……許しません、決して。(前編)
ミオが、十日間の休みを取るといって出てから八日目。予定より少し早い帰還だった。残りはゆっくりと過ごすのかと思ったけど、服装はいつもの侍女姿で、完全にお仕事モード。
わたしは首を傾げた。
「少し予定より早いわね?」
「ええ。帰りはトマスと交代で、馬を眠らせる以外、不休で駆けてきました。少々火急の用がございまして」
ミオはキュロス様に目配せした。わたしはそれで、自分が邪魔者なのだとすぐ気付く。全然自慢にならないけど、こういう扱いには慣れていて、わたしはとても勘が良い。
「キュロス様にご用事なのね。ではわたしは自分の部屋に戻ります」
「え、い、いやでも」
引き止めようとするキュロス様。ミオはそんな主を睨んで叱る……かと思いきや、意外にも同意した。
「旦那様だけ来てくだされば結構です。マリー様はこちらでお休みになっていてください」
「なぁそれ、ほんとに今すぐでないと駄目か?」
「駄目です」
拗ねたような声で窺うキュロス様に、きっぱりと言い切るミオ。
「広間に、『客』をお連れしております。トマスが待っていますので、お急ぎください」
……客? こんな早朝というにも早すぎる朝に、一体どんなひとが?
キュロス様は表情をこわばらせている。あまり良い客ではなさそう。
正直いって好奇心が刺激されたけど、わたしが口を挟むのはおこがましい。わたしはキュロス様の部屋へ戻ることにした。背を向けた途端、ミオがキュロス様に何かを報告していた。聞き耳を立ててはいけない、と扉を閉める。
ところがベッドに入るより早く、再びキュロス様が顔を出した。
「マリー、やっぱり、君も来い」
「……え?」
驚いて、見つめる。彼の表情は、さっきまでの甘い微笑みとは打って変わった、厳しいものだった。眉根を寄せ、心なしか青ざめている。
「なんでしょう。お仕事の話ではないのですか?」
わたしが問うと、彼は渋い顔のまま、クローゼットから毛皮のマントを取り出した。わたしの身体を包みながら答えてくれる。
「ああ。……楽しい話ではないだろう。だが、君が聞くべきだ。俺からの伝聞ではなく、自分の耳で。君の姉……アナスタジア・シャデランは、君の家族なのだから」
キュロス様の大きなマントに身を包み、夜明け前の廊下を進む。
ミオの言う広間とは、城門から古城に入ってすぐのホール――ただの空間のことだった。椅子も絨毯もなく、冷たい石床があるだけ。間違っても、お客様を待たせる部屋ではないだろう。
そんな場所に、男性が二人。一人は年若い門番のトマス。もう一人は、粗末な格好をした男。
彼らは石床に膝をついて、主が来るのを傅いて待っている――いや、違う。トマスが力尽くで、男を押さえつけていたのだ。よく見れば後ろ手が拘束されている。これは一体。彼は誰?
わたしはギクリと身をこわばらせた。いつも温和で、気弱なくらいに腰の低い少年……その表情が、別人のように険しい。
トマスはやはり男を押さえつけたまま、わたしの姿を見て、目を伏せる。
「……どうも。じゃあ僕はこれで」
ぼそぼそと言って、城を出て行くトマス。ミオも声をかけず、トマスの代わりに男のそばに立った。わたしも歩み寄ろうとしたけど、少し手前で、キュロス様に止められた。
「俺のそばにいてくれ」
情熱的な台詞は、氷壁のように冷たく強張っていた。
ミオが男に話しかける。
「顔を上げてください。当グラナド城の当主、キュロス・グラナド様に、あなたを紹介いたします」
男は俯いたままだった。身長は低めだけど、がっちりした体格。髪は灰色で、肌は黄色みがかっている……外国人?
ミオは男の肩を掴み、無理矢理顔を上げさせた。ぎょろりとした丸い目に大きな鼻。やはり外国人だ。
……あら? このひと、どこかで見たことがあるような……。
「名乗りなさい」
ミオに促されても、首を振る男。アーアー、と意味のない言葉で抗議をする。もしかして言葉が通じないのか。ミオの眼差しが鋭くなった。
「ヤーコブさん。誤魔化さないでください。あなたがバンデリーから出稼ぎにきたのはもう何年も前、それからはずっと王国で暮らしているのでしょう、話せないはずがありません」
「あ……アー、ちが……う。少しなら、少しだけしかわからないカラ……」
「シャデラン領ではもっと流暢に、たくさんお喋りしてくれたじゃないですか。金貨一枚で、得意げに。同じことをここで話せばいいだけです」
「や……アー、わからない。何を言っている? オレは何を言った? ぜんぜんわからナイ」
「……どこの骨なら無くなっても? まずはそこから砕きます」
「やめろ! アーあーあーっ、王国人は野蛮だ!」
「ミオ、やめろ」
キュロス様が前に出た。わたしを背中に隠しながら、男の前に屈み込む。そして、言語を変えて語りかけた。
「ヤーコブ。うちの侍従たちが、悪かった。グラナド城へようこそ」
男が、ギクリと全身を震わせた。
「バンデリー語を……話せる……!?」
彼が驚くのも無理はない。バンデリー語は、王国ではまったく馴染みのない言語で、わたしも単語を拾い聞くのが精一杯。キュロス様も片言程度なのだろう、簡単な単語だけを用いて、だけど正しく言葉を紡ぐ。
「彼女から、もう聞いた。おまえは、馬車の運転手。あの日、アナスタジア・シャデランを乗せたな?」
「あ……あー……」
「そして事故で、川へと落ちた。警察にはそう話したな」
「ああ……」
「真実は?」
男は答えない。キュロス様の追及は止まない。
「アナスタジアを殺したのは、おまえなのか」
わたしは息を呑んだ。
……どういうこと? 今、ここで彼らは何の話をしているの?
「あー……ち、違う。オレは……ドクチゅえいラだからそれは、まググのオイドロ、だ」
「うん? 何だって? もう一度」
「伯爵さま、ことば、うまくない。オレはユユゴイストラぐエえか」
キュロス様は困ったように眉根を寄せた。その様子に、ニヤリと笑う男。ひどい方言なのか、それとも実は何の意味も無い音を並べているだけなのか、わたしたちにはわからない。
ミオが「王国語で話しなさい」と叱ると、今度はだんまり。キュロス様は溜め息をついた。
「……やれやれ。つまり、絶対に話したくないことを抱えているということだな」
……わたしは、ヤーコブというこの男のことを、なんとなく思い出していた。シャデラン領に一軒だけある貸し馬屋の、雇われ御者だ。普段使いすることはないが、稀に遠方へ手紙や荷物を出す時は訪ねる店。そこで彼を見たような記憶があった。
彼がアナスタジアを乗せた?
お父様は外国人が嫌いだ。彼らはみな貧しく野蛮で、信用できないって。それなのに、アナスタジアの大事な日に雇ったのは、出稼ぎの外国人御者……。
そして彼が、アナスタジアを殺したというのは、一体。
いずれにせよ、尋問は膠着してしまった。どうしよう――と、その時。
「連れてきましたっ!」
駆け込んできたのは、さっき出て行ったばかりのトマス、それにヨハンも一緒だった。いつも通りの庭作業服である。中庭の仕事場から連れてこられたらしい。
どうしてヨハンがという疑問は、すぐに晴れた。ヨハンが、流ちょうなバンデリー語で男に話しかけたのだ。
「ヤーコブ……その名のイントネーションからすると、西海岸地方の民族だな?」
「えっ!」
ぎょっと目を剥く男に、ヨハンは淡々と、言葉を紡いだ。
「群島諸国は確かに、いくつかの言語が話され、それぞれに強い方言がある。それでもバンデリー公共語が通じないわけがないが……まあいい。ヤーコブ、もう一度喋ってみろ」
「え……そ、その――ウゴジャル――」
「うごじゃる? どこの方言だ。群島諸国のどこにもそんな言語はないぞ」
うぐっ、と呻いて黙るヤーコブ。
「儂は、群島諸国ならすべての土地に行ったことがある。言ってみろ、おまえさんの出身は、何島の何市だ? どこの言葉でも、儂が合わせてしんぜようぞ」
そう、ヨハンはバンデリー群島諸国の出身、本物のネイティブだったのだ。彼の前で言葉がわからないは通らない。男は、流暢な王国語で呻いた。
「くそっ……なんで群島の人間が、城勤めなんぞ……一体どうやって取り入ったんだ」
ヨハンは、男の前に腰を落とした。そして脅しをかける……かと、思いきや。
にやりと笑った。彼らしからぬ、酷く野卑な笑みだった。
「なに、簡単な話だ。この城の旦那様は、儂らと同族だからな」
「ど……同族? 王国の伯爵がか?」
「ああ、見ての通り異国人の血が入っている。母方が異国の流民でな、この方もまた、儂らと同じように王国人に侮辱されて育ったのだ。儂らは、仲間だ」
「な――う、嘘だ……だって、貴族……」
「儂がここにいるのが何よりの証拠。それに……もともと、旦那様は、おまえさんを断罪する気などない」
「は?」
これには男だけでなく、キュロス様やミオも眉を跳ね上げた。二人はすぐにそれを押し隠したけども。
ヨハンは、キュロス様とわたし、二人を順番に、一度ずつ見つめた。そして視線をヤーコブへ戻す。
「……おまえさんは、勘違いをしている。グラナド城当主、キュロス・グラナド伯爵は……報償を与えるために、おまえさんをここへ呼んだ。『よくぞアナスタジアを殺してくれた、ありがとう』と――」
……なっ!?
反射的に、悲鳴を上げそうになったのを顎ごと押さえ込む。
男は目を丸くして、ヨハンに説明を求めた。ヨハンが回答する。
その言葉の途中で、キュロス様が、わたしの肩を抱き寄せた。――大丈夫です、と、視線で伝える。
これはヨハンの大嘘だって、何もかもデタラメだって、わかっておりますから。
――キュロス・グラナド伯爵にとって、アナスタジア・シャデランは、ひとことで言って、『邪魔』だった。理由は単純――彼は、彼女の妹、マリーのことが好きだったから。
公爵令息として、アナスタジアとの婚姻が義務づけられていた伯爵。しかしそこに同席していた、長身で赤毛の妹に恋をした。妹もまた、緑の瞳の青年と、王都の暮らしに憧れた。
想いが通じ合った彼らだが、それで長女との婚約を破棄、次女へ鞍替えできるなら苦労はない。二人は泣く泣く離れ……。
長女は嫁入りの道中、まさかの事故死。男爵は慌てて、次女のマリーを身代わりに立てた。
表向きは、傷心の伯爵と『ハズレの妹』の政略結婚。だが実体は相思相愛夫婦の誕生だ。
二人は恋の成就と、アナスタジア・シャデランの死をこころから喜んだ――。
「嘘だ、そんなわけがあるか!」
ヤーコブは叫ぶ。
「シャデランの次女っていったら、あの『ずたぼろ娘』だろうが。何度か見かけたことがあるぞ。姉とは似ても似つかない、ボサボサの赤毛にきったねえ黒い服で、男みたいに背がでかい……」
と、そこでわたしと目が合う。彼は目をまんまるに見開いて、上から下まで、わたしを眺めた。
「……まさか。いや確かに背丈は。う、嘘だろ……!?」
「そう、ここにいる美女がマリー・シャデランだ。肩まで抱かれて、仲睦まじくしとるだろ?」
続けてヨハンは、わたしがずたぼろだったのは、姉に虐められていたせいだと語る。伯爵とのことがなくても、マリーはアナスタジアを殺したいほど憎んでいたのだと。
それは男にとって異様に説得力のある弁だったらしく、あっさり納得していた。
「なるほどなぁ……。これは、たしかに。あの姉よりも……」
「旦那様は、儂らに言った。『馬車の御者に感謝している。表立っては無理だが、ぜひ褒美を与えたい』と」
「ま、まじかよ」
御者の男の顔がほころぶ。ヨハンも目を細めた。
「ああ本当だとも。そしてこうともおっしゃった。『彼がいなければ、この手でアナスタジアに毒を盛らねばならぬところであった。自分の代わりに殺してくれた』。
……ヤーコブ。おまえさんは、なんにも悪くない。それどころか褒美が与えられるのだ。もしかすると、グラナド城で召し抱えて頂けるかもしれないぞ」
「はっ!? は、ははは、そりゃさすがに……出来が良すぎる話じゃ……」
「何を言う、この通り儂がこうして城暮らしをしているじゃないか。ここで暮らせ、ヤーコブよ。これからは田舎の貸し馬車屋で偉そうな店主にどやしつけられることもないぞ」
「は……うはっ……ははは……」
男の頬が緩み、笑いが止まらなくなっている。
ヨハンは立ち上がり、まずはわたしに、それからキュロス様に深々と一礼した。身を引いて場所を譲る。
キュロス様が継いだ。
「では、ヤーコブ。話してくれ。――アナスタジアは、なぜ死んだ?」
男は笑い続けていた。なんら邪気すらない、日常の雑談のような口調で、笑いながら言った。
「そーだな。まっ、オレのせいだろうな」
――ギリッ、と異様な音がした。出所を探すと、男の後ろで、トマスが奥歯を噛みしめていた。