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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
第一章 200年後の帰還
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温かい食事

 買ったばかりの背負い袋と、リゾットのトレイを持って、部屋に入る。

 ドアを開ける音で起こしてしまったのか、ジークがベッドから起き上がろうとしていた。


 一つしかない深い蒼い瞳が忙しなくさまよっている。

 少し混乱しているのかもしれない。


「ジークムント」


 名前を呼ぶと、蒼い瞳がマリエラを捉え……

 湯気をあげるリゾットに釘づけになった。


(おまえもか……)


 腹ペコさんがここにもいた。



「起きれる?」


 トレイを机の上に置くと、ジークは誘われるようにベッドから起き出して、腰布を巻いていない事に気づく。

 二人の視線が一点に集まる。


(バッチリ見ちゃった。)


「と、とりあえずシーツ巻いたら?」


 娼館にポーションを卸していたとはいえ、マリエラ自身は未経験者だ。

 子供の頃に錬金術の師匠に引き取られて以来、魔の森の小屋で修行ばかりしていたし、独立してからしばらくは、食べていくのに必死で遊ぶ余裕などなかった。何とか暮らしが成り立つようになってからも、ポーションを売りに行くとき以外は森で一人で暮らしていた。治療のときならいざ知らず、脚丸出しの腰布ルックは目のやり場に困る。とりあえず布面積の多いシーツを巻いてもらいたい。


 ジークもばつが悪そうにささっとシーツを腰にまく。


「椅子に座ってね。」


 椅子に座るのを躊躇するのは、ずっと床に座らされていたからだろうか。

 椅子に座っても、ゴクリ、と生唾を飲み込みながらリゾットを見つめるだけで、なかなか手をつけようとしない。


「食べていいよ。熱いから気をつけてね。」


 それを聞いてジークは、ようやく匙に手を伸ばす。右手は指先に力がはいらないらしく、柄を握るように左手で持ちなおし、リゾットをすくう。匙に顔を近づけるようにして、一口。

 ジークの蒼い目が見開かれる。一口、もう一口。

 よほど空腹だったのだろう。うまく動かない右腕で皿を抱え込むようにし、左手で握った匙に食いつくように、ガツガツと食べ始めた。


「はい、お水。」


 リゾットは良く煮込まれて具材は柔らかくなっているけれど、すごい勢いで食べている。喉を詰まらせてはいけないと、コップに水を注いで、机に置こうとして気が付いた。


(ジーク、泣いてる。)


 ジークムントは、ぼろぼろと涙を流しながらリゾットを食べていた。


(舌を噛んだとか、口をやけどしたとかじゃ、ないよね。やっぱ。)


 一粒も残さずそれこそ舐めるようにきれいにリゾットを完食し、水を飲みながら、声を殺すようにして涙を流している。


「えっと、これで拭いて、ね?」


 とりあえず買ってきた手ぬぐいを1枚取り出し、左手に握らす。ジークは手渡された新しい手ぬぐいを見ると、


「ヴゥ……」


 さらに泣き出してしまった。


(うわぁ、どうしよう……)


「大丈夫、大丈夫だよ。」


 そっと、ジークが怯えないようにゆっくりと手を近づけて頭をなでる。


「怖かったね、痛かったんだよね。でも、もう大丈夫。腫れも引いてるし、明日には熱も下がってるよ。」


 小さい子供をあやすようにジークの頭を抱き寄せて、よしよしとなでる。

 黒狼に手足を噛まれてからずっと痛かったんだろう。いや、その前からずっと酷い目にあっていたのかもしれない。狭くて暗い馬車に押し込められて、魔の森を抜ける間、ずっとずっと怖かったろう。迷宮都市についてからも、すぐに死ぬような目にあうんじゃないかと不安だったに違いない。

 温かい食事を食べて安心したんだろう、とマリエラは思った。


 マリエラがジークに与えた治療や食事は、マリエラの想像よりはるかに強くジークの心を揺さぶっていた。

 ずっと人間扱いされてこなかったのだ。家畜より酷い扱いを受けていて、それが当然だとさえ思っていた。手足の傷だけでなく、炎症を起こした身体も頭も痛くて痛くて、頭も身体もまともに動かない。こんなに痛くて辛くて、体力はどんどん奪われて、長くはないと自分でもわかっているのに、死ぬのは嫌だと思ってしまう。近づいてくる死が怖くて怖くて仕方がない。

 そんな痛みを、苦しみを、マリエラはあっという間に取り去ったのだ。汚れた傷口をすすぎ、薬と暖かい寝床を与えた。熱に浮かされて夢を見たのかと、ジークは思った。夢ではないと分かったのは、温かい食事を口にしたときだ。


 温かい食事などいつ振りだろう。

 椅子に座って、食事を取るなど。スプーンの使い方さえ忘れていたのに。


 リゾットは温かかった。肉や野菜、穀物、ヤグーの乳。こんなにいろいろなものが入った料理を最後に食べたのはいつだったか。 

 椅子に座って料理を食べる、そんな当たり前で人間らしい時が自分にもあったのだと、ジークはリゾットを食べるうちに思い出していた。


 なぜ、なぜ、なぜ-。

 恨み続け、いつしか考えることもなくなっていた、自らの境遇を思い出す。


 ここまで落ちた人生だ。自分に非がなかったとは思わない。

 けれど、理不尽に奪われ貶められたことも事実だった。


 そして、今、マリエラと名乗ったこの少女は、失ったぬくもりを、尊厳を、無条件で与えてくれた。

 たった大銀貨2枚の、汚れて異臭を放つ惨めな男を当たり前のように手ずから癒し、当たり前のように温かな食事を与えた。

 みっともなく泣き出した自分に、真新しい手ぬぐいを差し出す。


 まるで、人間にするように。


 それがジークにとってどれほど得がたいことか、この少女(マリエラ)には分からないだろう。

 今だって、戸惑ったようにジークを抱き寄せてあやしている。


 全てを失った自分(ジーク)に、全てを与えた少女(マリエラ)を、ジークムントは一生守ろうと誓った。



「まだ、ちょっと熱があるから、今日はもう寝ようね。」


 ようやく泣き止んだジークの顔を別の手ぬぐいで拭いてやり、ベッドに寝かしつける。

 ジークの左手は、渡した手ぬぐいを握ったままだ。

(そういや、孤児院にも決まった手ぬぐいを離さない子がいたなー。ジークもそういう系?)


 机をジークのベッド脇に押しやり、夜中に飲めるように水差しに水を足しておく。


「私はおふろはいるから、ちょっとうるさいかもだけど、ちゃんと寝るんだよー。」


 ジークをベッドに寝かしつけると、マリエラは背負い袋を持って浴室へ向かった。



(200年ぶりの!お風呂だー!!!)


 ジークが寝ているので声は出さないが、マリエラのテンションはマックスだ。


(まだ魔力に余裕がありそうだし、今日は贅沢に!)


《ウォーター》《命の雫-固定化》《加熱》


 生活魔法で風呂桶にためた水にたっぷりと命の雫を加えて沸かす。

 命の雫を汲み上げるにはそれなりに魔力を消費するので、普段はこんな贅沢な使い方はできないが、なんだか今日は魔力があまり減っていない。命の雫風呂は疲労も回復するし、お肌もぷりぷりになるのだ。

 

 外套を脱ぐと、中に着ていた服はぼろぼろになっていた。特に縫い目が酷く、半分以上ほつれている。デイジスの繊維で織った自動修復機能のある外套と違って、中は普通の綿だから仕方がない。移動の途中で脱げなかっただけ運が良かったと思おう。

 服を脱ぎ捨てて湯を浴びる。仮死の魔法で眠っていたから、汗や垢が溜まっているわけではないが、埃がすごい。何度も湯ですすいだ後、石けんでしっかりと洗う。特に髪は念入りに。石けんだけだと洗った後、髪がキシキシになるのだが、今日は命の雫の効果で髪までツヤサラだ。


 隅々まできれいに洗った後は、もう一度お湯を張りなおしてゆっくりつかる。


(は~、生き返る。いや、今日生き返ったばっかりだけど。)


 本当に、長い一日だった。

 色んな人にも出会った。


(そういえば、リンクスが失礼なこと言ってたな。)


 お湯に浮かびようがない、すっきりとした胸元を見る。折角の命の雫風呂だ。乳神様(アンバーさん)にお祈りしよう。マッサージするといいとか、娼館のお姉さんたちが昔言ってたし。ご利益がありますように。むにむに。


 明日は、ジークの髪を切って、薬草を買いに行って、街のお店を見て回ろう。ジークの着替えと靴も買いたい。


 風呂から上がって、買ったばかりのシャツに着替える。

 余裕があればパジャマもほしいな。


 髪を乾かしてブラシで梳る。歯を磨いたら、寝るだけだ。


「ジーク、おやすみ」


 自分のベッドにもぐりこんで挨拶をする。ジークはもう眠っているのか返事はない。

 挨拶をする人がいるのは、いいものだな。

 そんなことを思いながら、マリエラは眠りに就いた。



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