ベイル亭
「本当に資金を用意できるとは限らんが」
奴隷商人の後を追って階段を下りる。
「そのようなことにはならないでしょう。盗賊を倒したと聞きました。ならば昨日今日だけで二十万ナールや三十万ナールの収入があったはずでございます」
奴隷商人はこちらの懐具合をかなり正確に見積もっているようだ。
四十二万ナールというのも、それを見越しての価格だろうか。
たとえそうであったとしても、一品ものであれば相手の言い値に従うしかない。
しかし奴隷商人の知らないことがある。
おととい以前の俺は、この世界のお金など一ナールも持っていなかったのだ。
「それを含めても、足りないのだが」
「きっと大丈夫でございますよ」
その自信がどこからくるのか。
俺は奴隷商人の後ろについて先ほどの部屋に戻った。
この世界で俺が金を稼ぐ方法は、今のところ二つある。
一つは、地味にダンジョンにこもることだ。
ドロップアイテムが一個百ナールで売れるとすれば、一日に百個集めれば金貨一枚。十日で十万ナールになる。
正直、ちょっと厳しいか。
兎の毛皮が二十ナールだったし、平均百ナールは楽観的な数字だろう。
一日に百匹狩れるかどうかも分からない。百匹狩ったらドロップアイテムが百個になるかどうかも分からないが。
今まで狩った魔物は一個ずつアイテムを残したが、全部同じだとは限らないだろう。
強い魔物なら落とすアイテムに希少価値がつくだろうが、その強い魔物を俺が相手にできるかどうかも分からないし。
もう一つの手段は、盗賊を殺して賞金を得ることだ。
盗賊二人の懸賞金が十六万いくらなのだから、同程度稼ぐくらいでいい。
奴隷商人の自信も、ここからきているのだろうか。
心理的な抵抗は、ある。
村で戦ったときには、ゲームだと思っていたし、正当防衛という大義名分もあった。
金のために、必ずしも食うに困っているわけでもないのに、人を殺す、というのはどうなんだろう。
十日の間に都合よく盗賊が見つかるかという問題もある。
この二つ以外だと、地球の知識を使う、鑑定を使う、今あるお金を元手に増やす、といった方策が考えられるが、具体的なやり方は思い浮かばない。
何か思いつくかもしれないが、十日という短期間では難しいだろう。
「迷宮に入れば、金を稼げるか?」
ソファーに座ってすぐ、奴隷商人に問いかける。
不審がられない程度に情報収集をしなければならない。
「あまり多くはありませんが堅実にお金を稼ぐことができますし、一攫千金も狙えます」
「うむ」
まあそうなんだろう。
あまり多くはないと言うのだから、やはり通常のドロップだけで稼ぐのは厳しいか。
「アイテムは探索者ギルドか冒険者ギルドで買い取ってもらえます。特別に必要としている者があれば、もっと高く買い取ってもらうこともできます」
「ギルドか」
「探索者ギルドは、前の道を大通りに出て向こう側、右へ二番目の黄色い看板の建物でございます。冒険者ギルドは、町の中心を挟んで反対、西側にあります。探索者ギルドとは仲が悪いので」
冒険者ギルドと探索者ギルドは仲が悪いと。
探索者というジョブもあるのか。
「分かった」
「他には、賞金首を狙う手もあります」
奴隷商人の考えも、俺と似たものであるらしい。
「そうだろうな」
「あまりお勧めはしませんが、お金にはなるでしょう」
「駄目なのか?」
「そうですね。例えば、賞金稼ぎギルドは帝都にしかございません」
「賞金稼ぎ……」
そんなジョブがあるのか。
俺はジョブ設定と念じる。
ものを盗んだときに盗賊になって、農作業をしたときに農夫のジョブを得た。ならば、懸賞金をもらったときにあるいは。
と思ったが、何もなかった。
「賞金稼ぎになるには戦士として長い経験をつまなければならないそうです」
「そうか」
思うに、ジョブ獲得条件があるのではないだろうか。
戦士Lv10とか。
「それだけの強さがあっても、すべてを守りきることはできません。盗賊にとって賞金稼ぎは絶対に排除したい相手です。帝都以外に賞金稼ぎギルドを建てても、すぐに壊されてしまうでしょう」
盗賊の立場からすれば、賞金稼ぎは憎らしい相手だろう。
そんな相手であれば、当然排除にかかる、と。
あるいは報復ということも考えられる。
すでに盗賊を殺している俺は大丈夫なんだろうか。
「あまり賞金を稼ぐと、狙われるか」
盗賊を倒すのを勧めないのは、人を殺すことが忌み嫌われているからではないようだ。
殺す者は殺される。
この世界の単純なルールだろう。
「そういうことでございます。それに、賞金は、盗賊に親族を殺された者などが懸けたりしなければ、その危険性に比してあまり高いものではありません」
村で倒した盗賊の懸賞金がそのために特別高かったということも考えられるのか。
いや、奴隷商人はその収入を正確に見積もっていたが。
いずれにしても、盗賊を倒すのは最後の手段だろう。
最初は迷宮で稼いだ方がいい。
「分かった。最後に一つ、しばらくこの町に留まりたいが、どこかお勧めの宿はあるか。あまり高いところは困るが、安全で枕を高くして寝られる場所でなければならん」
「町の中心にあるロータリーの南西側にあるベイル亭が、旅亭ギルドの経営している宿屋でございます」
「ふむ。そこへ行ってみよう」
旅亭ギルドというのが分からないが、ギルドが経営しているなら安心なんだろう。
俺は立ち上がる。
方針も決まったし、いつまでもここにいる用はない。
「それでは、十日後までお待ちしております」
奴隷商人に見送られて建物を出た。
日はまだ高い。
この町の道路がきっちり東西南北に沿っているなら、やや西に移動したところ。正午を少し過ぎたあたりか。
まずは大通りに出た。
道を渡って二軒右、探索者ギルドに入ってみる。
探索者Lv17
うん。探索者というジョブがあるようだ。
ギルドは、奥にカウンターがあり、田舎の郵便局みたいな感じになっていた。
道路側の壁になにやら貼ってある。
中にいる人は数人。一人は、カウンターに荷を置いていた。
「これを頼む」
「買取ですね」
カウンター越しに従業員が対応している。
聞き耳を立てながら、何か貼ってあるボードに向かった。
……字が読めん。
なにやら書いてあるが、なんと書いてあるのか分からない。
インテリジェンスカードは漢字だったのだが、ここの文字は違うようだ。
探索者ギルドが特別なのか、インテリジェンスカードが特別なのか。
「兄ちゃん、読めないのかい」
そんな俺に誰かが声をかけてきた。
俺と同じくらいの歳の女の子。
村人Lv2だ。同じくらいじゃなくて同い年だった。
「ああ」
「読んでやってもいいよ。六分十ナールだ」
なるほど。
識字率の低い世界では、こういうバイトもあるのだろう。
代読屋だ。
「頼むか」
リュックサックを下ろし、巾着袋から銅貨十枚を取り出す。
十ナールというのがどのくらいの値段かは分からないが。
三割引は効いてなさそうだ。
文字の読める人間に対する報酬だから、多少高いのかもしれない。
「こちらでございます」
カウンターでは奥の従業員が客に金を渡していた。
言葉だけでは、何をいくらで売ったのか分からない。結構気を使っているようだ。
大金を渡せば狙われるおそれもあるだろうし。
俺は十ナールを女の子に渡した。
顔はそれなりに可愛い。胸は、例のだぼだぼの服のせいか、よく分からない。
いずれにしてもロクサーヌの方が上だな。
「じゃあ、この時計が落ちるまでだよ。いいね」
彼女がベルトに着けられている砂時計を見せ、ひっくり返す。
意外にきっちりしているようだ。
まあ、あの砂時計が五分で落ちるものだったとしても驚かないが。
仮にそうだとして、文句を言っても、地球時間の五分はこの世界の六分にあたる、とは返してくれないだろう。
「分かった」
「何か知りたい情報でもあるのか。それとも、売りたいものがあるのかい」
彼女が聞いてきた。
そんなことを言われても、このボードにどんな情報があるかも分からないのだが。
「そうだな。兎の毛皮があるか」
「兎の毛皮だね」
彼女は腕を伸ばし、張り紙を順に追っていく。
「頼む」
「これだね。兎の毛皮、ソマーラの村のビッカー、ダシエル工房。この二つだね」
彼女が指差した。
ソマーラの村のビッカーは昨日今日と世話になった商人だ。
村長も村の商人に売れと言ってきた。普段でも兎の毛皮の買取を行っているのだろう。
ギルドに張り紙を出して、高く買い取ると宣伝しているわけだ。
どこをどう読めばソマーラの村のビッカーになるのだろう。
「買取価格は書いてないのか」
「値段はギルドの買取価格の二倍だよ」
そうなのか。
ギルドの買取価格は兎の毛皮一個十ナールということになる。
通常ドロップだけで稼ぐのは厳しそうだ。
「兎の肉はあるか」
「食材ならどこかの料理屋で買ってくれると思うけど。大量にあるのかい?」
「ああ」
なるほど。
食材は料理屋へ、か。
「兎の肉の依頼を出しているところはないみたいだね」
ボードを一通り確認して、彼女が振り返る。
一通りといっても四分の三ほどだ。
それらが、アイテムを買い取ることの告知となっているのだろう。
「買取の他にはどんな情報がある」
「こっちは探索者の求人、こっちは迷宮なんかの情報だ。この町の近くで二日前に迷宮が出現した。知ってるだろう」
奴隷商人は見知らぬもの同士がパーティーを組むのは難しいというようなことを言っていたが、募集もされているようだ。
ただし、条件は悪いのかもしれない。
「どんな求人があるんだ」
「どんなのがいいんだい?」
「最初のから読んでくれ」
「ネギルバ侯爵の騎士団、Lv70以上、主に運搬業務、委細面談。これは年寄りがやる運搬の仕事だね」
なんだかよく分からん。
パーティーメンバーの募集というわけではないのか。
「次は」
「クストフ子爵の騎士団、運搬業務、十日で八百ナール。こんなんばっかりだよ」
「ふむ」
一日八十ナールか。
彼女の口ぶりからすると、あまりよい仕事でもなさそうだが。
「ダストニア男爵の戦士団、運搬業務、十日で千二百ナール、ただし食事はつかない」
「なるほどね」
下の方が給金が高いから、上のは賄いつきなんだろう。
食費は十日で四百ナール、一日四十ナールか。
つかない場合にわざわざ明記してあるところを見ると、この世界では食事がつくのが標準なのかもしれない。
騎士団といっているから、詰め所や駐屯地での勤務になるのか。
食事つき住み込みの可能性もある。
上と下の張り紙を比較した。
同じ字が、運搬業務なのだと思うが。
これか。
なんだかよく分からん。
などと考えている間に、六分が経ってしまった。
「時間だよ。どうする。もういいかい」
砂時計の砂が落ち切ったようだ。
「ありがとう。参考になった」
「じゃあまたね」
彼女に手を振られ、ギルドから出る。
六分間文字を教わった方が有意義だったんじゃないかという気もしたが、商売の種なので、教えてくれるかどうかは分からない。
町の中心へ向かう。
南西と言っていたので、騎士団の詰め所の向こう側。
あの建物がそうか。
町のど真ん中にあるし、宿泊料も高いのではないかという気がする。
しかし安全には換えられない。
金貨三十三枚も持っている。変なところに泊まることはできないだろう。
俺は宿屋の中に入った。
高級ではないがこざっぱりとした感じの宿だ。
ロビーなのかレストランなのか、テーブルがいくつも置かれている。座っている人間は誰もいない。
客がいるような時間でもないのか。昼食のない世界では。
「いらっしゃい」
カウンターに向かうと、奥から声がかかった。
旅亭Lv28
旅亭というジョブがあるようだ。
出てきたのは三十代の男性、♂。俺が着ているのと同じようなラフな服装をしている。
どうやら、特別に高級なホテルということもなさそうだ。
値段的にその方がありがたい。
「長期滞在はできるか」
「迷宮に入るのかね」
「そうだ」
迷宮が見つかったから、迷宮目当てで来る客も増えるのだろう。
これからがオンシーズンということになる。
部屋は空いているのか。
「一人部屋がいいかい、雑居部屋かい」
「一人部屋で」
雑居部屋なんかがあるのか。
江戸時代の木賃宿並みだな。
文化レベルを考えればそんなものかもしれないが。
安全のためにも、他の客と相部屋というわけにはいかない。
「部屋のグレードはどうするね」
「普通のにしてくれ。高いのは困る」
「夕食はどうする。別で頼んでもいいが、含んでおくと割引になる」
「いくらだ」
「六十ナール。うちの食堂で夕食を頼むと、八十から百ナールはするぜ。まあ、安いとこを探すんならそれもいいが」
騎士団の食費一日四十ナールから考えると、微妙に高い。
ただ、食事の値段なんてピンからキリまであるだろうし、高い分いいものなのだろうから、許容範囲内か。
日本から来た俺に、この世界で生きていくのにギリギリの食事が耐えられるとも思えない。
安く食べられるところを探すのも大変だ。宿に戻ってくればそこで食事を取れるというのも利便性が高いだろう。
「それじゃあ夕食つきで」
「うちは旅亭ギルドの宿屋だ。インテリジェンスカードのチェックをするけど、いいね」
「かまわない」
変な客が入り込まないようにするためのチェックか。
便利だな。
「そうか」
「ちなみに、泊まれないのは盗賊だけか」
「他に何がある」
「いや。まあそうだが」
奴隷でも貴族でもオッケーらしい。
「ああ。亜人なら山賊、獣人なら海賊になるな。後、残忍な行為を積み重ねた盗賊は兇賊になるという噂だ。兇賊なんてお目にかかったことはないがな。これらも一応駄目だ」
「なるほど」
盗賊にも上級職があるのか。
「一番安い一人部屋は二百六十ナール、夕食は六十ナールで、ええっと、ステイ利用だしお客さんのことだから一泊二百二十四ナールでいい。料金は先払い、ただし、一日分からでかまわない」
二百六十足す六十で三百二十。サンシチニジュウイチのニシチジュウシで二百二十四か。
三割引が効いている。
「分かった」
リュックサックを下ろし、巾着袋を出した。
「食事は入り口横の食堂で取ってくれ。朝食は宿泊代に含まれる。正規には日の出三十分後から。通常はもう少し早くから食べられる。夕食は夕方から、日没三十分後がラストオーダーだ。こっちは時間通り。遅れたら食べられない。遅れないようにな。食堂の明かりは日没後二時間しかつけない」
「了解だ」
銀貨四枚と銅貨四十八枚をカウンターに置く。
せこい気もするが、日数を指定できるなら、短く区切って様子を見た方がいいだろう。
銅貨の数も減らしたいし。
巾着袋を丸ごと失ってしまう危険性もあるから、一日分くらいは余計に払っておく。
旅亭の男が硬貨を数えた。
「二日分だな。受け取った。じゃあ腕を出してくれ」
「うむ」
「滔々流るる霊の意思、脈々息づく知の調べ、インテリジェンスカード、オープン」
男の前に左手を伸ばす。
宿帳に記入させるよりも合理的だ。
「よいか」
「ああ。ミチオ・カガだな」
インテリジェンスカードには漢字で加賀道夫と書いてあるはずだが、苗字が先だと分かるんだろうか。
「そうだ」
「それじゃあ部屋に案内するので、きてくれ」
男がカウンターから出てきた。
俺のリュックサックを、持ってくれたりはしないようだ。
「うむ」
男の後をついていく。
階段を二つ登った。部屋は三階にあるらしい。
「迷宮に入るなら、食材はうちで買い取れる。あまり多くても困るが、メニューに載せるからある程度の量は必要だ」
「そうか」
「体を拭くお湯がほしい場合は、帰ってきたときに申し出てくれ。お湯は二十ナール。夕食後に部屋まで持っていき、回収は朝に行う。カンテラを使う場合は貸し賃が十ナールだ。大体一時間分の油が入っている。油を自分で足してもいいが、火事は出さないようにしてくれよ」
「気をつけよう」
こまごまとした説明を聞いている間に到着したようだ。
男がドアの鍵を開ける。
「ここだ」
「ほう」
部屋は、十畳くらいはありそうな縦長長方形のワンルームだった。
入ってすぐ横にクローゼットと、その隣にベッド、ベッドの奥に机とイスが一つ置いてある。イスの向こう側の壁には木窓がはめられていた。
悪くない部屋だろう。
村長宅のあの部屋は何だったのか。
タダだったとはいえ。
「クローゼットの下の棚は鍵がかかるようになっているし、うちは遮蔽セメントも使っているが、貴重品を置いて出ないようにな。貴重品の管理は自分でしっかりやってくれ。昼に一度、従業員が掃除に入る。洗い物がある場合はそのときにでも係りの者と交渉してくれればいい。外に出るときには、鍵を預けてくれ。ここの部屋番号は三一一だ」
旅亭の男は鍵を見せるとクローゼットに置く。
「分かった」
「それじゃあ、ごゆっくり」
男が出て行った。
ベッドに腰かけてみる。
特別柔らかくもないが、硬くもない。
悪くないベッドだ。
リュックサックを下ろして、荷物を出した。
ジャージは部屋に置いといても大丈夫だろう。村長は貴重だと言っていたが、盗まれて困るものでもない。
安かった皮の靴も同様。
リュックサックには、お金の入った巾着袋二つと、懸賞金が入っていた小袋を一つ入れる。
どっちか迷って、銅の剣もクローゼットに入れた。
剣道をやっていたので両手剣の方が動きやすいだろうが、戦うときにはどうせデュランダルを出すし。
普段腰にぶら下げておくには軽いシミターの方が楽だ。
部屋の鍵も見てみる。
なにやら文字が書いてある。部屋番号だろう。
二つ並んでいるのが、一だろうか。
さて、ここでじっとしていてもしょうがない。
迷宮にでも行ってみるか。
俺は立ち上がってリュックサックを背負った。