偽りの聖女
地下牢の中。
看守に席を外して貰った俺は、これまでにやってきた客人たちを思い出す。
わざわざ紅茶を用意して貰い時間を作った。
どいつもこいつもろくでもない連中だ。金を出すからパルトナーの動かし方を教えろとか、仲間に入れてやるとか……まぁ、とにかく酷い。
言うことを聞かないと殺すと脅してくる奴も多かった。
ルクシオンも呆れている。
『パルトナーやアロガンツを渡せば、命だけは助けてやるという貴族たちの胡散臭さはどうにかならないものでしょうか?』
「ならないだろうな。渡したらすぐに殺しに来る癖に、よくあれだけ嘘が言えるよ」
パルトナーとアロガンツを接収したのはいいが、動かないので困っているらしい。
俺に動かし方を聞いてくるとか頭がおかしい。
『解体も試みて、途中で諦めたようです。パルトナーが随分と酷い扱いをされているので不憫です。マスター、我々で王国を倒しませんか?』
「却下」
アロガンツは手出しできないコンテナの中。
パルトナーは、船内が随分と荒らされているらしい。
『……マスターが王国を見限らない理由は、アンジェリカやミレーヌが理由ですか? クラリスもマスターの中で優先順位が高いとは思いますが、その辺りが支配階級にいるため王国を守りたいと? 内部からの改革を推奨しますよ』
好きな女がいるために王国を守りたいと思われているのか?
流石にそれはないし、内部から改革をするつもりもない。
「お前、本当に俺が王国を守りたいと思っているの?」
『違うのですか?』
正直な話をするなら、王国など滅んでしまっても構わない。
どうして存続して欲しいかと言えば、国がなければ民が困るから? 統治者がいないと困ったことになるのも事実だ。
「俺は国家を運営する気はない。そんな俺が国を滅ぼしたら、困るのはそこで生きている民だからね。やる気もない奴がそんなことをしたら駄目だと思うよ」
『それでよろしいのですか? ミレーヌ、公爵派閥が失敗した場合、マスターは処刑されることになりますよ。もちろん、そんなことはさせませんが』
「国が俺を捨てるなら逃げるだけさ」
幸い、ヘルトルーデさんも魔笛も王国が握っている。
それらを奪われない限り、王国は負けないだろう。
かなりの被害は出ると思うが……。
『民のために立ち上がってみては?』
「望んでいないだろ」
この世界の戦争は、領民を集めて槍を持たせるものではない。そのため、領民を兵士にしようと思えば、教育が必要だ。
飛行船があるために、領民を徴兵するのは難しい。
圧政を敷いている領主もいるが、ホルファート王国は割とその辺りは民に優しい。乙女ゲーの世界らしい設定ではないか。
戦うのは騎士や軍人の仕事となっている。
婚活で困っているのも、支配階級の一部の層。
不満はどこにでもあるだろうが、一番不満を抱えているのは俺がいる男爵と子爵という微妙な立場の貴族たち……何て嫌な世界だろうね。
簡単に言えば、反乱を起こしてもついてくる民がいないのよ。悲しいね。
「それに俺はこれでも騎士だからな。仕事はしないとね」
『マスターの言う騎士の仕事とは、女性に優しく国家に都合のいい存在ですか?』
「馬鹿。……民を守るのが騎士だろう」
『それは建前では?』
「建前とか綺麗事とか大好きだよ。学園の女子の言いなりになって、この国のために身を粉にして働くよりよっぽどマシだ。あと、そう言うとリビアが喜ぶの」
アンジェはちょっと困った顔をするけどね。
『なんて軽い意志でしょう。ちょっと感動したのに台無しです』
「お前は俺に何を期待しているの?」
『新人類の殲滅がマスターと出来たらいいな、とは思っています』
……こいつ怖い。
すると、ルクシオンの一つ目が地下牢の入り口へと向けられた。看守が戻ってきたのかと思えば、足音は複数。
『……マスター、どうやら逃げた方が良さそうですよ。王国は、マスターの期待には応えられないそうです』
ミレーヌ様たちでも駄目だったか。
ルクシオンは姿を消して、俺は手錠をいつでも外せる状態にする。ドアが開くと、やってきたのは地下牢に何度も足を運んだ貴族だった。
爵位は子爵。
階位も高く、取り巻きのように騎士たちを連れている。
その手には地下牢には似合わない酒瓶が握られていた。
「バルトファルト子爵、差し入れを持って来た」
武装した騎士たち。
子爵が持っている酒は――毒入りなのだろう。
「お酒はまだ飲まないようにしているんだ。持って帰るか、みんなで飲みなよ」
子爵は馬鹿にしたように俺を笑っていた。
「いつまで意地汚く生きているつもりだ? 貴族なら潔く死ぬべきだと思うけどね」
潔く、ね。俺、第二の人生は老衰で死にたいと思っているから、それは嫌かな。
それにしても、こんな結果になってしまって非常に残念だ。
王国から逃げるかと思ったところで、何やら慌ただしい足音が聞こえてきた。
ルクシオンが姿を見せると、子爵たちが驚いて拳銃やライフルを構えた。
「報告にあった使い魔か! 捕らえろ!」
『マスターが仮に死んだとしても、貴方たちには従わないのですけどね。それよりも、後ろに注意されては?』
入り口から飛び出してきたのは、クリスだった。
棒を持って子爵の後ろにいた騎士たちを叩き伏せていく。
「バルトファルト、無事か!」
どうしてクリスがここに? そう思っていると、次にジルクが部屋に入ってくると子爵が持っていた拳銃を銃で撃ち落とした。
「バルトファルト子爵をやらせませんよ」
子爵が手を押さえ、毒入りの酒をこぼすとジルクたちを睨み付ける。
「お、お前ら、自分たちが一体何をしているのか分かって――」
そんな子爵の頭の上に、ルクシオンが自らの体を落として気絶させた。
『黙っていなさい』
ジルクが鍵を開けると、俺に話しかけてくる。
「さぁ、急いでください」
……どうしてこいつらが俺を助けに来るんだ? ルクシオンを見れば、一つ目を縦に頷くように動かしていた。
逃げてもいいのだろうか?
「どうしてお前たちがここに?」
「マリエさんに頼まれましてね。色々と手を尽くしたのですが、強硬手段に出ることにしました。さぁ、早くこちらへ」
ジルクに背中を押されるように外に出た俺は、地下牢の階段を駆け上がった。
そこで待っていたのはブラッドとグレッグだ。
二人は、拘束された看守を見下ろしていた。
「お前らも来たのか? その人はどうした?」
「僕たちが来たときには拘束されていたよ」
「それより急ぐぞ。ユリウスが待っているからな」
看守が生きていることを確認した俺は、四人と共に王宮内を移動した。見回りから隠れて身を潜めていたときだ。
地面が揺れたのを感じた。
◇
四人に案内され到着したのは中庭だった。
中庭の木の陰から姿を見せたのはユリウス殿下で――。
「待っていたぞ」
「おい、どうして中庭なんかに案内した? 逃げるんじゃないのか?」
ユリウス殿下はちょっと自慢するように、
「ここには王族しか知らない秘密の抜け穴があるからな」
「そんな秘密を俺に教えるなよ! 馬鹿なの? お前ってやっぱり馬鹿なの?」
「助けてやったのに何て言い草だ。――おっと、何だか揺れが多いな」
小声で言い合いをしていると、またも地面が揺れた。
建物に囲まれた中庭で、俺たち六人が集まって話をしているとルクシオンが――。
『マスター、囲まれてしまいました』
「何?」
中庭が光に照らされ一気に明るくなり、眩しさに手で目を隠すと武装した騎士たちが駆け足で近付いてくる音が聞こえた。
ルクシオンに命令をしようとしたら――。
「お待ちください、ユリウス殿下! 我々は敵ではありません!」
叫ぶ騎士から、ユリウス殿下が俺を庇うように前に出る。
「ならばここを通して貰おうか」
声をかけてきた騎士が、それは出来ないと告げてくる。
「我々はバルトファルト子爵を救出するために来たのです」
「俺を?」
信じていいものか悩みどころだな。
嘘を吐いている可能性もある。
ルクシオンが俺に『アロガンツをここまで運ぶのに数分必要です』と告げてきたので、交渉して時間稼ぎをしようとした。
そんな俺の前に現れるのは――。
「……父上」
ユリウス殿下が持っていた剣を下ろした。
「ユリウス、悪いようにはしない。武器を下ろしてこちらに来なさい」
ユリウス殿下の父親――【ローランド・ラファ・ホルファート】国王陛下だった。
少し癖のあるグレーの長い髪と髭。
身長は高く、初老というのに鍛えられた細身の肉体。
王としての威厳を持った人だ。
陛下だと気が付き、俺たちは膝をつく。
「バルトファルト子爵、苦労をかけた。だが、おかげでこちらも片がついた」
勝ったという意味か?
ルクシオンを見れば視線をそらしやがった。こいつ、もしかして最初から俺を逃がそうとしていたのか? 油断も隙もない奴である。
「父上、バルトファルトは殺されそうに!」
ユリウス殿下がそう言うと、陛下は頷くのだった。
「知っている。それから、ゆっくりと話している時間はない」
大地が揺れると、陛下は下を向いて何やら思い悩んでいる様子だった。
◇
シャワーを浴びて着替えた俺は、会議室のような場所に案内された。
そこに座っているのは国の重鎮たち。
そして、陛下と王妃様――ミレーヌ様までいる。
ヴィンスさんの姿もあった。なるほど、俺を擁護していた人たちの集まりか。
「元気そうだな、子爵」
「な、何とか」
嫌味の一つでも言ってやりたいが、助けて貰ったこともあるので強気に出られない。
周囲を見ると、ユリウス殿下たちの姿はなかった。
視線で誰を探しているのか分かったのか、陛下が俺に説明してくれる。
「ユリウスたちは別室で待機している。いや、拘束したと言った方がいいかな」
それを聞いて警戒すると、ミレーヌ様が俺を安心させた。
「勘違いしないでね。あの子たちを守るために匿っているのよ。リオン君と同じです」
「俺を呼び出した理由を伺っても?」
当然だと言うヴィンスさんだが、説明してくれたのはバーナード大臣。クラリス先輩のパパさんだった。
「公国の艦隊が、王国本土に上陸した。周辺の偵察艦や防衛部隊の艦艇十隻以上が撃沈。鎧は百機近くが撃墜された」
王国は国力で勝るも、各地に戦力を分散配置するとまとまった数にならない。
おまけに公国側はこれまで平和だったこともあり、配置していた戦力が削られていた。
「敵の艦艇はおおよそ百五十隻。鎧の数は不明。率いるモンスターの数は、数え切れないと報告が上がっている。空を覆い尽くす数だったそうだ」
すぐに思いついたのは、ヘルトルーデさんと魔笛だったが、ヴィンスさんが否定してくれた。
「殿下と魔笛は今も王国にある。公国には、もう一つ魔笛があったのだろうな。それを扱うのは、第二王女殿下と予想している」
神妙な感じで聞いている俺だが、第二王女殿下がいるなど初耳だった。
第二王女がいるなんて俺は知らない。
それに、もう一つ魔笛がある?
……聞いていない。
陛下が「それにな」と言って、
「公国以外の国も動いている。国境を任せている領主貴族たちからも救援要請が来た。四方八方から攻め込まれているよ」
バーナード大臣が説明を引き継ぐ。
「地方に配置している軍は、そちらに向かった。今更呼び戻せない。それに、今の王国には出撃できる艦隊がない」
「王都の防衛部隊はどうしたんです? それに、近くには王国の正規軍も――」
俺の疑問に答えてくれたのはミレーヌ様だった。
「数日前のことです。神殿側から協力を要請され、会議の結果――協力するため戦力を提供しました。その数は二百隻です」
ミレーヌ様が落ち込みながら話をしてくれた。
マリエがいることで強気になった神殿側と、侯爵を中心とした派閥が手を組んだ。
その結果。
「――公国に敗北しました。戻ってこられたのは十隻程度です」
◇
数日前。
ユリウスたちを見送ったマリエの所に、神殿の神官が訪ねてきた。
「マリエ様、聖女としてのお力を示す時が来ました」
「しょう~がないわね~」
そんな感じにノリノリで飛行船に乗ったわけだが――。
「……え?」
飛行船の甲板の上。
聖女の衣装に身を包んだマリエは、首飾り、腕輪、杖という聖女を示す道具を持っていた。
風が冷たく寒い。
髪が風で乱れるなど、色々と文句を言いたい気持ちよりも先に、
「……こ、こんなの聞いていないわよ!」
神殿が保有する戦力は三十隻程度。
王国から戦力を借り、更に二百隻を追加した艦隊だ。
数だけなら公国とも戦えるが、敵にはモンスターという捨て駒に出来る戦力が存在していた。
その数の迫力は、想像以上で――マリエは恐怖していた。
モンスターたちが押し寄せてくると、マリエは杖を掲げる。
「来るなぁぁぁ!」
聖女が持った杖は光り輝き、艦隊を覆う大きなシールドを展開した。
白い模様が浮かんだその大きな光は、艦隊を包み込みモンスターたちが触れると消し飛んでいく。
周囲の神官、そして神殿騎士たちがマリエを褒め称えた。
「聖女様のお力だ!」
「勝てる。我々は勝てるぞ!」
「飛行船を前に進めろ! このまま公国の艦隊を押し返してやれ!」
マリエがモンスターたちを無力化したことで、士気は嫌でも高くなる。マリエも、引きつった笑みを浮かべ、どうにかなったことに安堵した。
(な、何だ、結構やれるわね。少し心配だったけど)
マリエの周りにユリウスたちはいない。
神殿側が同行を求めたが、運悪くリオン救出に動いていた。
そして、カイルの姿もこの場にはない。
神殿側が飛行船に乗せなかった。
そのため、マリエは一人心細く戦っている。周りには神殿の神官や騎士たちがいるのだが、知らない顔ばかり。
少し弱気になっていた。
マリエが乗る豪華な飛行船が前進すると、シールドにぶつかったモンスターたちが弾け飛ぶように消えて行く。
「……そうよ。簡単じゃない。私は聖女よ! この程度で倒せると思わないことね!」
周囲にユリウスたちがいないことが不安だったが、今のマリエは自身の力に酔いしれていた。
◇
公国側は、マリエを先頭に向かってくる王国の艦隊を見ていた。
ヘルトラウダも艦内のテーブルの上に用意された、味方と敵の駒を配置した戦場の様子を見ている。
「聖女の力は本物のようね」
周囲の重鎮たちがヘルトラウダを見ていた。
椅子から立ち上がると、ヘルトラウダは側にいた女性から笛――魔笛を受け取る。
重鎮の一人が、
「姫様、ここは既に王国本土です。予定とは違いますが、問題ありません」
「――そうね」
そう言ってヘルトラウダは笛を真剣な表情で見つめ、一度深呼吸をすると口を付ける。ここから先に進めば戻れない。
緊張するが、覚悟を決めて笛を吹く。
その音色は妖しく、そして美しい。
周囲の者たちが目を閉じてその音色を聞く。
(さぁ、聖女様――公国の怒りを止められるかしら?)
戦場の上空。
厚い雲が出現すると、戦場は暗くなっていく。
そして、そんな雲から姿を見せるのは――とても大きなモンスターだった。
丸い体にはいくつも目が付いている。
そして長い腕も生えていた。
白い体には血管のようなものが脈打ち、多眼、多腕のモンスターは異様に大きい。その大きさは、下手な浮島よりも大きかった。
球体だけでも何千、何万メートルあるか分からないモンスターだった。
突然出現したモンスターに、王国の艦艇は動揺し始める。
ヘルトラウダは笛から口を離すと、そのまま倒れそうになった。
周囲の者たちが支えれば、その顔は笑っていた。
「空と海の守護神を使役する魔笛――大地の守護神を操る魔笛はお姉様と王国にあるけれど、何の問題もないわね」
重鎮たちが拍手をする。
「これで王国に積年の恨みが晴らせます」
「ご立派ですぞ、姫様」
「守護神様を前に、王国軍もなすすべがないでしょう。あとは、王国に乗り込みヘルトルーデ王女殿下を救出するだけです」
ヘルトラウダは、外の様子が見たいと言って支えられ外に出た。
艦内の外は風が吹き荒れている。
視線の先に見えるのは、空から手を伸ばしたモンスターが王国軍を手でたたき落としている光景だった。
聖女が発するシールドも破壊されると、巨大な腕が飛行船をなぎ払う。
多眼から光が放たれると、飛行船を撃ち抜いて燃え上がらせた。
「空と海から挟まれて、貴女たちの大地は沈むのよ」
本気で王国を――大陸を沈めようとする公国。
ヘルトラウダは青い顔をして笑っていた。
疲れた顔が青いのか、それとも自分のしたことが怖くなり顔が青いのか――そんなことは、周囲の誰も気にしていなかった。
◇
巨大な手の平が迫ってくる。
マリエは屈み込み、その手から杖を手放した。
飛行船が大きな手にぶつかり破壊されていくと、周囲の神官と神殿騎士が叫ぶ。
「聖女様、シールドを!」
「聖女様の力で、あの化け物をお倒しください!」
「聖女様、杖を!」
聖女、聖女と五月蠅い周囲に、マリエは泣き叫ぶ。
「あんなのどうやって倒すのよ! 私は知らないわ。“あいつ”が出てくるなんて聞いていない! そもそも、私は――本物の聖女じゃない!」
周囲の者たちが唖然としていると、マリエたちの頭上を吹き飛ばされた飛行船が通過していく。
飛行船が玩具のように破壊され、吹き飛ばされ、燃やされていく。
目の前にいるものが何か分からない。
ただ、空を覆い尽くす大きなモンスター……化け物だった。
その気味の悪い格好にマリエは恐怖して足が動かなかった。
モンスターを見上げ、涙を流す。
「こんなの――どうしようもないじゃない! 誰か助けてよ!」
抵抗する飛行船からの砲撃も効果がなく、化け物はゆっくりと進んでくる。進路上にある邪魔な物を破壊して、ゆっくりと――王都を目指して進んでいた。
神殿騎士の一人が叫ぶ。
「て、撤退。撤退だ! すぐに引き返せ!」
飛行船がその場で反転すると、その間にも次々に飛行船が沈められていく。
大地に落ちた飛行船が爆発し、炎が大地に広がっていく。
百隻を超える飛行船が、逃げ切ったときには――十隻にも満たなかった。
マリエはずっと、膝を抱えて座り込み泣き続けていた。
それは前世のあの日のように――。
◇
「――以上が事の顛末です」
……ミレーヌ様の報告が終わった。
陛下が呟くように、
「悪夢だな」
ヴィンスさんも困っていた。
「数を揃えたくらいではどうにもならない。それに、この地震だ」
ヴィンスさんは飲み物を飲み干し、コップをテーブルの上に寝かせておいた。ゆっくりとコップが転がっていく。
僅かに傾いているようだった。
公国の動きに合わせ発生しているらしく、何か関係があるらしい。
「バルトファルト子爵、率直に尋ねよう。君なら勝てるかな? 化け物相手に、君と君のロストアイテムなら――勝てるか?」
バーナードさんの言葉に、俺は唾を飲み込んだ。
もしも、その化け物がラスボスと同じ特性を持っているなら無理だ。
ルクシオンでは倒せない。
いや、負けることはないだろう。だが、勝つことも出来ないのだ。
――相手はいくら倒しても復活するのだから。この状況、ゲームなら諦めて大事な分岐まで戻ってやり直すような状況だ。素直に「あ、これ詰んだな」と思ってしまった。
「……分かりません」
そもそも相手が違うので、答えようがない。
ヴィンスさんがコップを手に取りながら、
「だろうな。だが、我々は子爵に期待するしかない。君しか動かせないロストアイテムで倒せないなら――王家の船を動かすことになる」
ミレーヌさんが視線を細めた。
「公爵、その話をこの場でするとはどういうつもりですか?」
何やら揉めているようだが、主人公と選ばれた攻略対象の男子が乗る飛行船『王家の船』は、後半に出てくる強力な飛行船だ。
しかし、ルクシオンよりも性能が低い。
パルトナーにも負けているかも知れない。
「今動かさず、いつ動かすと? この状況で出し惜しみは感心しませんな」
「――っ!」
ミレーヌ様が何か言おうとして、陛下がまた止めた。
「止めよ。ヴィンス、お前も分かって言うとは意地の悪い奴だ。王家の船は動かない。資格を持つ者が揃わなければ動かないのだ。そして、私とミレーヌでも動かせなかった」
あったね、そんな設定。
ゲームでは主人公と攻略対象の男子が動かしていた。
だが、ここで問題がある。
リビアと攻略対象である五人との間に愛という名の絆がない。愛がなければ、王家の船は動かない設定だった。
そうなると、この状況を切り抜けるためには――マリエの力が必要だ。
愛という名の絆と、聖女の力をマリエに借りる必要がある。
「陛下、お願いがあります。王家の船を使わせてください。それと、マリエとあの五人の力が必要です」
陛下は、俺に対して不快感をあらわにしていた。
ミレーヌ様が首を横に振る。
「――残念ながら不可能よ。聖女マリエは、神殿が処刑すると発表しました」
◇
状況を聞いた俺は、別室へと移ることになった。
陛下たちは今も会議をしており、俺にはパルトナーとアロガンツの返還を約束して待機が命じられる。
まぁ、俺もまだ王国の騎士だ。
待機命令は甘んじて受けよう。考えたいこともある。
椅子に座って口の前で両手を組んで考えていると、ルクシオンが俺の側に寄ってくる。
『聖女を騙ったマリエは火炙りか、それとも磔刑か――新人類の末裔も醜いものですね』
聖女のアイテムがマリエを認めたのに、本人が偽物だと言ったから処刑だ。その理由が、責任の押し付け合いの結果だから笑えない。
公国に攻め込んだ神殿側も、戦力を提供した王宮内の侯爵派閥も誰かに責任を取らせたかったのだ。
『それにしても、待機命令とはおめでたい人たちです。マスターがまだ忠誠心を抱き、王国のために働くと考えているのですから。パルトナーもアロガンツも返してやる、みたいな態度がいただけませんね。滅ぼしますか?』
俺は首を横に振る。
ハッキリ言ってしまえば、俺にとって王国の存在価値はない。ゲームのシナリオ的にもバッドエンドを進んでおり、おまけに俺を処刑しようとした。
何とか食い止めてはくれたが、危機的状況に追い込まれていることに変わりがない。オマケに話し合いの場から追い出されている。
……なのに、俺は決めきれずにいた。
『……マスター、何をお考えなのですか?』
「ルクシオン、お前ならこの状況で勝てるか?」
俺の周りを漂いながら、
『勝利条件は?』
「大地を沈ませない。“超大型”を王都に来る前に倒す」
超大型と呼称することになった馬鹿でかいモンスターは、俺が知っているラスボスと同じなら王都を目指して進むはずだ。
事実、ルクシオンも王都を目指して進んでいると考えている。
『不可能です。マスターが言ったように、私は負けなくとも相手が倒しても復活する相手なら、時間稼ぎしか出来ません。それから、超大型の反応は二つ。浮かんだ大地を挟み込むように空と海から王都を目指して進行してきていますよ』
「……最悪だな」
『もしも勝利するなら、王国の全てをマスターが使える立場にいなければなりません。王家の船が必要なのでしょう? ただ、国王の様子を見るに、王家の船を預かるとすれば――それはつまり、全権を委任された総司令官になるしかありません。マスターの方針とは相容れませんね』
本当に最悪だ。王家の船を預かるには、相応の地位が必要。だが、俺にはそれだけの信用も実績もない。
勝つために必要なものが足りていない。
『逃げることをお勧めします』
逃げた方がいいのは分かっている。俺だって、こんな王国に未練はない。あるとすれば、個人的に知り合いを助けたいだけだ。
だが、それだと――。
『おや、マスターが大好きな師匠ですよ』
部屋にノック音が聞こえ、ルクシオンは姿を消した。
返事をすると師匠がサービスワゴンを押して部屋に入ってきた。
「失礼しますよ、ミスタリオン」
「――師匠」
お茶の用意を始める師匠は、普段と変わらず紳士的だった。王宮内では、王国軍が敗北したと聞いて逃げ出している貴族や騎士たちもいるのに、師匠は普段通りだ。
差し出された紅茶を飲むと、少し落ち着いた。
「ミスタリオン、悩んでいますね」
「あははは、そう見えますか?」
逃げるべきか戦うべきか――俺は自分の優柔不断さが嫌になる。笑って誤魔化そうとするが、笑顔がうまく作れない。
「事情は王妃様から聞いています。何やら陛下を怒らせて退席させられた、と」
王家の船を貸せと言ったのがまずかったらしい。王家が極秘で管理している飛行船だ。確かに後で思えばまずかった。
「王妃様が心配していましたよ。ミスタリオンは女性の心を掴むのが私よりもうまい。今後ご教授していただきましょう」
冗談を言う師匠に俺は、
「師匠は逃げないのですか?」
「私はこれでも王国の爵位と階位を持った騎士。今までの給料分の働きはしませんとね。ただ、出来ることは限られていますが」
冗談を言っているが、師匠は残って戦うつもりなのだろう。
これだ。これなのだ。
俺が救いたい人たちも、捨てられないものがあって王国に残るかも知れない。無理矢理連れ出しても、師匠にとっては辛いだけかも知れない。
それでも、
「――逃げませんか?」
「ミスタリオン。貴方が逃げることを私は責めません。ですが、私は残ると決めています。紳士として、そして騎士としての判断です」
騎士として? 俺が首をかしげていると、師匠は俺に笑顔を見せる。
「昨今は女性に優しいのが騎士と思われていますが、私の騎士道は――大切な人々を守ること。それを曲げるつもりはありません」
王国にとって都合がいい騎士でも、乙女ゲーの求める女性に優しい騎士でもない。
師匠なりの騎士道があるらしい。
ゲームには登場せず、同じモブなのに――何て格好いい人だろう。
「騎士道ですか」
「ミスタリオンの騎士道をお伺いしてもよろしいですかな?」
俺は紅茶を飲み干し、そして立ち上がる。
「俺はこれでも建前が大好きでしてね。民を守る騎士道が大好きですよ」
学園女子に優しい騎士道も、国に都合のいい騎士道も嫌いだ。
「ごちそうさまでした。俺はいきます」
「どちらへ?」
「……ちょっと、総司令官になってみようかと思いまして。この状況を打開するには、それが一番いいもので」
俺の言葉に師匠が目を見開き、そしてすぐにいつもの表情に戻った。
笑うかと思えば……。
「ならば王妃様を頼りなさい。ミスタリオン、あの方はアレで王宮内でもかなり融通が利くお方です。きっと、助けになってくれるでしょう」
俺はお礼を言って部屋を出る。
◇
廊下を少し早めに歩くと、ルクシオンが俺についてくる。
『逃げるのではないのですか?』
「止めた。公国と戦う」
『……出世したくないのでは? 総司令官など、マスターが望む地位ではありませんよ』
「悪いけど一度くらい経験したいのが男の子だ」
『建前で戦うつもりですか? 理解できません』
民のために戦う? 確かに嘘っぽい。俺が言っても誰も信用してくれないだろうが、割と本気だ。
前世が一般人だったからだろうか?
割と関係ない王国の民が死んでいくのは気分が悪い。たとえば、毎日を細々と堅実に生きている幸せな家庭があったとしよう。大地が沈めば、そんな人たちが大勢死ぬ。
マリエのせいでグチャグチャになったこの世界、最大の被害者は彼らだ。
大陸が沈み、死んでいくのを見ているのは気分が悪い。
「何千万人と人が死ぬのを見ている趣味はないね」
『逃げても問題ありません。マスターの行動は理解できません』
「俺だって理解できないよ。今だって逃げ出したいさ。でも……ここで逃げても絶対に後で考えるんだよ。ベッドに横になったときに、アレでよかったのかと悩む人生とか絶対に嫌だわ」
絶対に悩む自信がある。この後の人生、そうやって悩むのは……ごめんだ。
そもそも、俺って騎士なのよ。爵位云々はともかく、前世で言うなら非常時の軍人の立場よ。そんな人たちが逃げたら、俺なら恨むね。
というか、巻き込んじゃ駄目だろ。
『出世を嫌がっていたのでは?』
「そういうの、勝ってから悩めばいいから。勝てないこの状況で、出世とか悩むだけ無駄だから」
出世は今も興味がない。出来ればノンビリ暮らせる立場が一番だ。
だが――。
「どいつもこいつも頼りにならないから俺がやる。手伝え、ルクシオン」