29話 ウェポンマスターのアル
「アル、朝食は何がいい?」
「……なんでもいいです」
「チーズトースト、エッグトースト、白身魚のフライ、ベーコンサラダ、酢漬けのキャベツ……」
アルの顔を見ながら俺は朝食の候補の名前を続ける。
「スクランブルエッグ」
僅かにだがピクリとアルの顔が反応した。
「そうだな、スクランブルエッグにしよう。付け合せはタンタの家からおすそ分けしてもらったトマトで煮た豆がいいな、あとスープはチキンスープだ」
「はい」
表情は硬いが、少しだけ料理に期待している表情が伺える。
俺はニコリと笑うと、アルに居間で待つように言って、台所へ向かった。
少しの間だけ、アルをうちに預かることになった。
アルの両親はサウスマーシュ区住民による抗議の神輿となっているのだ。
そのため今はサウスマーシュ区に住むハーフヒューマン達の顔役であるハーフオークのビッグホークの屋敷で療養している。治療も下町のニューマンではなく、サウスマーシュ区の医者が治療しているようだ。
「俺もあいつらの言っていることや憤りが理解できる。こうして怪我もしたわけだしな。だけど、それに、あんな憎しみばかりの場所に息子を巻き込みたくないんだ」
アルの父親はそう言って、俺に土下座した。クオーターペリル銀貨が47枚入った袋は、彼らがこれまで貯めてきた貯金なのだろう。
俺とリットは彼の頭をあげさせ、アルをしばらく預かることを了承した。
「おはよう!」
遅れてリットも起き出してきた。
元気よく挨拶すると、アルは声こそ出さなかったが、ペコリと頭を下げた。
初日よりはマシになったか。
最初はまともにコミュニケーションも取れない状況だった。
目の前で両親が襲われ、自分は両親を見捨てて逃げ出した。それに、サウスマーシュの人々が、口汚く同じゾルタンに住むゾルタン人達を罵る。
まだ子供であるアルにとっては、心を閉ざすのに十分過ぎるトラウマだろう。
「よーし、できたぞ」
テーブルに並べたスクランブルエッグに窓から差し込む朝日が映り、キラキラと輝いているようだ。卵の良さは、まず目に訴えることにある。そう言っても過言ではないはずだ。
「それじゃ、いただきます」
俺の隣にリットが、正面にアルが座り、俺達は一緒に食べ始めた。
☆☆
「リットさん、お願いします」
庭に刃を潰した練習用のショーテルを構えたリットとアルが対峙している。
「いいよ、どこからでもどうぞ」
リットは普段の双剣では無く右手一本。左手を腰に添え、右手を頭上に掲げた上段の構えだ。
「格上相手の上段に対しては?」
「中段、左回り」
アルは右手に持ったショーテルを中段に構え、ゆっくりとアルから見て左、つまりリットから見て右へ動く。こうすることで掲げた相手自身の右手が視界を制限するのだ。
何か勝機を見つけたのか、それともリットの剣圧に自棄になったのか、アルは飛び出し、リットの右手をめがけて斬りつける。
が、それよりも速くリットの剣がアルの肩に吸い込まれていた。
「ッ!?」
アルが振り抜いたところに、すでにリットの拳はない。ピタリと肩の皮一枚手前で止められたリットの剣は、その気になれば簡単にアルの肩を砕いたであろう。
「もう一度お願いします!」
アルは叫び、リットは微笑みながら頷いた。
2人が剣を交える様子を、俺は新しい薬草の苗や種を、庭に植えながら見ていた。
ふさぎ込んでいたアルが、リットに剣を教えてほしいと言ってきた時は驚いた。
最初、「人に教えるような綺麗な剣術じゃないから」と断っていたリットだったが、アルの真剣な様子を見て、「基礎だけなら」と教えるようになった。
アルがウェポンマスターとして選んだ武器は、ショーテル。
リットが遣う物と同じ、内側に湾曲する特殊な形状をした両刃の片手剣だ。
これは相手の防御を超えて斬りつけることができ、また反対に握ることで通常の曲刀のようにも使える。
どちらかというと人間と同じように武装した相手に向く武器だ。
その形状から、扱い方にはちょっとコツがいるため、俺も扱いこなせる自信はない。
リットのような闘技場でも活躍した背景のある剣士が好んで使用する刀剣だ。
ウェポンマスターは、どんな武器でも選びさえすれば極めることができる。その意味では、スピアや棍棒のような扱いの簡単な武器よりも、ショーテルのような武器の方がいいのかもしれない。
今も心に傷は残っているのだが、アルは剣を振るっている間だけは、時折笑顔を浮かべる。
ウェポンマスターの加護の影響だろうか。
「心の傷が消えたりはしないだろうが、元の自分を取り戻す日は近そうだな」
結局、アルは一度もリットに打ち込むことはできなかったが、何度剣を弾かれても、自分のショーテルを取り落とすことはなかった。
☆☆
アルが眠った後。
俺とリットは2人で、ブランデーを少し垂らしたコーヒーを飲んでいた。
「ありがとう、リットのお陰でアルも大分明るくなってきた」
「私のというより、加護の力ね。武器が自分の思い通りに動くようになっていくのが楽しくて仕方ないみたい」
リットは、自分のショーテルにそこまで思い入れがあるわけではない。もちろん愛用している武器として多少の思い入れはあるだろうが、ショーテルを見て笑ったりはしない。
「今のところは良い方向に加護が働いていると思う。心が不安定だから注意が必要だけど」
「ああ、俺も気をつけて見てるよ」
「はぁー、それにしても私、人に教えるなんてやったことないからなぁ……変な癖がつかなければいいけど」
リットはため息を吐いて苦笑した。
「上手くやっていると思うよ。それに、最後はスキルだから」
「そうなんだけどね、でも剣の振り方が分かるだけじゃダメなんだって、ガイウスが言ってた。剣には哲学があるんだって。そして哲学を加護は与えてくれないとも。私は結局、ガイウスに一度も勝てなかったな」
アスラデーモン『シサンダン』に殺されたリットの師匠であり、ロガーヴィア公国近衛兵隊隊長のガイウス。
俺達がロガーヴィア公国宮殿に出入りできるようになり、しっかりと話すようになったときには、すでにアスラデーモンに成り変わられていた。
ガイウスは好き勝手に生きていたあの頃のリットが、唯一尊敬する人間だ。
「ガイウスが私に教えてくれたことを、私はアルに伝えられるかな」
不安げに話すリットの頬に、俺は手を添えて話す。
「できるさ」
「本当?」
「だってリットだもの」
「なにそれ」
俺の根拠のない励まして、リットはクスリと笑う。
だが本心だ。リットをよく知る俺には分かるんだ。
リットの剣に、言葉に、ガイウスという彼女を導いた良き師の存在を。
だから、きっとアルにもガイウスから伝えられたことを、もっと良い形にして伝えられる。
「ありがと」
リットは目を閉じ、頬に添えられた俺の右手に自分の両手を添えながら、そう言った。