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異世界クイズ王 ~妖精世界と七王の宴~  作者: MUMU
第一章  死闘 早押しクイズ編
8/82

8









「……ん」


電子音を遠く聞くような気がして目を覚ます。

ゆっくりとした覚醒、広く白い天井と、体を包み込むような柔らかなベッド。ユーヤが電子音かと思ったものは窓辺に止まる小鳥だった。布団をめくって身を起こすとどこかへと飛び去っていく。


「……」


ユーヤの寝覚めは良いほうである。昨日の出来事が夢ではないことも分かっている。ただ、昨日までの生活とあまりにも差異があるので、改めて言葉を心中に浮かべて確認作業を行う。

ユーヤの脳裏に浮かぶ言葉は、ディンダミア妖精世界、ハイアード首都、造船の都であり工業の街ハイアードキール、セレノウ大使館、王女エイルマイル、衛士長ガナシア、ここは自分にあてがわれた客室。昨日の寝酒に飲んだのはウイスキーに似た穀物酒。一息にそこまで確認する。やはり夢ではない、まぎれもない現実。


「朝か……」


窓の外から人のざわめきが届く。

ゆっくりと立ち上がってから窓辺に寄れば、外はすでに祭りの賑わいである。まだ朝靄が残る空気の中に、骨組みと木板で露店を組み立てている男たちがおり、ジャグリングの練習をしている大道芸人がおり、バイオリンの手入れをしている老紳士がいる。あの年で路上演奏者とは羨ましい老後だ、と何となく思う。


また市井の人々の姿も見える。朝も早くから道を駆ける子どもたち、馬車に乗ってどこかへ出かけてゆく貴族の夫婦。ここは公館街であるから、わずかな行商や大道芸人の他には比較的身分の高そうな人間が多い。おそらく商店の連なる場所ではいそいそと店を開ける準備が始まっており、労働者は朝食でも食べて英気を養い、市場での朝の取引はそろそろ終わろうとする時刻だろうか。

そして遠くに眺めるのはハイアードの都市。五階以上の高層建築も多く、尖塔を針山のように並べた教会のような建物。ドーム状の屋根を持つのは劇場か音楽堂だろうか。あるいは高層マンションとも呼べそうな、碁盤目状に窓が並ぶ巨大な建物も見える。まるで文化圏の違う世界でありながら、この街が大都市であり、豊かな経済力と文化を持つことに疑いの余地がない。


ふと首を巡らす。時計の見方は元いた世界と変わらない、今は午前の6時半といったところか。


ベッドの脇に小さなハンドベルがあるのを見つける。そういえば、朝起きたらこれを鳴らすようにと言われていたなと思い至る。


ちりんちりん、と、チューリップのようなハンドベルが透明な音を奏でると、

間髪おかず、部屋の戸がバアンと開かれる。


「おはようございます! ユーヤ様!」「おはようなのでぇす」「おはよーですよー」「……ようございます」「おはようですことよ」

「うわびっくりした」


驚くのも無理はない、鳴らした瞬間に女子が7・8人同時になだれ込んできたのである。押すと岩が出てくるトラップのような眺めだ。

現れたのは全員、黒のエプロンドレスに白いハイソックス、頭にはヘッドドレスを付けたメイド風の女子たち。いや、秋葉原とかではないのだから、彼女たちは正真正銘のメイドなのだと思い至る。そういえばその顔ぶれは、昨日も暗幕を準備したり夕食の世話をしてくれたメイドたちの中にいたような気がする。


「ユーヤ様! まずお着替えされますか! それともお食事にされますか! お湯浴みも可能ですし中庭を散歩されるなら付き添わせていただきます! それともシュネス風に寝覚めのシェリー酒を召し上がりますかラジオとか聞きますか私たちも演奏できますが」

「ちょ、ちょっと落ち着こうか、あと顔近い」


どうやらその子がメイドたちのリーダー格なのか、ひときわ溌剌として、オレンジの目をらんらんと光らせ、後ろ髪をオレンジのリボンでまとめた少女ががぶり寄りながら一気にまくしたててくる。ユーヤが手を上げて押し止めると、1歩だけ後退して手を挙げる。新兵の敬礼のような勢いである。


「これは失礼いたしました! わたくし! メイドたちを束ねますメイド長のドレーシャと申します! 私どもでユーヤ様のお世話をさせていただきます! 大使館勤務ではありますが私ども! セレノウ王家に仕えます上級資格持ちメイドでございます! どうぞ何なりとお申し付けください!」


年の頃なら15・6というところか、まだ女子高生か、あるいは中学生でも通りそうなほどの若さである。背後にいるメイドたちにはもっと若い子もいる。ほとんど少女のような者、あるいは年配の熟女風、太っている者や痩せている者、文学少女風だったりお嬢様風だったり色々であるが、ドレーシャは体育会系、あるいは軍隊系のノリであった。その勢いに少したじろぐ。


「……えーっと、じゃあまず着替えたいんだけど……それと食事を……」

「はいっ! 朝の身だしなみですね! ではユーヤ様! 両手をお預けください!!」


と、左右からユーヤの手を取るメイドが二人、さらに素早く背後に回って寝間着の下履きを掴むのが一人、背後に控えるのは蒸気を上げる蒸しタオル、爪切りと眉毛用の小さなハサミ、そのほか化粧道具などを両手に持って前傾に構えるメイドたち、そのさらに後方にはドレスシャツとタキシード、黒タイなどをワードローブから出し、埃取りのブラシをかけ始めるメイド。そのフォーメーションの完成までほぼ3秒。


「えっ」


しまった、と思う暇もなく一瞬で激流へと巻き込まれる。


そしてジャスト5分。


「これにて朝の身だしなみを完了させていただきます! お食事の用意もできていますので! 一階の食堂までお越しください! では失礼いたします!!」


ざざざざっ、と足音を揃えて退出していくメイドたち。

部屋の中に取り残されたユーヤは髪をオールバックに固められ、完璧な身だしなみのまま、ちょっとよろめいて片膝をついた。







「どうなされましたユーヤどの、何かお疲れのようですが」


食堂のテーブルで頭を抱えているユーヤに、白髯をたくわえた侍従長が問いかける。確か名前はカルデトロムだったか、と思い出す。

組織図として、この大使館の職員は侍従長のカルデトロムを頂点として、メイド長のドレーシャ、コック長、庭師長、御者兼馬廻り長の四人がそれぞれの分野の代表である。他にも様々な小間使いなどがおり、総勢は30人以上になるとか。

ちなみに普段、この大使館の代表である大使にはまだ会えていない。彼はアイルフィルについてしたためた書簡を持ってセレノウの王宮に向かったそうだ。もともと、頻繁に国元と大使館を往復している人物だそうである。

アイルフィルについて国元に秘密というわけにも行かぬし、伝書鳩など事故の恐れがある手段で報せられることでもないので、大使が手紙を持って行くのも仕方ないだろう。


ユーヤは頭を抱えたままで口を開く。


「ちょっと……モロに見られたことのショックが……」

「メイドによる着替えですか、そういえばユーヤどのは市井の出でしたな、まあ、じきに慣れるでしょう」

「……ええと、朝の身支度は自分でやるから、メイドは寄越さないで欲しいんだが」

「それは正当な理由がなければ無理ですな。彼女たちは国家資格を持つ上級メイドですから、意味もなく仕事を奪うことはできません」

「うう……」


弱気を隠せないユーヤであった。

直後、ふと鼻をひくつかせて顔を上げる。


「なんだか香ばしい匂いが……」

「は、では本日の朝食の説明をさせていただきます。パンはブッケンファーヴィス。サラダはシュネス風カウトロフの海鮮添え。ヴィンゼ豆のスープ、お好みで砂塵辛子を加えて下さい。デザートは冷たいピエラットです」


言いつつ、侍従長のカルデトロムはテーブルに琥珀色の瓶を並べていく。テーブルクロスは雪のように白く、シワひとつなく整えられていたが、そこにグラデーションを描いて瓶が並んでいく。

それはどうやら蜂蜜の瓶のようだった。わずかに黄色がうかがえる程度に透明度が高いものから、目にも鮮やかなまだらの琥珀色。茶色に近いほど色の濃いもの。瓶の形もずんぐりした広口ビンから、マジックインキのような縦長のもの、女性の体のようなひょうたん型のものもある。ラベルも貼ってないシンプルなガラス瓶もあれば、極彩色で全面にイラストが描かれた陶器の瓶。動物の角を加工した酒器のような容器もある。

さらに手伝いのメイドも出てきて、次々と蜂蜜の瓶が並ぶ、その数、実に30以上。


「な、何だ、これは?」

「ユーヤ様のお好みは何でしょうか? こちらのラベルの貼ってないものは大使館の自家製でございます。本日のおすすめはヴェルデット、キーハインズ、アンジカン、ですがパンとの相性を考えればコハクカイでしょうか。変わり種ではヤオガミ産の「鱗刻うろとき」などもございます」

「……こ、これだけの蜂蜜が毎回並ぶのか?」

「は?」

「ああ、いや、そうじゃなくてだな、ええと」


しばしの熟考。


「実は僕は、とても辺鄙な村の生まれだったので、いつも黒パンと水だけの朝食だったんだ。こういう朝食は食べたことがなくて」


我ながら取って付けたような話だとユーヤは思うが、朝なので頭の回転が鈍いのか、先ほどのメイドの疲労が残っているのか。


「はあ……大乱期ならともかく、この時代にそのような村がまだあったとは……」


この経験豊富そうな侍従長がその答えで納得したかどうかは分からなかったが、職業意識のためか、数秒後には石のような平静さに戻って語りかける。


「わかりました、では私の方でお選び致しましょう。本日のパンにはコハクカイを、デザートにはブルーベリーソースがよろしいでしょう。よし、お運びしろ」


最後の言葉は背後のメイドに投げたものだった。先刻がしがしと丁寧に歯を磨かれたメイドである。

それが厚手のミトンで長方形の盆を捧げ持ち、すました顔でそれをテーブルに置く。

それはどうやら暖められた自然石のようだった。ペリドットのようなモザイク状の緑色が散らばり、全体がもわっとくる熱気を放っている、かなり熱くなっているようだ。

そこには枕のような、大きな円筒形のパンが乗せられており、表面が狐色に焼かれている。メイドが一礼してから説明する。


「ローツ麦を用いて、石窯にて焼き上げましたブッケンファーヴィスです。保温のために自然石の板に乗せています」

「いい匂いだ、美味しそうだな、枕みたいでかなり大きいけど」

「これより仕上げをいたします」


と、メイドが盆に載せた包丁をカルデトロムに差し出す。刃の部分が波打っており、全体の長さは30センチ、この世界の言い方では30リズルミーキほどの細身のナイフだ。カルデトロムは熱くなったパンの表面にそっと指を這わせ、横からナイフを突き入れると、表面を桂剥きのように剥いでいく。


(なるほど、耳の部分を取り除いてから切り分けていくのか?)


とユーヤが思った直後、見事に一周分切り取られた表面部分を自然石の板に這わせ、全体をナイフの峰で一度押さえてから、縦横に切れ目を入れる。そして正方形に切り分けられたそれを手早く一箇所にまとめ、別のメイドが用意していた皿に盛りつける。広げたトランプのような、見事な扇状に。


「なっ……皮を食べるパン……だって?」

「はい、ブッケンファーヴィスは皮を食べるパンです。すぐに冷めてしまいますので、蜂蜜をかけましたらお早めにお召し上がり下さい」


メイドが広口の瓶をあけ、ティースプーンを細かく動かし、金文字の署名のように極細の線を引いていく。極細であるが一度も切れることはなく、しかし全体にまんべんなく広がり、手で持てるように右上と左下の部分だけは空けている。その空白の部分を親指と人差指で挟んで口に運ぶのだ、と直感的に分かる。その蜂蜜の扱いだけでも名人芸である。


ユーヤは我知らず、それを手にとって口に運ぶ。さくさくと空気のように口中でほぐれ、呼吸するようにするりと飲み込む。


瞬間、喉の奥から鼻に這い上がる香り。


狐色に焼かれたパンの皮が醸すのは、複雑玄妙な香りの記憶。それはあるいはバーボンを封じているオーク樽、燻製したチーズ、ほどよく焼けたパイ生地、あるいは泥で満たされた水田、小麦の野を渡る風。

噛みしめるほどに深層意識の記憶が巻き上げられるような、胸を打つ郷愁の香り。そして舌に残るのは蜂蜜の甘い記憶。それは舌の表面で熱を持つかのように存在感を増し、香味の海に沈もうとする意識を繋ぎ止め、怒涛の官能で塗りつぶそうとしてくる。文字を描くようだった微量からは想像できないほど熱烈な主張。黄金のカタマリを頬張るような、という奇妙な形容が脳裏をかすめ、そして甘さと香りの混沌を引き連れて喉の奥へと去っていく。それまでが数秒の出来事。


「は――」


声が、出ない。

それを言葉にしようとすれば、おそらく舌がもつれ、垂涎を隠せず、あられもない痴態を晒してしまいそうな予感がある。その強烈な印象の前に意識が白濁する。ただ手だけは止められず、次々と狐色のカードを口に運び、グラスに注がれた水で最後に一気に流し込む。


「お気に召されましたか?」

「ああ、その、えっと」


おかわり。


という言葉が喉まで出かかったが、侍従長だけならともかく、メイドの前でその子供のような要求を述べることは躊躇われた、それに、朝食は他にも色々とメニューがあったはずだ。


「う、美味かったよ。パンも蜂蜜も極上で……。パンもすごいけど、この蜂蜜が極上で……」


さしもの異世界人も語彙が貧弱になっている。


「そうでしょう、コハクカイは甘さの濃密さと輪郭の明瞭さが特徴です。香りを楽しむパンに合わせますと、全体をビシリと引き締めつつ、強烈な官能の印象だけを残すことができます」

「まさにそうだな……」


「ユーヤ様、おはようございます」


と、そこに現れるのはセレノウ第二王女、エイルマイルである。


ユーヤは振り向く。そこには裾の長いクリーム色のカシュクール、その上に藍色のストールを羽織った姿である。背中に流れる金髪は、朝のためかヘアバンドで軽く押さえるのみだった。


エイルマイルは食堂から見て右奥、長テーブルの一番端の席に座り、メイドが赤い布にくるまれた包みを持ってくる。


「姫さま、どうぞなのです」


少し幼い印象のメイドが差し出した包みは、どうやら新聞のようだった。布をするりと解くと、中から重ねられた新聞が現れる。


「新聞か、それも何紙もありそうだけど」

「はい、ハイアードのものが3つに、週刊の経済紙、昨日の版ですがセレノウとラウ=カンの地方紙、クイズ紙はシュネスのものも……。すいません、お食事の気が散るようでしたら、私は自室で……」

「いや気にしなくていいよ。クイズ戦士にとって、新聞を読むのは基本中の基本だからね……」

「基本、ですか、私は日課のようなものでしたが……」


新聞の版型は元いた世界と変わらない、その白い手が紙面を掴み、テーブルの上に大きく広げる。インクが服につかないようにか、新聞を包んでいた赤い布を己の右腕に巻いている。手はゆっくりとした動きだが、文字を追う目線は早い。この絵本から抜け出たような姫君が新聞を読むという眺めに、ミスマッチの妙が感じられた。


「そういえば、いまクイズ紙って言ったのか?」

「はい、クイズ紙です。本来は大陸全土のものを取り寄せて読みたいのですが、それだけで一日が終わってしまいますので……、「ハイアードロジクス」と、シュネスの「アルゴト」だけにしています」

「クイズ専門の新聞か、そこらへんも興味はあるけど……。朝食のことといい、聞き始めるとキリがないな」


ユーヤは、目の前にある剥きエビの入ったサラダを見て、一度頭を振る。


「文化レベルがすごい……。人口も多いし、娯楽も豊かだ、建物だけなら中世レベルなのに、ここまでの水準とは……」


脇を見れば、侍従長によって次の皿が用意されている。羊肉の香草焼きである。かかっているのは果実のソースだろうか。いろいろな意味でユーヤの知らぬ世界の朝食に、口福の前にどこかしら後ろめたいような、己にはあまりに似合わぬ場にいるような気がして、数瞬、何か気だるいような気分に囚われる。


そして誰にも聞こえない程度に、短くつぶやく。





「朝に腹がくちれば、夕べに死すとも可なり……か」



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