迷案
『それ』は、地下大水道に棲んでいた。
いつ生じたのかは分からない。
『それ』に知能らしきものは無く本能にしたがって彷徨う儚いものだったからだ。
地下大水道に流れ込む排水は栄養の無いものばかりで、『それ』の同胞はあまり大きくなれないまま、生じては消え、消えては生じてゆっくりと数を増やしていった。『それ』が大きくなれたのは偶然でしかない。
『それ』の縄張りにはとっておきの餌場があった。
卸売市場から流れる排水はスライム槽で処理して排水されていたが、迷宮討伐隊の遠征時など大量の食材が搬入される時は、スライム槽で処理しきれない排水がそのまま地下大水道へ流れ込んでいた。
魔力をたっぷり含んだ魔物の残骸は『それ』にとってはご馳走だ。
ご馳走はいつでも流れてくるわけではない。流れてこなくなったら『それ』は別の餌場に移る。
ちょうど、この餌場のご馳走を食べ終わったところだ。
『それ』はゆっくりと次の餌場へと移動を開始した。
餌を求めて徘徊する、本能のままに。
「テルーテル大佐どのッ、名案が浮かんだのでありまスッ。」
キンデル建材部門長は今日も自分の仕事をほったらかして、都市防衛隊のテルーテル大佐のご機嫌を伺う。それこそ、テルーテル大佐の靴から頭まで磨き上げそうな勢いだ。
「破限のハーゲイ殿とお会いするより良い案なのかね。」
冒険者フリークのテルーテル大佐は、すっかりハーゲイと懇親会をする気でいたようだ。むすっとした表情でキンデル建材部門長を睨む。本来の目的をすっかり忘れてしまっている。いくら二つ名持ちの冒険者とはいえハゲた親父にここまで執着できるとは、テルーテル大佐は賞賛すべき冒険者好きと言えるかもしれない。勿論彼の神推しは『雷帝 エルシー』。男性冒険者だけを好んでいるわけではない。ここは重要だ。試験に出るかもしれない。
「ハッ、いやっ、そノッ。ハーゲイ殿とはお仕事を抜きでお会いしたほうが宜しいかと思いましてですネッ。」
キンデル建材部門長のその場しのぎの言い訳に、「それもそうだね、予約をたのむよ」などと乗っかるテルーテル大佐。
「で、薬草なのですガッ。」
汗を拭きつつ話題を戻すキンデル建材部門長。
「スラムの人間を動員して、スラム中のブロモミンテラとデイジスを刈り取ればよいのでスッ。」
「流石にそれは不味くないかね。」
キンデル建材部門長の提案に、難色を示すテルーテル大佐。都市防衛隊を預かるだけはあるということか、最低限の良識はあるようだ。
「まさかまさか。この迷宮都市には、鉄壁の守りがあるではないですカッ。あの堅牢な城壁ッ、周りを取り囲む魔除け薬草の園ッ、何より我らがテルーテル大佐率いる都市防衛隊がおりますればッ、まさに無敵ッ。かの伝説のSランク冒険者『隔虚』の如き鉄壁さではございませんカッ。」
「か、『隔虚』かね?」
「そうですとモッ。『隔虚』の如き、いや、この広大な迷宮都市の守護者でありますれバッ、『隔虚』以上と言っても過言ではありますまイッ。そのテルーテル大佐が護っておられるのでスッ。スラムの薬草の一つや二つ抜いたところでどうということもありますまイッ。」
「そうかね?そういえば、そんな気もしておったのだがね。」
「そうですともッ。その通りでございますともッ」
「そうだね。その通りだね。はっはっは。」
「そうでございましょうとも!まっひャッひャッひャッ」
冒険者好きのテルーテル大佐の申し訳程度の良識は、Sランク以上とおだてられたことで、あっさりと崩壊した。何が楽しいのか爆笑する二人。
「それでは、そのように進めますのデッ、兵をお貸し頂けれバッ」
「そのように取り計らってくれたまえ。だが指揮はわしがするからな。」
具体的なことは何も決まっていないように見えるのに、どうやら話がまとまったようだ。以心伝心か。命令系統やら承認体制やらは一体どうなっているのか。
あらゆる常識的な判断基準をまるっと無視して、翌日からスラムでの薬草採取作戦は開始された。
「これハッ、偉大なる都市防衛隊の作戦行動に関わる動員なのであルッ。」
スラムの街頭で叫び声をあげるキンデル建材部門長。
その後ろにはテルーテル大佐と数名の部下がつっ立っている。
なぜキンデルが声を張り上げているのか。ここに参加したテルーテル大佐の部下たちは、そんな疑問ももたないか、疑問をもっても逃げられない要領の悪い者達ばかりでみんなやる気がなさそうにぼんやりと宙を見ている。
「なんだあれ。」
そんな彼らに冷ややかな視線を送る3人組。
マリエラの家の改築に参加した冒険者達だ。マリエラの指示通り毎日薬を塗りこみ、傷がふさがった後もマッサージを欠かさなかったお陰か、すっかり傷は癒え冒険者家業を再開することができた。
今はまだ以前より浅い階層で仕事をしているが、じきにカンを取り戻して元の階層に戻れるだろう。僅かずつではあるが蓄えもできてきた。寝泊りしているスラムの安宿から抜け出せるのも時間の問題だ。
「薬草採取?いくらブロモミンテラとデイジスだからって安すぎるだろ。」
スラム住民の動員自体は珍しい物ではない。迷宮で怪我を負い冒険者を辞めざるを得なかった冒険者崩れがここには沢山掃き溜まっている。定期的に炊き出しが行なわれ、死なない程度の食料が配給されている。
スラム住民の雇用は推奨されることであり、手や足が不自由であってもこなせる日雇い労働は、公共、民間を問わず頻繁に行なわれている。払われる賃金は安く、一度スラムに馴染んでしまえば抜け出すことは容易ではないが、スラムでならば生活していける仕組みがあった。
キンデル建材部門長がキンキン声で説明する薬草の引き取り価格は、1抱えほどの量で銅貨1枚。それを乾燥させて粉砕するのに銅貨1枚。通常の価格の十分の一程度の値段だ。さらにそれを魔除けの香や縄に加工するのも似たような価格設定で募集している。
ブロモミンテラとデイジスは迷宮都市のいたるところに生えている。他の街であれば花が植えられているようなスペースにはブロモミンテラの赤紫の葉が生い茂り、都市の建物や外壁には残らずデイジスの蔦が這っている。それはスラムであっても貴族の屋敷でさえも例外でない。そこら中に生えている薬草を採取して持って来るだけならば、請け負うものもいるだろうというキンデル建材部門長の発案だ。
迷宮都市の法にブロモミンテラやデイジスの育成を明記したものは無い。けれど、何処の家も一軒の例外なくこれらの薬草が植えられている。育てやすく繁茂しすぎたものは加工して小銭が稼げるという利点もある。けれど見た目の悪いこれらの植物を積極的に育てる理由にはならない。迷宮都市の人々がこれらを育てる理由は一つだけ。
恐いのだ。
迷宮都市の外周は高い防壁で覆われている。防壁は見上げるほどに高く石積みは高さに見合って分厚い、これを超える防壁は帝都にもあるかどうかというほどのものだ。
しかし、200年前、魔の森の魔物達はこの壁を破りエンダルジア王国を攻め滅ぼした。
迷宮都市の中心部には200年間成長を続ける迷宮。
定期的に迷宮討伐軍が遠征に赴き、迷宮の魔物を屠ることで勢力を弱めてはいるが、管理を怠った迷宮から魔物が溢れ出し、村や町が滅んだという話は枚挙に暇が無い。
内に迷宮、外に魔の森。
まるで魔物の住処の中に暮らしているようだ。
かつて、街を避け魔の森に暮らす者達がいたという。彼らは住処をデイジスの蔦で覆い周囲をブロモミンテラで囲うことで魔物の進入を防ぎ、ひっそりと暮らしていたと。
迷宮都市はそれを真似て作られた。魔物が嫌う薬草を植えればそれらは良く繁茂した。人の領域では成育しない薬草が繁茂することこそが、この都市が魔物の領域だと人々に知らしめる。
この200年、様々なトラブルはあったものの、迷宮都市は存続して来られた。けれどもやはり恐ろしい。
だから家の周囲に高い外壁を築く。門扉は大型の魔物が入って来られないように小さく、馬車を入れる大門は薬草を茂らせた裏庭に。建物自体も石造りで窓には鉄枠をはめる。立てこもるための地下室も義務付けられている。万一迷宮都市に魔物が入ってきても良いように。
外見の優美さや日当たり、風通しと言った機能面は二の次だ。魔物の進入に耐えうる事のみが、この都市では求められていた。
そんな決まりに異議を唱えるものはいなかった。定められていなくとも陰気な見た目の薬草を自宅に栽培した。人と魔物はおおもとが異なるもの。相容れないもの。魔物に対する本能的な恐れがこの都市の根幹に根付いている。
「ブロモミンテラもデイジスも、その辺にはえておるだロッ、千切って持って来ればよいだけだろうガッ」
わめき散らす、キンデル建材部門長に冷たい視線を送る冒険者3人組。
「行こうぜ」
今日も迷宮でしっかり稼ごう。貰った薬はもうすぐなくなる。だから自分たちの稼ぎで買いに行こう。あんなのを相手にしている暇は無い。
3人が立ち去ったあとも、キンデル建材部門長は声を張り上げ続けたが、はした金で自らの住居を荒らそうとする者などいるはずも無く、スラムの住人はこの迷惑な侵入者を建物の陰から胡散臭げな視線を投げるだけだった。
テルーテル大佐とその部下たちまで『急用』を思い出して帰っていく始末。
「おのれ~、ワシの言うことが聞けんのカッ」
地団駄を踏むキンデル建材部門長。
「不法居住者の癖ニッ、不法居住者の癖ニッ、ン?不法居住者?」
どうやら、また余計なことを思いついたらしい。もっと生産的な思いつきでもって本業に貢献したらいいのに。キンデル建材部門長はにやりと笑うと、商人ギルドへ帰って行った。
勿論自室ではない。彼が向かったのは住居管理部門。迷宮都市の住居と住人を管理する部門だった。