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ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される  作者: とびらの
ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される
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ずたぼろ赤猫ものがたり

 寒い。寒くて寒くて、足指までがガタガタと震える。

 それなのに首から上だけは焼けるように熱くて、耳が痛くてちぎれそうだ。


「あーう……あーうう……」


 両手をばたつかせて、助けを求める。具体的に、何をどうして欲しいのかはわからなかった。自分が健康でないのは分かったけども、なぜ熱くて寒いのか、つらいのかなんて見当もつかない。ただこの家にいる、自分より年上のひとたちに向けて、わたしは手を伸ばしていた。


「ま……まーま。ぱぱ……お、おねえちゃぁん……」


 ……額のあたりに、冷たいものが置かれた。濡れた布らしい、それはわたしの頭から熱を吸い取ってくれる。

 とたん、全身が楽になった。頭を冷やすと、不思議と身体の寒さがやわらぐらしい。

 わたしはホウと息を吐いて、ぼんやり霞む目を開いた。

 小さな女の子がいた。


「マリー、どう? きもちい?」


 寝ているわたしを覗き込んで、眉毛を垂らす。


「あ……アーニャ、お姉ちゃん。……ありがとう」


 わたしが言うと、アナスタジアお姉ちゃんはホッと息をつく。

 わたしよりも二歳年上、六歳になったばかりのお姉ちゃん。薔薇色をしたまんまるのほっぺ、こぼれ落ちそうなくらいおっきな青い瞳。くるくるした金色の髪の毛は、肩にかかるくらいの長さ。どれもわたしには無いものだけど、子どもらしからぬ、ほっそりした指だけは姉妹でよく似ていた。


「だいじょぶよマリー、さっきね、お医者さまがね、ただのお耳の風邪なんだって。いっぱい寝れば治るんだって」


 わたしは嬉しくなって、笑った。

 カゼ、という言葉の意味はわからなかったけど、自分がそんなに大変な状態ではないことにホッとして、それをお姉ちゃんが伝えてくれたことが嬉しかった。

 だいじょぶ、だいじょぶと、わたしの手を握り繰り返し言い聞かせてくれるお姉ちゃん。

 思えば彼女は、わたしが転んで怪我をしたときも、食べ過ぎてお腹が痛かったときも、ひとりで眠るのが怖くて泣いたときも、こうして慰めてくれた。

 ママもパパも、他の誰もそうしてくれなかった。お姉ちゃんだけが、いつも。


 お姉ちゃんは、わたしが少し元気になると、膝に載せていた本を持ち上げ、見せてくれる。


「ねえマリー、寝てるだけじゃさみしいでしょ? あたしが本を読んであげるわね」


 わたしは歓声を上げた。『ずたぼろ赤猫ものがたり』。まだ字が読めないわたしに、お姉ちゃんはいろんな本を読んで聞かせてくれた。その中でもお姉ちゃんのお気に入りの本だった。


 子どもにはちょっと重たすぎる大きな表紙を、全身を使って開くお姉ちゃん。


「――いつかの時間、ここではない場所。たくさんの国を歩いて渡る、旅人がおりました。彼がやってきた街の入り口に、赤くてずたぼろの猫がおりました。

 旅人は猫に尋ねました。『やあ、猫ちゃん! 君の名前はなんてゆーの?』ずたぼろ赤猫は答えました。『うるせぇばかやろ、名前なんか、あるもんかい。ぼくはただのボロ猫さ!』」

「ふふっ……」


 シーツに口元を隠し、くすくす笑う。

 だって、アナスタジアお姉ちゃんたら、前に読んだ時と台詞が違う。その時々で、イプス語をいい加減に訳しているせいだ。

 わたしはまだイプス語を読めないけど、お姉ちゃんがこうして王国語に訳してくれるから、お話は全部覚えてるの。


「『それよりなんでぼくに名前なんて聞くんだい。ぼくがどうしてずたぼろなのか、おまえは知りたくないのかい』『それなら聞かなくたって分かるよ。君が赤いせいだろう? 同じ猫の仲間にいじめられたな。オイラは何でも知っている』。

 なんでも知ってる旅人に、ずたぼろ猫は尋ねました。『どうしてぼくはゴミなのに、耳があってしっぽがあってニャアと鳴いてあるくんだろう』『ゴミじゃなくて、猫だからだよ』旅人は答えました。猫は尋ねました。『ゴミじゃなくて猫なのに、なんでぼくはずたぼろなんだろう』

 ……旅人は答えました。『それはただ、君がそういうものだからだよ』猫は尋ねました。『どうしてぼくは、そういうものなのだろう』『君がただ、そうであるからそうだってだけさ。オイラが旅人であるのとおなじにね』――」


 わたしは口を開いた。すっかり暗記している一節を、枯れた喉で呟いた。


「旅人が言いました。『君も旅をするといいよ。猫がゴミのように転がっていればゴミになる。ゴミがニャアと鳴いたら猫になる。そして、』……」


 お姉ちゃんがにやりと笑う。


「『旅に出たら、旅猫だ!』」


 二人とも、手を叩いて大喜びした。


 ここから始まる物語が、わたしたち姉妹は大好きだった。

 旅人と赤猫ずたぼろは、世界中歩いて旅をする。そして色んなひとや事件と出会う。

 退屈を持て余した案山子(かかし)、泣き虫の鬼、自分が猫だと思い込んでいる虎、踊り続けなければ死んでしまう呪いにかかったおじいさん、笑いたくないお姫様。虹色の鳥だけが道を知っている山を越え、古い歌からヒントを得て、滅びた王国の宝を探し出すの。

 王子様と恋をするよりも、ずっとずっと、魅力的な大冒険。

 お姉ちゃんは大きく手を振り足を上げ、変なポーズや可笑しな顔をして、わたしに読み聞かせ……もとい、演じて見せてくれる。

 大好きなキャラクター、大好きな物語、大好きなお姉ちゃん。この幸せな時間が、永遠に続けばいいのに――


 両手を広げて、不死鳥の真似をしていたお姉ちゃん――その身体が不意に浮き上がり、宙にぶら下げられた。

 襟首を摘まみ上げられたお姉ちゃんはウゲッと呻き、わたしはヒッと悲鳴を漏らす。


「何をやってる、アナスタジア。マリーの部屋に入るなと、あれほど言ったでしょう!」


 叫んだのは、六歳のアナスタジアをそのまんま大きくして、シワを刻んだかのような老婦人。氷柱のように冷たく鋭い声に、わたしは耳を塞いで震え上がった。

 床に這いつくばったアナスタジアは、身体をさすりながら、彼女を見上げる。恨みがましい声で呻いた。


「サーシャ、おばあさま……。ごめんなさい……」

「謝るくらいなら初めからやるな!」


 祖母の手が、姉の頬を打つ。


「お前は本当に言うことを聞かないね。いい加減な翻訳ばかりして……多国言語能力(マルチリンガル)の脳は六歳までに出来上がる。王国語に訳して理解するのではなく、現地の言葉と発音そのままで覚えなくてはならないの。マリーの将来のために大事な時期なのですよ。邪魔をするなと、あれほど言ったでしょう!」


 二度三度叩かれても、姉は悲鳴を上げなかった。腫れた頬を抑えながら、強い声で言い返した。


「マリーが熱を出したの。ママとパパは、移ると嫌だからって来ないの。だからあたしがマリーを治しに来たのよ、お水で布を濡らして。だってあたし、マリーのお姉ちゃんだもの」

「こんなもので、治るか馬鹿!」


 バチンッ! ――激しく掌打し、濡れ布を投げつけるおばあさま。ちいさなアナスタジアの身体は、吹き飛ぶように倒れた。


「お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃん……」


 わたしは耳を塞ぎ、ベッドの隅で怯えていた。怖い。怖くて怖くて、どうしたらいいのかわからない。

 おばあさまは、痛みに震えるアナスタジアを摘まみ出すと、本を拾って、振り向いた。

 ビクッと肩をふるわせるわたしを、優しく撫でる。


「マリー。これからはこのわたくしが看病につきます。容態が変わったらすぐ医者に渡すから安心しなさい」

「……は……はい……」

「さっきの、アナスタジアが読んだ内容はすべて忘れなさい。記憶をまっさらにして。そこへ、わたくしがこれから読み上げる通り、原本の発音で理解しなさい」

「お勉強の、時間ですか……? わたし、まだからだが……」


 恐る恐る、わたしが尋ねる。サーシャおばあさまは返事をくれなかった。代わりに、聞いてもいないことを聞かされた。


「マリー、おまえは生まれつき、頭の出来がいい。この家にいる他の誰よりも。だから、お前に仕込むのがいちばん効率がいいの」

「……でも……お、お姉、さま、も……イプサンドロスのことが好きって……」


 じろりと青い目が睨む。わたしはシーツを被り、その視線から逃れた。サーシャおばあさまは、そんな態度を咎めることはなかった。ただ淡々と、わたしに仕込む。


「『ずたぼろ(Kirli birk)赤猫(ırmızı ked)ものがたり(i hikayesi)』……内容はくだらないコメディだけど、韻を踏んでいてイプス語の発音練習に最適なテキストです。これを暗唱し続けて四歳のうちにイプス語をマスターしなさい。熱でぼんやりしている今こそ、聞き流すことで染みつくでしょう。そして六歳までにフラリア語を。シャイナやバンデリーの言葉は大人になるまでに書ければよろしい」

「……かしこまりました……」


 わたしが頷くと、祖母は本を片手に持ち、立ったまま、音読を始めた。

 演技ではなく、朗読ともいえない。ただ正しい発音で文章を読み上げていく。

 ……わたしは目を閉じた。


 大好きなイプス語、イプサンドロスの物語。

 だけど祖母の声で聞かされると、耳が痺れる。熱が上がるのがわかる。コメカミのあたりがジンジン疼いて、頭も痛くなってきた。


 それでも祖母は、決して許してくれなかった。わたしは熱に魘されながら、胸を掻きむしり、また呻く。


 お姉ちゃん。大好きなアーニャおねえちゃん……。わたしを助けて。

 寒い。熱い。

 寒くて、寒くて、震えが止まらないのに、首から上だけが焼けたように熱い――



 その、額の辺りに……ひんやりきもちのいいものが載せられた。

 水で濡らした布だ。わたしの頭から、すうっと熱の塊を吸い取ってくれる。

 ぬるくなってきたところで外し、また、もう一度。繰り返されるたび、身体の震えが治まっていく。


 ……気持ちいい。


 …………おねえちゃん? ……いや、違う。お姉様は、もう。……ここはどこ?



 ずっしり重い瞼を、やっと開ける。霞む視界に、看病をしてくれていた人の顔が映り込む。六歳の金髪少女……ではない。黒髪に緑の瞳をした、成人男性だった。


「あ……キュロス様……?」

「マリー。気がついたか」


 ホッと息を吐き、眉を垂らす。


「……キュロス様、どうして……わたし、居眠りを?」

「いや、熱を出して倒れたんだ。だけど心配は要らない、ただ疲れが出ただけだって、もう医者にも見てもらった」

「……熱……?」


 口に出すと、ああそういえばとおぼろげに思い出す。

 そうだ――確か、王都の市場にお出かけして……帰りの馬車で、体調を崩したんだ。少し前から、なんか変だな、とは思っていたけど、まさかいきなり前後不覚になるとは思わなかった。

 ベッドから身を起こそうとすると、キュロス様に止められる。


「無理をするな。まだ寝ていろ」

「大丈夫です。もうずいぶん熱は下がったみたいだし……」

「だが酷く魘されていた」

「……それは……嫌な夢を見ただけだから」


 わたしは辺りを見回した。

 見覚えのない部屋だった。ここしばらくわたしが寝泊まりしている客室より一回り狭く、天井が低い。壁や床はむき出しの石造りで、デスクの下に小さなラグがあるくらい。あとは古めかしいキャビネットと小さなクローゼット、そしてわたしが寝ているベッドくらいしか家具がない。

 ベッドマットは柔らかく質がよさそうだけど、デザインは簡素。シンプルで、質素な部屋だった。


「……ここは……?」

「俺の部屋」

「えっ! わ! ごめんなさいっ!」


 びっくりして、慌ててベッドから降りようとする。しかしそうと予見していたらしいキュロス様にアッサリ捕まって、ベッドの中に戻されてしまった。毛布をかけながら、キュロス様は言う。


「いや、仮眠室というべきかな。古城の隠し部屋だ。本来の私室は屋敷のほうにあるんだが、この頃来客が多く忙しいのでここで寝起きしている。一刻も早く君をベッドに寝かせるのに、ここが一番、門に近かったんだ」

「な、なるほどっ……!?」


 理由は理解した、けど、居心地の悪さは変わらない。だって仮眠室、本来は別の部屋と言っても、すくなくともここしばらくはキュロス様の私室でしょう?

 このベッドも、毎日使っているのよね!?


 わたしの緊張を察してか、キュロス様は苦笑い。


「寝ている君の着替えや、汗を拭くのは侍女に任せ、外に出ていた。毛布に忍び込んだりしてないから心配するな」

「そ、そういう心配は……ないですけども……」


 でも、キュロス様の私室……男のひとのベッドだなんて、所在なくてたまらない。

 視線のやり場にすら困って、わたしはキョロキョロ、辺りを見回した。

 ふと、シックな家具のなかで異様に浮いている、ピンク色の物体に目がとまる。わたしの背丈くらいありそうな、細長い布製の、クッション……?


 わたしの視線を追いかけたのか、キュロス様はクッション(?)に駆け寄ると、すごい早さで背中に隠した。


「何ですか、今の?」

「なんでもない。君とは何も関係がないものだ、忘れたほうがいい」


 キュロス様は真顔で言い切った。


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― 新着の感想 ―
[一言] 更にそんなくそババっといけない、そんな醜悪なお祖母様がいたなんて……( º言º)
[一言] あ、やっぱりトルコ語なんだ
[良い点] あーはいはい嫁のかわりねかんぜんにりかいしたわ
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