67 ウィステリア公爵家の晩餐会 7
「本気か、お前ら!?」
誰一人席を立とうとしない男性陣を見て、ジョシュア師団長は呆れたように呟くと、乱暴な仕草で足を踏み鳴らした。
言葉もどんどんと乱暴になってきており、師団長が荒れてきているように見えて心配になる。
けれど、兄は気にする様子もなく軽く肩をすくめると、「年寄りは何事もすぐ心配するからな」と呟いて、師団長に睨まれていた。
そんな兄だったけれど、ふいに私の片手を取ると、ぽんぽんと軽く叩いてきた。
叩かれて気付く。あれ、これは小さい頃からの兄のおまじないだと。
私が不安になった時など、元気付けるために兄はいつもこうやって手を叩いてくれていた……
どうして忘れていたのだろう?
不思議に思う私の前で、兄は小さく首を傾げた。
「ルチアーナ、少しだけ昔語りをしてよいか? 昔話を始めた私を見て、お前が私を年寄り扱いしないとありがたいのだが」
にやりと人の悪い笑みを浮かべる兄を、ジョシュア師団長が面白くもなさそうに見つめていた。
案外賢い私は、無用な争いには決して巻き込まれまいと2人のやり取りを無視すると、聞かれたことにだけ答える。
「もちろんですわ」
こくりと頷く私を見て、兄はふっと小さく微笑んだ。
「では、お前が退屈して眠ってしまわないほどには短い話にしよう。……いくらかはジョシュア師団長の話と重複するが、13の歳から3年間、私は陸上魔術師団に入っていた。当時は中隊長であったジョシュア殿の元で、軍の一員として生活をしていたのだ」
ジョシュア師団長は直立したまま手近な壁に背中をもたせかけると、話し始めた兄を見つめていた。
その目は心配そうで、兄のことを思いやっていることが見て取れる。
そんな師団長の姿を目にした私は、心の中で嬉しくなった。
兄が独特で個性的なことは間違いない。そのために無用な敵を作ることもあると思う。
けれど、ジョシュア師団長は広い心で兄を受け止め、受け入れてくれているのだ。
そのことを兄も分かっていて、だからこそ何でも一人でできそうな兄が、ここぞという時に頼るのだろう。
兄を見守ってくれるジョシュア師団長の存在が嬉しくて、ほっこりとした気持ちで兄を見やる。
すると、兄はおまじないの続きなのか、もう一度ぽんと軽く手を叩いてきた。
「私の魔術師団の生活に、大きな問題はなかった」
けれど、兄はそこで少し間を空けると、ふっと息を吐くかのように小さくため息をついた。
「ただし、1度だけ、どうにもならないほどの窮地に陥ったことがあった。その際に私は進退窮まって、不甲斐ないことに他に解決方法を見出すこともできず、差し出された手を取ってしまったのだ……その手が、『東の悪しき星』のものだと知りながら」
「え?」
驚く私の前で、兄が手袋を外し始めた。
基本的に魔術師は魔術放出の出口となる手を大事にするため、常に手袋を着用している。
魔術師である兄が手袋を外すなんて何事だろうと思いながら、差し出された兄の両手の甲を見た私は目を見張った。
「え、撫子の紋章がない?」
魔力を持って生まれた者は、利き手の甲に家紋となる花を意匠化した紋章が必ず刻まれる。
それがその者の出自を表すことになり、魔力持ちの証となるのだ。
けれど、兄の左手―――多分、こちらが利き手なのだろう―――には、撫子ではなく、見たこともない紋様が浮かんでいるばかりだった。
「ルチアーナ、元の紋様を知らぬお前には1つのものに見えるだろうが、これは二重紋だ。一つは『星』の紋、もう一つは『東』だ。……つまり、私が今現在隷属しているのは、ダイアンサス家ではなく、『四星』の1つである『東の悪しき星』ということだ。なぜなら、……私は彼の星と契約したのだからな」
「えっ!?」
色々と理解が追い付かない。
兄たちの話を思い返してみると、『四星』というのは、超高位の存在ではなかっただろうか?
私たちとは全然別のカテゴリーで生活をしているという話だったと思うのだけれど、そんな相手と契約を結べるものなのだろうか?
というか、そもそもどうやって出会ったのだろう?
ぽかんと口を開ける私の前で、兄は淡々と言葉を続けた。
「『東星』と結んだ契約期間は3年間だ。その間、私の全魔力を彼の星へ供給することが契約内容だった。対価は『東星』からの1度きりの助力だというのに、割に合わない話ではある。だが、その契約期間もそろそろ切れる頃だと安心していたところに、今回の事案だ」
兄は一旦言葉を切ると、考えるかの様に長い指で顎をつまんだ。
「可能性の一つとして、『東星』が私を手放すのを惜しんでいることが挙げられる。何もせずとも、契約に基づいて私の魔力が毎日、流れ込むのだからな。私を手放したくなくなったものの、『東星』に対して十分警戒している私の元へは近寄りがたく、ルチアーナに手を出したのかもしれない。これが可能性の一つだ。そして、もう一つの可能性は……」
兄はその後も何か言葉を続けていたようだったけれど、私の思考は別のところに移って行った。
……え? 今、お兄様は全魔力を『東星』へ供給しているって言った?
あれ? でも、お兄様は常に魔力に溢れているわよね?
コンラートの気配を常に探知できるってのも、魔力を使った『探索』をかけているのだろうし、そもそもこの間、フリティラリア公爵領で魔物を撃退した際には次々に魔術を使用していたわよね?
ええ、実際に私もお兄様が上級魔術を使用していたのをこの目で見たから、間違いはないはずよ。
だとしたら、お兄様が言った、魔力を全て供給しているって言葉は、どんな意味で捉えればいいのかしら?
う――ん、と大きく首を傾げていると、呆れたような表情で私を斜めに見ていた兄と目が合った。
「お兄様? ど、どうかしましたか?」
「やー、ルチアーナ。やっと私の存在を思い出してもらえたか。先ほどから、お前に話しかけていたのだが、どうやらお前の精神はどちらかへ外出中のようだったからな。私の昔語りが長すぎたせいならば、悪かったが。いずれにせよ、私の声が聞こえるようになってくれて、何よりだ」
「いえ、その、失礼しました! ちょっと気になることがあって、お兄様のことを考えていたのです」
正直に答えたのだけれど、どうやら勢い込みすぎたため怪しまれたようで、兄は疑い深そうな表情でちろりと私を見ると、言葉を続けた。
「それはありがたいことだな。私の目の前で私のことを思考してもらうよりも、私の声に耳を傾けてもらう方が、よりありがたくはあるが。……さて、ルチアーナ、私の声が聞こえるようになったのならば、お前への質問に戻ろう。フリティラリア城でお前の魔術もどきについて考察をしかけたことがあったが、覚えているか?」
兄の言葉を聞いた私は、ぱちりと瞬きをした。
兄が示唆した魔術もどきというのは、ラカーシュの領地でセリアを襲った魔物を倒した際、私が発動させた風の力のことだろう。
もちろん、お兄様とラカーシュと私の3人で色々と話をしたことは覚えているけれど、と首を傾げて兄を見る。
すると、兄も同じように少しだけ首を傾げてきた。
「あの時、お前は自分自身を『平凡令嬢』であると述べ、面白そうだと思った私は、その遊びに付き合うと約束した。さらに、お前は自分を件の存在とは見做さないでほしいと希望し、私はそれについても了承したのだが、……状況が変わった。今ここでその話をしなければ、ラカーシュ殿以外の者は情報不足で、問題と相対した時に正しい行動を取れないリスクを負う可能性がある」
兄はそこで一旦言葉を区切ると、私を正面から見つめてきた。
「そのため、……完全なるルール違反なのは理解しているが、お前との約束を反故にしてもよいか?」
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
1度ご紹介させていただきましたが、拙著「転生した大聖女は、聖女であることをひた隠す」ノベル3巻が発売されました。
kindle様のライトノベル部門で1位(3巻)&2位(1巻)になっているところなので、多くの方に読んでいただいているようです。本当にありがたいことです。
機会がありましたら、お手に取っていただき、楽しんでいただけると幸いです。
((気になる方のために)ノベル2巻は36位でした)