千夜月花
「香は絶やさず焚いとけよ。」
ガーク爺を先頭に、マリエラ、ジークが迷宮に入る。戦えないマリエラが、魔除けの香を焚く係だ。魔除けの香は、ブロモミンテラの乾燥粉末から作られたもので、魔除けポーション程ではないが、弱い魔物はよって来ない。作り方も簡単で、材料のブロモミンテラは迷宮都市の中にも外にもたくさん植えてあるから、自作する者が大半だ。迷宮が賑わう遠征期間中は、孤児院の子らが作った香を籠に入れ、迷宮の入口付近で売り歩く姿も見られる。
時間は深夜に近く、迷宮の外に子供の姿は見られないが、魔物が活発化する時間にも関わらずポツポツと迷宮に出入りする冒険者がいるのは、遠征期間ならではだろう。
迷宮の入り口には見張りの兵が2名いるだけで、遊びで入り込もうとする子供を除けば、入退場は制限されない。見張りの兵は有事の際の連絡係が主な職務なのだという。
ジークの説明によると、迷宮都市以外の迷宮では迷宮の入場料が必要だったり、退出するときも得た素材や魔石の一部を税として納める必要があるそうだ。迷宮都市では、都市から出る時に持ち出す品に税金が掛かる仕組みになっていて、迷宮都市内で使用する分には税が掛からない。ちなみに迷宮都市に持ち込む品も税は掛からないのだが、迷宮都市への往来が困難なため、迷宮都市で自給できない品々は慢性的に品薄だ。
外は月もなく真っ暗なのに、迷宮のなかは薄らと明るい。洞窟を思わせる岩壁のあちこちに、月光石と呼ばれるぼんやりと光る岩があって灯なしでも辛うじて進むことは出来る。とはいえ、視界は悪く魔物との戦闘や薬草採取には不十分なので、ガーク爺は暗視のゴーグルを、マリエラにはジークが暗視魔法を掛けている。
たまに現れるゴブリンやスライム、レイスと言った匂いに鈍い疎い魔物を、ダブルアックスでなぎ倒しながら、ガーク爺はどんどん迷宮を降りて行く。背後からの敵もいつの間にかジークが倒しているので、マリエラは持ち手のついた香炉に魔除けの香を足しながら、迷宮を観察する。
迷宮の階層をまたぐ階段は迷宮の中心部分に集中していて、階層の移動は容易だ。この階段は、各階層の何処かにいるという、階層主を倒すと現れるという。
得体の知れない迷宮の主が、下僕たる階層主を産み落しながら、下へ下へと真っ直ぐ地下を喰い進む様子を思い浮かべ、マリエラは少しゾッとした。
「この先だ。眠り玉を使うから、マスクをしとけ。」
ガーク爺の指示に従い、マリエラとジークは中和剤をしみこませたマスクをする。ガーク爺は、岩の隙間に火をつけた眠り玉を投げいれた。薄く光る月光石が絶妙なバランスで位置しているため、一見するとそこは岩のつなぎ目に見えるのだか、近寄ると大人が通れるほどの隙間がある。狭いのは入口だけで、中は迷宮の通路と変わらない広さの通路になっていた。
ガーク爺の後に続いて、中に入ったマリエラはぎょっとした。
(蛇だらけ……)
魔物としては小さいが、腕くらいはある蛇が、寝こけてそこら中に落ちていた。
「随分増えたな、少し間引いてくか。」
ガーク爺はそういうと、蛇を間引きながら奥へと進んでいった。小さい蛇は頭を踏み潰し、大きい蛇はアックスで首を落とす。迷宮の魔物の大半は死んで暫くすると、輪郭がぼやけて姿が薄くなり、溶けるように骸が消えてしまう。
魔力が固まって発生し、まだ受肉していないからだという。
長く生きると魔力が凝縮して魔石を宿していたり、体の一部が受肉していて、倒すと素材として手に入る。
ここの蛇はまだ若く魔物としても弱いから、殆どが何も残さず消えてしまうが、大きめの個体は稀に爪の先ほどの小さい魔石や牙を残した。牙はひと袋いくらの安価な物だが、痛み止めの効果がある。ガーク爺が進路の蛇を倒し、マリエラが魔石と牙を拾う。ジークはマリエラを警護しながらめぼしい蛇を切りすてていく。
蛇の通路はS字に折れ曲がっていて、入口からは行き止まりに見るのだが、一つ目の角を曲がると薄らと光が差し込む出口が見えた。
蛇はこの光が苦手らしく、出口に近づくにつれて数が少なくなっていった。
蛇の通路の先は、明るく拓けた場所だった。走れば十秒もかからず端にたどり着けそうなさして広くもない空間で、天井は吹き抜けるように高い。壁や天井には月光石が幾つも光り、まるで星空のようだ。
足元は一面膝丈位の草が生い茂っていて、優しい光を放つ蕾をたくさん付けている。
1000日に一度花を付ける、千夜月花だ。
足元いっぱいに広がる千夜月花の蕾が放つ光で、まるで満月に降り立ったかのようだ。
「そろそろだな」
ガーク爺の声を待っていたかのように、千夜月花が花開く。
ぽんと弾けるように蕾が開いて、中から光の粒が舞い踊る。
ぽん、ぽん、ぽん。
次々に花開いては、舞い上がる光の粒子は羽もないのに天井までゆらゆらと舞い上がって、幻想的な美しさだ。
「なんて、きれい。」
うっとりと見つめるマリエラに、
「さっさと摘まねえと、枯れちまうぞ」
と、ガーク爺が声をかける。
千夜月花の花は、蕾のままでは効果がなく、開くとたちまち枯れてしまう。この美しい光景を楽しめ無いのは残念だが、千日に一度しか手に入らない貴重な素材だ。3人は花開いた瞬間に花びらを摘んでは、袋に入れていった。
半分程も摘んだだろうか。千夜月花はまだたくさん残っているのに、ガーク爺に急いで出るぞと声を掛けられた。走って蛇の通路に駆け込んだその時。
バラッ、バラバラバラッ
大量の小石が広場に降り注いだ。
「おー、ギリギリだったな。」
ガーク爺が愉快そうに笑う。舞い上がった光の粒が空で受粉し、種に変わって降ってきたのだ。種は迷宮の硬い地面に刺さるよう、尖った形をしているそうで、ぼんやりと採取を続けていたら、苗床にされるところだった。
「あの部屋に入れるのは、千夜月花が咲く夜だけだ。それ以外は蛇の巣窟だからな。」
通路の蛇は、千夜月花の種から逃げていたのかも知れない。流石は迷宮植物。とても綺麗だったけれど、おっかないなとマリエラは思った。
マリエラ達は、採取した千夜月花の半分をガーク爺に渡そうとしたが、「てめぇの分はてめぇで採取するもんだ」と固辞されてしまった。何それかっこいい。
「また店に顔出すから、茶でも出してくれや。」
蛇の魔石も牙も受け取らずに、手を上げて帰って行くガーク爺の背中をみながら、
「うちは、喫茶店じゃないんですけどー!」
と、マリエラは手を振った。