100 虹樹海 2
一定の距離を保って先を行く東星は、時々確認するかのようにこちらを振り返っていた。
明らかに、付いてきているかを確認している。
私はコンラートとルイスに手を引かれながら、ふらふらとした足取りで付いて行った。
しゃきっとしなければと思うものの、体に力が入らない。
ルイスはまだしも、コンちゃんのような小さな子どもに頼るなんて情けないことだわと思いながら、2人に遅れないよう歩いていく。
しばらくすると、一面に植物の蔦のようなものが垂れている場所に出た。
雲の中から始まっているのかと思われる程高い位置から地面まで、見渡す限り一面に植物の蔦がぶら下がっている。
それらの蔦にはわさわさと葉が生い茂っていて、その先を見通すことができず、まるでこちら側と別の空間を区切る壁のように見えた。
明らかに不自然な緑の遮断壁を前に立ち止まったけれど、ラカーシュはすたすたと近付き、蔦の壁に手を近付け何事かを確認していた。
それから、「問題ないようだな」と呟くと、片手でばさりと蔦の一部を払い、そのままの姿勢で停止する。
「どうぞ、通ってくれ」
どうやら私たちが通るための入り口を作ってくれたようだ。
「ラカーシュ殿は非の打ち所がないな。この森はカドレアの棲み処だ。我々が感知できない魔力も混じっているだろうから、何が危険かは不明だというのに、率先してリスクを引き受けている。筆頭公爵家の嫡男としては問題行動だが、一個人としてはこれ以上ないほど魅力的だな」
兄はそう言うと、私の肩に手を置いた。
「ルチアーナ、いいか、ああいう男を選ぶのだぞ」
いや、選びませんから。
私の相手は立派でなくても、高潔でなくてもいいんですよ。攻略対象者でさえなければ。
そして、ラカーシュにも選ぶ権利はあるんですからね。
ジョシュア師団長や兄に続いて蔦の壁の先に足を踏み入れると、コンラートが言ったように、そして、兄が予想したように、紫の森が広がっていた。
私の髪色と同じだからか、先ほどの藍色の森を目にした時とは異なり、違和感を覚えることなく、むしろ美しいと思う気持ちが湧いてくる。
―――ああ、この森は明らかに今までいた場所とは異なる空間だ。
そして、こうなってしまうともう、全く乙女ゲームの知識が役に立たない。
四星だとか、葉の色が異なる森だとか、こんなストーリーはゲームに一切なかったのだから。
東星は相変わらず、私たちと一定の距離を保ったまま移動していた。
明らかに罠だと思うものの、この森からの脱出方法を知っているのは彼女だけなので、付いて行くしかない。
歩いて、歩いて、もう体力の限界だわと思いながら視界を塞ぐ紫の葉を手で払うと、突然、辺り一面に深い霧がかかっている場所に出た。
右も左も、目に入るのは白一色の世界だ。
ふいに何もない場所に入り込んだような錯覚を覚えたけれど、よくよく目を凝らしてみると、ところどころに霧の薄い箇所があり、その部分からうっすらと景色を確認することができた。
どうやらその場所は開けていて、正面に一本の大きな樹が植わっていることが、おぼろげに把握できる。
遮断するものがないからか、一陣の強い風が吹いてきて、私の髪を巻き上げた。
視界いっぱいに自分の髪が広がり、それがあたかも目の前にそびえる巨樹に咲いた花のように見える。
勿論それは錯覚で、目の前の巨樹には花どころか、葉っぱ1枚も茂らせてはいなかったのだけれど。
―――その樹は大きく、大きすぎて、全体像が把握できなかった。
空まで続くのかと思うほど背が高く、―――霧でよく見えないからでもあるけれど、横幅もどこまで続いているのか分からないため、物凄く大きいのではないかと感じさせる。
枝の一本一本が私の胴回りの何倍も太く、うねったり、ねじ曲がったりしながら、色々な方向に突き出ていた。
間違いなく、今まで見たどの樹よりも桁違いに大きく、年を重ねていて、神聖ささえ感じる立派な巨樹だった。
けれど。
「これは、……もう枯れているのではないか?」
思わずジョシュア師団長が呟いた通り、遠目にもその樹は枯れているように見えた。
樹の幹は黒ずんでいて、一枚の葉もない干乾びた枝が虚しく地面に突き刺さり、あるいは、天を仰いでいる。
もちろん今は秋だから、少し早い落葉という可能性もあるのだろうけれど、生きている樹の瑞々しさが一切感じられないため、長い間葉を茂らせてはいないのではないかと思わされた。
「魔法使いちゃん!」
その巨樹を見つめていると、突然、声が掛けられた。
声のした方に視線をやると、東星が真剣な表情でこちらを見つめている。
いつの間にか、私が魔法使いであることがその場全員の共通認識となっていたようで、誰もが一斉に私を見つめてきた。
「この樹を元気にしてちょうだい☆☆☆」
そう頼む東星の声は、今までで一番真剣だったけれど。
「えっ? ……む、無理でしょう」
思わず否定の声が出た。