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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
第二章 迷宮都市での暮らし
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378分のゼロ

「オオオオォ」


 金獅子将軍と呼ばれる男の咆哮が擦り切れそうな兵士の心を奮い立たせる。何度打ち倒されようと、レオンハルトは立ち上がる。


 200年前のエンダルジア王国滅亡を一人の王妃が逃げ延びた。王妃はその身に姫君を宿していたという。当時のシューゼンワルド辺境伯は、王妃を助けたアグウィナス筆頭錬金術師に兵を貸し与え、迷宮都市復興に尽力した。


 王妃の生んだ姫君はシューゼンワルド家に輿入れし、シューゼンワルド家に迷宮都市を治める正当な権利を与えた。その血を引くシューゼンワルド家次期頭首、レオンハルトには迷宮都市の王たる正当な資格がある。


 無論帝国に対する謀反の意があるわけではない。帝国は領地内の亡国の末裔による領地の支配と自治をある程度認めている。皇帝は歴代のシューゼンワルド家頭首に申し伝えてきた。

「シューゼンワルドよ、汝らの土地をその手に取り戻せ。」


 そう。迷宮都市はシューゼンワルド家の領地。魔物の統べる土地ではない。


「迷宮を打ち倒し、この地を再び我らの手に。」


 シューゼンワルド家の悲願は、呪いのようにレオンハルトを縛り付ける。

 戦って、戦って、戦って、死ぬ。

 運良く生き残れた者がその血を繋ぎ、志を継ぐ。


 シューゼンワルド家の悲願の元、レオンハルトの旗の下で、一体どれだけの同胞が死んでいったことだろう。

 どれほど傷つき打ち砕かれようと、立ち止まれるはずがない。倒れ伏すわけには行かない。

 レオンハルトの命は、未だ潰えていないのだから。


 レオンハルトは呪い蛇の王(キングバジリスク)に切りかかる。後ろに続く同胞達。

 彼ら主力が切りつけ、離脱した隙を、弓が、魔法が援護する。刎ね飛ばされ重症を負った兵達は、すぐさま癒され戦線に舞い戻る。


 どれ程の時間、この戦いを繰り返しただろう。


 何人もの同胞を石化し飲み込んできた呪わしき蛇の王は、生者全てを呪い尽くすかのようなおぞましい声をあげた後、ついに大地に倒れ付した。


「ウオオオオオオオォ!!!」


 レオンハルトは剣を握った拳を突き上げる。それに続く兵士達。


 幾度も敗退し続けた呪い蛇の王の討伐は、今ここに成った。




 感極まって言葉にならない勝鬨をあげるレオンハルトを見やりながら、ジャック・ニーレンバーグ治療技師は安堵の息を吐く。辛くも勝利した、という感が拭えない。彼も治療部隊の面々も魔力は枯渇寸前だ。それは誰もが同じだろう。魔力も物資も底を付き、それでも勝ち得なかった今までを思えば、価値ある勝利であることは間違いない。ポーションが潤沢にあるということは、これほど戦果に影響するものなのか。


「ポーションの使用本数を報告しろ。上級の総数だけでいい。」

「はっ。378本です。」


 通常の遠征の10倍以上の本数だ。しかも中級ランクに該当する聖水が樽で準備されている。ポーション瓶換算で800本だ。確かに惜しむなと命じはしたし、今回の選抜軍全員に、遠征中のいかなる情報も漏らさないよう、いつもより強い《誓約》を行わせている。


(だとしても、ずいぶんと思い切った作戦に出たものだ。……、いや、他に手立てなど無かったろうがな。)


 ジャック・ニーレンバーグは思う。まるで碁盤の升目が塗りつぶされる寸前に、天から一石が投じられたようだと。

 盤面が塗り変わる、その節目が今であるような、そんな感覚をジャック・ニーレンバーグは感じていた。




「おめでとうございます、兄上。」


 ウェイスハルトが満身創痍の兄を言祝ぐ。かくいうウェイスハルトも魔力の枯渇寸前で、立っているのもつらい状況なのだが。


「良く戦ってくれた、ウェイス。皆もだ。この一戦は大きいぞ。して、次の階層への階段は?」

「はい。確認されました。今、斥候部隊を調査に向かわせております。じきに状況が知れるでしょう。ですが、大層お疲れのご様子。一度基地へお戻り下さい。」

「構うな、ウェイス。ここまで来たのだ、第一報だけでも聞かずに戻れようか。」


 迷宮53階層を突破し、54階層への道が開いた。この迷宮が何階まで続くのかは誰にも分からない。もしかしたら、54階層こそがこの迷宮の最深部かもしれない。

 最深部には迷宮の主がいるという。迷宮の主は他の階層主と全く異なるモノだと言われる。姿かたちがではなく、その存在が。迷宮討伐を行ってきたものならば、それが迷宮の主であると一目でわかると言い伝えられている。


 だから、もしかしたら、最深部到達の知らせを携えた斥候が戻ってくるかもしれない。


 それは、ここにいる誰もが思ったことだろう。だからぼろぼろで立っていられず地に座り込んだまま、階層の境の安全地帯でレオンハルトは斥候の帰りを待っていた。


 彼が待ちわびた知らせは、思いのほか早くにもたらされた。

 斥候の困惑げな表情に、レオンハルトは状況を悟る。最深部ではなかったのだと。


 けれどもたされた報告は、彼の思いをさらに裏切るものだった。


「ご報告申し上げます。第54階層は……、水没しておりました。」


 第54階層は、果てしなく広がる海の階層だと、その斥候は報告をした。


 レオンハルトが何度も血を吐き死に掛けて、ようやく超えたその先は、更なる障壁が待ち受けていた。




 ジャック・ニーレンバーグが自宅に帰り着いたのは、呪い蛇の王討伐の翌日の昼過ぎだった。


 遠征部隊は50階層に設置した転移陣から2階層の隠し部屋の転移陣まで転移した後、地下通路を通って迷宮討伐軍の拠点に戻った。

 転移陣は極めて高価な魔道具で、緯度と経度が同じ座標間の瞬間移動を可能とする。つまり、高さ方向しか移動できない。しかも対になる魔法陣が魔力的に接触していなければならないという制約がある。

 迷宮は迷宮の主の支配する領域でその魔力によって構成されているものだから、転移陣の設置は可能であるが、迷宮の主が倒れた迷宮では転移陣は機能しなくなる。ようは、生きている迷宮の魔力を利用した人工のバイパス路と言うべき物だ。


 転移陣は20階層以降、10階層毎に設置されている。20,30,40階層への転移陣は迷宮1階に設置されていて一般開放されているから、起動に必要な魔力か魔石を準備する必要はあるが、誰でも利用することができる。

 この迷宮が50階層を超える魔窟であることは、関係者以外には秘匿されている。だから50階層に設置された転移陣の対は、2階層の隠し部屋に設置され、一般には知られていない。2階層はじめじめとした洞窟の階層で、スライム程度しか魔物がおらず苔や薬草と言った植生もスライムに食われてしまっているから、採取すべき資源もない。その一角を表向きには迷宮討伐軍の迷宮内駐屯地として確保してある。


 実際は、駐屯地として確保された区画の中に50階層への転移陣があり、さらにその奥は地下大水道へと繋がっている。地下大水道には大量のスライムが繁殖していて通常であれば通路として利用できない。迷宮討伐軍は何年も掛けて、迷宮2階層と迷宮討伐軍の基地を繋ぐ水道を魔力を吸収するデイジスの繊維で舗装してスライムを遮断し、迷宮への直通路として整備していた。


 迷宮討伐軍が都市内で勇壮なパレードを行い、大々的に迷宮に進軍していくのは定期的に行なわれる遠征の時だけで、実際は市民が目にするより遥かに多い回数の遠征が行われている。

 レオンハルトが石化の呪いを受けた際も、この経路で搬送されたからこそ、レオンハルトの負傷も討伐軍の大敗も市民に知られることは無かった。


 呪い蛇の王(キングバジリスク)を倒し雪辱を晴らした勝利の帰還であったが、レオンハルトの足取りは重かった。

 54階層へ続く螺旋階段は途中で海水に水没していたという。そこから見える景色は何処までも続く海と空。360度広がる水平線。階層階段の上部だけ、取ってつけたように53階層への孔が開いて見えたという。

 青い海と青い空の世界で陸地などは確認できない。ただ一点、遠くに柱のようなものが確認されている。


 今頃は専門の斥候部隊がその柱を中心に階層の探索に当たっているのだろう。


 呪い蛇の王討伐に当たった部隊は皆、満身創痍。治療部隊も魔力切れだから、迷宮内では十分な治療も行えない。基地に戻って十分な治療と休息を取る必要がある。レオンハルトは自らの落胆を顔には出さず、兵士たちをねぎらい、亡き同胞たちに勝利を捧げた。歩みをとめないレオンハルトの背を見つめ、兵士は再び前へと歩みを進めた。


 ジャック・ニーレンバーグは基地に戻った後も、兵士たちの治療に当たり、(ようや)く家に帰り着いた頃には、日付はとっくに変わって、時刻は昼を過ぎていた。


「パパ、お帰りなさい。」

「シェリー、ただいま。」


 昼だというのに愛娘シェリーの部屋はカーテンが引かれ明かりも消されて薄暗い。ジャック・ニーレンバーグは愛娘を抱きしめると、包帯を巻かれた頭をそっとなぜる。

 シェリーの顔には未だ包帯が巻かれたままだ。


 巨大スライムの溶解液で受けた傷が治っていないのではない。

 傷は治癒魔法によって癒されている。


 醜く、溶け爛れた傷跡を残して。


 眼球が無事だったことを不幸中の幸いだったと喜べようか。あれほど愛らしかったシェリーの顔は左半分から側頭部に掛けて巨大スライムの溶解液によって溶かされていた。まぶたは溶けた状態でくっついていて、半分閉じた状態で繋がっている。治癒魔法で再生した皮膚は赤黒くでこぼこと歪に盛り上がり、側頭部の毛根は機能を失いまばらにしか髪が生えていない。


 無事だった右半分の白い肌、整った顔立ち、黒く顔を彩る艶髪が、ただれた左半分の醜さを余計に引き立たせている。だから包帯を巻いている。包帯を巻いていたほうが、よほど彼女は美しいから。


 あの日から3週間。シェリーは一歩も家から出ていない。昼も夜もカーテンで光をさえぎった部屋の中で、ずっとこうして過ごしている。


「パパ、お昼はもう食べた?」

「そういえば、昨日から何も食べていないな。」

「良かった。豆とオーク肉のトマトシチューを作ったの。」


 いつもの様に笑ってみせるシェリー。

 家政婦がこんなに大きなオーク肉の塊を買ってきたから、自分で捌いたのだと話しながら、二人で食卓を囲む。


 彼女になんの罪があったというのか。ジャック・ニーレンバーグは砂を噛むような気持ちを押し殺し、愛娘シェリーに微笑みかける。

 確かにスラムを通るなとは言った。けれどそれは『悪い虫が付かないように』という程度のもので、迷宮付近の大通りをしかも昼間に歩くなど、本来なんの危険も無いことだ。街中の子供が通る近道をシェリーが通ったとしてどうして責められようか。


 巨大スライムを街中に呼び込んだ愚か者(キンデル)を八つ裂きにしたくとも、巨大スライムに骨も残さず溶かされ喰われてしまった。間接的に事件を起こした都市防衛隊のテルーテルは、物資の管理を怠りキンデルの暴走を許した失態も、その身をもって巨大スライムを大通りから引き離した功績も、一切の申し開きをすることなく、深く頭を下げて処分を受け入れたという。


 ジャック・ニーレンバーグの怒りは行き場を失い、心は悲しみに満たされる。


 たった一本、上級ポーションがあればシェリーの傷は癒されるのに。

 帝都にさえ行けば、シェリーを治すことができるのだ。それは最も確実で、そして直ぐには叶わない問題だった。ジャック・ニーレンバーグには身寄りが無い。妻をなくして以来、シェリーと二人きりで暮らしてきた。シェリーはしっかりしていてもまだ12歳。たとえヤグー商隊に同行できたとしても、帝都までの過酷な道のりを一人で往けるはずは無い。シェリーを帝都で治すとしても、父であるジャックの同行は必須だろう。けれどジャック・ニーレンバーグには迷宮討伐の任がある。彼は治癒部隊の責任者で、ポーションの手がかりを知る数少ない人間だ。休暇や除隊を願い出たとして、やすやすと認められるとは思えない。


 ジャック・ニーレンバーグがシェリーを帝都に連れて行けるまで、あるいはシェリーが一人で帝都へ行けるようになるまで、どれだけの時間、彼女はこの薄暗い家の中で過ごすのだろう。

 若く、希望に満ちたこの時間を、どれだけ失うことになるのか。

 いつか治るのだからと割り切ることなど、ジャック・ニーレンバーグにはできはしなかった。


 378本。


 呪い蛇の王討伐で使用した上級ポーションの本数だ。


 これらは全て迷宮討伐軍の物。軍の物資たるポーションの私的利用や窃盗は重罪。

 その使用権限をジャック・ニーレンバーグが保有していようとも、どれほどの本数を兵士たちに使おうと、たった一本さえ、愛娘に使うことは許されない。


「パパ、どうしたの?恐い顔。」

 思いつめるジャック・ニーレンバーグをシェリーが見つめる。


「少し疲れただけだ。なんでもないよ。」


 そう答えると、ジャック・ニーレンバーグは残ったシチューを飲み干した。




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― 新着の感想 ―
良心が問われる状況で、中々にきついですね……。
[一言] 世界にはドロドロしたものも、清らかなものもありますね。人間は両方併せ持てて、且つどちらに足を置くか選べる生き物ですね。そのどちらも書ける物書きさんってすごいなあ、と思いながらここまで読みまし…
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