敗北
屋敷の周囲をラウルト家の兵士が囲んでいた。
マリエは周囲の光景を窓からこっそりと覗くと、その数にゴクリと唾を飲む。
「数百人はいるんですけど!」
屋敷の周囲には塀――壁があるにしても、兵士が周囲を囲んでいては安心できない。
乗り越えてやって来そうな勢いだ。
エリクが兵士たちを見ながら、
「ラウルト家の精鋭か? 動かしているのはアルベルク殿じゃないな――まさか、セルジュか?」
セルジュと聞いて、マリエは思い出すのだった。
(最後の攻略対象の男子――同じ転生者って聞いたけど、兄貴が出し抜かれるってどういうことよ! ルクシオンもクレアーレも何をしていたのよ)
そこで気が付く。
「待って。そのセルジュってどこ?」
「ここにはいないみたいです、姉御」
「それって、あに――リオンの所に行ったんじゃないの?」
「この様子ならあり得ますね。ノエルが巫女だと知れば、六大貴族たちは喉から手が出るほどに欲しがるはずですから」
それを聞いたアンジェが、苗木のケースを手に取った。
「こいつを差し出したら、すぐにリオンのもとに向かうぞ。クレアーレ、準備をしろ」
「アンジェ、私も行きます!」
リビアが名乗り出ると、メイド長が苗木のケースをアンジェから受け取ろうとする。
「アンジェリカ様、私が外に出ます。アンジェリカ様が外に出てはなりません」
「私にお前の後ろに隠れろと? 冗談を言うな」
メイド長の意見を無視して外に出ようとするアンジェは、苗木を見て少し考えていた。
「――このケースがなければ、苗木は枯れるのだったか?」
どうせくれてやるなら、意趣返しでケースをすり替えるか苗木だけを渡そうと考えているようだ。
かなり怒っているのがマリエにも分かった。
そんなアンジェを止めるのは、クレアーレだった。
『可哀想じゃない。そのまま渡してあげた方がいいわ』
「お前の口から可哀想と聞けるとは思わなかった。だが、今は急ぐとするか」
リビアとメイド長が後に続く。
エリクがマリエを見ていた。
「姉御、俺たちはどうしましょう?」
「どうしましょうって――とにかく、兵士がいなくなってからリオンを探しに行くわ。カイルとカーラは留守番をさせましょう」
◇
屋敷の外に出たアンジェは、階級の高い兵士に苗木の入ったケースを渡していた。
「これが望みの苗木だ。さっさと帰ってもらおうか」
兵士は苗木を両手で恭しく受け取るも、口調は粗暴だった。
「王国の女は品がないな。奴隷を従え、男を顎でこき使うと聞いた。お前を見ているとよく理解できる」
兵士ですら、アンジェに対してこの態度だ。
それは、彼らの不安が取り除かれたこともあり、安堵から普段よりもたがが緩んでいたからである。
「一度リオンに負けておいて、そのような口をよくきけるものだな」
「敗北? ――あぁ、知らないのか。ラウルト家の跡取りであるセルジュ様が、お前ら王国の英雄殿を倒したのだ。今頃は死んでいるかもしれないな」
その言葉を聞いて、アンジェが動揺で瞳を揺らした。
兵士は余裕があるために、それに気が付き笑みを浮かべる。
「共和国と王国では格が違う。共和国の英雄であるセルジュ様に比べれば、お前ら王国の英雄は格下だ。相手にもならないというのをこれで理解できただろう?」
共和国はやはり強いのだ。
兵士たちはセルジュの登場で、自尊心を取り戻していた。
「お前ら、それがどういう意味か分かっているのか? 事実なら――」
「アンジェ!」
アンジェが怒りで手を握りしめると、リビアがその手を両手で握る。
「今はリオンさんのことが先です。急がないと」
「そう、だな。クレアーレ、案内できるか?」
『ノイズが酷いけど大丈夫よ』
兵士たちは苗木を大事に運び、そして屋敷から去って行く。
「お前たち、すぐに苗木をアルベルク様に献上するぞ。ついでに、王国の騎士はやはり相手にならなかったと報告しなければいけないな」
笑いながら去って行くラウルト家の兵士たち。
アンジェが奥歯を噛む。
(――アルベルク。六大貴族の代表だったな。この借りは必ず返す。必ずだ)
◇
リビア、アンジェ、メイド長の三人が、クレアーレの案内でリオンのもとまでやって来た時には――アロガンツは酷い状態だった。
「――酷い」
ゴミ箱をひっくり返し、ゴミをかけられている。
落書きもされ、そこには王国を馬鹿にする言葉も書かれていた。
周囲では、遠巻きに様子を見ている共和国の人々がいる。
メイド長が口元を押さえる。
「アロガンツがここまで損傷するなんて――やはり、レプリカだからでしょうか?」
本物のアロガンツは、表向き公国との戦争で失われたことになっている。
クレアーレが同意するのだった。
『そうね。レプリカだから仕方がないわね。さて、ひねくれ者は元気かしら?』
アロガンツに近付いたクレアーレは、コックピットハッチを開けた。
中から出てくるのはルクシオンだ。
『遅い』
『怒らないでよ。それよりも、自分で回収しても良かったんじゃない?』
『イデアルに邪魔をされていました。それに、マスターが私の本体をこの場に呼ぶことを拒みましたからね』
『あら、マスターらしいわね』
リビアとアンジェがすぐに近付き、リオンの無事を確認する。
「リオンさん! ――よかった。まだ生きています」
治療魔法でリオンを癒すリビアは、安堵するとアンジェに説明した。
「気を失っているだけです」
「血が出ている! それもこんなに大量に!」
メイド長が狼狽しているアンジェを宥めていた。
「アンジェリカ様、頭部からは大量に血が出ます。リビア様の方が専門ですから、ここは判断を信じましょう」
ルクシオンがリビアに近付いてきた。
『おっしゃる通り気を失っているだけです。既に止血はしてあります』
「よかった。本当によかった」
リビアが安堵して涙を流すと、アンジェがルクシオンを問い詰めるのだった。
「お前がいながら何というざまだ。ルクシオン、一体何があった?」
『――ノエルが連れて行かれました』
「だろうな。あいつらにとってノエルは是が非でも欲しい存在だ。それよりも――」
『イデアル――私と同じ存在が、セルジュというラウルト家の跡取りに従っています。いえ、従っているとは言えませんね』
「お前と同じ? まさか、パルトナーのような飛行船を持っているのか? アロガンツと同等の鎧も?」
話をしていると、空からロボットたちが降りてくる。
リオンをコックピットから引きずり出すと、アロガンツを回収するのだった。
『話は屋敷に戻ってからにしましょう。いえ、すぐに飛行船へ戻った方が良いかもしれません。これで終わるとは思えません』
アンジェは、気を失っているリオンの方を気にかけている。
「――分かった。大使館の方にも連絡しておこう」
クレアーレが周囲を見ていた。
リビアが声をかける。
「アーレちゃん、どうしたの?」
『鎧で戦ったのに、まだ周囲に人がいるのよ。普通、避難させない? 気の利かない人工知能よね』
「え、えっと?」
『マスターは、周囲の人たちを心配してルクシオンのひねくれ者を呼ばなかったのよ。なのに、自国の領民を守ろうとしない統治者ってどうなのかしらね? それとも、その程度の扱いなのかしら?』
リビアはそう言われて周囲を見た。
「リオンさん、ちゃんと考えていたんですね」
『だから負けたのだけどね。マスターったらお人好しすぎるわ』
リビアは気を失っているリオンを見て、俯いてしまうのだった。
「もう、戦って欲しくありません」
『その意見には同意するわ。さて、これから忙しくなるわよ』
◇
目を覚ますとベッドの上にいた。
少し前に使用していたアインホルンの自室だと気が付いた俺は、ルクシオンを呼ぶ。
「ルクシオン、状況は――おっと」
上半身を起こすと、ベッドの側で寝ているアンジェとリビアがいた。
近付いてくるのはクレアーレだ。
『あいつなら忙しいから、私が代わりに側にいてあげたわよ。どう、嬉しい?』
「お前はともかく、この二人に関しては嬉しいな」
『酷いマスターね。――朝方まで起きていたのだけど、色々とあったから疲れているみたいね。寝かせてあげましょう』
「だな。それで、状況は?」
『もう最悪よ』
クレアーレからの報告を聞いて、俺は頭が痛くなりそうだった。
というか、痛い。
手で触れると包帯が巻かれている。
『六大貴族は大慌てね。遠くから様子を見ている限り、ラウルト家の独断みたいよ』
「どいつもこいつも俺の邪魔ばかりしやがる。それより、なんでもっと詳しく調べない? いつもならもっと――」
『イデアルの奴、軍の情報艦から部品を横取りしたみたいなのよ。おかげで警戒されて思うように調べられないの』
ルクシオンも似たようなことを言っていたな。
「お前らでも無理なら相当だな。詳しい話を聞かせろ」
『――そこは、もう一人に聞いてみましょうか』
クレアーレの瞳がドアを向く。
ドアの向こうで気配がした。
「マリエか?」
「――そうよ」
どうやら一人らしい。
部屋に入ったマリエに、クレアーレが問うのだった。
『さて、マリエちゃん――聞かせて欲しいの。ゲームでは、イデアルの性能はどの程度のものだったのかしら?』
マリエは詳しく知らなかった。
「課金しないと手に入らないから、詳しくは知らないわ。その時はゲームを買ったらお金がなくなったし。ただ、大きな箱型の青い飛行船みたい」
俺が見た飛行船――宇宙船と同じだな。
「性能は?」
「分からないわよ。そもそも、ステータスとか一作目と違うから比べられないわ」
面倒だな。
「でも――」
マリエが何かを思い出したようだ。
「詳しい設定は知らないけど、攻略サイトの書き込みには凄く便利だ、って書かれていたような気がするわ」
「便利?」
「本来の設定は補給艦だったみたいよ。というか、補給艦って何をするのか私は知らないのよね。補給するだけじゃないの?」
設定にもあまり興味がなく調べていなかったようだ。
「――クレアーレ、セルジュの目的は何だ? ノエルと苗木を手に入れて、ラスボスへの備えにしたいのか? それとも、聖樹をさっさと伐採するつもりか?」
『私に聞かれても困るわね。ただ、ルクシオンが言っていたんだけど――イデアルって元は軍属なのよ』
それは聞いた。
だが、その先は――。
『直接新人類と戦っていたイデアルが、あんなに穏健なはずがないって言っていたわ。私たちですら拒否反応があるのに、あいつが落ち着いているなんてあり得ないわ』
新人類と戦ってきたイデアルが、あんなに落ち着いているのはおかしいのか?
「どうして言わなかった?」
『不確定情報だからね。それに、あいつ自身は戦闘経験がないと思っていたのよ。けど、あいつ実戦を経験していたらしいわ』
ルクシオンが船体の様子から、戦闘の修理跡を発見したらしい。
「実際に新人類と戦っていたのか」
『可能性は高いわよ。何を考えているのかしらね。大体予想は出来るけど』
マリエが青い顔をしている。
「ま、待ってよ。なら、チート戦艦と戦うの?」
『一応は補給艦よ。武器とか積み込んでいると厄介だけどね』
「そんなことはどうでもいいのよ! 兄貴、本当にあいつに勝てるの? 無理なら今すぐにでも逃げないとまずいわよ!」
圧倒的優位な立場ではいられなくなってしまった。
だが、気になることがある。
「あいつら、俺を外道と呼んだ」
「兄貴の二つ名じゃない」
「大事なのはそこじゃない。俺は実際に外道だ。だけどな――あそこまで言われる筋合いはないぞ。俺が戦ったのは王国の防衛戦だ。それ以外は不殺を貫いていた」
セルジュとの会話の内容を話すと、マリエが首をかしげていた。
「確かに変よね。兄貴、一応は救国の英雄だもの」
「一応? 誰かさんたちのおかげで、立派な救国の英雄だよ!」
話が逸れたので戻す。
「俺は確かに人を殺した。外道だ。そこに言い訳は出来ない。だけど、あまりにも酷いというか、俺がまるで嬉々として人を殺したみたいに言われたぞ」
『まぁ、酷い』
「兄貴は、他人を煽りはしても嬉々として人は殺さないから酷いわね。レリアたちも信じていたのよね? あいつ絶対に許さないわ」
あいつがセルジュ側に付いたおかげで、こっちは――あれ? 別に困らないぞ。
原作知識が手に入らないのは痛いが、いたところでどれだけ役に立ったか分からない。
「――あいつら、何をするつもりだ? 聖樹を切り倒すから苗木が欲しいっていうなら、俺たちに相談すれば良いじゃないか。まるで最初から話の分からない奴、みたいな感じで対応してきたぞ」
『マスターたちは行き当たりばったりだからね。信用ないわね』
「あいつら、いったい何をするつもりだ?」
右手の甲にある苗木の加護を受けた証――紋章を見て、俺はセルジュたちが何を考えているのか理解に苦しむのだった。
「――ん?」
「どうしたの、兄貴?」
「いや、気のせいだ」
一瞬、リビアが動いたような気がしたが――気のせいだろう。