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最果てのパラディン  作者: 柳野かなた
〈第四章:栄華の都の娼女〉
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7

「というわけで、活動資金はおおよそ調達できました」


 そう告げると、エセル殿下はなんだか妙な顔をした。


「…………そういう類の、その、なんだ。世俗の欲の絡む活動は、苦手かと思っておったのだがなぁ」

「おカネを軽んじていいのは、墓所や山林に寝起きする、乞食行こつじきぎょうの聖者だけですよ」


 お金が絡めば欲が出るからそれを遠ざけるというのは間違ってはいないけれど、それとお金を蔑むことはまた別だ。

 弊衣蓬髪で杖と椀を手に遊行する覚悟がなければ、神官だってお金を賤しむべきじゃあない。

 そんな風に言うと、殿下は笑って頷いた。


「そうか。ああ、成程、そういえばバグリーの薫陶を受けているのだものな。少々意外ではあったが、納得だ」

「……意外なのはこちらですよ」

「そうか?」

「……護衛もつけずに大丈夫なんですか、殿下」

「こらこら、ウィリー。ここではそう呼ぶでない。おじさんとでも呼びなさい」

「お、おじさんですか……」

「今の私は都をそぞろ歩く、しがない貧乏貴族だぞ」


 普段と比べてやや質素な服を着て、愛称呼びで親しげに肩をたたいてくる殿下。

 その違和感に、僕はなんだか妙な顔をした。


 僕と殿下は、朝の《涙滴の都(イリアスティア)》の往来を歩いていた。

 それもあの賑やかな大通りから外れた、人通りもぼちぼち程度の道を、護衛も付けずにだ。

 ……殿下がふと、お忍びで街を見て歩こうと言い出したためだ。


「まぁ、とはいえ普段は腕利きの数人は連れてゆくがな」

「それじゃあ何故――」

「君と歩くなら無意味だろう。少なくとも、市街で仕掛けられる規模の襲撃を想定するのであれば」

「あー……」


 断言されると、確かにそれもそうか、と納得してしまった。

 ごくごく妥当な判断として、暗殺者の数人くらいは殿下を守りつつ余裕で叩き伏せられる戦力が、僕だ。

 

 加えて言えば殿下も素人ではない。

 達人というほどではないけれど、襲撃にあっても咄嗟に一太刀、二太刀くらいまでは捌ける練度の剣士だ。

 場馴れしていて度胸もあるようだから、咄嗟の事態にパニックを起こしたりもしないだろうし、歩いていても分かるけれど、護衛が守りやすいように動くのも慣れている。


 もちろん、完全武装の部隊に取り囲まれるとか、亜竜の群れに襲撃されれば流石に僕でも守り切れない可能性も高いけれど……

 その点はそもそも、都市のど真ん中でそんな想定をしても意味がない。

 ――結論として、殿下は身の安全をよく考えていらっしゃる。


「分かってもらえたようで何よりだ。……君は時々、自分の力に無自覚でいかんな」

「その辺、なかなか治らないのですよね」


 気をつけてはいるのだけれど、やっぱり「自分は特別だ。人とは違う」という思考は慢心に繋がりそうで怖い。

 前世的な感覚もあるのかもしれないけれど、「普通の人」の枠からかけ離れることに対する違和感もある。

 たとえ事実、自分がもう人とかけ離れた強さや名誉を得ているのだとしても、やっぱり英雄としての自覚って、難しいのだ。


「ま、人間、誰もが自分こそは普通であると思うものではある。……私もそうだった」

「……そうなのですか?」


 正直、『高貴の義務』を体現しているようにも見えるこの人から、そんな言葉が出るとは思わなかった。


「おいおい、私にも若い時分はあるのだぞ? ……私の場合、私が当たり前にできることを、周りができないことが不思議でな。

 何故、皆、こうも簡単なことを回りくどくやろうとするのだと、苛立ったことなぞ数えきれぬ」


 殿下はそう言って、苦い笑みを浮かべて肩を竦めた。


「自意識過剰になりやすい、十代の頃だ。皆、立場ある私をおだてては影で馬鹿にしているのではないかと疑ったり、時に逆に振れて、自分は特別なのだと思いもして。

 思い返せばなかなか不安定になっておったが、兄上に諭されてなぁ」

「兄君にですか」

「うむ。……『お前自身は特別ではない、ただの私が愛する弟だ。しかしその秀でた知性や度胸は、神々よりの特別な贈り物なのだろう』とな」

「…………」

「だから私も、兄に倣って言っておこうか」


 そう言って、殿下は笑みを浮かべた。

 力強く暖かな笑みで。


「……君は特別だが、特別ではない、とな」


 僕の能力に特別なものがあることを認めるけれど、僕の人柄は特別なものではない。

 どこにでもいる男で、なんてことはないと、そう告げたのだ。


「――……」


 なんとなく、この人のために尽力する部下が多く居て。

 あの誰にでも当たりの強いバグリー神殿長でさえ、殿下には一目置いている理由が、分かった気がした。

 そして、殿下がオーウェン王陛下にまことを尽くす理由も。


「それでな、ウィリーよ」

「はい、なんでしょう……その、おじさん?」

「うむ」

 

 殿下は重々しく頷くと、


「あの屋台の蜂蜜パン。……美味そうではないか?」


 と、目を輝かせて仰せになった。

 僕はなんだか、妙な顔をした。



 ◆



 焼きたてのパンというのは、香りが違う。

 前世の袋詰めのパンの袋を開けた時の香りを何倍にも濃縮したような、熱気を帯びた香ばしい匂いが立ち上る。

 それに加えてかけまわされた、とろりとした蜂蜜の甘み。


「……美味しいですね」

「うむ、期待通りだ」


 頷きながら殿下はいくつかの銅貨と半欠けの銅貨一枚を、屋台の店主に支払った。

 最低額の貨幣である銅貨でも半端に余る値段は、貨幣を半分や、四分の一に割ったもので支払う、というのはこの世界では珍しい話ではない。

 まだ「お金の価値」というものが、「硬貨に含有される貴金属の価値」だと理解される時代だからこそなのだろう。

 ……そういえば前世の博物館で、半欠けのローマ銀貨とか見た気がするけど、あれってああいうことだったのか。


 そんな風に考えながら食べ終えて、地母神に恵みを感謝して祈り、散策を再開する。

 この辺りは住宅街なのか、露天が並ぶ大通りと違って、やはり人の往来は少ない。


「……しかし、蜂蜜とパンで今の値段か」

「少し高……いや」


 それは《南辺境大陸(サウスマーク)》に暮らしてきた僕の感覚だ。

 前世で首都圏の物価が高いように、人が密集する地域の物の価格というのは自然、かなり高くなる傾向にある。


「そうだ、都市の物価としてはいささか低い。……分かるか、ウィリー」

「穀物価格……そして物価ですか? おじさん」

「うむ」


 そう言うと、殿下は無言で歩き出す。

 向かった先は、商店の立ち並ぶ通りだ。

 店先を冷やかして回ると――今度はやけに、金属製品やらの値段が高い。


 あまり活気もないようだ。

 ……大通りが賑やかとはいえ、いくらか通りを外れると、こういう状況なのか。


「この辺りを直に確認しておきたかったのだがな」

「…………」


 殿下は灰色の瞳を細め、思案を巡らせている様子だ。


「ウィリー、君はどこまで理解している?」

「ええと、そうですね」


 思考の整理の参考に、といった様子で尋ねられたけれど……

 穀物価格が下落気味。

 一方で物価一般が上昇傾向。

 ガスの経済知識を踏まえたうえで、これまでの情報諸々を統合して考えるに、うん。


「つまりは南方開拓、ですね」

「ああ」

「《防衛派》の実態というのはつまり」

「それらで損失を被っている層の複合。防衛上の主張は多くが建前だ」


 短いやり取りであれこれ確認する。

 ある程度は事前に聞いていた部分の確認もあるけれど、こうして町で物の値段などを確かめてゆくと、実感が湧いてくる。

 建前上は防衛問題としてやりとりしているけれど……要はこれ、経済的な闘争だ。


「経済だけではないぞ、政治でもある。……先王は玉座へ権力を集約しようとしていた」

「…………」


 訂正。政治経済の複合問題。……うん、見えて来た。

 ちょっと整理しよう。



 ◆



 まず先王エグバート二世は、自らの施政の行く先として中央集権化を推し進めていた。

 これはやろうと思って十年二十年でできることではないから、多分、終生の仕事のつもりだったんじゃないだろうか。


 地方貴族の力を削ぎとって王に権力を集め、強力な国家体制を造り上げ、そうしてそれを子孫に譲り渡す。

 うん、『果敢王』の称号を死後に贈られるようなタイプの男性の、その生涯の夢として、理解しやすい。


 その手段として採られたのが南方開拓だ。

 ファータイル王国の失われた領土、失地を回復するという正当性があって抗いがたい大義名分を掲げて、南方に人と物を送る。

 ……とはいえ南方の旧領をかつて支配していた家柄は断絶しているところも多いわけで、実質は多くが直轄領化だろう。


 そうして始まる開拓といえば、まず始めに、どんな開拓村だって日々の主食となる穀物を育てる。

 そしてある程度まで開拓が進んで余裕もできたら、貨幣獲得のために穀物を輸出もするだろう。

 特に《南辺境大陸(サウスマーク)》北辺部は、《中つ海》という内海に接しているから海運の利がある。

 そうして南方産の穀物が、人口が密集していて周辺だけでは食料生産が追いつかない、《涙滴の都(イリアスティア)》はじめ各都市部に流れ込んで穀物が値崩れする。


 それで困るのは既存の穀物の売り手――地方貴族だ。

 特に田舎の領主ほど、都市部への穀物輸出などで貨幣を獲得している。

 値崩れするということは、そのまま彼らの収入減に繋がり、収入減は影響力の減退に繋がるわけだ。


 また大規模な開拓をするとなれば、権限のある官僚集団とかを整備してゆく口実にもなるだろう。

 それに伴って税とか、役務の割り振りなどで、地方貴族に負担をかけて力を削ぎ取ることもできる。

 飛び地での変事に対応するために、対応力の高い常設軍を――なんてことも、追々は主張できるかもしれない。

 よくできている。


 そうして何十年かかけて王室の経済力を高め、中央に忠誠心ある官僚と軍を揃えてゆけば集権化が進み、ファータイル王国はより権力の所在のハッキリした強い国になる、と。

 ……なるほど先王陛下は、未来の絵図面を描く力に加え、それを強引に推し進められる手腕込みで、かなり優秀なお人であったらしい。


 ただ、彼は卒中で急逝した。

 ここまで考えると暗殺の可能性も浮かぶけれど、誰かの思惑の有無にかかわらず、ともかく先王陛下は倒れ――そして残ったのが、中途半端な開拓状態の南方だ。


 先王がその剛腕でやりきっていれば、地方勢力ももう虫の息。

 現王たるオーウェン王に代替わりしても、もはや彼らは抵抗はできなかっただろう。


 けれど先王エグバート二世が倒れたのは、まだ道半ばの段階。

 経済的、政治的に追い詰められ、下からも突き上げを喰らう地方貴族は、これこそ中央集権路線からの方針転換の好機と、南方開拓を批判しはじめる。


 でも「私たちが政治、経済的に不利益を被るから反対」では多くの賛同を得にくい。

 だから「防衛上の懸念」から反対していた現ダガー伯、グラントリ老なんかを中心に、「危険で防衛に不安がある南方開拓は如何なものか」とかそんな調子になる。

 あるいは表沙汰にはできないものの醜聞めいた形で「南方の飛び地、あれは叛乱の種ではないか」といった感じか。


 そうして宮廷が揉め始めると、商人たちも警戒する。

 南方開拓が一気に頓挫する可能性も見えれば、動きを手控えざるを得ない。

 必然、商業の動きも鈍くなり、もろもろ物価も高くなるし――高くなれば市民の生活にも影響が出る。

 そうなれば市民の怒りの矛先を、南方開拓に対して誘導する手もある。

 

 こう、「物価の変動は南方開拓が悪い。開拓に突っ込んでる国富をもっと既存の領土に使えば、色々な問題がなんとか(・・・・)なるだろう」という調子だ。

 ……もちろん、この耳に心地よい「なんとか」に具体的な案があるとは限らないのは世の常なのだけれど。

 

 だいぶ長い思考になったけれど、つまり《防衛派》というのは――

 本当の意味で防衛上の懸念を述べている人々。

 南方開拓による不利益を懸念する地方勢力。

 エセル殿下に疑念や警戒心を抱く貴族。

 政情不安定からくる諸々の混乱に不満な下流から中流の市民と、その味方あるいは扇動者。

 あたりの複合体だ、というわけだ。


 そしてもちろん《開拓派》だって、同様に複雑な成員を抱えていて一枚岩ではないのだろう。

 ポストを増やしたいとか市場を拡大したいとか、一発逆転が狙いたいとか先王に惚れ込んでてその方針を継続したいとか、色々あるはずだ。

 更に言えば、心情的、立場的には逆の派閥なのだけれど、政敵とかの所属の関係でこっちの派閥――みたいな人だって、どちらの閥にもいるだろう。


「現状は理解できたかな?」

「理解は、できましたけれど――」


 これどこにおカネを突っ込んで、どこに暴力を誇示して、どこに誠意ある話し合いをすれば解決する――とまではいかないまでも良い方向に転ぶ目が出るんだろう。

 ていうか何が有効なんだ。

 複雑に絡みあう縄のように色々もつれ過ぎてて、おおよその構造は理解できても、縄を解くためにどこを引いたり緩めたりすればいいのか、さっぱりだ。


「理解出来るだけで大したものだが――なかなか物凄いだろう、この混乱ぶりは。おかげで近頃は、義賊気取りの盗人まで都に現れる始末だ」

「義賊?」

「ああ。印を残していくとか腕利きの剣士だとか、らしい噂は多いが、極めつけがな。――なんでも、空を飛ぶらしい」

「はあ……」


 政治が混乱すれば秩序も乱れる。

 結構きてるなぁ……という感じだ。


 とはいえ、まだ末期というほどじゃない。

 きちんと落とし所を見つけて調整すれば、なんとかなりそうな気がする。

 まぁ、その落とし所がどういうところなのか、僕にはさっぱり検討がつかないのだけれど。


「……どう落とすんです? おじさん」

「ハハハ。ウィリー、流石に君でもこれは読めぬか。幾つか腹案はあるが、まぁ単純で有力なものとしては……」


 と、殿下からそれを聞こうとした時だ。



「《空ゆくもの(スカイウォーカー)》が出たぞ! 西の《日時計通り》の金貸しがやられたらしい!」



 などと、叫びが聞こえた。

 通りをゆく市民たちがその声に、おお、と顔を輝かせ、次々に野次馬に出かけはじめる。

 流石は都、物見高いなぁ、と思っていると――


「ほう」


 と、殿下が目を輝かせた。

 僕は再び、妙な顔をする羽目になった。


 派閥に政争、夜会に決闘、高級娼婦に空飛ぶ義賊。――都というのは、本当に退屈しない。

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[一言] >――都というのは、本当に退屈しない。 ウィルの心情を思えば、「都というのは本当に退屈しないが、気が休まる暇も無い。」くらいまで言っちゃって良い気がした。
[一言] 政治は難しいなぁ
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