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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第四章:栄華の都の娼女〉
124/157

9

 しばらく、エセル殿下も僕も無言になっていた。

 エセル殿下が、片手を目元に当てて、無言でこめかみを揉む。

 

「この面倒な時に……いや、だからこそ、か」


 政局が混乱した面倒な時だからこそ、悪神の眷属たちも手を伸ばす。

 殿下は顔に手を当てたまま、しばらく沈黙し――

 

「……少し探りを入れてはもらえぬか?」


 ぽつりと、そう言った。

 僕はその言葉に、眉をひそめた。


「殿下。都の治安維持はヴォールト神官戦士団の職掌です」

 

 僕も、我が物顔で他人の領分に踏み込もうとは思わない。

 ここは彼らの守るべき、守ってきた領域であり、それこそが彼らの誇りであるはずだ。

 そこに僕が割り込んだっていいことがないことくらいは、容易に推測できる。

 そして、それが分からない殿下ではないと思うのだけれど――

 

「ああ、分かっている。――我らに気づけることであれば、神官戦士団も恐らく勘付いてはいようしな」


 殿下も顔から手を離し、苦笑した。

 

「ただ、な。卿、気づいてはおらぬか?」

「?」


 殿下の言いたいことが分からず、僕は思わずきょとりとしてしまった。

 風神の使徒が、都市の闇で悪神の眷属を追っている――というところまでは、読めるのだけれど。


「その悪神の眷属の、立ち位置(・・・・)が問題だ」

「立ち位置、ですか?」


 ますますよく分からず、首をかしげると、殿下はますます苦笑を濃くする。


「もし、《白帆の都(ホワイトセイルズ)》に悪神の眷属が紛れていると、君が神託を受けたらどうする?」

「突っ込んで仕留めます」


 敵に余計な時間を与えるべきではない。

 よほど勝敗が読めない相手でない限り、即座に対応するべきだ。

 即断で答えると、エセル殿下は苦笑した。


「そうだろうな。思わずまどろっこしい手をあれこれと思い描いてしまう私としては、少々うらやましいが――それが超人的な力を持つ英雄の考え方だろう。

 しかるに今回の件、いと疾き風神の使徒にしては、やけにまどろっこしく迂遠なやり口だと思わないだろうか」

「……む」

「加えて言えば《日時計通り》の金貸しといえば、なかなか上等な――それこそ貴族や神殿をも相手にするような連中でな。これで分かるか?」

「あ」


 そこまで言われれば、流石に察せる。

 いや、そうか。考えてみると襲われた金貸しの家から、悪神信奉の証拠や、怪物の類が出たとかそういう話はなかった。

 風神とその使徒が何かの目的のために手を進めているとして――風神、あるいは使徒の気まぐれ等でなければ、今回の盗みは布石あるいは牽制の一手。

 

 けれど、それは逆に一つの事態を示唆している。

 大神の厚い加護を受けた使徒が、悪神の眷属の密やかな跳梁に対し、「すぐさま突入して眷属を刺殺する」といった迅速な対処をできない(・・・・)と判断せざるをえない。

 そういう複雑で困難な状況である、と考えられるわけだ。

 その状況が成立するということは、どこに紛れ込んでいると考えるのが妥当かというと――


「つまり、『上』ですか」

「ああ。その可能性は、色濃いと思わないかね?」


 同意の頷きをして、考えを巡らせる。

 その場合――うわ。


「《防衛派》相手の落とし所については、既に私なりに目星はつけてある。つけてはあるが――それは通常の場合だ」

「…………」

「そのような事態が進行している場合、読めん」


 殿下が言っているのは、こういうことだ。


 ――貴族層に(・・・・)何か紛れ込んでいる(・・・・・・・・・)


 風神の使徒が容易に手出しできず、迅速に事態を解決する強行手段を取れない理由は、まさにそれではないか。

 もし仮にその推論が正しい場合、悪神の眷属はこの政争に対して干渉を行っている可能性もある。

 いや。仮に干渉を行っていなくても、《防衛派》あるいは《開拓派》に属していて、それが暗躍、あるいは予期せぬタイミングで摘発された場合――とんでもない騒動になる。

 事と次第によっては、南方開拓の行方そのものを揺るがすほどの。


「……読み違え、であってくれればいいが」


 と、こめかみを揉む殿下。

 この人はいったい、どこまで予測し、どこまで予期しているのだろう。

 一流の棋士と素人では、盤上に見る世界が全く違うように、殿下は人よりずっと『読めすぎる』からこそ、気苦労が増えているのかもしれない。


「そういうわけで、看過できぬ事態になる可能性もある。情報は多いに越したことはない。卿の裁量に任せるゆえ、今後の行動で念頭に置いて貰えれば助かるのだが」

「……かしこまりました」


 そして、それらの己の読みに対してきちんと対処を行おうとするからこそ、険しい顔にもなる。

 気苦労が多い立場で、真面目に対応するだけの心根と、対応し切る能力があるというのは――果たして幸運なことなのだろうか。

 そんな風に思った時だった。


「能力を十全に振るう喜び。……悲劇の主人公を気取るよりは、まだしも健全であろう?」


 ニヤリと笑いかけられた。

 ほとんど読心めいたそれに、僕はおみそれしました、と両手を上げた。


「では、頼む」


 タフで、賢くて、ユーモアもある。

 エセル殿下は、本当に頼れる大人だ。少し憧れてしまう。

 あんな人にいつか、なれるだろうか。


 いや、なれるだろうかではなく、なれるよう努力しよう。 

 ――前世を鑑みるに、意識的に努力しないと、人間なかなか子供を脱せない。


 

 ◆



「――そういうわけで、紛れているものを警戒し、軽く探りを入れながら動くことに」

「なんとも……ウィルさんといると、本当に退屈しませんね。これが英雄の運命ですか」


 大丈夫ですか? と心配げに問いかけてくるのはトニオさんだ。


「ええ。自分で選んだことですから」


 あの日。神さまに誓ったあの日、自分で選び取った自分の運命だ。

 名誉や栄光、勝利や歓喜があれば、思わず後悔するような苦悩や絶望もあるのだろうけれど――全ては僕自身の選択の、その行き着く果てなのだ。

 良いことも悪いことも、引き受けていく覚悟だけは持っておきたい。


 ――そう思って気づいた。

 多分、殿下も同じなのだ。

 殿下なりに――多分、お兄さん絡みで――何か決意するところがあって、あの方も今の生き方をなさっている。

 それはあの人が選びとった運命で、だからあの人はああしてまっすぐに立っていられるのだろう。


「自分で選んで、自分の力を尽くしてやろうと決めたことだから――だから、大丈夫です」

「そうですか。……でも、辛い時には周りに打ち明けてくださいね?」

「またぞろ何か暴走しちゃったらことですしねー……その時は、相談に乗って下さい」

「はい、喜んで」


 トニオさんは、穏やかに頷いた。

 この人はいつも、僕の話を静かに聞いてくれる。


「しかし……言ってはなんですが、遅いですね」


 現在、僕たちはある人の邸宅を訪問したところなのだけれど、メイドさんに部屋に通された後、まだ応接室で待たされている。

 流石に殿下の邸宅ほど大きなお部屋ではない。

 都市部ということでそこそこの広さだけれど、家具なんかも品がいいし、家主さんのセンスの良さがよく分かる。

 

「仕方ないでしょうね。突然の訪問でしたし。……お相手もきっと驚いていますよ」


 トニオさんが苦笑した直後、ノックの音。扉が開いた。

 すわ家主さんかと思って身構えると、お茶とお茶菓子を載せたお盆を手にしたメイドさんだった。


「失礼します」


 そう言って、彼女は礼儀にかなった仕草でソーサーとティーカップを置く。

 このあたりではよくある、薄紅うすくれないのお茶だ。

 前世の紅茶とはまたちょっと風味が違うのだけれど、これはこれで美味しい。


 続いて置かれたのは、お茶菓子の盛られた皿。

 適度な厚さに切られたパウンドケーキに、無造作にベリーのジャムが添えられていた。

 ジャム。つまりは高価な砂糖煮の果物を無造作に出すあたり、このお家の経済状況も理解できる。


「ほう」


 トニオさんも小さな呟きを漏らした。


「主人はただいま支度中です。――もう少々、お待ちくださいませ」


 メイドさんは前世では見ない青みがかった髪に、同じく青い目をした少女だった。

 シンプルな黒い服に白いエプロン、頭には装飾的なホワイトブリムではなく、野暮ったい感じの白い三角巾。

 なんというか飾りじゃなく、実際に働いてる使用人らしい感じがする。


 けれどその表情の変化は、乏しい。

 礼儀正しい微笑とかではなく、本当に無表情だった。外見が整っているだけに、ちょっと人形めいた感じがある。

 淡泊な人なのか、歓迎されていないのか――と思っている内に、彼女は退出していった。



 ◆



 家主は、まだ来ない。

 ……待っている間にもっぱらトニオさんとの間で話題になったのは、政治関係の話だった。


「という構造で《開拓派》と《防衛派》が対立してるそうなんですが……」

「ふむ……」

「ちょっともう、僕には何をどう動かせば良い方向に動くかが見えません」


 例の中央集権への移行が絡んだ経済対立という、凄く面倒な構図の話だ。

 僕にはまったく殿下の手が読めないものだから、トニオさんにも話してみると――


「ふむ……」


 と、トニオさんはおもむろに懐から帳面を取り出し、それを捲りながら何やら考え始める。

 

「ふむ。成る程、成る程。――ああ、これは面白い」


 十秒ほど考えこんだあと、トニオさんは軽く笑った。

 いつもの穏やかな表情とは違う、どこか野生の獣めいた笑いだった。

 ……え、まさか。


「わ、分かったんですか?」

「《白帆の都》での、殿下の昨今の施策とも突き合わせて――まぁ、ありそうな方針、程度ですが」

「是非聞かせて下さい」


 トニオさんの語尾に被せるようにせがむと、

 

「……恐らく商品作物への転換、ではないでしょうか」


 いきなり結論から話しだした。


「――?」


 でも、その結論では僕の理解が及ばない。


「つまり南方産の穀物が北方各都市へ輸出され、北方の伝統的な、あまり特産物のない領地の村落と競合、圧迫する状況なのですよね。

 では南方の安定した地域から順次、穀物を減産、農地を繊維や油、その他の商品作物へ転換して――」


 トニオさんは宙に指で地図を描きながら話してゆく。


「輸出品目を競合の少ない品に変化させることを確約し、南方に穀物を輸入する方向で話をまとめるのでは?」

「……え、いや、それだと――」

「仰るとおり、将来的、総合的には諸侯の地力は現状維持のまま、王家直轄地域の経済力が強くなる形です。

 ですが目先の利益を問題にしている、困窮した方々に読めることでしょうか」


 あ。あー……経済上の不満や突き上げというのは、要は「今までどおりに暮らしていたのに、暮らし向きが悪くなる」ことへの不満だ。

 実質的にはそういう不満で動く、あるいは動かされている、政見のない人が多数派なのだから、いっそ単純にそれでいいのか。

 つまりは「皆さんは今までどおりに穀物を作って売る、昔ながらの暮らしで大丈夫ですよ。むしろ我々も買いましょう」という方向だ。

 

 今までそれが行われてこなかったのは、開拓初期、防衛や交通の不安が多く、「孤立してもなんとかなる」だけの食料自給が重要課題だった時期の名残だろう。

 いつ交通が寸断されるかわからない状態で、呑気に金銭による売買を前提とした作物を作ってはいられない。


 けれど、《白帆の都》の繁栄を見れば分かる通り、現在では……少なくとも《南辺境大陸》の北部沿岸寄りの地域では、そのあたりの懸念は少ない。

 これを機に、生産物の大きな転換を図る。確かにありそうだ。

 このへん、譲りすぎたり偏らせすぎるとモノカルチャー経済っぽくなって危なそうだけど、そのへんは殿下も理解しているだろうし。


「加えて言えば、殿下が南方で叛乱する懸念も、穀物を減産し、北方からの輸出に依存して見せれば」

「あ。……首輪をかけられた形に見える?」

「そういうことです。《防衛派》の建前である『防衛上の懸念』に対して、一定の理解を見せ譲歩する形で、勝利感を与える形ですね」


 食料――特に主食となる穀類の備蓄は、戦において大きな要素となる。

 そのあたりの自給にあえて不安要素を残し、北方本国からの輸入に頼る形にするというのは、確かに叛乱への抑止になる要素だ。


 ……エセル殿下には、オーウェン王に含むところなどはないのだけれど。

 この場合、むしろ少しばかり含むところがあるかもしれない、くらいの調子で、渋々と譲れば、むしろ叛乱への懸念を持つ人々も安堵する筈だ。


 こうして《防衛派》は勝利と成果を得て、代わりに《開拓派》のもう少しの南進を『許してやる』形になり――

 最終的には、殿下が笑う、と。


「他にも色々と手は打っているのでしょうけれど――いやぁ、面白い。商機ですねぇ、これ! ここで投資する先は分かりますか?」

「ええと……穀物系?」

「いま安く買い、値上がりの機を狙って売り抜けるのは手ですね。しかしここではやはり船舶関係や、造船がより美味しい。南北交易が盛んになればどうしたって船は――」


 と、早口で講釈するトニオさんは、かなり興奮している。

 歯を剥いて笑う彼の表情が珍しくて、思わず注視すると、トニオさんははっと気づいて、こほんと咳払いをした。

 少し照れているのか、頬が赤い。


「……失礼、取り乱しました」

「いえ」


 と、僕は笑う。

 普段、とても礼儀正しく控えめな人だけれど、商機に興奮するとこういう風に勝負師めいた笑いも浮かべるのか。


「トニオさんは、とても格好いいですよ」


 真剣になっている人は、格好いいものだ。

 そう言うと、トニオさんはますます照れて、首に手を当てて笑った。


 しかし、まさか身近に殿下の手を読むような人がいるとは。

 ……実はトニオさんと出会えたことって、ものすごい幸運なんじゃないだろうか。


 そう思っていると――再び、ノックの音がした。

 反射的に居住まいを正すと、


「失礼する」


 と、一人の青年が入室してきた。

 金髪のくせ毛をした、なかなか体格のいい青年だ。

 待っていた家主さんに、僕とトニオさんは立ち上がって礼をし、敬意を示す。


「あ、あー、なんだ、楽に、して、いただけると、ありがたいんだが……」


 ぎこちない声に、すこしばかりの申し訳無さが募る。

 ……ホント、押しかけてしまってすみません。

 彼――以前の決闘相手であり今回の訪問相手であるところのサミュエル・サンフォード氏の顔は、ものすごく引きつっていた。



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