裏側
ファンオース公国の上空。
王国から到着した一隻の飛行船に乗り込むのは、元黒騎士【バンデル・ヒム・ゼンデン】だった。
王国に潜り込んでいた工作員から、ある品を受け取る。
「これが姫様から?」
「はい。必ずお届けするようにと」
バンデルは額から頭頂部にかけて髪がなく、体中に傷がある。
筋骨隆々。
初老とは思えないほどに逞しい騎士だった。
受け取ったのは、黒い刺々しい鎧の右腕だ。
「これは……まさか、ロストアイテムか!?」
「間違いありません。あのバルトファルトが隠し持っていたそうです」
飛行船に乗り込んだのはバンデルだけではない。
以前、王国との使者を務めた伯爵の【ゲラット】もいる。
手で顎をさすり、なくなってしまった髭を惜しんでいる様子の手癖。
その目は復讐に燃えていた。
「あの【外道騎士】が隠し持っていた? それだけですか? 姫様ももう少しマシな物を送り届けて欲しいものですね」
外道騎士――公国でのリオンの二つ名だ。
その行いが、騎士として道を外れているために二つ名となった。
敵を殺さなかったリオンだが、それにより騎士や兵士たちは公国の貴族や国民から随分と罵倒された。
リオンが言った通りだ。
騎士として、バンデルは既に老いぼれ扱いを受けてしまっていた。
黒騎士という称号も失っている。
いったいどんな道具なのか分からない右腕。
だが、届けられた書状を見るゲラットの瞳が見開かれ、黒い刺々しい右腕と書状を何度も視線が行き交っている。
「ま、まさか」
「どうした?」
バンデルが腕を組んで問うと、ゲラットは笑みを浮かべていた。
「黒騎士殿。いえ、元黒騎士殿は――命を捨てる覚悟はありますか?」
ゲラットの言葉を鼻で笑うバンデルだった。
「既に騎士として死んだ老いぼれだ。姫様を助けるためなら、何だってする」
「結構! では説明しましょう。これは古代――いえ、神話の時代に存在した鎧の一部です。王家でも一部しか知らないロストアイテムとのことです」
全員の視線が右腕に向けられると、ゲラットは両手を広げた。
「何と素晴らしい贈り物でしょう! ヘルトルーデ王女殿下は、その役目を十分に果たしました。これで妹君――【ヘルトラウダ・セラ・ファンオース】王女殿下の敵は存在しません! 外道騎士も、今度こそ終わりですよ!」
ヘルトルーデの妹――ヘルトラウダ第二王女殿下。
公国の空を埋め尽くす艦隊とモンスターたちを率いる、公国の切り札である。
バンデルは目を細め右腕を見た。
「ヘルトルーデ様をお救いする。そのためになら、この命を捧げてでも」
髭の仇討ちが出来ると喜ぶゲラットの横で、バンデルは拳を強く握りしめていた。
◇
王宮の地下牢。
ジメジメしたその場所は、ひんやりと冷たくて寒い。
空気は淀み、いつまでもいたい場所ではない。
囚人の格好をしなければいけないので、両手には手錠がされていた。木製の板に手首を通したタイプの奴だ。
欠伸をしていると、看守が俺に合図を送ってくる。
どうやらお客人らしい。
その人物を見た俺は、文句を言ってやりたかった。
「見損なったぞ、バルトファルト」
堂々とした声の主は、王宮の主になったかも知れない男。
ユリウス殿下だった。
俺を前に憤っていたが、俺もお前がこの場にいることが腹立たしいよ。
「……誰?」
からかってやると、顔を赤くして名乗ってくる。
「ユリウスだ! ユリウス・ラファ・ホルファート! お前、裏切っていたとはどういうことだ! 卑怯者だとは思っていたが、こんなことをする奴だとは思わなかったぞ!」
言っていることが滅茶苦茶だ。
俺がいくら小狡い奴でも、王国を裏切るとは思っていなかったのだろう。
……でも、よく考えると裏切ってもおかしくない下地はあるよね。
原因お前だよ。お前のせいだぞ。
いや、少し待て。こいつよりも、婚活が原因かも知れない。婚活で酷い目に遭う度に、こんな国捨ててやるって何度思ったことか。
「裏切ってないです。冤罪ですよ。助けて、王子様」
「軽口が叩ける内はまだ元気だな。話して貰うぞ、バルトファルト」
どうやら助けに来たわけではないらしい。
「何を?」
「お前、俺の前だというのに態度がでかいぞ」
「裏切り者扱いで処刑する国に未練があると思うのか? いつか絶対に後悔させてやるから覚えておけよ」
「……実は話がある」
こいつ俺の話を流しやがった。
「お前の所持していたパルトナーとアロガンツは、王国の騎士団が押さえている。動かせないらしいが、そこは問題じゃない」
俺にしてみれば十分に問題だ。
まぁ、ルクシオンが対処してくれるだろう。
「お前を擁護する動きもあるが、王宮内の動きがおかしい」
俺からすればいつも王宮はおかしい。
俺を出世させるとか、出世させるとか。とにかく今だけおかしいとは思えなかった。いつもおかしいから、正常なときがあったら教えて欲しいくらいだ。
「それで?」
「……俺も今の王宮がおかしいのは理解している。バルトファルト、何故お前は裏切った? お前の目的はいったい何だ?」
俺を裏切り者扱いとか酷すぎる。
「冤罪だって言っているだろうが。俺を捕まえたい奴がいるの」
「何!?」
何でお前が驚くんだよ! お前、王宮で暮らしていた王子様だよね? もっと想像力を働かせようよ! お前ちょっと純粋すぎるよ。
「俺が裏切ると思ったのか? 裏切るならもっとうまく裏切るね」
「……確かにそうだな。お前ならもっと相手が嫌がることをする」
納得してくれたユリウス殿下に腹が立つ。
お前、いったい俺の何を信用しているの?
ユリウス殿下は俺に話す。まるで相談しているみたいだ。
「俺は戦争を経験していないが、まるで戦争前の雰囲気だと思ったよ。動くとすれば公国か?」
それ以外にどこと戦争を、なんて言おうとしたが口を閉じた。
思い出してみれば、王国は国境というか――戦場をいくつも抱えている。いくつもの国と戦っている。
公国はその内の一つでしかない。
だが、公国の可能性が一番高い。本当に、どうしてシナリオ通りに進もうとするのか。
「……修正力って奴かな」
俺の呟きにユリウス殿下が戸惑っていた。
「修正? 何を言っている、バルトファルト?」
「こっちの話だよ。公国が一番可能性は高いじゃない? 俺は捕まっているからよく分からないけど」
ユリウス殿下が顎に手を当てて何やら考え込んでいたので、お願いしてみる。
「ねぇ、出してよ」
「それは無理だ。今の俺には権限がない。持っていたとしても、裏切り者を解放できない」
使えない王子様だ。まぁ、出して貰っても困るけどね。
それにしても……公国との間で戦争が起きようとしている。切り札は王国内にあるというのに、どうして彼らは攻め込んできた?
まるで本当に物語の修正力ではないか。
「……本当に嫌な世界だ」
俺の呟きを、今度は聞き流してしまうユリウス殿下は急いで地下牢から出て行く。
このまま物語通りに進むのなら、逃げるしかない。
俺――いや、ルクシオンでも、公国の切り札には勝てないのだから。
そんなユリウス殿下と入れ違いで地下牢に来るのは――ヘルトルーデさんだった。看守に何かを渡すと、席を外していく。
その際、俺に目配せをしていった。
それより、この人は堂々と王宮に乗り込んできたのか?
「随分と酷い目に遭っているわね」
「誰かさんのせいでね」
「私じゃないわ。確かに貴方を拘束するように頼んだけれど、ここまで厳しい扱いをしたのは王国の貴族たちよ」
原因はお前だろうに。俺がふて腐れていると、鉄格子に近付いて顔を近付けてくる。人が弱った時を見計らって近付いてくる――詐欺師の手口だな。
「出してあげましょうか? こんな国に仕えるよりも、公国に従いなさいな。好待遇を約束するわ。貴方が願ってやまない、平穏無事な人生を送らせてあげる」
体がピクリと反応してしまった。
「愚かよね。公国を侮り、派閥争いに利用する王宮の貴族たちは見ていられないわ。私を利用して、貴方を潰しておきたかったのよ。自分たちがいったい何をしているのか、分かっていないのね。ここまでうまくいくとは、正直思わなかったわ」
同じ殿下でも、ユリウス殿下とは大違いだ。俺が何を求めているのかよく分かっている。
「私の前に膝をつきなさい。私の騎士にしてあげる。腐敗した王国に尽くすよりも、きっと貴方の願い通りになるわよ。地位も名誉でもない、平穏無事な人生を約束するわ」
顔を向け、微笑んでいるヘルトルーデさんに俺は――。
「お断りします」
微笑みから少し苛立ちを含んだ笑みに変わるヘルトルーデさんは、俺が断る理由を聞きたいらしい。
「そんなに王国が大事かしら? 貴方、領主貴族よね? 実家ごと寝返ってもいいのよ」
「魅力的な提案だが、それを実行するか怪しい奴と取引するつもりはない」
そもそも、俺って公国に恨まれているからね。ついでに言えば、俺を貶めたのはお前だ。
ルクシオンも会話に加わってくる。
『マスターを恐れて捕らえさせたのは、貴方たちでは? 弱ったところで手を差し伸べるなど典型的ですね。判断力を喪失していると思いましたか?』
ヘルトルーデさんがルクシオンに視線を向けた。
「嫌な使い魔ね」
『貴方が本気でマスターを取り込むつもりなら――約束を守ろうとしていたのなら、私はマスターの説得に協力しましたよ』
「……本当に嫌な使い魔。私が本気で取り込むとは思っていない癖によく言うわ」
つまり、今までの話は嘘だった、と。
悲しいな。
ヘルトルーデさんが鉄格子から離れ、そして冷たい声をかけてくる。
「誇っていいわよ。私たちの障害になり得ると判断されたのだから。愚かな王国と一緒に沈むといいわ」
地下牢から去って行くヘルトルーデさんの背中を見送り、俺はベッドに横になる。
「随分と嫌われたな」
去って行くヘルトルーデさんの背中は、少し寂しそうに見えたが気のせいだろうか?
『どうでしょう? 本当に嫌っていたら誘いはしないと思いますよ。彼女なりに罪悪感があるのでは?』
話をしていると戻ってきた看守が俺に話しかけてきた。ルクシオンは姿を消す。
「子爵様、コーヒーと紅茶、次はどちらがいいですか?」
「紅茶で。次はいい茶葉で頼む」
「いや、高価な茶葉なんてここにはありませんよ」
「それにしても、親衛隊長からいきなり囚人だ。俺の人生、いったいどうなっているのかな?」
「それはさすがに私も驚きですよ。王国始まって以来じゃないですか?」
まったく嬉しくない。
看守が再び外に出て、紅茶の用意に向かうと俺は欠伸をした。再び、ルクシオンが姿を見せた。
手錠を外してクルクルと回して遊ぶ。
『マスターは本当に面白いですね』
「放っておいてくれ。それにしても、ミレーヌ様と親しくなっていたのはよかったな。あのまま捕らえられて拷問にかけられていたら笑えなかったぞ」
『その時はいつでもご命令ください。すぐにこの大陸を沈めて見せますよ。もしくは、マスターの関係者以外をこの大陸から――』
「ストップだ。俺は大量虐殺なんて嫌だぞ」
『……お優しいことで』
忘れがちだが、こいつは見つけたときに「新人類なんか殲滅してやるよ」なんて言っていた奴だ。
十分に危険な存在だった。
だが、こんなルクシオンでもラスボスには勝てない。
負けはしないが――勝つことは出来ないだろう。
最後に必要なのは、聖女の力とリビアの力、そして「愛」なのだから。
それはそうと、俺がここでいったい何をしているのか?
全ては捕らえられたその日に話が戻る。
◇
さて、これはいったいどういうことだ?
目の前にいるのはギルバートさんと――ミレーヌ様だった。
この組み合わせは珍しいと思ったが、思い起こせばミレーヌ様は公爵家と繋がっていた。二人が一緒にいてもおかしくない。
王宮に連れてこられた俺は、そのまま別の騎士たちに預けられ王宮内の一室で二人を前にしてテーブルを囲っている。
「ギルバートさん、俺って捕まったんですけど」
俺の疑問にギルバートさんは安堵の表情をしていた。
「話せば長くなるが、簡単にまとめると公国が君を脅威と判断した結果だ」
どうして公国の判断で俺が捕らえられるのか?
もしかして、王国は公国の言いなりですか?
ミレーヌ様がその後の説明を引き継ぐ。
「リオン君、私は言いましたよね? 貴方の出世をよく思わない者たちがいると」
出る杭は打たれる。
俺のような異例の出世を遂げた若造が気に入らない奴らは多い。
そんな妬みやら嫉妬を、公国に利用されたのだろうか?
「王宮も一枚岩ではないわ。色んな派閥が、それぞれの思惑で動いています。その意味が分かるかしら?」
「公国の利害と一致した?」
ギルバートさんが頷く。
「そうだ。ユリウス殿下の失脚は、公爵家にとっても痛手だった。派閥は縮小し、他の貴族が力を付けてきている。その派閥が公国と繋がっていた」
何をやっているんだと思った俺に対して、不思議なことではないとミレーヌ様が言う。
「リオン君、彼らにとって脅威なのは――公国よりも貴方なのよ」
「は? え、でも――」
俺が驚くと、ギルバートさんが呆れていた。
「考えてもみなさい。飛行船数十隻を相手に完勝してしまうということは、君は一人でそれだけの軍事力を持っているのと同義だ。君が王国に謀反を企てるつもりがないのは知っている。だが、それを全員が信じると思うかな? 信じたとしても、自分たちと敵対しないと言えるだろうか?」
……確かに警戒されても仕方がないが、公国との戦争を軽く見ていないか? いや、少し待て。少し前まで、公国は侮られていたのでは?
「俺に負けた公国を侮っていたのでは?」
「確かに笑い話にする連中もいるが、戦争を経験してればそれがいかに脅威かも理解できる。口には出さないが、相当焦っていたのは確かだ。言ってしまえば、公国は君や聖女よりも脅威度が低い。君たちのことを危惧した派閥が力を付けたということだ」
不思議に思っていると、ルクシオンが二人に見えないようにアドバイスをくれた。
『マスター、公国の脅威を本当の意味で理解しているのは、現時点でマスターだけのようです。マスターに負けた公国よりも、公国に勝ってしまったマスターを警戒するのは仕方がありません』
「それで俺を冤罪で捕らえたと?」
「間一髪だったよ。アンジェから連絡を貰う前にこちらも動いてはいたけどね。王妃様と相談して、我々は君を地下牢へ捕らえることにした。正確に言えば、捕らえたと見せつつ保護した形だ」
「貴方の政敵は、なりふり構っていられないの。数ヶ月前とは状況が違うわ。リオン君、貴方は暗殺されてもおかしくなかったのよ」
俺がギョッとすると、ルクシオンの奴が軽い感じで、
『はい。事実、怪しい動きがありましたね。暗殺か、情報収集なのかまだ判断がつきませんでしたが、これで確定ですね』
――おい、ふざけるな。もっと早く教えろ。
『どの道、私が守るのでマスターの暗殺は不可能です。確定してからお知らせしようかと』
もしかしてこいつ、俺が捕まったらこうなると分かっていたのか?
『まぁ、そうですね。危なくなれば救出すればいいだけですので。王国を見限るならいつでもご相談ください』
それにしても、俺のような善良な男を暗殺とかふざけているのか?
「あの騎士たちの張り切り具合とか、本当に恨んでいるようでしたが?」
「アレは本気だ。途中で我々が君を回収したが、肝が冷えたよ」
ギルバートさんの台詞に背筋が寒くなる。想像以上に危ない状況だったようだ。
「リオン君を王宮で保護します。今は、これが精一杯です。公爵家の敵対派閥だけじゃないの。君を脅威と思っている貴族は多いわ。君のロストアイテムを回収して、自分たちの力にしたい者たちは多いのよ」
王妃様が必死に俺に訴えてくる。まるで、小さな子供に言い聞かせている感じがした。
ミレーヌ様がお母さん……ちょっとゾクゾクするが、それは置いておこう。
王妃様でも対処が難しいのかと思えば、ギルバートさんが詳しく説明してくれた。
「本格的に動いているのは侯爵家だ。彼らの派閥は、王子に自分の娘を嫁がせて王位に据えるのが目的だ。私の実家とは色々と因縁もあってね。派閥としては敵同士になる」
ユリウスに?
まぁ、公式にはあいつはフリーだったからな。
それもあるのか?
「公国と繋がったのは、敵対派閥を疲弊させるためだろう。国境を守る辺境伯は、侯爵家と仲が悪い。公国をぶつけて他の派閥も疲弊させたいのが狙いだな」
フィールド辺境伯と言えば、ブラッドの実家だ。
あいつの家も大変だな。
さて、一応は忠告しておくか。
「公国はそんなに弱くはありませんよ。まだ、切り札を隠し持っている気がします。まともに戦えば勝てるなんて甘いのでは?」
ミレーヌ様もそれを心配していた。
「リオン君、覚えておきなさい。侯爵にとって、王国の領地が多少削れても痛くも痒くもないの。それは領主貴族の貴方なら分かるわよね?」
侯爵は領主貴族だったらしい。
なるほど、自分の懐は痛まないのなら、公国に多少の領地を割譲しても問題ないのか。
それよりも王国を好きに出来る立場が欲しい、と。
王国にしてみれば、俺が公国を倒してしまったために相手の力量を見誤った。
同時に、警戒を向けられたのは聖女になったマリエと――俺か。
「なりふり構わないのは、レッドグレイブ家に勢いをつけさせたくないためだろう。あらゆる手段に手を出そうとしていてね。捕らえる方がまだ穏便だったのさ。君には事前に連絡も出来なかったけどね」
「アンジェはこのことを?」
「知らない。いや、教えられない。君が保護されているのは、一部の者たちしか知らない極秘事項だ」
知っていれば、アンジェにヘルトルーデさんのことを言わなかった。
というか、急に慌てすぎではないか?
これではまるで――ん?
「あ、あの、もしかして――」
俺が気付いたことを察したのか、ミレーヌ様は小さく頷いた。
「公国が動くわ。それに合わせるように、王宮内は権力闘争が起きているわね。まったく、本当にやってくれましたよ。利用しているつもりでしょうが、公国に利用されるなんて」
公国にとって都合のいい状況が出来ている。
その原因の一つが、俺とは流石に思わなかった。
ギルバートさんが俺に頼み込んでくる。
「悪いがこちらは後手に回っている。すまないが、しばらく地下牢で頼みたいことがある」
「頼みたいこと?」
◇
……と、いうわけだ。
俺は今、暗躍している連中を釣るための餌としてここにいる。
親衛隊長から、囚人にランクダウンだ。……いや、餌だから囚人以下? とにかく、俺はここにいてことの成り行きを見守っていた。
「公爵家の立場がそんなに弱くなっているとは思わなかったね」
『考えてみれば当然では? そもそも、王子に娘を嫁がせようとしたのは公爵家も同じことですからね。派閥争いなのでしょう』
「少し前まで、俺を笑っていた連中が警戒するとか信じられないね」
『現状を正しく理解したら、マスターの方が脅威に見えたのでは? そもそも、ミレーヌと公爵家の派閥と懇意にしすぎていますからね。それ以外の派閥にしてみれば、マスターは得体の知れない存在ですね』
冬休みから時間が経ち、色々と状況が変化してきたわけだ。王宮から距離を置いていた俺には、寝耳に水である。
『お喜びください。公爵家の派閥には媚びを売ることは成功していましたよ。こうして後ろ盾になってくれているのが証拠です』
「それ以外が敵とか信じたくないな。極端すぎるだろ」
『……極端な人付き合いをしたマスターにはお似合いの結果ですね』
こいつにとって王国の事情は関係ない。いざとなれば、俺を連れて逃げるつもりでいるから笑ってみている感じか?
それにしても……派閥争いをこのタイミングでするなと言いたい。いや、このタイミングだから激化したのだろうか?
◇
解放されたアンジェは、その足ですぐに公爵家の屋敷へと向かった。
王都にある公爵家の屋敷でアンジェを待っていたのは、父親のヴィンスだ。
ヘルトルーデの件について報告をするも、
「復讐か。二流だな。それにしても、王国も裏切り者が多いな」
「父上、リオンを解放してください。リオンは悪いことなどしていません!」
ヴィンスは目を細める。
「甘えるな。この程度のことは、王宮内では日常茶飯事。私の権力で釈放したところで、肝心の飛行船も鎧も戻ってこない」
アンジェはヴィンスの言葉に衝撃を受ける。
「……リオンは、ロストアイテムがなければ無価値と言いたいのですか?」
「彼を出世させてきたのは、間違いなくロストアイテムの力だ。度胸は認めよう。だが、ロストアイテムのない彼にどれだけの価値がある?」
アンジェが手を握りしめ、悔しそうに俯くのだった。
「お、恩人です。リオンは私の恩人です!」
「その分の見返りは用意してやった。お前は学園に戻って待機だ」
「――っ!」
そして執務室を飛び出すように出て行く背中を見送るヴィンスは、
「まったく……もう少し素直になれれば、こちらも苦労しなくて済むというのに」
不器用な自分の娘を見送ると立ち上がる。
入れ違いに部屋に入ってきたのは、アンジェの兄であるギルバートだった。
「父上、アンジェが凄い顔で飛び出していきましたが?」
「見張りは付けるから心配ない。アンジェには悪いが、真実を知れば何をするか分からないからな。あの子は感情的すぎる。なのに、未だに色恋沙汰には態度をハッキリしないのは気になるがな」
「……まぁ、今まで家のために育ててきたのです。いきなり自由恋愛などと言われても困るのでは? 事情を話してみては?」
ヴィンスは小さく笑っていた。
「こちらから押しつければ、色々と他家からも文句が出るからな。それに、あの子の気持ち次第だ。友人関係なのか、それとも――」
ギルバートは納得したのか頷いた。
アンジェの話を一旦置いておき、調べてきたことを報告する。
「地下牢にいる子爵に接触を図った者たちを調べました。どうやら、連中はパルトナーが動かせずに焦っている様子ですね。殺せば、新たな主人を認めるのではないかと一部の者たちが騒いでいます。すぐに処刑するべきと陛下に直訴したとか」
ヴィンスは腕を組み、そして公国の考えを思案した。
「子爵が怖いか。まぁ、仕方がない。たった一人で公国軍を撤退させた騎士だからな。その矛先が自分に向く可能性があれば、焦りもするか」
公爵家と敵対していた派閥にしてみれば、いつリオンがその矛先を向けてくるか分からない。焦る気持ちもヴィンスには理解できた。
「神殿の者たちも騒ぎ始めています。このような時に権力闘争といっても限度があります。これでは、公国の思うつぼです」
ヴィンスは組んでいた腕を解き、呟くのだった。
「……来るべき時が来たにすぎない。いずれ暴発するために仕込んでいたようなものだからな。それにしても、私も敵が多いな」
ユリウスの廃嫡以降、公爵家の派閥から抜ける貴族たちも多かった。宮廷内の派閥争いでは、公爵の家の敵が力を強めている。
そんな中、彼らが恐れたのがリオンだった。
ミレーヌ、公爵家の派閥がマリエを警戒していたように、他の派閥はマリエよりもリオンを警戒していた。
「愚かなことをしたと言いたいが……気持ちは理解できる。ギルバート、アンジェの人を見る目は確かだったと思わないか?」
ギルバートは何とも言えない表情をする。アンジェがいなければ、公爵家もリオンを強く警戒したかも知れない。
「ある意味、幸運だったのでしょうね。下手に“第二王子殿下”を担がなくて正解でした」
ヴィンスは笑みを浮かべる。
「さて、お前は領地に戻って戦の準備だ。私はここに残ってやることがある」
ギルバートが頷き、足早に部屋を出て行く。
◇
学園の上空に浮かんでいるのは、王国軍が所有している軍艦だった。
鎧をまとった騎士たちが周囲を警戒し、地上にも騎士と兵士が派遣されている。
物々しい警備に、学園の生徒たちもピリピリとした空気を感じ取っていた。
まるで戦争前のような緊張感。
戻ってきたアンジェは、駆け寄ってくるリビアを見た。
「アンジェ! リオンさんが! リオンさんが捕まって!」
混乱するリビアに、アンジェは涙がこぼれそうになるのを我慢する。
周囲には他の生徒もいるし、何より校門前だ。人が多い。
「分かっている。中へ入るぞ」
女子寮へと向かうため、アンジェはリビアを連れて移動した。
リビアはこの状況に不安そうにしている。
「リオンさんが連れて行かれて、そしたらクラリス先輩たちも学園から出て……いったい何が起きているんですか?」
慌ただしいのは王宮だけではない。
学園内にもその影響が出ていた。
「……戦争だよ」
「戦争!?」
「静かに。あまり大きな声を出すな」
急いで入ったのはリビアの部屋だった。
部屋に入り安堵したアンジェは、そのまま膝から崩れ落ちる。
リビアが体を支え、自分のベッドに座らせるとアンジェが話を始めた。
「公国と繋がっている者たちがいる。裏切り者だ。そいつらがリオンを捕らえて王宮の地下牢に放り込んだ。パルトナーやアロガンツも押さえられている」
「そ、そんな! リオンさんは悪いことなんてしていません!」
「関係ない。奴らはリオンが邪魔なのさ。……私にもっと力があれば、あいつを守ってやれたのに」
落ち込むアンジェに、リビアが思いだしたように言う。
「王妃様! ミレーヌ様に頼めば――」
首を横に振るアンジェは、ミレーヌは動けるなら動いていると分かっていた。リオンを助けていないということは、そういうことなのだろう。
「ミレーヌ様は動けない。手は回しているとは思うが、それが実行されないということは、誰かが命令を握りつぶしている。もしくは、リオンにだけ関わっていられる状況ではないのだろうな」
急に動き出した裏切り者たち。
アンジェはこれが何を意味しているのか見えていた。
「……公国は動くぞ」
「え? でも、公国はリオンさんが倒しましたよね?」
「アレは先遣隊に過ぎない。公国が本気を出せば、二百隻は飛行船を動かせる」
二百隻という数字に、リビアは驚くのだった。
一般の飛行船ではなく軍艦となると、相応に金もかかる。それだけの数を公国が持っていると言われ、驚いてしまった。
「か、勝てるんですか?」
「数だけなら王国が有利だ。準備不足だが、五百から六百はかき集められる」
リビアが安堵するも、アンジェは不安そうにしていた。
「……まともに王宮が機能していれば問題ない。だが、今はまずい」
混乱する王宮では、対応が遅れてもおかしくない。
何より、飛行船を持つこの世界――戦争は仕掛けた方が圧倒的に有利だった。
飛行船があるために、攻め込む方が楽なのだ。
対して、守る方は常に大規模な艦隊を展開していられない。精々、見回りを強化するくらいしか出来ない。
対応を間違えると、王国も非常に危険だった。
「リオンを捕らえた理由がハッキリしたな。一隻で艦隊を相手に出来るあいつは、公国にとって悪夢だ」
リビアがリオンを心配し、胸を押さえていた。
「リオンさん、大丈夫でしょうか?」
アンジェは嘘を言っても仕方がないと察し、リビアに事実を告げる。
「私がもしも逆の立場なら、確実な方法を選ぶ。……リオンを殺すだろうな」
リビアが顔を青ざめさせた。
敵がそれをすぐにしないのは、リオンを暗殺できなかったからだろう。だから、罪をでっち上げて捕らえたのだ。
それにより、リオンを擁護する声もあるから処刑できない。
「今は捕らえているが、時間の問題だ。リオンの命が危ない。私はこんな時に何も出来ない自分が嫌いだ」
リビアは立ち上がった。
そしてフラフラとドアを目指す。
「おい、どこに行く?」
「……アンジェ、ごめんなさい。私は……リオンさんが死ぬのは嫌です」
そう言って部屋を出て行くリビアを押さえ、アンジェが話を聞く。
「お前一人ではどうにもならない。下手をすればお前も――」
「でも! ……それでも、出来ることは全てしたいんです。私は何度もリオンさんに助けて貰いました。ここで逃げるのは嫌なんです」
アンジェがリビアを掴んでいた手を放した。
「どうするつもりだ?」
「――マリエさんを頼ります」
◇
マリエは後悔していた。
そこは学園内の広場だ。
(嘘。どうしよう。どうしてこうなったのよ!)
冷や汗が吹き出てくる。
周囲はマリエたちを囲み人の輪が出来上がっていた。
中央にいるのは、マリエとその取り巻きたちだ。
「見て、マリエ様。この者たちの哀れな姿を」
「公爵令嬢が平民と一緒に頭を下げていますよ。しかも、地面の上で」
「無様ですこと」
周囲で笑っている学生たち。
マリエの横では、カイルが本当に呆れている。
「ここまでさせていいんですか? 正直、僕でもドン引きしますよ」
リビアが助力を願った相手はマリエだった。
そしてマリエは、そんな二人に対して色々と苛立っていたこともあり「みんなの前で土下座したら考えてあげるわ」などと言ってしまったのだ。
広場で二人並んで土下座をしているリビアとアンジェ――主人公と悪役令嬢を前にして、マリエは冷や汗が止まらなかった。
やれとは言った。言ったが、本気でするとは思わなかった。
(待って! 本当に待って! どうせ出来ないだろうから、土下座しろって言ったのに! 私にどうにかする方法なんて思いつくわけがないでしょうが!)
助けを求めてきた二人に土下座をさせたマリエだが、本当にするとは思っていなかった。だから、本当に土下座をされると困るのだ。
周囲では二人を笑う声が聞こえてくる。マリエよりも、周囲が興奮していた。
「公爵令嬢が情けない」
「こんな人の取り巻きをしていたなんて泣きたくなるわ。貴族の意地はないのかしら?」
「男のためだって。あのバルトファルトのどこがいいのかしら?」
アンジェの取り巻きだった者たちもヒソヒソと話をしていた。
立場のある者が簡単に頭を下げては、下に対して示しが付かない。マリエは、だからアンジェは土下座などしないと思っていた。
マリエの取り巻きがアンジェとリビアに、
「ほら、ちゃんとマリエ様にお願いしなさいよ!」
アンジェが頭を下げたまま、
「リオンの命を助けて欲しい」
「違うでしょ? 頼み方があるわよね?」
「……っ! リオンの命を助けてください……マ、マリエ様!」
プライドの高いアンジェを土下座させ、マリエを様付けで呼ばせた取り巻きの一人にマリエは声も出なかった。
「そっちの平民も言いなさいよ」
「リオンさんを助けてください、マリエ様」
「バルトファルトがいないと惨めよね。あんた、あの男の後ろに隠れて守って貰っていたものね」
笑っているマリエの取り巻きたちや、周囲にいる生徒たち。
(え? 何? 取り巻きって怖い。こいつら、私の名前で鬱憤晴らしをしているだけじゃない? ちょっと信じられない)
土下座しろと言ったことを棚に上げ、周囲にドン引きするマリエだった。
そして――。
「マリエ様、手頃な足置きがありますよ」
マリエの取り巻きが、アンジェの後頭部を指さした。
「え!?」
他の取り巻きたちも続く。
「あら、それなら公爵令嬢を椅子にして、平民を足置きにすればいいわ」
「聖女様の椅子になれて嬉しいわよね、アンジェリカ?」
「さっさと返事をしなさいよ!」
アンジェを踏みつけようとする女子を見て、マリエは叫びたくなった。
(お前ら何をやっているのぉぉぉ! 私を破滅させるつもり! こいつらをこんな目に遭わせたと知ったら、あのモブが絶対に復讐しに来るわ! わ、私、あいつに殺されちゃう!)
無表情でライフルを構えるリオンの姿を想像し、マリエは足の震えが止まらない。
そんな女子を、手を伸ばし止めたのは――ユリウスだった。
「お前たちの覚悟は見せて貰った。マリエ、これ以上は不要だ」
ユリウスの言葉に、ブラッドも続く。
「だね。ここまでされたら、相応の誠意をこちらも見せなくちゃね」
ジルクが頷いていた。
「過去のことはこれで互いに水に流す。マリエさん、彼女たちを許してあげましょう」
上から目線の三人だが、クリスも同意する。
「これ以上辱めればマリエの名前に傷が付く」
グレッグは拳で自分の手の平を叩き、そしてマリエに笑って見せた。
「ここまでされたんだ。バルトファルトは助けてやろうぜ、マリエ」
土下座の文化などないため、ここまでされたら許してやるか――という程度の考えの五人。しかし、リオンは土下座の意味を知っている。
この話がリオンに漏れたらと思うと、マリエの頭の中は真っ白だ。
そもそも、リオンを助ける方法なんて知らない。
どうやって手続きをすればいいのかも分からず、神殿に働きかけてどうにかなる問題とも思えなかった。
聖女という立場を使って圧力はかけられるかも知れないが、それで助けられる保証がどこにもない。
(まずい。実は助けられません、なんて言ったら……私の人生が終わる。というか、あいつ自力で脱出すればいいのよ。何でしないのよ。馬鹿じゃないの?)
マリエは五人に頼むのだった。
「……みんな、お願いしてもいいかしら?」
五人はマリエに向かって頷くと、その場から去って行く。
とにかくマリエは、この状況から逃げ出したかった。
土下座している二人から背を向けて歩き出すと、取り巻きたちがついてくる。
「マリエ様は寛大ですね」
「私なら踏みつけていましたよ」
「あら、私なら――」
そんなことを言い出す取り巻きたちに、マリエは気味が悪くなってきた。
(本当に笑えない。取り巻きとか意味が分からない。こいつら、私を破滅させるつもり?)
騒がしい取り巻きたちの中、カーラだけは静かにマリエに付き従っていた。
◇
マリエが去ったあと。
周囲が笑う中、アンジェとリビアは立ち上がった。
周囲の声はどこまでも冷たい。
「あそこまでする?」
「公爵家は落ち目だな。頭を下げる意味が分かっていない」
「本当に卑しい女よね。平民なんかと仲良くして」
嘲笑される二人は、その場から歩き去る。
リビアがアンジェに、
「私だけでよかったのに、どうしてアンジェまで? その……実家の立場とか」
アンジェは悲しそうに笑うのだった。
「これが最善だと思っただけだ。実家には悪いと思うが……それよりも、リオンを助けたかった。私は本当に馬鹿な女だな」
マリエに頭を下げたアンジェは、そう言って笑い――泣いていた。
「これで本当に捨てられる。家名に泥を塗ったからな。だが、それでも……リオンが助けられればそれでいい」
そう言って笑うアンジェの顔は、どこか清々しかった。
マリエに頭を下げるというのが、本人にとってどれだけ辛かったかを知るリビアは思うのだ。
(……アンジェはこんなにリオンさんのことを)
自分とアンジェを比べるリビアは、胸が苦しくなる。
◇
ファンオース公国上空。
浮島を飛行船にした飛行空母を旗艦とした艦隊が、空を覆い尽くしていた。
百五十を超える飛行船と共に、周囲にはモンスターたちの姿があった。
王国に魔笛があっても問題ない。
何しろ、魔笛はもう一つ公国に存在しているのだから。
そして、その魔笛を使うのはヘルトラウダ第二王女だった。
十四歳。
姉と似たサラサラの黒髪と顔立ち。
違いがあるとすれば、ヘルトラウダの方が幼く――胸の膨らみがあることだ。
そして胸だけではなく、姉のヘルトルーデよりも魔笛の扱いがうまかった。
率いるモンスターの数も多く、そして魔笛自体もヘルトルーデが持っていた物よりも強力だ。
本来なら、ヘルトルーデたち先遣隊は橋頭堡を確保する任務があった。
それが、リオン一人に計画を潰され、公国は大慌てである。
「……外道騎士は動かない。間違いないな?」
ヘルトラウダの問いかけに家臣が答える。
「間違いありません。ロストアイテムの飛行船も、そして鎧も押さえたと報告がありました。のんきなものです」
ヘルトラウダの周囲には、重鎮たちが並んでいた。
騎士が報告してくる。
「姫様、支度が調いました」
小さく頷く少女――ヘルトラウダは、公国の未来をかけた戦いに挑む。
「これより王国に攻め込む。皆の者、奮起せよ。目指すはホルファート王国王都。他の雑魚には目をくれるな! ――出撃せよ!」
ヘルトラウダの声に合わせ、周囲の重鎮たちが威勢よく返事をした。