73 (百人早押しクイズ 4)
十一問目
「ノナッジ島!」
「正解です! ガナシア様! ここへきて連取となりました!」
万雷のごとき拍手、すでに立ち上がっている者も多い。
家庭で、街角で、あるゆるラジオの向こうで興奮と熱狂が渦巻いているのは間違いない。
「いやあ、まさにびっくり仰天! 百人を相手にして、わずか十一問目で2対2まで来ましたよ! さあさあ次が最後の問題になるのでしょうか、第十二問! 参ります!」
一瞬の沈黙。
場の全員が息を飲む気配。
空間が拡大し、意識が膨張していく感覚が――。
「問題! フォゾス語で「らくよ」
(――!)
全身に雷鳴が走る。
腕を引き抜く。
親指の付け根、金星丘を引っかけ、その妖精の羽を押し込まんとする。
刹那。
――ボタンが。
横方向のベクトルを受け、底面の接着剤が剥がれ。
回転しながら横方向に翔ぶ。
「あ――」
誰かが叫ぶ、
全員の視線が集まり、ガナシアの腕が後方に振り抜かれ。
(――――させん!!)
それは極小の時間。
肘、肩、あるいは背中や脇腹の筋肉まで総動員をかけて腕を押しとどめ、右足を踏み込んで体をスライドさせ、振り抜いた腕を引き戻して眼球の中で時間が停止し、回転するボタンを捕捉すると同時にその大きな手が掴み――
ぴんぽん
蛇が打ち上がる。
凍った時間の中で、ガナシアの帽子から。
「――こ」
司会者が、あるいはその場の全員が目を見開く。
「これは! 奇跡です!! ガナシア様! 空中に吹っ飛んでいくボタンを捕まえて押したーーーー!!!」
もはや立ち上がっていない者も、声を涸らして叫ばぬ者もいない。まさに神秘に臨むがごとく、この世の全ての歓声をかき集めたような大鳴動が起きている。
「さあ勝負あったか!? 参りましょう! ガナシア様、お答えをどうぞ」
――だが。
運命は残酷にも流転する。
ガナシアの表情、数秒前まで歓喜に震えていたはずのその顔が、何かに気づいてはっと硬直する。
変化は迅速に訪れた、唇を噛み締め、眼球を小刻みに震えさせ、
そして司会者の促しに、短く答える。
「――すまない」
「わからない。私の……負けだ」
※
「――なぜだ!」
舞台袖、叫ぶのはコゥナである。
「なぜだユーヤよ! 今の問題、押されてしまえば簡単な問題だ、コゥナ様にも分かるぞ!」
「その通りネ」
睡蝶も同意を示す。
「「らくよ」とはおそらく落葉ネ。フォゾス語で落葉はドラント、ここから連想できる問題は一つしかないネ」
問題、フォゾス語で「落葉」の意味を持つ、赤と黄色が特徴的な、プルノ社のスナック菓子といえば何?
解、ドランチップス
「なぜガナシアは答えなかったネ……?」
「……あれは」
ユーヤは、ひどく残酷な事実を告げるかのように、沈痛に眉を歪めながら言う。
「あれは、「腰を使う」という事象だ」
「? 何の話ネ?」
「元は麻雀というゲームの言葉なんだが……。例えばカードゲームで、相手が捨てたカードで「あがり」になるゲームがあるとする。交代で一枚ずつ捨てていって、相手から目的のカードが出たら勝ちというゲームだ」
「うむ……そういうカードゲームはフォゾスにもあるぞ」
「そして、相手が捨てたカードに対して。腰を浮かせて反応したフリをする。相手としては「おや、今捨てたカードが上がりのカードに似てたのか?」と悩むことになる。わざとでなく、本当に間違えて体が動く場合もあるが、それはプレイの妨げとなるので、プレイ中は相手の捨てたカードをよく見て、極力余計な動きをしないのがマナーとされている」
「……何だと、ユーヤよ、まさかそれは」
「そうだ、今のガナシアの早押し、ガナシアが動いてからボタンが押されるまでにわずかなタイムラグがあった。そのために司会者は問題の読み上げをやめた。あるいは背後の百人の中にも、ボタンを押すのをやめた者がいたかも知れない」
「そんな……だから、答えなかったというネ?」
「そうだ、ガナシアはその状況をアンフェアなことと考えたんだ……」
(僕のミスだ)
(ボタンが剥がれる可能性を考慮すべきだった、試合の前に設備の確認をしておけば――)
舞台では、勝者であるジウ王子が称賛を浴びている。まるで己一人だけが存在していたかのように、舞台袖に消えるガナシアに一瞥もくれない。
ガナシアには拍手すらない。あまりにも無体な結末のためもあるし、あるいは観客なりの優しさであったのかも知れぬが、誰も彼女の方を見るまいと努めるかのようだった。
「――すまない!」
舞台袖に入るや否や、ガナシアは両手を床につき、額を擦り付けて叫ぶ。
「私の責任だ! どのような罰でも受ける! 差し出せと言うなら、この命すらも」
「ガナシア――」
その肩に、そっと手を置く人物がある。
いつの間にそこに来ていたのか、淡いクリーム色のロングドレスを着たエイルマイルが、床に片膝をついている。
「ガナシア、顔を上げてください。大丈夫です、今の戦い、誰もがあなたの強さを認めています。最後の問題での行動の理由も、皆が承知しています」
「姫様、しかし私は」
「私は、誇らしいのです、ガナシア衛士長」
その頭をそっと抱きしめ、天上の言葉のようにたおやかに言う。
「あなたが、目先の勝利よりも、クイズ戦士としての誇りを選ぶ人物であったことが誇らしい。たとえ国富の全てを失っても、貴方という素晴らしい騎士が側にいるなら何を恐れることもない。国とは人であり、王とはそれに仕える人々あってのものなのです。他の誰も知らずとも、私や、ここに居られる方々は知っています。貴方が本当の強者であり、誇り高きクイズ戦士であることを――」
「姫様……」
涙が。
ガナシアの頬を涙が伝う。エイルマイルはその忠実なる衛士の頬に口づけし、涙を拭い去る。
そのとき、ユーヤは見た。
女神のごとく美しき姫君、その背中から立ち上る、炎の揺らめきにも似た気配を。
この気配は知っている。
かつて、偉大なるクイズ王たちに感じたものと同じ。彼らに不可能はなく、彼らは常人とはかけ離れた場所にいた。そして世界のすべてを置き去りにして、どこか遠くへ行ってしまった王たちの気配、それが確かに感じられる。
「大丈夫、私とユーヤ様が、必ず勝利を納める」
(エイルマイル)
ユーヤは、その背中に独白のような思考を投げる。
(エイルマイル、よくここまで華開いた。今の君ならば、世界中の誰にも負けない。今の君が備えるのは完全な心技体、天運すらも君に追従するだろう)
その耳に、司会者の声が遠く響く。
「さあ! では参りましょう! 第二ラウンド! 百人唯一解クイズです!!」
エイルマイルが進み出ていく。
(ようやく、見つけた)
(長い長い旅の果てに……世界すら越えて、僕は見つけたのか、真の……)
「ユーヤよ、あの百人唯一解クイズとやら、大丈夫なのか、コゥナ様は聞いたことのないクイズだが」
「大丈夫」
「クイズ王は、負けないんだよ」
※
「次の試合は三年前です。ハイアードの国内でのイベントにて、余興として開かれたクイズです」
空間が一変する。
それはワインの品評会のようなイベントであった。遠くには長テーブルにワインが並び、正装した男たちが利き酒をしている。会場は屋内のようだがかなり広く、別の場所ではヴィンテージワインのオークションや、美人コンテストなども開かれている。基本的にこの時代、この大陸の人々はイベント好きかと思われた。
映像の中心にいるのはジウ王子、いつもの小さな黒板を持ち、左右にはスーツ姿の男たちがいる。企業の重役か何かだろうか。ジウ王子は黒板を手に、ワインに関する問題にすらすらと答えていく。
「このときは12問中12問の全問正解、八問目と十二問目などはかなりマニアックな問題でしたが、易々と正解しています」
解説するのはエイルマイルである。
ここは大使館の食堂、暗幕が下ろされているが、藍映精の映像の中では部屋の明るさはあまり意味を持たない。場にいる王族はエイルマイル、コゥナ、そして睡蝶となっている。
外ではメイドたちが来客のもてなしをしていたり、ガナシアが早押しの練習をしていることだろう。
「……どうだろう、会場にサインを送っている人間はいるか?」
「ずっと見ているが、見当たらない」
コゥナが言う。
この検討にあたって、まず彼女の視力がユーヤを驚愕させた。
視力検査で用いられるランドルト環、五メートルの距離で直径7.272ミリのランドルト環を見分けられる視力が1.0であり、その二倍の距離で見分けられるのがすなわち2.0である。
ユーヤが簡単に計ったところ、コゥナの視力は6.0はある。30メートル、この世界で言うなら30メーキ先で構えた本が読めるほどである。
無論、ジウ王子の視力がそれ以上ということは考えにくい。
「うむ、やはり誰もサインなど出していない。それ以前に、半径50メーキ以内に人間がほとんどいない試合もあったぞ」
「うん……」
ユーヤとしても、その可能性はあまり考えていない。この映像にしても世の中に広く出回っているのだ、サインなど露骨なマネができるはずはない。
映像の中ではジウ王子が解答を続けている。常に直立不動であり、一切の感情の揺れは見えない。
(……なんだ? この違和感は)
その違和感は、あるいは最初に映像で彼を見たときからずっと続いている。
不正によるものだろうか、正しい気構えでクイズに臨んでいないから違和感を覚えるのだろうか、そのように考える。
「……先の真夜中の会合で行われたステレオクイズ、あれが大きなヒントだと思う」
ふいに、そう言葉をこぼす。
すると、背後から誰かがもたれかかって、その胸の膨らみを思いきり頭に乗せる。
「ヒントってどういうことネ、ユーヤ」
「その前に降りろ」
やや強めにそう言う。このラウ=カンの王妃は、どうやらあられもない色仕掛けに切り替えたらしい。
「睡蝶、だめだぞ、お前は先程ユーヤとの勝負に負けただろう、虞人株はお流れだ」とはコゥナの言葉。
まさに今、メイドの一人が役場に走って結婚の証明書を貰っている頃である。サインをするだけで結婚が成立するという事にはまだ現実感がない。おそらくあと数週間はないような気もする。
「うーん、確かに虞人株は諦めるけど……」
睡蝶は菫色の髪をこりこりと掻いて、ふいにぱっと明るい顔になる。
「でも、ムラムラっときたユーヤに押し倒される分には問題ないネ」
「問題あるわ!」
さすがに大声でツッコんで、ふうと息をつく。
「話をさせてくれ……あのステレオクイズ、もちろんアテム王を勝たせるためのクイズだったが、もう一つ考えていたことがある」
「もう一つ、ですか?」
エイルマイルがようやく口を開く、先程の睡蝶の痴態には関心がないという風情である。これはもしや正妻の余裕というものだろうか、と頭の片隅で思う。
「そう、話の中でも出てきたが、ステレオクイズというのは非常に難易度が高い、はっきり言ってしまえば人間には荷が重いクイズなんだ」
「そうなのか……? だがジウ王子は全問正解だったのだろう?」
コゥナの言葉にうなずき、つまり、と話を進める。
「ジウ王子には耳が複数あるのか、それを確かめたかった」
「耳が……だと?」
「そうだ。おそらくジウ王子の不正とは、通信機器を用いて、離れた場所にいる複数人が思考に参加する、という不正だ。問題を聞いている者が複数ならば、あの難関至極のステレオクイズでも解ける。そして、極端な難問奇問は解けない理屈だ」
「離れた場所と相談するだと? どうやってだ」
マイペースな王たちの中にあって、そうして思い付く質問をポンポンと投げてくれるコゥナは実に話しやすい相手だった。ユーヤは彼女の目を見ながら話を続ける。
「機械かとも思ったが、それは違うようだ。この世界の科学技術で携帯電話、小型のイヤホン、そんなものを開発するのはまだまだ時間がかかる。他の国より科学が進んでいるハイアードでも不可能だろう。そんなものが開発されているなら、技術革新の余波が市場にも出てくるはずだ」
「よくわからんぞ」
「つまりは妖精だ。おそらくハイアードは、遠く離れた場所と通話ができる妖精を呼び出すことに成功したんだ。それによって協力者……おそらく各分野の専門家か、クイズ戦士たちと協力しあって答えている」
ユーヤはそこで、痛ましい感情をにじませて言う。
「……その妖精は、僕の世界にもいたんだ」
それは思い出したくもない。しかし折に触れて数限りなく思い出し続ける、無限の責め苦のような記憶。
「僕たちの世界のクイズ、特に一般参加のクイズは、その妖精たちに滅ぼされてしまった……」
携帯電話、トランシーバー、ポケットベル、
あるいは電子辞書、そしてネットに接続できる携帯端末。
持ち物検査、妨害電波、あるいは数十台のカメラによる監視、そんな防御策をどれほど講じても無駄だった。
不正はあらゆる場所に出現し、イベントを弛緩させた。
かの偉大なるクイズ王たちは一線を去り、不正の介在しないという「約束」で守られた世界、地下クイズの世界に引きこもってしまった。
そしてユーヤは、最後の手段として番組そのものを壊した。クイズの世界そのものを崩壊させた。
それが己の役目であり、責任であると信じて――。
「だが、戦う手段はある」
ユーヤはつとめて平静に、周りに動揺を与えまいとするように言う。
「相談も検索も、調査も使えない、しかし真のクイズ戦士ならば勝てる、そういうクイズもあるんだ。その名を百人唯一解クイズという」
「百人唯一解クイズ……聞いたこともないネ」
「エイルマイル、君にはこのクイズで戦ってほしい」
「分かりました」
エイルマイルは決然とした態度で頷く。どれほど困難な勝負てあってもものともしない、という静かな気炎のようなものがある。
「――ですが、ユーヤ様」
「なんだ?」
「今のお話……遠隔地と通話のできる機械だの、妖精だのというものは」
「おそらく、間違いでしょう」
ガナシアに勝たせてあげたかった……