73話 テオドラは迷いながら勇者の元へと向かう
その頃ダナンは、厳つい顔を真赤にして疾走を続けていた。
だが、スキルで強化され常人よりだいぶ速いとはいえ、山まではまだ半分といったところだった。
「畜生、このままじゃ俺が追いつく頃には全部終わっちまう!」
ダナンは叫びながら走り続けた。
その様子に、途中すれ違った行商人などは追い剥ぎでも来たのかと悲鳴をあげたほどだ。
「ぬおおお!!!」
ダナンは気合をいれるが、いくら気合を入れたところで、走る速度に劇的な変化があるわけでもない。
今更ながら走竜を借りてくれば良かったとダナンが後悔を感じ始めた頃、空の上から威圧感を感じた。
「なに!? また精霊竜だと!?」
ダナンは驚いて叫んだ。
上空には再び巨大な精霊竜が翼に風を受けて飛んでいた。
だがその姿は、最初に見た精霊竜とは随分違う。
「ありゃ、テオドラが使う召喚に似てるな」
その精霊竜は、翼のみが赤く、身体の各種を甲冑で覆っている。
テオドラが使う法術による召喚によって召喚された精霊獣に同じような特徴があるのをダナンは憶えていた。
ダナンは魔法について知識がほとんど無いため知らなかったが、これはアレスの使った秘術魔法とテオドラの使った法術魔法の違いによるものだ。テオドラの法術は至高神デミスの三使徒である“殉教の守護者”ヴィクティの領域から力を借りているものだ。
そのためテオドラの召喚はヴィクティの領域に存在できる属性の精霊獣に制限されており、召喚される精霊獣達はヴィクティの影響を受けた状態で物質化する。
なおアレスも法術は使えるが、こちらは同じく三使徒の“希望の守護者”ララエルの領域から力を借りている。同じく属性が制限されるため、アレスは基本的に秘術を使って召喚を行っている。
法術で力を借りられる存在は、三使徒以外では、デミスの反逆者たる伝説のデーモン上帝の三王がいる。邪悪な法術使いはこちらから力を借りるのだ。
精霊竜はダナンの頭上でゆっくり旋回すると、ダナン目掛けてまっすぐ下降してきた。
「お?」
もしかすると襲われるのか? など考え、ダナンはワクワクしながら足を止め、左の拳を握る。
強敵の気配を感じてしまうと、さっきまで急いでいたことなど忘れてしまうのが自分の悪い癖だなとダナンは自覚しているのだが、自分はそういう人間だと割り切ってしまっている。
アレスからは随分嫌味を言われているが、ダナンがパーティーに参加した後、最初に2,3回問題を起こしたあとは、ギデオンがいる間は不思議とそれ以上問題が起こることは無かった。
今思えば、ギデオンはダナンだけではなく全員の性格の問題点を把握した上で最善の配置になるように苦心していたのだとダナンは理解する。
(ギデオンのやつがもうちっと周りに自分の功績を伝えていりゃ変わったかもしれんが……考えても仕方ないか。今は目の前の精霊竜だ)
竜の顔が見えるほどの高さに来た時、精霊竜は大きく翼をはためかせて減速した。
「ダナン! 私だ!」
竜の背から身を乗り出して、甲冑を着た女性が叫ぶ。
「テオドラ!?」
そこにいたのは、遠く離れた地にいるはずのテオドラだった。
☆☆
精霊竜の背に乗るのは、ダナンは生涯で2回目だった。
「便利なもんだなぁ」
以前はアレスが召喚したのに乗って風のガンドールの居城へと向かった時に乗った。
あのときは、雷竜達と協力してガンドールのワイバーン騎兵を相手に突破戦を行ったのだが、アレスは自分の意のままになる精霊竜にしか乗らないと言い張り、アレスを守るためダナンも一緒に精霊竜に乗ったのだ。
だがあのときは精霊竜の利便性を褒める間もなく、危ない目に合う度にアレスの制御に文句を言っていた気がする。
「こんなに便利なら、なぜ普段から使わないんだ?」
ダナンは自分の間に座り、精霊竜の制御をしているテオドラの背中に疑問を投げた。
「目立ちすぎるからだ。精霊竜を召喚できる術者は限られている。魔王軍にでも見られたら警戒されてしまう」
「なるほどな」
ダナンは納得して頷いた。空を飛ぶ精霊竜の姿は地上からよく見える。先程もそれでギデオンは速度をあげて先へ進んだのだ。
「それでこいつは誰だ?」
「アルベールです。はじめましてダナンさん。魔王軍相手のご活躍はゾルタンでも聞き及んでいます。話せば長くなるんですが、今はテオドラさんと一緒に行動している冒険者です」
アルベールはそう言ってペコリと頭を下げた。
ダナンは「ふーん」と頷くと、すぐに興味を無くした様子だった。
「にしても助かったぜ。これなら俺もすぐに山に到着できる」
「私がなぜここにいるかとか、もっと疑問に思うことはないのか?」
「どうせ考えても分からねぇからな。山にゃ勇者様がいて、俺達の力が必要とされている。それだけで俺ァ十分だよ」
「……単純だなお前は。羨ましくなるぞ」
テオドラは苦笑した。
その笑みには僅かに羨望の感情があったのだが、大雑把な性格をしているダナンが気づくはずもない。
「私がお前を拾ったのは、これから我々の選ぶ選択がどのような結果を迎えるにしろ、お前もその場にいて欲しいと思っただけだ」
「?」
「分からないなら分からないでもいい、お前はお前の好きなように動け。私は私の考えで動く」
「おう、よく分からないがそりゃそうだ」
ダナンは大声で笑った。
アレスやテオドラとはまた全く違うタイプの英雄であるダナンに、アルベールは呆気にとられるばかりだった。
☆☆
ルーティが落ち着き、俺達は廊下へと戻った。
「レッド!」
ちょうど廊下の向こうからリットとティセが駆け寄ってくるのが見える。
「早かったな」
「急いだからね」
リットは笑顔でこくりと頷いた。
ルーティは無表情のように見えるが、少し頬が赤くなっている。
嬉しいときの仕草だ。
「ありがとう」
ルーティはそうつぶやいた。
俺達はゴドウィンの部屋へと戻る。悪魔の加護についての情報を得るためだ。
悪魔の加護がどのような原理で加護を抑えているのか、これまで蓄えた俺の薬に関する知識が役に立つかもしれない。
当初、悪魔の心臓を材料とすることで、デーモンの加護を作り出し生来の加護を抑えるというのが、コントラクトデーモンが話した悪魔の加護の原理のはずだ。
「私にもコントラクトデーモンはそう説明した」
ルーティが同意した。しかし、ルーティは首を横に振る。
「でも、私にはデーモンの心臓の効果は呪いとして処理された。だから私には、私の飲んだ薬の材料となったアックスデーモンの加護は発生していない」
「それじゃあ、ルーティはどうやって生来の加護を抑えているんだ?」
ルーティは首を傾げた。
「私に発生した加護は、名前のない加護」
「名前のない加護?」
「うん、加護に接触しても、何のスキルもない、衝動もない、ただそこにあるだけの加護」
なんだそれは?
加護について随分書物などを調べ知識を蓄えたつもりの俺も、初めて聞く加護だ。
というより加護なのか?
「でもレベルはその名前のない加護に移っている。勇者の加護の衝動も抑えられているわ」
「衝動も無いんじゃ、その加護なら生来の加護よりレベルが高くなっても殺戮衝動とかそういうのはないのかしら?」
リットは少しの期待を込めて言った。
確かに、ゾルタンを震撼させた殺戮衝動はアックスデーモンの加護から生まれた衝動だ。新しく生まれた加護に衝動が無いのなら、殺戮衝動も発生しないことになる。
「だが名前のない加護か……完全に未知の加護な上、他の加護とは明らかに性質が異なる。むしろ予想ができない不気味さを感じられるよ」
加護にはすべて役割がある。
強い加護も弱い加護もそれぞれスキルと衝動、そして加護の名前という形で、自分の役割を自覚し達成する能力を与えるという意図を、加護を送られた側である我々にも分かるようになっている。
だが、名前のない加護とは一体何なのか。
「分からないな、本職の錬金術師であるゴドウィンにも意見を聞いてみたい」
話しながら歩いていたらちょうどゴドウィンの部屋についたところだ。
錬金術道具がおいてある部屋の扉をルーティが吹き飛ばしてしまったため、ゴドウィンの様子は外からでも分かった。
ゴドウィンは俺達が入ってくると、ビクリと肩を震わせる。
「お、脅かすなよ」
入ってきたのが俺達だとわかると、ゴドウィンは、ほっと息を吐いた。
「ゴドウィン、早速だが悪魔の加護について詳しく聞きたい」
どこまで核心に迫れるかわからないが、俺達はこの悪魔のもたらした薬と正面から向き合うのだった。