7
※
かの懐かしくも畏れ多き、クイズ黄金時代。
多くの少年少女たちが、王の輝きに魅せられたあの頃。この僕、七沼遊也も例外ではなく、クイズに魅了された一人だった。
放送されるクイズ番組をビデオに録画し、出版されるクイズの本を読みあさり、時に小さな大会に出場することもあった。どこにでもいる、ちょっとのぼせ気味のクイズオタク、僕への形容はその程度だ。
だが、あの番組。
テープが擦り切れるほどに見返していた、あの番組。それこそ何百回も、春から冬に至るまで見続けていたような、あの国民的クイズ番組。僕はふと違和感を覚えた。
最初はその違和感の正体が分からず、僕は部屋の片隅にうずくまる恐怖のような、天井の隅に張り付く緊張のような、不可思議な感覚に動揺した。
だが何度も何度も――テープがノイズにまみれるほど見返して、僕はようやくその感覚の正体に気づく。
あのクイズ王――。いくつもの大会で優勝し、誰もが認める偉大な王の一人であった彼が。
ほんの時おり、そう、彼の数多い出演歴の中でもほんの十回ほど。
「考えずに答えている」ことに気づいた。
今にして思えば。
なぜ、そんなことに気付いてしまったのか。
※
「――まさか」
エイルマイルは、ユーヤの発言の意味をまだ掴みかねてるようだった。不安げに片手で胸元を押さえるような仕草をする。
「間違いない。彼は問題を考えていない」
ユーヤはその言葉を、何かを黒く塗りつぶすように繰り返す。
「そ、その根拠は何だ!?」
ガナシアが問い、背後のメイドたちに合図を送って部屋から退出させる。
「彼は動作が少ない」
ユーヤが言う。
「ほとんど直立不動のまま、淡々と答えていただろう? あれは不自然だ。どんなクイズ戦士でも、屋外のクイズ大会の時には問題をしっかり聞こうと、やや前傾に構えて耳を澄ますものだ。つまりジウ王子は問題に集中していないということだ」
「そ、それは……。ですが、気球からの音声は十分な大きさでしたし、単に余裕の現れなのではないでしょうか?」
「もっと言うと、答えを書くときの動作に自信だとか確信だとか、そういう意思が伴っていない。また全体的に腕の動きが小さすぎる。心理学的に言えば、あれは何か秘密を隠そうとしている人間が、腕に感情が現れることを恐れるがための行動だ」
「ですが……」
エイルマイルは得心がいかぬ風である。
それも無理もない。ここ6、7年、世界に君臨しているクイズ王である。それが不正をしていたなどと、受け入れろという方が無理がある。
「根拠は他にもある。どんな問題でも、問題文を完全に聞き終わってから書き始めていること、書き始めるタイミングを決めてるかのようにだ。また超難問のとき、他の解答者が正解したかどうかをまったく気にしていないこと、それに……」
――妖精王とやらに召喚されたのが、この僕であること。
その言葉が脳裏に浮かぶものの、それは言葉にする前に噛み殺される。
「それに……?」
「……いや、結局の所は勘にすぎない。彼が本当に神がかり的な、動作を表に出さないほど余裕のあるクイズの達人だという可能性だってある……。だが」
心中の黒い霧を振り払うかのように、肺から空気を出して声を強める。
「おそらく、この仮定には意味がない」
「え?」
「こんな衆人環視の中、映像にまで撮られている中でやってのけているんだ。どんな方法にせよ、大会の本番までに見抜けるようなものとは思えない」
「ジウ王子がカンニングでもしているというのか!」
「それは分からない。そうだな、証拠を押さえられるかはともかく、少しだけ検討してみるか」
「う、うむ……」
「まず、クイズの不正で主なものは2種類しかない。1つはカンニングだ、ジャンルが極端に限定されている場合ならカンニングペーパーを持つ可能性もあるが、この場合は外部の誰かに答えを教えてもらうことだろう。この世界に無線機や電話はあるのかな?」
問われて、この穢れを知らぬような姫君と、その衛士長は顔を見合わせる。そして姫君のほうが控えめに発言する。
「デンワ……とは何でしょうか?」
「遠く離れた場所と会話できる機械だよ、妖精でもいい、妖精の中にそういうのは無いのか?」
エイルマイルは少し考えてから、口元に指先を添えて答える。
「ふたつのコップの底を、糸で結んで」
「糸電話だな、分かった、普通の電話は無いんだな」
ぴしゃりと打ち切る。
「となると視覚的伝達だが、さっきのは断崖絶壁から遠く離れた、浮き島での試合だ。外部からブロックサインで答えを教えるってのも無理がある。じゃあ、もう一つの方法だ」
「もう一つとは?」
「問題を知ってる、という不正だよ。何らかの方法で問題文を事前に入手している、あるいは問題を作るスタッフに手下を送り込む」
「まさか! それはありえない!」
ガナシアが、ばんとテーブルを叩き、勢い込んで言う。
「問題作成委員会、「塔の百人」という委員会は民間の組織だ! 七つの国から市民の代表が集まり、妖精王祭儀で使うすべての問題を作っているが、過去120年あまり、事前に問題が漏れたという例は一度も無い!」
「その組織の信頼度は僕にはわからない。でもハイアードはこの大陸の盟主なんだろ? どうなんだ? 本気でその組織に干渉するなり、誰か息のかかった人間を送り込むことはできないのか?」
「考えられません!」
と、エイルマイルもいつになく強く断言する。
「それだけはとても……。毎年、大会で使う問題は300問あまりですが、「塔の百人」は8000問あまりを作るのです。それは数百の袋に分けられ、各試合ごとに10の封筒が用意されます。そして、司会の方が試合開始の直前に一つを選ぶのです。そこに不正の入り込む余地など……」
「その気になれば何とでもなりそうだが……。まあいい、僕はしょせん門外漢だからな、君たちがその組織を信頼していることを尊重する」
そこは争う気がないのか、ユーヤは割にあっさりと引き下がる。
と、ふいにユーヤは遠くを見るように視線を放り投げたあと、エイルマイルのほうを見やる。
「ちょっと待ってくれ。通信機がないってことは、じゃあラジオやテレビは?」
「ラジオはありますが……テレビというのは分かりません」
「ええとな、どういうものかと言うと、広範囲の人間に、音楽や映像を届ける……」
ぴた、とユーヤの動きが止まる。
「ラジオはあるのか?」
確かに、もはや感覚として体に馴染みきってしまって、ほとんど意識もされない自動翻訳、だが今、この世界の「ラジオ」に相当する言葉がエイルマイルの口から発せられた。
「はい、七彩謡精のことですね。ラジオは高級品ですが、ハイアードなら多くの家庭が所持しています」
エイルマイルが手短に説明した所によれば、この世界でのラジオのチャンネル数は20ほど、ほぼ大陸全土をカバーしており、どの場所でもラジオさえあれば聴取ができる。
放送内容は国営の行政放送、民間でのニュース、ラジオドラマ、フリートーク、歌番組、そしてクイズ番組となっている。ラジオの受信機もまた妖精であるが、値段は拡声装置や妖精そのものの質などでピンキリであり、安いものなら労働者の月給ほど、最高級のものは家が買えるほどの値段に達するという。ラジオはこの世界で最大の娯楽の一つであり、普及率はかなり高いのだとか。
「なるほど、それも妖精の恵みというわけか」
「あの、それが何か……」
「いや、イントロクイズがあるって聞いてたからね、イントロクイズのためには数多くの楽曲が広範囲に知られてないといけない。そのためにはメディアの存在が不可欠だ。ラジオがあるということは、ヒット曲や、定番の名曲、売れっ子の歌手なんかの概念もあるんだな」
「そうですね、最近ですとジェリ・ビュナン、ペールレストランズ、紺碧の壁、などが人気です」
「テレビはないようだが……。映像を保存できる妖精もあって、それが映画館のように機能してるわけだな」
「そうですね、藍映精を用いた映像は人気のある娯楽です」
「だろうな、4Dシアターなんか目じゃないレベル……」
あの映像を科学で実現しようとすれば、ユーヤの時代から更に数十年はかかるだろう。この世界の映画館がどのような作品を上映しているのか興味を唆られるが、それを楽しむ時間など無いのは明白である。一見して冷静沈着、無味乾燥という雰囲気のあるユーヤでも、さすがに少し残念に思わなくもない。
それにしても、とユーヤは思う。
(通信機がないのに、ラジオに相当する妖精はあるのか。2つのチャンネルを使えば一応、双方向通話もできそうだが……)
そこはもう少し掘り下げられそうだったが、今はそれ以外に検討すべきことがある。ユーヤは思考を少し巻き戻す。
つまり、通信機やブロックサインで外部から答えを教えてもらうことはできない、何らかの手段で事前に問題を入手することもできない、という確認が行われたことになる。それならば。
「わかった、ひとまず最低限の検討はできたが、これ以上は無駄だろう。そもそも仮に不正があるとして、衆人環視で何年も発覚していないという離れ業だ。僕がこれから数日で暴くのはムリだろう。だから勝手なことを言ってすまないが、不正のことは忘れるべきだ」
「……」
エイルマイルとガナシアは、そもそも不正があるという仮定をまだ受け止めきれていないようだ。どう答えたものか分からず、口元をわずかに引き締めるだけだった。
ユーヤが続けて口を開く。
「君は国の宝を守りたい、そうだな」
「そ、そうです、そのために何としても、ハイアードの優勝を阻止……」
「方法は無くもない」
勢い込むエイルマイルを、胸の高さで手をかざして遮ってからユーヤが言う。
「しかし、間違えてはいけない。目的は妖精の鏡、ティターニアガーフを守ることであり、それとセレノウの優勝や、ハイアードの優勝の阻止は必ずしもイコールじゃない」
「……え、し、しかし。先程も言いましたように、ティターニアガーフを隠したり、偽物とすり替えることは……」
「違う、もっと前の段階の仮定だ、君が言っていただろう。優勝した国は、他の国にひとつだけ要求を突きつけることができる」
「……はい」
「そして、その要求は、他の六ヵ国すべての反対によってのみ却下されると」
「――え」
ユーヤは頭の中で先程の世界地図を思い浮かべる。ほぼひし形に近い大陸、そこを塗り分ける六つの国と、東の海に浮かぶ島国の図。
「ハイアードには勝てないが、要求は阻止できるかも知れない。すべての国と交渉し、ハイアードの要求に対し反対票に回らせる」
「し、しかし、そんなことをどうやって!?」
「それは、ガナシア、さっき君がやった方法だよ」
「え?」
急に水を向けられ、この長身の衛士長も動揺を見せる。
「つまり、決闘を申し込む」
「!?」
ユーヤの指が宙を示し、空中に思い描いている世界地図をなぞる。
「最初はここだろうな。東の果てにあるという国、どこか僕のいた国に近い雰囲気を持つ……」
「群狼国、ヤオガミ」
※
夜がしんしんと更ける頃。
そこは広い広い堂のような場所だった。板張りの空間はしんと静まり、ただ部屋の外周に配された、油皿に燈芯の挿された灯明だけがじりじりと燃えている。
堂の外には風もなく、虫の音もなく、夜の更ける気配だけが深まっていく。
しかし、堂の中には数多くの人間がいた、いずれも裃を着て、刀を脇に置いて座する侍ふうの人々である。
中央には赤地の裳裾を着て、腰に刀を刷いた女性。その髪も先端が炎のように赤く、目にもわずかに赤みが差している。全身からうっすらと熱の立ち上るような気配がする。
その前には竹である。木製の台座の上に置かれた、人の腿ほどの太さの竹筒。長さは1メーキといったところか。固定はされておらず、いかにも不安定に見える。
「参ります」
外周に座す人物のうち、一人が声を放つ。
「余野州の棚倉岳。白露州の古見山、この二峰は標高が同じですが、それは」
「2222メーキ」
かっ、と、竹筒の上から3リズルミーキ (3センチ)ほどの部分が右方向にずれる。近づいてみなければ分からないほど、ごくわずかに。
目にも留まらぬ銀閃のひらめきが、魚の跳ねるような抜刀が、竹筒を水平に輪切りにして、なお倒れることもなく立たせている。
すると、いま発言した人間の隣の男が口を開く。
「楊州日寺村に伝わる「さんざ編み」といえば、使うかぎ針は何本」
「七本」
かっ、と、今度は先ほどずれた部分のわずかに下の部分が、左にずれる。
「すっぱ細工における職人の三原則といえば、長身、痩身、あと一つは」
「未婚」
かっ
「成長まで時間がかかることから、ナマケノキとも呼ばれる」
「ブナの木」
かっ
「百から七を引いていくと、最初に一桁になったときはいくつになる」
「九」
かっ
そして数分。
そこに、奇妙な物体が完成する。竹筒が無数に輪切りにされ、しかし倒れることなく、ごくわずかの間隔ごとに左右にずれている。
そこに居並ぶ侍たちは、全員が発言を終え、ただ深い敬いとともに頭を垂れるのみだった。
「見事」
すると、堂の最奥、板張りの上に一畳だけ畳が敷かれた上に座る人物が、短く声を放つ。
赤い着物の女性、言わずと知れたベニクギが、その声の方を振り向いて正座になり、両の拳を床について頭を垂れる。
頭を下げる先、そこにいる人物は白一色の巫女服のような着物。裾の部分が畳の外側まで広がっている。そして目元には仮面。木彫りで作った遮光器土偶のような大きな仮面で、顔の上半分を隠している。
その人物はわずかに口元を綻ばせ、誰かに誇るように、誰かと喜びを分かち合うように、喜のにじむ声で言った。
「今年こそ、そなたの力を示そうぞ、ベニクギ――」