15 フリティラリア公爵の誕生祭 6
それからしばらくして、狩りの終了を告げるラッパが吹き鳴らされた。
満足そうな表情をした紳士たちが、馬に乗って戻ってくる。
見るともなしに見ていると、たくさんの獲物を抱えた男性陣の中に、どう見ても手ぶらの紳士が一人混じっていた。
何度も瞬きをしてみたけれど、その人物は血のつながった兄に見える。
「いや――あ、ああいう血なまぐさい遊びはどうだろう……」
私たちの目の前まで来た兄は、顔をしかめながら言い訳をし始めたが、狩りは立派な紳士のスポーツだ。
侯爵家嫡子として、ぜひとも押さえておかなければならない種目だろう。
そうは思ったものの、私の口からは発せられたのは、全く異なる言葉だった。
「お兄様、先ほどセリア様とお話しましたの。とてもいじらしい方で、ご自分のことよりも、自分の兄のことを心配する優しい方でしたわ」
改めて考えてみると、ラカーシュが根拠もない私の一言を基に、安全なはずの敷地内で半ダースもの護衛騎士を妹に付けるだなんて、異常だとしか言いようがない。
だから、隠してはいるものの、心配される原因がセリアにあるのだろう。
にもかかわらず、セリアは自分のことはさておいて、兄を心配させるなと忠告しにきた。
兄思いのいい子だ。
そんなセリアを何とかして助けたいとは思うのだけれど、私にはもう方策がなかった。
できることは全てやったと、割り切ってしまえば楽になるのは分かっていたけれど、何かをやり残している気持ちになって、まだうじうじと考えずにはいられない。
―――ラカーシュに忠告はした。
セリアが襲われる場所も、魔物の種類も特定できない以上、これ以上具体的な忠告はできない……と、そう考えた時、私ははっとして立ち止まった。
そうだ。魔物に襲われた際、ラカーシュは大けがを負い、セリアは殺された。
つまり、2人は同時に襲われたということだ。
ああ、私はいつも肝心なことが抜けている。
2人で一緒にいる時に気を付けるようにと、忠告すべきだったのに。
私は弾かれたように城に向かって駆け出した。
後ろから、兄の声が追ってくる。
「おい、突然どうした、ルチアーナ! 元気なのはいいことだが、参加すべき行事は終了したので、そろそろお暇するぞ。聞こえているか? あまり遠くまで行くなよ!」
それまでは急いでもいなかったのに、気付いた途端に慌てだすのは私の悪い癖だ。
分かってはいるものの、駆け出した足を止めることができず、はぁはぁと荒い息をしながら、城の玄関まで一気に走り込んだ私は、付近に控えていた従僕にラカーシュの居所を尋ねる。
従僕は荒い息を繰り返す私を不審気に見つめはしたものの、そこは上級貴族に仕える者だけあって、丁寧に答えてくれた。
つまり、ラカーシュは既に狩りから戻ってきており、地下貯蔵庫でワインの確認をしているだろうと教えられた。
私は案内すると言われた従僕を悪役令嬢特有の上から笑顔でお断りすると、階段を駆け下りて地下へと続く扉を開けた。
長い廊下が続いていたけれど、廊下の両脇に並んだ扉の一つが開いている。
そして、開いた扉の向こう側に、深い紫色のシャツを着用した黒髪の男性の姿が見えた。
後ろを向いているので顔立ちは見えないけれど、あんなに足が長く、全体のバランスが取れた男性は滅多にいないだろう。
そう考え、ラカーシュではないかと当たりを付けて、呼びかける。
「ラカーシュ様!」
呼びかけられた男性は、振り向こうかどうしようかと考えているかのように、背中を向けたままの姿勢で数秒間静止した後、あきらめたように振り向いた。
「……これは、ダイアンサス侯爵令嬢、このようなところに何用かな?」
振り返った男性は、やはり彫像のような整った美貌のラカーシュだった。
シャツの深い紫色が黒髪黒瞳とマッチして、ラカーシュの美貌をより一層引き立てている。
元喪女の正しい在り方としては、その美貌に見とれるところだろうけれど、残念なことに、今の私には余裕がなかった。
「ラカーシュ様、あの……」
言いかけた私を片手で制すると、ラカーシュは持っていたワインの瓶を棚に戻した。
「話は上へあがってから聞こう。……このような密室で2人きりなど、後からどのような言いがかりをつけられるか分かったものではないからな」
片手で扉の方向を指し示し、外に出るようにと暗に示していたラカーシュだったけれど、ばたばたとした足音が聞こえてきたため、訝し気に目を細める。
「この足音は……セリアか? 何を慌てている?」
ラカーシュが言い差したまま扉を眺めていると、彼の妹であるセリアが扉から飛び込んできた。
そうして、足早に扉から入ってくると、私の横を通り過ぎ、兄のラカーシュに縋りついた。
「お兄様!」
「どうした? 何かあったのか?」
「お兄様に何かあるかもしれないと、心配したのですわ! ……密室で、女性と二人きりになられるなど」
言いながら、セリアはちらりと私を見る。
……ええ、ええ、品行不方正な悪役令嬢ですからね。男性と2人きりになると、何をするか分からないということですね!
でも、実際は元喪女ですし、驚くぐらいの潔癖ぶりですよ。
そう心の中で反論した途端、頭の中でかちりと音がした。
「………………えっ?」
突然の音に不穏なものを感じ、驚いて辺りを見回す。
すると、部屋の四方から紫色の煙が少しずつ迫ってくるのが見えた。