呪い蛇の王
「ホーリーシールド!」
6人ほどのチームに配属された盾職が次々と聖なる守りの盾を発動する。鏡のように磨き上げられ、呪いを跳ね返すミラーシールドとあわせて使うことで、バジリスクの石化の呪いを難なく受け流していく。
盾職と前衛、『聖なる護り』が使える付与術師に回復職で構成された6人のチームは、キングバジリスクが生み出した通常種のバジリスクをうまくいなし、押さえ込んでいく。
今はまだ、通常種のバジリスクを倒してはいけない。
数が減れば、キングバジリスクは新たな蛇のしもべを創りだす。蛇のしもべが発生する場所は予測が付かないから、キングバジリスクに挑む戦力が狙われると戦線は一気に乱れる。
そのために、8のチームに蛇のしもべを押さえ込む責務を与えられていた。
邪魔を排した主力部隊は、キングバジリスクに相対する。
「つがえ矢!放て!」
ウェイスハルトの合図に従い、弓兵達は聖水を凍らせて作り出した矢を放つ。鏃は流線型をしていて通常の矢尻よりも10倍以上も大きい。鉄の比重を考えてもキングバジリスクに到達しうるギリギリのサイズに作ってある。当然通常の矢よりも速度は出ず貫通力は期待できない。
何本もの矢が放物線を描き、雨霰のようにキングバジリスクに降り注ぐ。
急冷した矢尻は内部まで凍っておらず、キングバジリスクの堅い鱗に当たって脆くも崩れ去る。
内部に篭められた聖水をキングバジリスクの表皮に撒き散らしながら。
「シャァァァァァァァアアアアッ」
胴の長さと不釣合いに長い尾や頭部で氷の矢を振り払うキングバジリスク。弓兵たちの聖水の矢はキングバジリスクを傷つけることは叶わない。けれど鱗を覆う錆のような呪いの瘴気は聖水によってたちどころに浄化され、キングバジリスクは不快げに体を震わせる。
今だ。
「全軍、かかれ!」
レオンハルトの咆哮に、遅れをとるなと兵達が続く。
向かい来るレオンハルトを喰らいつくさんと、キングバジリスクは鎌首をもたげ、蛇の顎をくわっと開く。その頭部へ向けて、魔術師たちが聖水を核とした氷を槍の如く叩き込む。
聖水の氷の槍はキングバジリスクの頭部を強かに打ちつけ、強靭な鱗を何枚も傷つける。大きく開いた口の中にも突き刺さる。呪いを纏うキングバジリスクにとって聖水は毒のようなもの。氷の槍を噛み砕かんと閉じた口元にレオンハルトら抜刀した兵達が切りかかる。
忌々しい。そのような感情が、この魔物にあるのだろうか。キングバジリスクからすればレオンハルトなど小さく脆弱な生き物だろう。石と化し糧と成れ、と石化の邪眼で睨め付けるけれど、『聖なる護り』が邪魔をして呪いはレオンハルトに届かない。幾度『聖なる護り』が破られようと、後ろに控える付与魔術師が絶え間なく『聖なる護り』を掛け続け、僅かな切れ間も二重の守りを与える聖水の加護が切れることはない。
ならば踏み潰すまでと、キングバジリスクは8本の巨大な足を踏み鳴らし、レオンハルト達に挑み来る。
「散開!」
号令一声で四方に陣形を移す迷宮討伐軍。移動の僅かな隙を、キングバジリスクの長い蛇の尾が、歪に伸びたその首が鞭のように振るわれる。吹き飛ばされ、石柱に叩きつけられる兵士たち。高速で振るわれた尾から打ち出される衝撃波が、兵士の手足を切り飛ばす。
たった一撃で致命傷になりかねない強撃だが、前線に配属された治癒魔法使い達が間髪いれず放つ治癒魔法によって即死だけは防がれる。
治癒魔法使い達の前線への投入は今回からの試みだ。今までは彼らの魔力を温存し、長期戦に堪えうることを第一としてきた。回復職を前線に投入することで、キングバジリスクに対しても、盾職の前線投入を最小としレオンハルトら攻撃重視の作戦に切り替えることができた。
治癒魔法では即時回復が難しい負傷者は、直ちに戦線を離れニーレンバーグ率いる治癒部隊へと運ばれる。治癒部隊に残る治癒魔法使いは、前線に不向きな僅かな人数しかいない。今までであれば治療が間に合う人数ではない。しかし。
「ポーションを惜しむな。赤、黒を優先的に使え。黒は効果にばらつきがある。足りなければ中級、上級を使っていい。兵士の体力を優先しろ、治癒魔法で体力を消耗させるな。」
治癒部隊にニーレンバーグの指示が飛ぶ。
前回の負傷者達をニーレンバーグと共に治療してきた治癒部隊だ。内臓が破裂していようが、手足がおかしな方向を向いていようが、いや、取れてしまっていたとして、今更動じることもない。
「スパッと切れていると治しやすいですね!」
「次は、取れた手足は自分で拾ってきてくださいね!」
そんなことを言う余裕さえある。
治癒された兵士はすぐさま戦線に戻っていく。肉体を、精神を削りあうような、消耗戦の最中へと。
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アグウィナスの屋敷へ奴隷商レイモンドの馬車が入って行ったのは、レオンハルトら迷宮討伐軍がキングバジリスクに挑むほんの数時間前のことだった。
「ご依頼の『商品』をお届けに参りました。」
慇懃に振舞うレイモンドにアグウィナス家の家令は代金の入った袋を手渡す。
「……。確かに。」
レイモンドは代金を受け取ると、一礼して屋敷を後にした。「次の注文は」などとは尋ねない。レイモンドは奴隷商。注文を受ければそれに応じる。客の選り好みはしないし、詮索も、秘密を漏らすことも決してしない。取引に私情は挟まない。それは彼ら奴隷商に課せられた《制約》の一つでもある。
けれど、この客は『消耗が早すぎる』。
人の売買を行う奴隷商は世間一般に忌避される職業だ。けれど彼らには刑務官や執行官としての側面もあり、国家による保護と監視を受ける職種でもある。レイモンドら奴隷商がもつ《隷属契約》のスキルは使い方によっては非常に危険なスキルだ。罪なき者を強制的に隷属させることもできる。
このような国家にとって重要度が高く保有者の少ないスキルは、鑑定紙の『その他』の項目に分類され、鑑定紙では知ることができない。『その他』スキルを保有する者は、専門の機関に集められ特殊鑑定紙によって鑑定が行なわれる。その能力は国家によって見出され取り立てられていく。
《隷属契約》のスキル保有者は幼い頃から専門の思想教育が施され、数多くの《制約》を受けた後に奴隷商として身を立てる。
人の売買を繰り返すうち、レイモンドの心はずいぶんと磨り減ってさざめくこともなくなってしまったけれど、彼は本来公正で善悪をわきまえた人間だ。《隷属契約》のスキルを見出されて以来、そうあるように、教育されてきた。
たとえ犯罪を犯したものであっても、この世界に彼らを十分更生させうる余力が無く、犯罪奴隷とするしかなかろうとも、たやすく『消費』してよい『もの』でないことを、レイモンドは理解している。
こんな客に会う度に、自分が部品か何かのように思える。数多の《制約》に縛られ奴隷商をやめることはできない。『商品』が『消費』されると分かっていても、売らないことはできはしない。
いっそ本当に部品のように、何も感じなければいい。もう、ずいぶんと心動くことはなくなってきたけれど。
奴隷達を乗せてきた2台の馬車を先に帰し、レイモンドは街をゆっくり走って帰るよう御者に命ずる。ゆっくりと流れる街の景色を、馬車の窓からぼんやりと眺める。
転んだ子供をあやす母親、追いかけあいながら駆けていく子供たち、夕食の食材を売りさばく威勢の良い店主。
そんなありふれた情景を眺めるのが、レイモンドは好きだった。
彼の眼に、ふと若い男女の姿が映る。
「ジークもリンクスも、どうしてオーク祭りのバーベキューパーティー連れてってくんなかったのよー。」
「マリエラは、恋人を募集していたのか?」
「ちちち、違うよっ。お肉っ。お肉だよ。折角のタダ肉チャンスがもったいないじゃないっ。……違うからね?」
「ははは。まぁ、参加していたら俺やリンクスがモテ過ぎて、マリエラ一人で肉を食べるハメになったろうな。」
「ぬーっ。そんなことないですぅー。私だってモテモテでモテモテでお肉どころじゃなかったハズですぅー。」
「じゃぁ、いいじゃないか。どうせ肉食べれなかったんだしな。折角だから、今日はミノタウルスでも食べようか?オークばかりで飽きただろう。」
「ミノ肉!ハンバーグがいい。捏ね捏ねして大きいの作ろう!」
「……、マリエラは、ほんっと、練ったり捏ねたりするの、好きだな。」
あの少女には見覚えがある。死に掛けた奴隷を買った娘だ。隣の男はまさか。
自ら掛けた隷属契約の残滓を感じる。間違いない。生きていたのか。
少女の隣で死に掛けていた奴隷は柔らかく笑っている。その表情はとても自然で穏やかだ。けれど油断無く周りに気を配り、少女を護っていることがわかる。
(よかった。)
レイモンドは思う。良い主に出会ってくれて、本当に良かったと。
死に掛けていたあの奴隷がどのようにして助かったのか、そんな詮索をしはしない。幸運に恵まれた『商品』がいたと知れただけで十分だ。
客の選り好みも、詮索も、秘密を漏らすことも決してしない。それは彼ら奴隷商に課せられた《制約》の一つだから。
レイモンドを乗せた馬車はマリエラたちとすれ違い、ゆっくりと奴隷商館へ帰っていった。
場面切り替えにラインを入れてみました。