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その悪魔の王を示す称号は数あれど、そのまことの名を知る者は誰もいない。
……其は《不死の剣魔》
……其は《王の中の王》
……其は《無垢なる邪悪》
……其は《尽きせぬ暗黒》
……其は《戦嵐の駆り手》
……其は《哄笑するもの》
……其は《永劫なるものどもの上王》
今より遡ることおよそ200年ほど前。
当時、長年にわたる平和を謳歌していたサウスマーク大陸を、無数の悪魔の軍勢を率いて席巻したのは、そのように呼ばれるデーモンだったという。
「この次元界に対して野心を有する、奈落界のデーモンの諸王が、長き雌伏の時を経て巻き起こした世界規模の大乱でした」
「あちこちの大陸に《王級》だの《将軍級》だの、そうそう現れちゃいけねぇ位階の連中がゴロゴロ湧いて出てな……」
デーモンの王さまたちの主導で開始された、とにかく物凄い大乱であったらしい。
どれほどのものかというと、前に倒したヴラスクス。あれが分類上《隊長級》だった。
《将軍級》はその一つ上、《王級》はさらにその一つ上だ。
ヴラスクスを基準に考えるなら、僕単独でも《兵士級》に囲まれた《将軍級》くらいなら、多大なリスクを背負えばいけそうだけど……
さすがに《王級》になると多分もう、双方単独で会敵したとか、そういうありえない想定をしないと勝ち目なんて一切ないだろう。
確かにそんなのがゴロゴロ現れたというなら、大変だ。
世の中、戦いの訓練を受けてる人ばかりでもないだろうし、僕のように訓練を受けていたって《兵士級》が群れれば蹴散らすのには手間と体力がかかるのだ。
「その上、そうして湧いて出た《将軍級》やら《王級》のデーモンどもが莫大量の血肉を捧げて、奴らの神である次元神に対して訳わからんレベルの儀式を幾度も行ってな。
お前もガスから地理は習っただろうけども、今もあの地図の通りだとは思わねぇことだ。
……どっかで大穴あいて海になってたり、海が干上がって陸地になってても驚かねぇよ」
「応じるように専制と暴虐の神イルトリートや、不死神スタグネイトの眷属も、世界各地でそれぞれに活性化しましたし……
それに対抗するため善なる神々も多くの力を費やし、といった具合で、地図が変わるほどの戦いが幾度も起こり情報は錯綜、混乱。
各地の連絡は完全に断絶しました」
ちょっと、想像が、つかないくらいの混沌ぶりだ。
とにかく世界中ゴチャゴチャになった、と。
「そんなわけで、当時の他の大陸のことは、俺たちもよく分からん。
解ってるのは、サウスマークで主に暴れていた、その《上王》についてだけだ」
「ずいぶん物騒な二つ名が並んでたよね……」
「おう。……正直それでも不足だって喚きたくなるほど頭おかしい性能でな。見た目は酷薄そうな目をしたガキだったんだが……」
が?
「まず、自分が流した血から《兵士級》デーモン、削がれた肉から《隊長級》デーモンを無限に生成可能でな」
「…………僕、耳が遠くなったのかな?」
「流した血から《兵士級》デーモン、削がれた肉から《隊長級》デーモンを無限に生成可能でな」
「反則技じゃん!」
「チート?」
「ずるいやつだってこと!」
戦力を無限に生成可能ってなんの冗談だよ!
「更には刃物以外で傷つかねぇ。魔法ぶちこんでも矢を射掛けても、かすり傷ひとつ負わねえ上……」
ブラッドはため息をついて言った。
「愛剣はその《喰らい尽くすもの》でな」
「……………」
「敵と斬ったり斬られたりしながら高笑いして軍勢を生み出す、狂ったような奴だった」
「……言葉も無いよ」
なんという反則野郎だ……
「いつしかそれは、《王の中の王》を意味する《上王》と呼ばれはじめました。
《王級》のなかでも明らかに抜きん出た……あるいは逸脱したその性能から」
多くの街がデーモンの群れに呑まれました。
そうマリーがつぶやく。
「この街もそうです。湖上交通の重要拠点でしたが、人とドワーフの意地の守りでさえ数日ともちこたえられず陥落」
廃墟の街を、遠い目で見ている。
「そして《上王》は、そのまま街に居座りデーモンを増産。
近辺の水上交通は完全にデーモンたちに制圧されました。
帆船に満載された《兵士級》《隊長級》のデーモンは水運を利用して各地の村落を襲い、連日連夜の殺戮と放火。
難民は溢れかえり、無事な都市は時には内紛、時には受け入れきれず暴徒と化した難民を虐殺……」
聞いているだけで、胸が悪くなるような状況だ。
「誰も奴を殺せない。サウスマーク大陸の滅亡は確定的。
……それどころか海峡や中つ海を経て、北のグラスランド大陸まで《上王》の手は及ぶだろう。
誰もがそう思った時です」
マリーは笑って言った。
「――ガスが、《彷徨賢者オーガスタス》が、『今こそ』と《上王》討伐を提言したのは」
◆
「えっと……今こそ? ちょっと待ってよ?
無数の群れに囲まれて、矢でも魔法でも死ななくて、唯一効く剣で斬っても血肉からデーモンを生むんだよね。
その上、相手を斬ると回復する魔剣を持ってる」
「ええ」
「討伐って……どう討伐するの? っていうか、その《上王》って殺せる相手だったの?」
マリーは頷いた。
「そこは当然の疑問ですね。ガスがそれを提言した時も、同様の疑問が出たそうです。ですが……」
「と、ごめんっ! ちょっと待って、マリー」
考えてみたい。
今までの話でピースは出てるはずだ。
思考を巡らせる。
デーモンの軍勢。
剣以外、矢も魔法もきかない。
血肉をデーモンとする。
魔剣。
街。
地下街。
ブラッドの戦技。
マリーの祝祷術。
ガスの作戦……
「……………………あ。分かった」
電流が走るように閃いた。
確かににそうだ。
分かった、これなら確かに可能性がある。
やりようによっては、殺せる。
「わ、分かっただぁ?」
「…………本当にわかったんですか?」
「うん。多分」
腰の剣帯に吊るした、《喰らい尽くすもの》に触れる。
理論上、これでいける。
殺せる可能性はあるはずだ。
「ガスが狙ったのは、たぶん地下街からの精鋭部隊での侵入」
この街にはドワーフが張り巡らせた複雑な地下街がある。
僕にはそれを探すほどの才覚はなかったけれど、恐らく隠し通路のたぐいもあるはずだ。
どこかからなんとか潜り込めば、デーモンの軍勢を抜けて中枢を突ける可能性がある。
「それも恐らく、物探しの魔法なんかを使って上王の位置を特定した上で、かな。ガスならわけないだろうし」
マリーやブラッドが驚く気配がする。
ここまでは当たりらしい。
「そして、」
口元に手を当てて、思考に没入する。
……そして、問題は殺し方だ。矢を弾く、魔法でも傷つけられない。
斬りつけると傷がつくけどデーモンが無限湧き、しかも相手の魔剣の一撃を喰らえば与えた傷も回復される。
それをどうにかする方法は――
「魔剣を、戦闘中に奪う」
多分、これしかない。
◆
《喰らい尽くすもの》は、相手を斬ると自己の生命を回復するという。
多分、名前からして吸い取るかなにかしているんだろう。
で、その剣を相手が持っているから問題なのだ。
斬撃でしかダメージが入らない相手が、雑魚を無限湧きさせながら回復しつつ殴ってくる。
これは、勝てない。
でもこの「勝てない」前提の一つである魔剣は、譲渡や奪取が可能な、ただの物品だ。
別に《上王》が生まれつき備えた、固有の能力とかではないのだ。
「魔剣を奪えば、《上王》の特性は逆に《上王》自身の首を絞める」
斬れば斬るだけ、こちらが回復するための雑魚が溢れてくれるのだ。
ブラッドは言っていたじゃないか、乱戦で何も考えず振り回してるだけで最終勝者になれる剣だ、と。
こちらは溢れ出てくる雑魚を回復源に、《上王》を斬り続けられる。
対する《上王》は回復用のアイテムである魔剣を失い、無限再生は不可。
「根比べを始めれば、音を上げるのは《上王》が先のはず」
ぶつぶつと呟く。
「具体的に奪う手順は……ガスが取り巻きを大魔法で一掃。《上王》は魔法で傷つかないから丁度いいや」
とにかく短期的にでも一対一に持ち込んで……
「それでブラッドが仕掛けて、マリーは祝祷術で両方を回復すれば、それ以上デーモンは現れない」
血肉がデーモンに化けるなら、負傷次第、回復してやればいいのだ。
こっちの第一段階の狙いは、相手の負傷ではなくあくまで武器だ。
「……多分、周りから寄せてくるデーモンを止めるための人手がいるよね。数十人か、百人ちょっとの作戦かな?」
多分、この人たちも相当の精鋭なのだろうけれど、回りにいるであろう数が数だ。
恐らく、徐々にすり潰される形になるだろう。
「あとはブラッドが、武器落としなり組み打ちなりなんなりで、とにかく頑張って魔剣を奪う。これは絶対成功したはず」
「おい待て、なんで断言できる」
「なぜって……ブラッドが魔剣を持っていること自体が、ブラッドが魔剣を奪いとった証拠でしょ?」
「…………」
うん、正解らしい。
「それで、詰み」
ほとんど反則といっていい相手だけど、理論上はこれで殺せる。
なら、ガスがそのチャンスを見逃すはずはないし、うまく精鋭を募ってやり抜いたのだろう。
「《上王》は死んだ、のかな。そのあと、皆も残党のデーモンの群れに揉み潰されて……」
悲しい結末だ。
だけど、それで大陸は救われて――
「……違うぜ、ウィル」
……え?
「お前はやっぱり天才だよ。ますます確信した。……が、その結論は間違いだ」
ブラッドは苦々しげに吐き捨てた。
「俺たちは……俺は、《上王》を、殺しきれなかったんだ」