25
右手から牙。
斬る。
左脚に爪。
敢えて受けて、斬る。激痛。
斬る。傷を回復、激痛が消える。
次の敵を斬る。
真紅の茨が空間を満たす。
盾で殴って斬る。
貫かせて斬る。
噛ませて斬る。
密着して斬る。
斬る。斬る。斬る。
茨。茨。視界が赤く染まる。
「あ、あ、ああああああああッ!」
無様な平押しだった。
鍛え上げられた筋力も。
研ぎ澄まされた技巧も。
練り上げられた精神も。
何もかも、そこにはない。
ただただ、魔剣の性能に任せて、平押しに切り刻むだけ。
極めてどうしようもなく、無様で、格好悪くて、泣きたくなるような戦いがそこにはあった。
3人に申し訳なくて。
情けなくて。
ぽろぽろと涙をこぼしながら、僕は狂ったように魔獣たちを斬り捨て続けた。
血と臓物を浴びながら、いったい何体斬り伏せただろう。
でも、もっと斬らないと。
もっと、もっと……
「やめろ、もういい!」
耳元に響く大声。羽交い締めにされた。
……レイストフさんだ。
気づけば、動くものはいなかった。
「え、あ…………」
キマイラはどこかに逃げ去っていた。
辺りは比喩ではなく、血と臓物の海。
レイストフさんも冒険者さんたちも無傷ではなく……
「早くメネルドールを治療しろ、死ぬぞッッ!!」
言われて、はっとした。
「め、メネルっ!!」
転げるように駆け寄る。
彼は黒焦げになっていた。
あの秀麗な顔が、焼け崩れて面影も見えない。
腕はねじれて、指もいくつか欠損している。
「あ、ああ……!」
祈る。祈る。
灯火の神の奇跡が、メネルの身体を癒してゆく。
「お、おねが、お願いだよ」
涙が滲む。
「目を覚ましてよ、だめだよ……いかないでよ……」
とんでもない重傷だ。ゆっくりと癒えてゆくけれど、彼はなかなか目を覚まさない。
祈る。祈る。
頭がふらふらする。
そういえばどれだけ斬って、どれだけ魔剣の力に浸り続けていたのだろう。
その反動だろうか。
ブラッドも入手後すぐにアンデッドになって、細かい検証をしたことはないだろうし。
ひょっとしてこれは、《喰らい尽くすもの》の副作用……?
ああ、でも、メネルを治療、しない、と……
そう、思いながら。
地面が突然、斜めに傾ぎ、僕の意識は暗転した。
◆
……目が覚めた時、僕は村に居た。戻ったばかりらしい。
レイストフさんたち4人が、僕とメネルを担いで撤退したのだという。
幸い、魔獣の群れは僕が全て斬り捨てていたし、キマイラもその場で再度襲撃してくる気配はなかったのだという。
メネルは、死を免れた。
《つばさの靴》を起動していたのと、事前にかけた幾つかの――《生命力増強》を始めとした――付与が功を奏していた。
キマイラの殴りつけに対し、《つばさの靴》の影響で踏ん張りがきかず、綺麗に吹き飛ばされたおかげで即死せずにすんだ。
その後の岩場への衝突や炎の吐息で瀕死になったものの、付与によってなんとか息を繋ぎ、僕の祝祷が間に合った形だ。
ただ、途中で僕が魔剣の反動で気を失い、治療が不十分なため、メネルはまだ重傷のまま目を覚ましていないのだという。
「なんで……なんでキマイラなんてバケモノと、メネルを正面から戦わせたの!」
事情を聞いて、すぐにでもメネルの元に治療にゆくため、顔を洗って身体の調子を確認していた時。
トニオさんとともにビィがやってきて、涙目でそう食ってかかられて、僕は驚いた。
「な、なんでって、だってメネルは仲間で」
「ウィルは英雄で! 強いのに、凄いのに! メネルはウィルよりずっと弱いのに!」
え。
「なんで、アイツを守ってやれなかったのよ……」
ビィが僕の胸ぐらを掴んで、そして、うなだれた。
「え、いや」
守、る?
だって、僕とメネルは対等の仲間で、友人で……
なのに、なんで僕が守るのが、普通みたいな。
「ビィ。状況的に、メネルさんは仕方ない状況でキマイラと相対したようですし……
すみません、ウィルさん。先ほどメネルさんの酷い外傷を見てしまって、ビィも気が動転しているようで」
「…………ごめん。
そうよね、ウィルだって体を張って必死にやって、倒れるまで頑張ったのに……
混乱してたわ。……ごめんなさい、許して頂戴」
いいよ、と首を左右に振る。
……そうだ。状況的に、あれは仕方がなかった。
そもそも何が悪かったといえば罠にかかった時点で大悪手だったし、そこからの手の良し悪しは、混沌としすぎていて何とも判定のしようがない。
僕がキマイラの対応に向かっていれば、魔獣の突撃に皆が呑まれた可能性もある。
最も信頼できる仲間である、メネルに任せるという選択は最善手ではなかったとしても、せいぜい疑問手。目に見える悪手ではなかったはずだ。
……なかった、はずなのに。
何か。何かが食い違っている気がする。
何だ。僕は、何に気付いていないんだ。
何、に……
――僕の心のなかを。暗い閃きがちらつく。
「……ぁ」
そうか。戦術じゃない、戦力の算定だ
そもそも、メネルは守る必要のない、対等の仲間だなんて認識が……間違っていたと、したら?
僕が、メネルを含めて周りの戦力を色眼鏡で見ていたと、したら、どうだ。
そうしたら、僕の判断は、とんでもない大馬鹿者の判断だ。
そして実際はどうだ。
ビィだって、多分トニオさんだって、こう認識していたのだ。
僕のほうがメネルよりずっと強い、と。
戦いとなれば、僕がメネルを庇護するものだと。
……実際に、そうなのだ。
今の世界で、僕は強すぎる。
なのに、なんで、今までそのことを考えてこなかった?
その彼らの言葉をきっかけに思考が回る。胸の奥の暗い部分から、何かが這い出してくる。
……多分、無意識に、僕はずっと考えないようにしてきたのだ。
僕がこの世界で、恐ろしく高い水準の能力を有していることについて。
深く考えるのを、避けてきた。
どんなに周りに能力を称賛されても、謙遜を続けてきた。
他にそれなりに能力のある人を持ち上げて、自分の未熟を恥じてきた。
だってそれは、認めることになるから。
どんなに可哀想な人を、憐れな惨状を見ても、憐れむことを避けてきた。
ただの上手な問題解決者であろうとした。
だってそれは、認めることになるから。
相手が僕とは対等ではないと、認めることになるから。
だって、それは。
誰かが自分の隣に立って戦うことはできないんじゃないかと。
それは、誰かにとんでもない負担を強いる行為なんじゃないかと。
そう認めてしまったら、僕は3人のようになれないから。
あの3人のように。
背中を預け合い、支えあい、尊敬しあう戦友を得られないから。
でも実際はどうだ。
そうであることを求めたメネルは弱い。初めて戦った時、僕があっさり倒してしまったじゃないか。
飛竜との戦いのなかでも、ちょっと僕の《ことば》を拡張して、ワイバーンを落とす手伝いをしただけだ。
たったそれだけだ。
そんな、彼が僕に比べてとても弱いなんて簡単な事実から、僕は何か嫌なものから自然と視線を逸らすように、無意識に目をそらしていた。
……なぜ、それがそんなにも怖い?
そう思った瞬間、心のなかをまた闇がよぎる。
前世の部屋。
誰もいない部屋。
両親の死んだ家。
静まり返った場。
怖い。
怖い。
寂しい。
辛い。
嫌だ――
「…………っ、ウィル、あんた、なんて顔……」
僕を見上げて、はっとした様子のビィと、硬直したトニオさんを無視して、立ち上がる。
ああ、なんだ。
そんなことだったんだ。
簡単なことだった。
僕は1人が嫌だったんだ。
怖かったんだ。
そばに誰かがいてくれないことが。
だから本来、守るべき相手を、救うべき相手を、無理に対等と見ようとしてしまったんだ。
たとえ神さまは憐れんでいても、それはあくまで神さまの視点からだから。自分だって憐れまれるべき一人で、だから同じ目線だと。
そうやって言い訳をして、自分と同じ場に立つことをやんわりと強要して……そして、メネルを潰しかけた。
ただ、寂しいのは嫌だっていう、最低の理由で。
――やっと分かった。それじゃ、ダメだったんだ。
歩き出す。
まずはメネルの家へいこう。彼を治療しないと。
「まっ、待ちなさ……待って、ウィル! ごめん、さっきは言い過ぎた! 気に障ったなら謝るから……!」
「ウィルさん、待ってください。待って! 今の貴方は何かおかしい!」
ビィとトニオさんがすごく慌てている。
どうしたんだろう。
僕はこんなに、彼らに感謝しているのに。
「ビィ、何も謝らなくていいんだよ。僕は怒ってないから。
……トニオさんも、大丈夫です。ありがとう」
僕は、笑った。
心から笑った。
「二人のお陰で、やっとわかったんだ」
ビィが青ざめて、ひっ、と息を呑んだ。
トニオさんが、僕を見つめ、じっとりと汗をかいている。
どうしてだろう。僕には、よく分からない。
◆
窓の外。
雨が降っている。ざあざあと、降り止まない。
メネルは、比較的富裕な農家の、その一室にあるベッドに寝かせられていた。
傷は治りきっておらず、あちこちの火傷痕から包帯に体液がしみだしている。呼吸は苦しげだ。
こころなしか、頬はこけ、銀髪がくすんで見える。
ビィが平静を失って、僕に食ってかかるのも無理はない。
……これは、僕の罪だ。
圧倒的に強いことを薄々自覚しながら、そのことに無自覚であろうとした。
上位者に、庇護者になることを恥じた、恐れた。孤独を嫌がった。
力への責任から、逃げた。
だから、こうなったんだ。
1人でやろう。
1人でやるんだ。
他の人に、ことに戦いにおいて、僕の隣に立てなんて、そんな負担を強いちゃダメなんだ。
3人のように、なれなくたって、いいじゃないか。
祈りを捧げる。
神さま、どうかこの、憐れなメネルを治してあげてください。
祈ればいつものように、神さまはすぐにメネルを治してくださった。
凄惨な火傷痕が。治りかけの爪跡が、何もかもあっさりと消えてゆく。
と、くらりと視界が揺れる。
啓示?
「……っ」
あの、いつもローブをかぶって、無表情な神さまが。
黒髪の、寡黙な彼女が。
ローブをおろして、悲しげに眉根を寄せ、口元を引き結んでいるヴィジョンが、見えた。
「ああ……」
ああ、神さま。心配してくださっているんですね。
でも大丈夫です。
今までの僕は、愚かでした。
すぐに、その悲しみを止めてみせます。
ご安心ください。
ぼくが、全部。手の届く限り、全部。
あなたの剣として、あなたの手として、きちんと救ってみせます。
「大丈夫。僕が一人で、何もかも、解決します――」
そう呟いて、ふらりと部屋を出る。
僕が寝ていた家に戻る。
装備がある。
おざなりに、ひと通り確認する。
なに、最悪、身一つと剣と槍があればいい。
病気も怪我も治せる、食事も授かれる。
その気になれば。守るものさえ傍にいなければ。
何も省みなければ……僕は、なんだって殺せるのだ。
僕は、とても強い。
悪神の分体だって殺した。
飛竜だって素手で殺せる。
レベルをカンストしたコンピューターゲームのキャラクターのように。
あるいはチートコードでデータをいじった改造キャラクターのように。
この世界では、突き抜けて強い。
だから、大丈夫。
キマイラを殺そう。この地域を平和にしよう。敵は全て血祭りにあげればいい。
善を成すには。正義を成すには。最短最速でやるには、それが一番効率がいい。
それが神さまの意志を体現する、最善の道なんだ。
そう考えて、雨に打たれるまま、家の門をふらりと出る。
村外れへ、そして森へ――
「……おい」
立ちふさがる人影。
銀の髪。怜悧な顔立ちに、引き結ばれた唇。
そして、怒りに燃える翡翠の目。
いつ起き上がったのか。いつ回り込んだのか。
――メネルドールが、そこにいた。