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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第二章:獣の森の射手〉
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 〈最果てのパラディン  第二章:獣の森の射手〉






 ――幸いあるとは 友あることよ



 ――盃交わし 肩を組み

 ――今宵も語り 明かそうぞ



 ――拳を交わし 喧嘩して

 ――悩み打ち明け 涙して



 ――長く短き この道ゆきの

 ――苦楽をともに 分かち合わん



 ――幸いあるとは 友あることよ

 ――幸いあるとは 友あることよ



         『風神ワールの戯れ歌』






 ◆





「うー……寒い」


 薄曇りの太陽は西の空にあったけれど、見上げてみても暖かさは感じない。

 流石に凍傷を心配するような寒さではないけれど、じわじわと染みるような寒さは、地味に辛かった。

 神殿に居た時から分かっていたけれど、この辺りの気候は寒い時期でも雪がまれに降り、軽く積もる程度だ。

 今もえらく冷えるだけで、雪の気配などかけらもない。


 マントをかき寄せて、ひたすら石畳の街道沿いの土の上を歩く。

 石畳は既に経年劣化で凸凹だらけだ。下手に道の上を歩くと、足を取られそうで逆に危ない。


「はー……」


 吐く息がふわりと白い。

 やはり常識的な観点からして、冬に出発は失敗だっただろうか、と思う。

 ……僕はあの不死神との戦いの後、つまり冬至の日から、1ヶ月も経たずに神殿を出立していた。

 つまりまだ、冬のさなかである。


 愚かなことかもしれない。

 いや、ごまかしはよそう。

 かもしれないというか、明らかに愚かな行いだと自分でも思う。


 けれどマリーとブラッドのお墓を作って、葬儀を済ませて。

 その後、何もせずにガスと、あの居心地のいい神殿に居続けたら……

 もしかして僕は、あそこに居続けてしまいたくなるんじゃないだろうか。

 そんな懸念があった。


 マリーとブラッドのお墓を守って。

 ガスを説得して、ずっと《上王》封印の守護者として生きてゆく。

 それは僕にとって、いけないと知りつつ、どこか抗いがたい魅力のある考えだった。


 ……でも、家族の緩やかな許容のもとに引きこもるという行為は、前世と同じだ。

 何も行動しないで。

 足を止めて。

 この考えが膨らんでしまう前に、動こう。

 そう思って、真冬に出立を強行した。

 

「………………」


 とはいえ流石に、気候にやられて野垂れ死にだけはしないように十分注意している。

 最悪、いったん神殿に引き返すことも考慮に入れている。

 格好つけて出てきたのでガスには笑われるかもしれないが、もし引き返すことになったとしても落ち込むことはない。

 予備調査だったと思えばいいのだ。

 道の状況や野営に使える場所なんかを確かめておいて、改めて春に出発すればいい。

 閉じこもって何もしないでいるより、外に出るための行動を重ねるべきだ。


 というわけで、今の僕は我慢の子だ。

 寒さをこらえつつ、とにかく歩く。


 ……またひとつ、街道沿いの一里塚を越えた。

 この世界の一里はおおよそ2000歩だという。

 成人男性の一歩の歩幅が70~80センチメートルだったはずだから、キロメートル換算だと多分1.5キロメートル程度だ。


 同じく、成人男性が歩いて旅すると、おおよそ一日に30キロメートルが目安だという。

 つまりこちらで言う、20里。

 1里2000歩なので、一日おおよそ4万歩歩くのがノルマ、ということになる。

 前世では万歩計なんかを使って、毎日1万歩を歩く健康法があったけれど、その4倍歩けばいい、というと想像しやすいかもしれない。


 これだけの荷物でそれだけ歩くと、慣れないうちはけっこう辛い。

 ちゃんと定期的に小休止して、荷なども降ろして血流をよくするのがうまく続けるコツだ。


 ……だいたい5里か10里ほど進むごとに、大小様々な遺跡がある。

 街道沿いの宿場町とか、休憩所の跡だろう。

 石造りのそれは多くが朽ちて崩れているし、古い戦で焼かれたか壊されたか、といったものも多い。

 それでもところによってはかなり原形を保っているものも残っていて、強度チェックの必要はあるけれど、野営の手間をいくらか省いてくれる。


 こういうものが整備されていたところを見るに、やはりマリーやガス、ブラッドの生前の社会はやはり文明度が高かったようだ。

 古代ローマ帝国あたりが思い浮かぶ。


「ってことは今は、古代ローマ帝国の崩壊……の、その後ってわけか。

 侵入してきたのは蛮族じゃなくて悪魔だけど……」


 とすると前世の歴史知識を思い浮かべるに、あんまり愉快な状況になっていそうにはないなぁ、と独り言をつぶやいた。

 ローマは文明的、中世は暗黒時代、みたいな言説をそっくりそのまま鵜呑みにしない程度には、前世で歴史とかも好きだったけれど。


「……それでも多分、この状況で200年経って、ここまで人類圏が戻ってきてないってまずい、よね」


 どうも一人で延々歩いていると、退屈からかひとりごとが多くなっていけない。

 退屈しのぎに前世やこの世界の歌など歌って歩いたりもしてきたのだけれど、そろそろそれもネタ切れだ。


 風景ももう大概、見飽きてしまったけれど、改めて見回す。

 右手側を見れば、街道からそれなりに距離を置いて、川幅にして数百メートルほどの、なかなか立派な川がある。

 その周囲はまばらに低木があるだけの、一面の草地だ。

 暖かくなると丈も長くなって、見通しもだいぶ悪くなりそうだ。

 川沿いに大きな木がないのは、たぶん川が増水した時にやられてしまうから、継続して生育できないのだろう。


 その更に向こうに目をやれば、もう一面の森林だ。

 木々が辺りを覆い尽くしている。

 左手側も同じで、ほとんど木々だ。

 完全に人の手の入っていない森林は暗く静かで、なんというか、ある種の威厳と立ち入りがたさに満ちている。


 うかつに立ち入ると足を取られて歩みも遅くなるし、中で迷って方向感覚を失ったら、もう取り返しがつかない。

 なので現在、野営の時に薪を求めて浅いところに立ち入るにとどめていた。

 せっかく水源に沿った道があるのだ、何もわざわざハードな展開を選ばず、道に沿って進めばいい。


 歩き続ける。

 街道は丘に続いており、それより向こうの状況は判然としない。

 黙々とのぼる。

 ……そしてようやく見えた光景に、僕は息を呑んだ。



「う、わあ…………」



 そこには広大な石造りの街の、その遺跡があった。

 大河の両岸に広がるのは、放射状の街路に沿った無数の家々。

 橋脚なんかの痕跡もあるところを見るに、かつては両岸の街をつなぐ大きな橋なんかもあったようだ。

 川港や倉庫のような施設も見えるし、交易物資の集積点として、それなりに栄えた場所だったのだろう。

 だけれど、その全ては無惨に破壊され、廃墟と化していた。


 街の周囲を囲う壁はあちこち無惨に崩壊している。

 家々に黒い焼け跡が残っているところを見るに、焼き討ちされたのだろう。

 よほどの大魔法が行使されたのだろうか、深いすり鉢状のクレーターも各所に見える。

 そして破壊の跡には大河が流れ込み、街は半ばほど、水没していた。


 繁栄と崩壊。

 人の営為の偉大さと、争いの無慈悲さ。

 時の流れと、万物の無常。

 そんなものを感じさせる光景だった。



「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……か」



 思わず、そんな言葉をそらんじてしまうくらいには、雄大で感慨深い光景だ。

 僕は丘の上で、その光景にしばし、見惚れていた。

 そして、進むべき街道を目で追って……気づいた。

 街や堰が破壊されたことで流れが変わったのか、大河はここからいくつにも分流している。


「……げっ」


 ……進むべきはずの街道は、それらの分流のひとつに完全に呑まれていた。

 額を押さえて、はぁぁ、と深い息をつく。


「地形変動……」


 そりゃ200年もあれば、川の流れも変わるよね。

 うん。

 仕方ない仕方ない。



 …………どうしよう。




 ◆




 その晩は都市の廃墟で野営した。

 廃墟に迷える魂がきちんと逝けるよう、《聖なる灯火の導き(ディヴァイン・トーチ)》の祈りを捧げる。

 蛍火のように、迷える魂が灯火に導かれ、夜空へと還ってゆく。

 焚き火に揺らめく滅びた都市の影とあいまって、それは、とても幻想的な光景だった。


 翌朝、早くに起きて、新しい習慣となった、灯火の神さまへの祈りを捧げる。

 どうかこの旅に導きを、と。

 それから汲んだ水を布で濾して飲み、祝祷術で生み出すパンと保存食の干し肉を食べる。


 道については悩んだけれど、たいした選択肢があるわけでもない。

 河を渡れる道具もないし、川の分流のいちばん外側の流れに沿って、ひたすら下ることにした。

 川の流れが細かく分化した影響か、ぬかるみが増え、周囲の森は更に圧迫感を増してくる。

 とにかくこれは、川の流れる音の聞こえる範囲から大きく離れちゃいけない。


 そしてもし万が一、森で迷ったら、もう何も考えずに川を探して上流の方角に向かおう。

 そうすれば最悪でも、神殿に帰ることはできるはずだ。


「………………」


 もう神殿を出て、何日経つんだったっけ。

 何日も誰とも話していないことが、とても寂しく、虚しく感じられる。

 

 歩きながら祈った。

 この寂しさと虚しさも、神さまへの捧げ物のつもりで祈る。


「…………」


 持ってきた干し肉やらの保存食も、とうに尽きかけていた。

 人間一日、大雑把に1キログラムくらいはものを食べるのだ。

 背負って携行できる食料ってものには限度がある。

 特に、武装もしなければならない時にはそうだ。


 普通の旅なら適宜、人家やお店で交渉して購入するなりして食料を随時補給するのだろうけれど、今はまずその人家を探す旅のさなかだ。

 人の住まない山に挑む登山家とかが、とにかく嵩張らなくて保存性とカロリーの高い食事にこだわる理由が実感できた。

 マリーと同じように祝祷術で聖餐を出せるようになっていなかったら、人里を探すというミッション自体、そもそも実現不可能だったかもしれない。

 それもグレイスフィールと、そして善なる神々に感謝だ。


「……」


 と、少しばかり神さまに祈り、思いを馳せていた時。

 ふと、音が聞こえた。

 がさがさと、何かがものすごい勢いで藪をかき分ける音だ。


「…………っ!」


 とっさに穂先につけた革の鞘を振り落とし、短槍《おぼろ月(ペイルムーン)》を構える。

 その瞬間、左手側の森からイノシシが飛び出してきた。


 ……大イノシシ(ヒュージ・ボア)だ。

 普通の猪よりも一回り大きい体格。気性が荒く、縄張り意識が強い。

 しかも今は目を血走らせ、口からぶくぶくと泡を吹きこぼしている。

 反りのある鋭い牙は、ちょうどこちらの太腿くらいの高さだ、大腿動脈を刺されたら洒落にならない。


 と、ここまで役立たずの頭が考える間に、ブラッドに鍛えられた筋肉のほうは勝手に動いている。

 大イノシシの突撃をサイドステップで回避し、致命に至る部位(バイタルゾーン)である心肺がある、前肢の付け根付近に横手から槍を突き込んだ。

 穂先が毛皮を貫く手応え。

 槍ごと持って行かれないように、十分に刺したところで迅速に手元に繰り込む。


 ――大イノシシは突進の勢いのまままっすぐ進み、樹木に激突すると、しばらくよろめいていたが血を吐いて息絶えた。

 どうやら上手く、主要な臓器を貫けたようだ。


 だが、野生動物のしぶとさというのは侮れない。

 死んだと思って近づいたところで、突然暴れだして大怪我をする場合もある。

 少し間を置いて、それから間合いの外から短槍でつついて、確実にトドメを刺そう……


 と、思った時だ。

 一つのことに気づいた。


 ……倒れた大イノシシ。僕が刺したのとは逆の腹に、白い矢羽の矢が刺さっていた。


「これは……」


 その意味に、思考が至るより先に。

 背後から、再び藪の鳴る音。



 ……振り向くと、人が居た。



 白銀色の髪が、まず目に入った。

 翡翠色の鋭い瞳が、僕を睨み据えている。


 ひそめられた眉、すらりとした鼻梁、優美な顎のライン、きっと引き締められた口元。

 どこか、少女めいた美しさの少年だった。


 手には弓があり、既に矢がつがえられている。

 白い矢羽の矢だ。

 まだ引き絞られてはいないが、その気になれば即座にそうできる、といった緊張感。


 装備は土色と草色を基調にした外套や上衣。革の長靴ちょうかに革の手甲。

 腰には鉈が吊るされており、他に何本かのナイフを装備している。狩人だろうか。


 そして、それより何より、僕が驚いたのはその耳だ。

 少し尖ったその耳。そして美しい顔立ち。


 森と水の女神レアシルウィアの眷属たるエルフ族と、人間のあいだに生まれた混血児。

 ……ハーフエルフだ。



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