83話 戦いの結末
カタンと昇降機のレールをブレーキが噛む音が聞こえた。
「ん、やっぱりもう終わってたか」
昇降機から出てきたのはダナンとアルベールだ。
ん、なぜアルベールが?
「テオドラさん!」
俺の疑問を他所に、アルベールは倒れているテオドラを見ると、血相を変えて駆け寄った。
「大丈夫だ。傷は深いが一命はとりとめてある」
「……良かった」
どうやらアルベールはテオドラと一緒だったらしいな。
アレスの件も含めて一体何があったのか、あとでじっくり聞いてみたい。
ダナンは泣いている勇者を見て驚いた様子だ。
「ダナン、さっきは助かった。ありがとな」
「礼はいらねえよ、それより遅くなって悪かった」
「詫びもいらないな、シサンダンも……アレスも死んだ。決着はついたよ」
「そうか」
俺とダナンはもう動かないアレスを見て、だが勝利の笑顔を浮かべることなかった。
「レッド! ルーティ! こっちにきて!」
その時、リットの悲鳴に近い声がホールに響く。
「私の力じゃティセの傷に届かない! 早く!」
俺の腕の中で泣いていたルーティは、ハッとした様子で、涙を拭うこともせずすぐにティセのところへ走った。
もちろん、俺とダナンも走る。
「ティセ……!」
ティセの顔は青白く、意識は無い。血で赤く染まった服は痛々しい。
「呼吸も脈も止まってるの!」
リットの両目には涙さえ浮かんでいた。自分の魔法じゃ助けられないことを理解してしまっているのだ。
「任せて」
ルーティは右手をかざし意識を集中する。
勇者のスキル“癒しの手”は、瀕死の状態からでも人体を“再生”する。一般的な“治癒”とは違う、スキルレベル1ですら上級法術と同等の規格外スキル。
その上、スキルレベルによってさらに効果が跳ね上がっていく。リットの精霊魔法による治癒が届かない状態でもルーティならティセを治せるはず。
だが、ルーティは手をかざしたまま、何もできなかった。
「なんで……加護に触れられない!!」
「加護に? もしかすると、暴走の反動で一時的に加護が機能停止しているのか!?」
ワイルドエルフから秘薬について話を聞いたときに、加護を操作する薬を多用すると、加護が眠ることがあると言われたのを思い出した。眠るとはおそらく力を一時的に失うという意味だろう。
今回の状況とは違うが、おそらくルーティは一時的に『勇者』の力を失っているのだ。
「なんで、なんでよ……今までずっと私の事振り回してきて、望んでいない戦いに連れ出して、ティセを傷つけたのはあなたでしょ……それがなんで私が力を貸して欲しい時だけ黙っているのよ!!」
ルーティが叫んだ。だがどれだけルーティが『勇者』の力を求めようとも、涙を流して懇願しようとも、加護は応えない。
「ルーティ……」
俺達の目の前で、為す術もなくティセの命が失われていく。
うげうげさんは首を傾げると、ティセを揺り起こすように何度もティセの手を両腕で叩いた。
だが、ティセがうげうげさんを見て、いつものように微笑むことはない。
「お、おい、お前ら英雄だろ? なんとかできないのかよ!」
俺達の様子を見て、ゴドウィンが叫ぶ。だが、ダナンも俺も、今のティセを救える力はない。
「嫌だよ、やっと、やっと友達ができたと思ったのに、それを私が、私がこの手で!!!」
ティセの身体を抱きかかえ、ルーティが泣いている。それなのに俺にはどうすることもできないのか。
俺が、『導き手』ではなく、魔法を使える加護を持っていれば……!
「私が治そう」
後ろから声がした。
アルベールに支えられたテオドラだ。
「テオドラ……」
「私は聖職者だ。傷ついた者に手を差し伸べるのは当然だ」
俺とダナンは横に動き、テオドラのための道を作る。
「し、信用していいのか?」
ゴドウィンが不安そうに言った。ゴドウィンからしたら、いきなり現れて、俺とリットを殺す寸前まで追い詰めた敵だから当たり前だろう。
「ああ、大丈夫だ」
だが俺はそう断言した。テオドラのことはよく知っている。彼女がここでティセに危害を加えることは絶対に無い。
「ギデオン、ダナン。信用してくれてありがとう」
テオドラは弱々しく笑うと、アルベールの手を借りながら、ティセとルーティのそばに座った。
「リジェネート」
テオドラが上級法術を発動すると、ティセの身体が温かい光に包まれる。
痛々しい傷口がみるみるうちにふさがり、青白い顔に血色が戻ってきた。
そして、
「脈が戻った……!」
ティセの腕を取っていたリットが表情を輝かせて叫んだ。
「呼吸も」
ティセの顔のそばに頬を近づけていたルーティが涙でかすれた声で言う。
ティセは助かったのだ!
「これでいい」
法術の発動を終えたテオドラは、震える唇で深い息を吐き出すと、脱力してアルベールの体重を預けた。
「すまんなアルベール。英雄にあるまじき、情けない姿を見せてしまって」
「そんなことよりあなた自身の治療を! 俺にはもうキュアポーションは残ってなくて」
だが、テオドラは自分の傷を治そうともせず、弱った目でルーティを見ていた。
「許してくれとは言わない。今でもああするしかなかったと思っている」
「なぜ」
「……加護の衝動を失っても、あなたは勇者を続けられるか?」
「…………」
「咎めるつもりはない、当たり前のことだ。あなたは私達の中でただ1人、望まぬ戦いを強いられていたのだから。あなたが旅を止めたとして、誰がそれを咎められるだろうか」
「テオドラがそんなことを言うなんて思わなかった」
テオドラは力なくうつむいた。
「ギデオンが抜けたあと、なぜあなたはギデオンを追いかけなかったのか、考えた」
「…………」
「勇者の旅に関係ないから? 正確には違う。ギデオンがいなくなったことで、私達のパーティーはバラバラになっていた。遠からずパーティーは解散していただろう。そのことはあなただって分かっていたのだろう?」
「ええ」
「ならば、旅に支障がでるという理由でギデオンを追いかけることができたはず。しかしできなかった……それはなぜかをしばらく考えていた」
テオドラは自嘲的な笑みを浮かべている。
「もはやアレスもダナンも私も、そしてギデオンも、誰一人として『勇者』には必要なかったのだ。私達がパーティーを解散しようが、『勇者』は何も食べず、何も飲まず、眠らず、疲れず、ただ先へ進み続けられる。我々の旅に合わせることすら『勇者』の加護の慈悲だった。そうだろう?」
「……ええ」
ルーティは小声で、だが確かに頷いた。
そうだったのか。俺は勇者のパーティーの足手まといになっていたと思っていたが……もうすでにルーティからしたら全員が同じように足手まといにしかなっていなかったのか……。
「旅を続けていたら『勇者』は、たった一人で休むことなく進み続ける時がきていただろう。そんな旅を誰が望む。暗黒大陸の冷たい荒野を、伴う仲間も無く進む日々に絶望しない者などいない。だが『勇者』は恐れないし絶望もしない……鈍い私にもようやく気がつけたよ、『勇者』とは、なんと残酷な宿命なのかと」
「だったらなぜ」
「だからこそだよ。あなたは絶対に勇者の旅を続けないだろう。当たり前だ。こんな旅を強いる世界をなぜ守らなくてはならない。そう考えて当然……だがそれでも、世界を救えるのは『勇者』しかいない、そう思ったからだ。1人の少女を犠牲にしてでも、この世界を守るべき、だからこそデミス様は『勇者』の加護をお作りになった。それが、聖職者としての私の結論だ。あなたの意思を殺してでも、私はあなたに『勇者』として生きてもらおうとした」
言葉に反し、テオドラの表情は苦痛に満ちていた。自分の言葉に自分が傷ついていた。
「テオドラ、でも私は」
「私は敗れた。だからもういい。もう私があなたに強要することは何もない。どうか自由に、そして幸せに生きて欲しい」
そう言いながらテオドラは目をつぶった。
「もし、私を許せないなら斬ってくれていい。それだけのことをやった自覚はある。私はあなたを裏切った。あなたの大切な人の、そして私にとっても大切な友人の命を奪おうとした。許されることじゃない」
ルーティの腕の中で、かすかにティセが身じろいだ。生きている証拠だ。
テオドラの口元が微かに微笑んだ。
「最後にあなたの友人を救えて良かった……私は、ずっと足手まといだったが、少しはお役に立てただろうか」
ルーティはじっと黙ったままだ。
「ま、待ってください!」
その時、アルベールが叫ぶ。
「お、俺みたいなのが口を出していいことじゃないのかもしれませんが! レッド達を救ったのは、テオドラさんがダナンさんを助けたからです! お願いです、どうかテオドラさんのことを許して下さい!」
「アルベール……」
プライドの高かったアルベールが、他人のために頭を下げている。正直意外な光景だった。
「俺はずっと英雄になりたかった。自分の選択が世界の運命を決めるような英雄に。あなた達に憧れていたんです。でも、世界の運命を決めるような選択が、こんなに辛いものだとは思わなかった」
アルベールは頭を下げたまま言葉を続ける。
「テオドラさんもどうすればいいか、ずっと苦しんでました。ダナンさんを助けたり、行動も矛盾してて……でも、テオドラさんは、自分のためには行動してません、それだけは確かです。ただ世界と信仰と友情とで悩んで、苦しんで。もしテオドラさんが自分のことを考えたら、テオドラさんが尊敬している勇者様やレッドを傷つけるわけ無いでしょう!? そんな辛い選択を自分のためにするわけないでしょう!? だから許されるとは言いませんが、テオドラさんも苦しんだすえの行動だったんです、それだけは分かってあげてください!」
アルベールは必死な表情でルーティに懇願した。多分、それは誰よりも英雄になりたかった、英雄ではないアルベールだから言える言葉だった。
ルーティは、何も言えずじっとアルベールを見つめていた。
その時、ルーティの腕の中のティセが目を開けた。
「ルーティ様……無事だったのですね」
「ティセ!? 気がついた?」
ティセはまだ本調子ではないようだが、血色はよく、しばらく休めばまた動けるだろう。
ティセが目を開けたのを見て、うげうげさんが嬉しそうにティセの肩へと飛び上がる。
肩の上で踊るうげうげさんを見て、ティセはニコリと笑った。
「はい、ご心配をおかけしました、すみません」
「私があなたを心配することの何がいけないの、お願い謝らないで……無事で良かった、傷つけてごめんなさい」
ルーティはティセの身体を優しく抱きしめ、その無事を喜んでいる。
もちろん、俺も本当に嬉しい。リットも俺の手を取って笑っている。
「……大丈夫」
ルーティは表情を和らげ、アルベールとテオドラに微笑んだ。
「テオドラのおかげでティセは助かった。ありがとう。だから私はもういい」
そう言って、ルーティは俺とリットを見る。
「私にとっても、ティセは大切な友達なの。助けてくれてありがとう」
「俺にとってもだよ。それにティセは俺をかばって怪我をしたんだ。本当に無事でよかった」
俺達の言葉にルーティはこくりと頷いた。
「誰もあなたを恨んでいない。だから私があなたに危害を加えることはない……でも」
ルーティはうつむき、申し訳なさそうに、だがはっきりと意思をこめて続けた。
「私は、少なくとも今は『勇者』に戻るつもりはない」
はっきりとした拒絶。
その言葉を聞いて、テオドラはただ静かに頷いただけだった。
こうして、古代エルフの遺跡での戦いは幕を閉じた。
俺達は今日は全員身体を休め、翌日の朝、ゾルタンへと戻ることにした。