10.強者に対して絶対服従、わたしは違いますけどね?
まるっとこの騒動を押し付けようとしている旦那様を睨みつけていると、いきなりのそりと大きな塊が動き出した。
寝そべっているときから思っていたけど、大きい。
体長はおそらく二メートルを超えている。
確かヴァンクーリは二メートルとか言っていたけど、おそらくそれ以上。もちろん、個体差はあるだろうけど、それにしても大きい。
立ち上がると、わたしの胸辺りに頭がありそうだ。
ゆっくり近づいてくるけど、旦那様もミシェルも構えることをしないという事は敵意は無いのだろう。
確かに、怖いとは感じなかった。
「えーと……は、はじめまして?」
くんくんと匂いをかがれている。
なんとなく被捕食者にでもなった気分だ。
「さ、触っても大丈夫だと思いますか?」
「私に聞かれても困る。ヴァンクーリは毛刈りの時期に人に触らせるとは聞くが、選ばれた人だけらしい。どういう基準かは分からんが……まあ、触って嫌がるようならやめればいいのではないか? いきなり噛みついてきたりはしないだろう」
適当ですね、旦那様。さすがの旦那様でもヴァンクーリについては詳しくないんですものね。
でも、そこで自分が率先して触らないのはなんででしょうね?
わたしを人身御供にでもしたいのでしょうかねぇ。
手を伸ばせば簡単に触れる距離にいる大きな獣。
わたしは恐る恐る手を伸ばす。
もふっとしていそうなのに、手触りは滑らか。するする手から零れ落ちそうなのに、意外としっかりしているようなその毛の柔らかさがたまらない。
小さなあの子よりも、もっとしっかりした毛質だ。
あっちは本当にするするしていた。
「大人しいですね」
「そうだな……これが野生動物だとは到底思えないほどだな。飼いならされているような感じだ」
身を乗り出してその太い首に抱き着こうとすると、率先して自分から近づいてくれた。もふっと抱き着き顔を埋める。
うぅーん!
気持ちいい!!
「今年毛刈りの時期だって言ってましたよね? そのせいでこんな毛なんでしょうか?」
確かに少し毛が長いようにも感じる。
そんなわたしの言葉を無視して、旦那様はじっくりと目の前の大型獣を見つめていた。
「人に慣れているというよりもリーシャの意図を理解している、と言ったほうが近い気がする……」
ぽつりと旦那様が何かを考えるように言った。
確かに、わたしが手を伸ばすと同時に顔近づけてくれたけど……偶然じゃなくて?
「まあ、謎に包まれた獣だしな。ヴァンクーリだった場合」
あ、それで完結させちゃうわけですか、旦那様。
追及するのかと思いきや、どうでもいいと思いませんでした?
「ところで、どうするつもりだ? 飼い主として」
下から見上げるように旦那様が聞いてくる。
「まだ、飼い主じゃないんですけど……」
「立派な飼い主ぶりじゃないか。忠犬だと思うが?」
犬でもないですけど?
「イヌ科の動物は、上下関係がはっきりすれば上位個体には逆らう事は無い。家で飼う犬でも、自然界の狼でもな。そう考えると、どうやら、こいつはイヌ科の動物らしいな」
「そこを冷静に判断されても困ります、旦那様」
そもそも、自然界において犬とか猫とか関係ない気がする。
強いものが勝者であって、そこに例外はない。強いものに従うのは当然のことだ。
でも、そう考えると、目の前の子や、小さなあの子がわたしに従う意味が分からない。
どう見たって、わたしは強者じゃない。少なくとも、見た目だけなら、旦那様の方がよっぽど強者に見える。
というか、強者なのは間違いない。
人間社会においても強者に従うのは自然だ。それを考えると、人という種族も結局は動物であるという事だ。
理性があって、話して、意思疎通の取れる動物。
正直、強者な旦那様に逆らってもいい事ないのはわかるけど、なんとなくわたしは反発してしまう。
そもそも、始まりがああだったら仕方ないよね?
最近は大人しいけど、いつ何時仕掛けてくるのかわからない恐ろしさはあるので、いつも旦那様を警戒している。
なんだか、そんなわたしを最近楽しんでいそうな雰囲気もあるけど、油断したりはしません!
「ところで、旦那様には触らせてくれるんでしょうか?」
旦那様だけでなく他の人もだけど。
旦那様は肩をすくめて手を伸ばす。
そのまま首筋を撫でるように触れるが、わたしの時みたいに友好的ではないようで、しかたない、触らせてやる。そんな感じに見えた。
「子供をあしらう大人のような態度だな」
なんか分かる気がする!
いやではないけど、面倒臭い。適当に相手しておいてやるか、みたいな?
「とりあえず、害はなさそうだが。やはり飼い主の意向は聞いておこう」
ですから、まだ飼い主じゃありません!
旦那様が集まってきていた使用人を解散させると、くるりと邸宅に向かって歩き出す。
その後ろをなんと二匹も付いてきた。
ちらりと背後を見て、旦那様はため息を吐きながら、ミシェルに命じた。
「ミシェル、なんとかしておけ」
「えぇ!? なんで僕なんですか? そこはリーシャ様に頼んでくださいよ!」
うん、じゃあ、なんでそこでわたしなんでしょうね?
わたしも無理だけどね、ミシェル。
「もうむしろ、一緒に中に入れてもいいんじゃないですか? そりゃあ、小さな家なら問題ですけど、公爵邸は広くてこいつとすれ違ったって、問題ないじゃないですか?」
「掃除をする下女が嘆きそうな案だな」
あー、掃除ね。
毛が舞いそうだよね……。
必死に掃除して清める下女の姿が目に浮かぶ。埃一つ残さず掃除するように躾けられているのだから。
それでも、小さな室内動物ならまだましだと思うけど、相手は大きな獣様。
いっぱい抜けそうだね。しかも、少し毛が長いし。
あ、でも。
「そういえば、全然毛が抜けていなかったような……」
「そういえば、そうだな」
旦那様も思い出したかのように、言った。
確か、わたしがあの小さな毛玉を持ち上げて連れまわしてた時、毛が抜けていなかったと思う。
少なくとも、わたしのドレスには毛がほとんどついていなかったし、洗った時も、乾かすときも同様だった気がする。
「じゃあ、いいでしょ? むしろここに待機させているほうが仕事の邪魔だよ。みんな気になるでしょ?」
それはそうだ。
こんな目立つ生き物がどんと鎮座していたら、気にしないようにしていたって気になる。
「というわけで、クロード様許可ください」
しれっとミシェルが旦那様に頼むと、旦那様がわたしを見上げて言った。
「大人しくするように言っておいてくれ」
だから、わたしは別に飼い主じゃありませんから!
そもそも、言う事を聞くかどうかなんて分からない。
わたしの事を嫌がっていないという事だけが分かっているだけだ。
とりあえず、旦那様的にはそれだけで十分のようで、この二匹はわたし預かりになりそうな気配だ。
まあ、別にいいですけどね!
もふもふ最高です!!
毛が抜けないのなら、ベッドの上にあげても問題ないね!
わたしは、二匹を見ながらそんな事を考えていた。
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