宝石を買われてしまいました……
人生初遭遇の王子様に、とことん遊ばれてしまった。ぐったりしているわたしに、当のルイフォン様はけらけらと笑うばかり。
「マリーちゃん、可愛いなあ。苦労人だっていうから、もっとひねた感じかと思ってたよ」
「ルイフォン、初対面の女性を相手に遊ぶな。マリーは他人にからかわれることに慣れてない」
キュロス様に叱られて、ルイフォン様はひょいと肩をすくめた。反省した様子はないけど、それでも改めてくれたらしい。
笑うのをやめ、「あっそうだ」と手を叩いた。
「うっかり忘れるところだった。君たちの婚約祝いと、うちの侍女たちが失礼をしたお詫びに、渡すものがあるんだった」
「もう忘れたままでいい。お前からの贈り物に期待はしていない」
「カエルの件は忘れたまえよ。今回はちょっとしたものだからさ」
カエルの件というのがすごく気になったけど、贈り物も興味深い。王族から上級貴族への贈り物……想像もつかないわ。
ルイフォン様は一度、カウンターのほうへ引っ込むと、裏から鞄を取り出した。
大きさはそれほどではないけど、鋼鉄に黒革を貼ったものだろう、やけに重く頑丈そうなアタッシュケースだ。カウンターに置き、鍵を開ける。
中を見て、キュロス様は「おっ」と声を上げた。わたしは、言葉を無くした。
入っていたのは、大きな宝石だった。透き通った赤色、涙粒の形にカットされていて、縦の長さがわたしの爪くらいある。店内の灯りを受け、まばゆい輝きが尖った刃のように突き刺してくる。
わたしには、宝石の知識なんかない。だからこれがどれほどの価値なのか見当もつかない……けど。この店にあるどの品よりも高価だってことは、キュロス様の顔つきで察した。
キュロス様すらも、息を呑んでいたのだ。
「これはルビー……いや、まさかピンクダイヤか? とんでもなく赤いな」
「そう、ダイヤの中でも稀少なピンクダイヤ、それもこれだけ鮮やかに赤いものはレッドダイヤと呼ばれている。それ自体、世界に数えるほどしか無い貴重なものだけど、このサイズになれば世界中探しても他にはないね」
「俺も、これほどの物は見たことも、存在を聞いたことすらもない。……正真正銘の国宝だろう」
ルイフォン様は、クックッと笑った。
「ご名答、王家の秘宝ってやつだな。たぶん、異国との同盟交渉にでも使うつもりだったんだろうけど、和平が成っちゃったからね。ちょっと使い道がなくて、王宮の蔵で眠らされていたよ」
「……俺も、これだけの物を扱ったことはない。……宝飾品に加工すれば、売値は十億……このまま買い取るなら、そうだな……七千万……いや一億ユイロ……」
手を伸ばした、キュロス様の指が石に触れる直前で、ルイフォン様はバタンと蓋を閉じた。にっこり笑って、爽やかに言う。
「八千万でいいよ。お友達価格」
「あ? なんだそれ、買えってことか」
「当たり前。なんで国宝をタダでもらえると思ったんだいキュロス君、あつかましいね」
「お前が『贈り物』だって出してきたんだろうが!」
キュロス様に怒鳴られても、ルイフォン様はどこ吹く風。アタッシュケースを開けたり閉めたりしてみせながら、
「『売ってあげる』というだけでたいそうな恩だと思って欲しいなあ。ちゃんと王族会議にかけて、カタブツ親父らを説得してきたんだよ。どうせこんなの持ってても、僕ら王族は身につけられないし、宝の持ち腐れでしょって」
と、意外なことをおっしゃった。
わたしはつい、不思議そうな顔をしてしまったらしい。補足で説明してくださる。
「戦後、王家の威光はどんどん弱まっている。国王も王妃も王子も、好き勝手ゼータクやっていい時代じゃない。こんな煌びやかなもの、公の場につけていけないんだよ。他のことに税金を使えと暴動が起きる」
……そういうものなのね。わたしは、実家以外の貴族はみんなお金持ちだと考えていたし、まして王族となれば、どんな贅沢をしていたって反感はない。
無言のままのキュロス様を、ルイフォン様はチラリと見た。
「今、力を持っているのは王侯貴族じゃなく商人だ。――グラナド家は戦時中、国境近くを辺境伯として護りながら進軍し、敵国を侵略、領地をじわじわ広げていった。当時は言葉通りの辺境でしかなかった荒れ地や山、海辺を、国の軍費を使って開発。終戦後はちゃっかり旅商人の運搬路にして、通行税で丸儲けしてた」
「……うちの祖父を詐欺師のように言うな。それはさほどの儲けじゃない。グラナド商会が大きくなったのは、自前でイプサンドロスとの貿易を始めてからだ」
キュロス様が補足する。ルイフォン様は肩をすくめ、ちょっと皮肉げに言った。
「はいはい、君のところはたいした遣り手だよ。実はね、マリーちゃん。資産でいったら、グラナド家はもう、王家よりもずっとずっと金持ちなんだ」
「――ふえっ?」
突然振られて、変な声が出る。さっきからずっと、スケールが大きすぎる話が続いていて半ばぼんやりしていたのだ。目をぱちくりさせるわたしに、ルイフォン様は何か、叱るような、低い声で囁いた。
「――さっきも言ったけど。王子とか伯爵とか公爵とか、生まれつきの身分だけで安寧に暮らしていける時代じゃない。戦後、世界中の異国から色んなものが出入りして、科学も法律も、物の価値も日々変化してる。時流に乗り遅れたら、どんな名家だってあっという間に没落する――君の実家、シャデラン男爵家のようにだ」
「……は……はい。……はい」
実家が貧しいことを侮蔑された――わけではないと、すぐに分かった。わたしは居住まいを正し、ルイフォン王子に、キュロス様の親友に、まっすぐに向き直った。
言われたことを、胸の内で反芻する。そしてちゃんと理解して、頷いた。
「承知いたしました。わたしは、キュロス様の妻として、グラナド家の一員として、決して勉強を怠らないよう務めさせて頂きます」
「……マリー」
キュロス様は小さく呟き、わたしを見つめる。ルイフォン様は、ニヤァーッと笑った。麗しいお顔をチェシャ猫みたいにくしゃくしゃにして、
「七千万ユイロにしてあげよう。正真正銘、これは僕からのプレゼント価格。もったいぶってないで喜びたまえよキュロス君。ずっと探していたんだろ? 彼女の髪と同じ色をした、世界一美しい宝石を」
……えっ?
さらりと言ったその口を、キュロス様が飛びつくように手で塞いだ。王子様の顎を鷲掴みにして、ぶんぶん左右に振るキュロス様。
「言うな馬鹿っ! というかなんで知ってるんだ! それはジョバンニにしか話してないぞ!」
「んむっんぐ。この店は王家の御用達。ジョバンニは僕の言うことには逆らえないんだよ」
「申し訳ありません……申し訳ありません……!」
隅っこの床で、店主は小さくなっていた。キュロス様は変わらず王子を振り回しながら、あーうーと意味もなく叫び、しまいには頭を抱えて突っ伏した。
「……婚約式のサプライズにしたかったのに……台無しじゃないか……」
カウンターテーブルに顔を埋める親友に、王子様は、フフンと笑った。
「超一流の宝石の価値なんて、よほどの目利きじゃなきゃわかってもらえないぞ」
「……だからこそ値段を知られたくなかった。マリーがまた萎縮する」
「じゃあ贈るのじたいやめればいいのに。さすがにこの値段は、グラナド商会といえども大きな買い物だろ」
「いやそれは別に、平気だが」
「やっぱり一億払いたまえよキュロス君。いや十億ユイロの宝飾品にしよう。僕が加工業者との仲介になる」
ばたんと閉ざされたアタッシェケースを、キュロス様は腕だけ伸ばして掴まえた。顔をつっぷしたまま、ぼそりという。
「石のまま買う。ドレスのデザインがまだ決定していないんだ。そっちの職人と相談して、コーディネートを合わせて仕上げたい。
……ありがとうルイフォン。俺たちのために、これ以上ないものを探し出してくれたんだな」
ルイフォン様は、今度は笑いはしなかった。むしろ顔ごと視線をそらして、そっぽを向いたまま、「どーいたしまして」とボソリと言った。