の叫び声に、なんだなんだと皆が集まってきて、やはりみんな目を見開いたり、驚きの声をあげたりした。
「だ、誰や!」
「レイストフだ」
「うはぁ! お前さん、男前やったんやなぁ!」
この顔と立ち居振る舞いで堂々と求婚すれば、バグリー神殿長といえども説得できるかもしれない。
「こら大したもんやわ、聖騎士さまより騎士さまらしいわ」
「あっ、ひどい!」
「おっとこりゃ失礼を」
「ハハハ……」
そんな風に、皆で笑い合う。
あの死者の街を出てから、僕が得たもの。
その輪の中にありつつ、ふと、僕は空を見上げた。
秋の空高く、雲が流れている。
ブラッド、マリー。見ててくれるかな。
僕なりに、なんとかやっています。
分からないことも多いし、悩むことや迷うこともあるけれど、助けてくれる友人たちもいます。
だから、大丈夫。心配しないで。
――僕は、誓ったとおりに、ちゃんと生きています。
〈最果てのパラディン間章 完〉