ケ号作戦・第一次撤退作戦前夜
昨日をもって、俺の勤めるコンビニとガダルカナル島との関わりはひと段落した。
まあ、うちの前に1943年のガダルカナル島に繋がる謎の「門」がある事に変わりはない。
自衛官はたまに買い物や息抜きに来るし、もしかしたら日本兵も来るかもしれない。
だが、「門」を開いた何者かを探る為に、ネットワークを調べられたり、
ありもしない値引きセールをさせられたり、通販製品の預かり場所にされる事はない。
2月7日まで、自衛官の浜さん・和田君・野村さんは深夜対応してくれる。
たまに賀名生さんや統括部長が話をしに来る。
なのでここから先は、俺が聞いた話オンリーとなる。
ハ号作戦の翌日、やはり会議では軽い悪乗りがあったようだ。
「1943年の泥とかで汚せばいいなら、他の武器も送れないか?」
と、当然の疑問が湧いた。
そこで、個人用携帯型対空ミサイルとか、対戦車ロケットとかを汚して1943年塗れにした。
結果は、やはりダメだった。
ジェーン年鑑を参考にしてるのでは?というのは仮説なのだが、やはり
「1942~1943年の時に存在した兵器かどうか」はチェックされているようだ。
汚しの方法は、それでも補給を楽にしたようだ。
12.7mm銃弾や40mm機関砲弾クリップは、小さい「仏舎利」輸送でなく、
ガダルカナル島から運ばれた木箱に詰められ、泥水ぶっかけられた後、
堂々と「門」を通過して運搬されていた。
一回ドロドロに汚した兵器であるが、こっちに来る日本兵から
「詰まってたら暴発するから、あっちの兵士が念入りに泥づまりしないよう磨いてます」
という報告を聞いたそうだ。
40mm機関砲は、「門」付近、兵営、見張り台、そして元第17軍司令部に設置された。
12.7mm機関銃も同様に配置され、対空戦闘の為準備していた。
ハ号作戦翌日には早速火を噴いた。
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1943年1月22日、アメリカ陸軍のP-39戦闘機が2機襲来した。
対戦闘機戦では日本軍の零戦や隼にボロ負けのこの機種だが、
機首砲の37mm機関砲が、日本陸軍の陣地を攻撃する上で役に立つのだ。
飛来しては大口径を嫌がらせ半分で斉射し、500ポンド(225kg)爆弾を投下して引き返す。
この日も「日本軍のUFO基地」と噂される近辺に進出し、巧みに隠蔽されているが
「あるってことはとっくに分かっている」陣地に対し砲爆撃をしようとした。
この日、初めて苛烈な対空砲火に見舞われた。
軽快さは無いが、防弾はしっかりしているP-39は何発も被弾するが、何とか飛行は可能だ。
面食らった彼等は引き返そうとし、旋回したところを、一際巨大な対空機関砲に襲われた。
1機は直撃を食らい、飛行不可能となって撃墜された。
パイロットは何とかアメリカ軍の支配地域にパラシュートで降りられた。
もう1機は翼の一部を吹き飛ばされ、エンジンにも被弾して、満身創痍で引き返した。
この機もヘンダーソン飛行場に辿り着く前に墜落し、パイロットは脱出した。
同日午後、アメリカ海兵隊のF4F戦闘機2機も襲来した。
この2機も苛烈な対空砲火を食らった。
「グラマン鉄工所」とあだ名される頑丈な戦闘機だったが、数発被弾して
「これはただ事ではない」と悟った。
高度を上げて逃げ帰った2機は、飛行場に降り立つと報告した。
「ジャップの対空砲が強力になった。よく飛ぶしよく当たるし、切れ目無く撃ってくる」
すぐに被弾箇所の調査が行われ、自軍が使っているM2重機関銃の弾丸らしきもの(潰れている)
が見つかって、大騒ぎとなった。
「鹵獲されたようだ」
「鹵獲されたのならまだマシだ。以前もあった噂だが、横流しした可能性もある」
「陸軍の方からも報告が入った。10ヶ所以上に対空機関銃が設置されたようだ」
米軍の被害は続く。
1月23日には6機のA-20攻撃機が「一見、戦略的にも戦術的にも何も無い」山地に出撃した。
護衛として8機のP-40戦闘機も随伴した。
そして、日本軍陣地からの激しい対空砲火に晒された。
間の悪い事にブイン飛行場から出撃した零戦隊が駆けつけた。
(米軍はまだ、強力な通信機が日本軍各基地を繋げた事を知らない)
A-20は3機が撃墜され、残る機体も穴だらけになって帰還した。
A-20のパイロットは「30mm砲かそれ以上の機関砲がある」と報告した。
米軍は「日本軍のUFO基地」と噂された地点に、本当に何かがあると確信した。
皮肉な事に、日本軍は「門」を守る為の強力な防御によって、重要性を教えてしまった。
即座に大規模な陸上部隊でその地を攻め、実態を確かめようという意見が上がった。
その意見は、「1月29日に交代部隊がガダルカナル島に上陸する為、それ以降が良い」
という後方の司令部からの修正を受けた。
現地の第25歩兵師団、アメリカル師団、そして新任の海兵第2師団間で調整がなされ、
2月1日にM4中戦車4両と、ヘンダーソン飛行場の
B-17爆撃機、B-24爆撃機も投入した一大攻勢計画が立案された。
先月の独断専行で処罰対象、それを免れるには「功績を上げて相殺する」しかない辻政信は、
余計な謀を巡らす暇もなく、持てる全能力を撤退作戦と、
それを気づかせない為の工作、「門」を使った補給と兵の回復に専念していた。
「第一次撤退は1月28日と定まった。もう5日も無いぞ。
敵に聞かれても構わん! あちらの世界から受領した拡声器を使って、
密林に隠れる我が軍の兵士たちに撤退を知らせろ。
米軍が撤退を察知したとしても、吾輩が何とか手を打つ。
とにかく動ける兵は、カミンボかエスペランス岬に行けと知らせろ」
第三次総攻撃の前に、再び発生した大量の脱走兵、「野良兵士」と言えど捨てては行けない。
色々と問題があるが、辻政信は兵士に対しては面倒見が良い男なのだ。
……野良兵士の中には「門」と接触した兵もおり、そこから機密漏れを避けたいという
功利的な事情もそこにあったが。
第2師団に属する某部隊。
ここが最も健康で体力充実している上に、新型兵器への習熟度も高い。
「門」が開いて、最も長い時間その恩恵に預かっていた部隊である。
一度「門」付近が占領されたが、その後の奪還作戦に動いたのは多くがここの兵だった。
彼等は殿と決まった。
撤退予定日時は2月7日。
それまで米軍の攻勢や追撃に対処する事になる。
「門」の向こう側、未来日本もその情報を知らされ、顔馴染みも多かった為に情も湧き、
彼等からの更なる支援を受けていた。
九二式重機関銃(自衛隊側呼称「ヴィッカース7.7mm重機関銃」)を送ろうとしたが、
それは出来なくなっていた。
もう武器に関しては、どの時代の物であろうが一切を拒否するように変わった。
そこで未来日本の方は、防弾着を送って来た。
これもある瞬間で送られなくなったが、一定数は補給された。
深夜の食事時間、「門」の向こう側はやけに大盛りにしてくれるようになった。
去る時の敬礼にも感情が込められ、「ご武運を!」と常に言ってくれる。
1週間以上あるのに大仰しいと思いつつも、嬉しく思っていた。
里見衛生兵は、辻政信に重大な意見具申を行った。
「まだ野戦病院には動けない患者が多くおります。
彼等を歩いて撤退地点まで動かす為、ヒロポンの使用許可を願います!」
辻はポカンとした表情になった。
「別に許可なぞ必要なかろう? いつ使用禁止になったのだ?」
辻は12月になって再度ガ島に訪れた為、経緯を知らなかった。
かつて未来日本に脱走した兵士がいて、その衝動のきっかけがヒロポンであり、
未来世界では「麻薬、覚せい剤」として使用禁止になっていた事、
そして他の栄養剤を支給する代わりにヒロポン使用禁止を求められていた事。
軍医によってヒロポンは回収され、第17軍司令部施設に施錠されてしまわれていた事。
「可能な限り、かの世界の薬を使って治療をします。
しかし、いざ撤退の段になり、まだ動けない場合はヒロポンを使用し、
無理やりにでも動かそうと思います。
禁断症状や後遺症は後で文句を聞きます。
第三次総攻撃失敗時に、捨てて逃げ、入院患者は自殺しました。
同じ事を繰り返したくありません」
辻はあっさりと
「うん、許可する」
そう言った。
そして
「この件、吾輩が責任持ってやるよ。貴様は貴様の思うようにやり給え」
そう言って、司令官の引き出しやら軍医の部屋やらを漁り、
「これかね?」
と鍵を渡した。
ラバウルでは、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将、第十戦隊司令官代理小柳冨次少将、
第二航空隊司令山本栄中佐、そして第二水雷戦隊司令官田中頼三少将が打ち合わせをしていた。
山本中佐は一人階級が低い。
その為彼はこの打ち合わせで、「将官マル秘」となっていた未来世界からの情報を初めて見た。
「この情報は確かなのですか? 不確かな情報の為に、部下に死ねとは言えません」
「不確かかどうか、偵察をしっかりすれば良いでしょう。
戦場に絶対はありません。確かな情報でも、その時の状況で変わる可能性があります」
慎重と一部でのみ評価の高い田中頼三少将が、今撤退作戦の指揮を執る。
その彼が考えたのが、博打に近い作戦だった。
『5日後に起こる、通称『レンネル島沖海戦』で米軍に打撃を与え、
その混乱に乗じて輸送船を含む部隊をガ島に強行進出させ、
可能な限り多数を収容して撤退する』
というものである。
「この情報をもたらした日本では、レンネル島沖海戦と第一次撤退は別々の日であった。
だが、私はこれを一緒の日に行おうと考えた。
駆逐艦は本来輸送に適さない。
兵の収容は輸送船をもって行うべきだ。
だが、制空権も制海権も敵に落ちている今、輸送船を投入するのは敵が混乱した時しか無い。
まず最初に大多数を撤退させれば、今後の撤退計画には余裕が持てるようになろう」
田中がそう言うが、小柳少将は疑問を持っていた。
「山本中佐の言うように、本当に米軍がこのように動くか分からない。
それに、敵の潜水艦や小型の魚雷艇にはどう対処するのか?」
「それには我が第二水雷戦隊があたらせて貰う」
「大丈夫か?」
小柳の胸中には、消極的な指揮と駆逐艦艦長たちからの不満を聞かされた事で、
(本当にこの男はやれるのだろうか? 接岸するのは我々なんだぞ)
という疑心があった。
それに対し、ガ島輸送14回成功の橋本少将は言った。
「任せてみましょう。なあに、ガ島まではすぐだ。我々の部隊にも警戒隊はいる。
やってみましょうぞ」
(続く)
感想ありがとうございます。
最後に泥ぶっかけたのは、最後のキーであって、
以前は「1942年当時存在していたもの」とか「武器でも通れるものがある」とか分からず、
64式小銃を当時の泥で汚しても通らないとか、そんな感じでした。
刻印だの型番だの色々やった最後の1要素でしたので。
(実際のとこは何をどう組み合わせてチェックしてるかは分からないとしておきます)
あと最初から決めていた事ですが、現地時間の2月7日で「門」は破棄されます。
もうそれに向かっての進行となります。
ネタ的な部分は今後「番外編」まで無くなりますので。