【SIDE】ウィステリア公爵家ダリル 1
魔力には系統と特質がある。
その両方を上手く組み合わせ、次世代に稀有で有益な魔術を継承することができた家柄を、王国は公爵家として叙爵し、多くの権利を供与してきた。
―――我がウィステリア公爵家において、その特殊魔術は『魅了』だった。
ただし、100年に1人しか現れないフリティラリア公爵家の『先見』とは異なり、ウィステリア公爵家の『魅了』は、それぞれの代で必ず1人に現れた。
そのため、ウィステリア公爵家の爵位は長子が継ぐのではなく、『魅了』の能力の継承者が継ぐものとされていた。
僕を―――ウィステリア家の4男である、ダリル・ウィステリアを身籠った瞬間、母はそのことに気付いたという。
突然、体中から愛しさが込み上げてきて、だからこそ妊娠したことと腹の中の子が特殊魔術の継承者であることに気付いたのだと母は言った。
それからは毎日、腹の中の子が愛しくて、愛しくてたまらなかったのだとも。
そして、その分だけ、腹に入っていたもう一人……双子のルイスが憎くて、憎くて仕方がなかったのだと……僕への愛情を紡ぐ同じ唇で、母は語った。
『だってね、ルイスは泥棒なのよ。あなたが貰うべきだった栄養分を、お母様のお腹から盗んでいく泥棒。何て酷い子なのかしら。ルイスがいなかったら、あなたはもう少し大きく生まれることが出来たのに』
そう言いながら、母は愛しそうに僕を抱きしめては微笑んでいた。
―――母は、決して病んでいるわけでも、性格が歪んでいるわけでもなかった。
ただ、僕の『魅了』にかかっていただけだ。
父とルイスを含めた兄3人は、『魅了』の能力を引き継いできたウィステリア公爵家の血が流れる者として、僕の『魅了』に惑わされることはなかったけれど、嫁いできた母には一切の耐性がなかった。
だから、僕が無意識のうちにかけてしまう魅了に、どっぷりと侵されていた。
言い訳なら言える。
赤ん坊は大人の庇護がなければ生き延びることが出来ないから、本能で持てるべき能力の全てを、『魅了』を含めて使っていたのだと。
赤ん坊が世話をされるために、愛を得るために、可愛らしいと認識されるような形状をしていることと類似の話なのだと。
そして、母が僕を身籠った瞬間から魅了にかかっていたことを、父とジョシュア兄上、オーバン兄上は理解していた上で黙認していたので、当時の僕は、自分だけが『魅了』を持っていることも、それを自然と行使していることも全く気付いていなかった。
兄弟の中で1人だけが偏愛されるという状況は、通常であれば色々と軋轢を生むものだろうけれど、我がウィステリア公爵家においては大きな問題は生じなかった。
なぜなら、我が公爵家において『魅了』は最上級に敬うべき特殊魔術のため、その使い手である僕は特別に大事にされ、母から一人だけ偏愛される状況を家族中から容認されていたからだ。
そして、ジョシュア兄上は12歳、オーバン兄上は11歳の歳の差があったため、僕が生まれるまでに母から愛された記憶が十分あり、だからこそ、突然4男だけを可愛がり始めた母を見て、『ああ、魅了の力が発動しているのか』と冷静に判断することが出来たようだった。
―――けれど、ルイスにはそれが出来なかった。
そもそも、彼は通常よりも早く、母親の腹から生まれている。
母がルイスを『外敵』だと判断し、たった7か月で体から排出してしまったためだ。
僕一人を腹の中に抱えるために。
ルイスはとても小さな赤ん坊だったと言う。
そして、母はルイスに見向きもしなかったから、忙しい父上に任せることも出来ず、ジョシュア兄上が一手に世話を引き受けた。
ルイスに物心がつかないうちは問題なかった。
ジョシュア兄上が手厚く面倒を見たおかげで、ルイスはすくすくと、生まれた時の小ささを取り戻すかのように日一日と成長したのだから。
けれど、拙いながらも自分の足で歩くことができるようになり、言葉を覚え、感情が芽生え始めると、……ルイスは母親を求め始めた。
人間の本能なのか、特質なのか。
子どもにとって「母親」は、特別な存在である場合が多い。
無条件に大好きで、母親に愛されたいと願う傾向が大多数の子どもに見られるのだ。
そしてもちろん、ルイスも例外ではなかった。
けれど。
―――その時の母には、僕しか見えていなかったから。
十月十日腹に抱え込み、毎日話しかけ、腹の上から撫で続けた愛しい子どもが満を持して生まれてきたことで、母は僕に夢中だった。
僕は腹の中で十分な栄養分をもらっていたから、ふわふわの髪にバラ色の頬をした可愛らしい形状をしていたという。
そんな赤子がぱっちりとした瞳を開き、唯一の庇護者であるかのごとく母を一心に見つめたのだ。
母には待ち望んでいた時間の分だけ、僕が可愛らしく見えただろう。
そして実際、母は腹越しに撫でるだけでも愛しかったけれど、僕を見た瞬間に一目惚れをしたのだと後に語った。
けれど、母にとってドラマティックな事件は、その直後に起こった。
これまで長男と次男、そして三男が誕生した際、忙しさを理由に1週間以上も子どもを見に来なかった彼女の夫である公爵が、今回は扉の前で子どもの誕生を待っていたばかりか、産声が聞こえると皆の制止を振り切って部屋へ入ってきたのだ。公爵の実父である前公爵とともに。
それから、生まれたばかりで何一つ制御できていない僕が、うっすらと『魅了』の魔術を発動させているのを見て、公爵と前公爵の2人は、まるで生まれて初めて晴れ間を見たかのように心から微笑んだ。
そして、その笑顔のまま、2人ともに母に感謝の言葉を述べたのだ。
『「魅了」の継承者を生んでくれて、ありがとう』
咄嗟の出来事に何が起こっているのか把握できず、ただ驚いていた母の前で、2人は交互にダリルを抱き上げると、『ウィステリア公爵家の藤色の髪だ』と誇らしげに声を上げて笑い合った。
―――母にとって、僕は幸福の象徴だったに違いない。
ウィステリア公爵家に嫁いできて15年。
僕の誕生によって、母はやっと公爵家の妻として受け入れられたのだ。