74 ウィステリア公爵家の晩餐会 14
―――私のせいだ。私のせいでお兄様は攫われてしまった。
私は突然襲ってきた吐き気を無理やり我慢すると、壁に手をついて体を支えながら、ふらふらとした足取りで廊下を歩いていった。
「お兄様……、ごめんなさい」
しんとした廊下に、私の声が空しく響く。
「……私のせいで、お兄様が攫われてしまった。何とかして、助けないと……」
つい先ほどまで、お兄様は確実に私の視界の中にいた。
深紅の髪の女性に抱えられていた男性は、間違いなく兄だった。
それなのに、私は何が起こっているのかを理解できず、ただ呆然と兄を見上げたまま思考を停止させてしまった。
そして、その間に兄は連れ去られてしまった。
あの人ならざる静謐な美しさを持った女性は、『東星』に違いなかったというのに。
―――お兄様はどこに連れていかれたのかしら。そして、無事なのかしら。
もちろん無事に決まっているというのに、気を抜くとそんな心配が胸をよぎってしまう。
そして、咄嗟に動けなかった自分の不甲斐なさを自分で責める。
なぜなら、サフィアお兄様は決して私を責めないだろうから。
兄はきっと、どんな目に遭わされたとしても……いや、違うな。酷い目に遭わされた分だけ、決して私のせいだとは認めないだろう。
『冗談は止めておけ。お前のせいで、私が攫われるはずもない。ひとえに人ならざる者までも惹き付ける、私の魅力のせいだ』
そんな風にうそぶいて、一人で全てを引き受けるのだ。
けれど、ねぇ、お兄様。昨夜、他ならぬサフィアお兄様自身が発言したではないですか。
『東星はルチアーナのことを魔法使いだと考えており、だからこそ既に亡くなっているダリルの能力を使ってまで、ルチアーナを捕らえようとしている』―――そんな意味のことを。
私は自分が魔法使いだなんてとても思えないけれど、東星がそう思い込んでいるのだとしたら、何が何でも私を捕らえようとするのだろう。
その証拠に、私が魔法もどきを使用した途端、コンラートが獣から人間に変態したのだとお兄様は言った。
だとしたら、同じように東星に連なっている―――東星と契約をしているというお兄様が、同じタイミングで連れ去られたことは、やはり私が原因なのだろう。
だから、……私は東星の元に出向いて行って、自分は魔法使いではないと証明しなければならない。
そうでない限り、東星は私に執着し続け、お兄様を解放してくれないだろうから。
先ほどの、私に全く興味を示さなかった東星から推測するに、彼女は「どこかに魔法使いが現れた」とは思っていても、それが私だとは認識していないのだろう。
私はよろよろと覚束ない足取りで部屋まで戻ると、急いで着替えをした。
昨夜のうちにダイアンサス侯爵家から着替えが届いていたので、それを手に取る。
比較的簡易なドレスだったことと、前世の知識のおかげで、私は一人で着替えることが出来た。
けれど、着替えを済ませ、部屋のドアを開けたところで、ジョシュア師団長とルイス、ラカーシュの3人が扉の外の暗がりの中に立っていることに気付かされた。
どうやらお兄様の部屋から自分の部屋に戻る途中、廊下を守っていたウィステリア公爵家の護衛に馬車を用意するよう頼んだことが、裏目に出たようだ。
護衛はきっと、夜中に出立しようとする私を不審に思ってジョシュア師団長に報告し、それがルイスとラカーシュにも伝わったのだろう。
「ルチアーナ嬢、あなたが至急ダイアンサス侯爵家へ戻ろうとしていると、家の者から連絡を受けた。ならば当然、サフィアも同行するのだろうと様子を見に行ったところ、彼の部屋はもぬけの殻だった。そして、不自然なことに、庭へと続く大窓が開いていた」
「…………」
ジョシュア師団長の言葉を聞いた私は、しまったなと思いながら唇を噛んだ。
失敗した、せめてお兄様の部屋の窓を閉めておくべきだった。
「強大な魔力を使うほどに、その跡は残る。サフィアの部屋の窓が開いていて、窓から続く庭に残っていた魔力の残滓は、……驚くべきことに、東星のものだった。1度、戦場で彼の星と対面したことがあるので、その魔力を間違えるはずもない」
「…………」
私には否定も肯定もできなかった。
否定して嘘をつくことは誰のためにもならないし、かと言って、肯定して彼らを巻き込むことも正しいこととは思えなかったからだ。
「私は私の館で、客人であるサフィアまで攫われてしまったというのか! 間抜けにも程があるな」
ジョシュア師団長はぐっと唇を噛みしめると、噛みしめた歯の間から悔し気な声を漏らした。
けれど、それは違うと咄嗟に思う。
なぜなら、東星のレベルは私たちとは全く異なっていたのだから。
私の魔力は強くはないけれど、そんな私でも一目見ただけで、尋常ならざる東星の強さは見て取れた。
誰も、きっと、東星を止めることなんて出来るはずがないと思ったけれど、口を開いた時に滑り出たのは全く別の言葉だった。
「ダイアンサス侯爵家へ戻ります」
「……それは、『コンラート』に会いに行くということか?」
一瞬の沈黙の後、ラカーシュが静かな声で問うてきた。
答えが必要とも思わなかったので、私は黙ってラカーシュを見つめる。
なぜなら、私が何と答えようとも、この場の誰もが私はコンラートに会いにいくと思っているはずで、そして、それが正解だったからだ。
「ルチアーナ嬢、このような夜更けにご令嬢をお一人で外に出すわけにはいかない。私が護衛としてご一緒しよう」
頑なな私の表情を見て、意見を変えさせるのは難しいと思ったのだろう。
ジョシュア師団長が思ってもみない提案をしてきたので、私は驚いて振り仰いだ。
気持ちは焦っていて、頭の中はどうにかしてお兄様を取り戻さないと、という考えに塗りつぶされていたけれど、それでも師団長の発言が常識から逸脱していることは理解できたからだ。
だから、何を言っているのだ? と信じられない思いで師団長を見つめる。
ジョシュア師団長は言うまでもなく、王国魔術師団のトップだ。
王国で3名しかいない魔術師団長の1人であり、与えられている権限も責任も桁違いのはずだ。
つまり、与えられているものが大きいということは、同じくらい制限を受けていて、自分の意思で何事かを行う自由はほとんどないということだ。
なのに、たかだか貴族令嬢でしかない私の護衛をする?
まさに寝言の類だ。
そう思ったけれど、―――同意しない限り外出を許してもらえそうになかったので、ただ黙って頷いた。
すると、ルイスが自分も続くとばかりに勢い込んで口を開いた。
「兄上だけに役割を押し付けられないから、僕も行くよ!」
さらに、2人を止めるべき立場で、常識人のはずのラカーシュまでもが同意する。
「深夜の馬車に、ご令嬢とウィステリア公爵家の兄弟のみというのは外聞が悪かろう。噂避けとして、私も同席しよう」
何だか大事になってきたわねと思ったけれど、家に戻ることを止められなかっただけでも良しとしないと、と考え直す。
そして、ふと晩餐時と比べて一人足りないことに気付き、口を開いた。
「オーバン副館長はお留守番なのでしょうか?」
図書館副館長だけあって、何か重要な調べ物を優先しているのかしらと思ったのだ。
けれど、ジョシュア師団長はばつが悪そうに私を見つめると、言いにくそうに口を開いた。
「オーバンは……、睡眠時間が10時間必要なタイプだ」
「なるほど」
私は完全に状況を把握すると、3人とともに馬車に乗り込んだ。