生まれ変わるって、なんですか? 後編
夜明けとともに起きて、まずわたしがすることは、ずたぼろの服を纏うこと。
これからの作業にドレスはもちろん、どんな服でももったいない。元は生成りの白だったけど、脂と煤で真っ黒になったワンピースだ。これなら気兼ねなく汚れ作業ができる。
中庭の井戸から水を汲み、台所の大瓶に移す。二十回ほど往復する。
薪をかまどにくべ、火をおこす。そこへ昨夜に仕込んでおいたパン生地を並べ置き、蓋をする。パンが焼けるまでに野菜とソーセージでシチューを作る。
わたしは両親と弟と使用人の部屋を訪ねて、彼らを起こす。彼らが朝食を摂る間に、洗濯物。
商人の御用聞きがやってきた。食材をいくつか買い、今度はわたしが焼いたパンや織物を渡して、払った以上の金を受け取る。
食堂へ戻ると、すでにみんなは食事を終えて、誰も居なくなっていた。
みんなの皿に少しずつ残っていたものを集め、一皿分のモーニングプレートにして、冷めたスープと一緒に食べた。お父様は野菜が嫌いだから、わたしの朝食は野菜たっぷりでとても美味しい。
腹ごしらえを済ませてから、自室に入り、机に向かう。
……昨日、姉が死んだ。
いなくなったのは一週間前。婚約者のもとへ向かう道中で、馬車が運河へ転落し、濁流に呑まれて、いなくなった。王都のほど近くだったので、かなり大がかりな捜索が行われたらしい。でも見つからなかった。そして五日目には、姉の死亡が確信された。
華やかな結婚式よりもずっと早く、無言で終始する家族葬によって、姉はいなくなってしまった。
婚約のお祝いをあちこちからたくさん頂いていた。そのすべてにお手紙を書く。まずはお祝いいただいたことへのお礼と、状況が変わったことを丁寧に。
祝儀もお返ししていかないといけない。さっき商人から受け取ったお金を入れていく。
封筒には父の名をサインする。もう何年も前から、シャデランの書状はわたしが代筆をしている。
途中で席を立ち、昼食の支度。今日の家族のメニューはタマネギとズッキーニのアーリオオーリオ、カボチャのサラダ、ハムのピカタだ。自分自身用には野菜の皮や切れっ端を脂身で炒めて、おこげに掛ける。立ったままでそれを食べる。美味しい。家族用のハムが焼ける前に食べ終える。
家族が食べている間に部屋へ戻り、夕方までまた作業。
夕食を作って、干していた洗濯物を片付ける。食堂へ戻ったけど、残念、今日は何も食べ物が残っていなかった。白湯だけ頂いて、食器を片付け、床を磨き、かまどから灰を掻き出し、菜園の肥料用に取り分けておく。
家族のための風呂を沸かす。それから厠の掃除。
肥と灰を混ぜ、菜園に撒いておく。野菜を収穫し、それから薪割り。
――そのあと、風呂へ向かう。湯はカラッポになっていた。仕方ない、中庭で裸になり、井戸水をかぶる。濡れたからだは古着で拭った。ずたぼろの作業着はもう、今更そんなことで変わらない。
それよりわたしの髪の方が……毛玉みたいに固まってゴワゴワ、ボサボサの方が、黒い布よりずっとずたぼろだ。
そうして、疲れて冷え切った体を引きずるようにして、屋敷へ戻る。
まだ眠るわけには行かない。今日一日の収支を計算し帳簿につけてから、明日のお父様のスケジュールを書き出して……明朝用のパンを仕込んでおかないと……。
ああ、でも、少しでも本が読みたいな。
一ページ、一行、一文字でもいい。文字を読んでから眠りに就きたい。
お姉様が読み聞かせてくれた、遠い異国の物語を――『赤猫ずたぼろ』の台詞を、声音を変えて熱演してくれた、幼い声を思い出しながら――
屋敷のメインフロアへ入った、その途端、いきなりバチンと横っ面を叩かれた。
「おまえが死ねば良かったのよ!」
母だった。
「ああ、私の可愛いアナスタジア。どうして死んでしまったの。どうして……!」
お母様は泣き叫びながら、わたしを叩く。
冷え切った頬に、母の手は、ナイフで切り刻まれたように痛かった。
父様はただ眺めている。わたしは唇を結び、母の掌打を受け続けていた。
可愛がってもらえない子供でも、虐待されていたわけじゃない。両親からこんなふうに、意味もなく殴られたのはこの日が初めてだった。だけど驚きはなかった。
理不尽な暴力も、姉の代わりに死ねと言われることも、なにも意外ではなかった。
「おまえがアナスタジアを殺したの? 馬車に細工をしたのね? おまえが馬車を押して、河に突き入れたのでしょう。それで私のアナスタジアを殺したのでしょう」
違います、と言いかけた頬を、また思い切り叩かれ、顔を伏せる。
「おまえのせいだ! 人殺し! 死ね! おまえが死ね!」
……ああ。可哀想なお母様。
お母様にとって、アナスタジアは宝だった。花だった。天使だった。
可哀想なお母様。気持ちは分かるよ。わたしもアナスタジアが死んで悲しいもの。
可哀想なアナスタジア……きっと可愛すぎたからなのね。神様が彼女を欲しがったのだ。天使を奪われたお母様は本当に可哀想だ。
殴られるのは痛いから嫌い。
でも、死んだアナスタジアと比べたら。お母様の胸の痛みと比べたら。
ふと掌打が止んだ。目を開けると、お父様がお母様の手を抑えていた。
「もうやめなさい。傷になる」
「傷つけばいいわ、二度と見られない顔になるまで。アナスタジアは死んだもの」
「いいや、ダメだ。マリーは、グラナド伯爵家に行くのだから」
「わたしが?」
何の聞き間違えかと思った。だが、父はわたしをまっすぐに見据えて、言い聞かせてきた。
「アナスタジアの代わりになれ、マリー。それが生き残ったおまえの償いだ」
償い。何の償いですか、お父様。
わたしは何の罪を犯したのでしょうか。
わたしはアナスタジアを殺していません。同じ馬車にすら乗っていません。それでも生き残ってしまったら罪でしょうか。同じく家にいた弟や、お父様やお母様は無罪なのにですか。
ああ、そうか。生まれてきたことがいけなかったのですね。
わたしがわたしであるから、ダメなのですね。
生まれてきてごめんなさい、お母様。
もし今度、生まれてくるときはアナスタジアになります。
綺麗で可愛くて明るくて、美しくて。
誰からも愛されて、優しくされて、求められるような。
生まれ変わったらわたし、そうなりますから許して…………
「――ゅるして……」
「マリー様?」
静かな、優しい声がした。
目を覚ますと、裸のまま毛布でくるまれ、ベンチに寝かされていた。
その状態のまま、チュニカが足裏を揉んでいる。髪を梳いているのはミオだ。
わたしが視線を巡らせると、ミオは目を細めた。
「もしかして、寝言でしたか」
「……わたし……寝ていたの?」
「はい。痛かったですか?」
「いいえ……気持ちがいいわ」
「マリー様、もうすこぉし寝ててくださいませぇ。いま、全身にクリームを浸透させているところですよぉ」
チュニカが言う。わたしは再び目を閉じた。
「――そぉ、お楽になさってぇ。大丈夫。何もかもお任せくださぁい」
「……マリー様、すごく、お綺麗です……」
二人の声がまた遠くなる。
今度は夢は見なかった。
だけど次に目を覚ました時、夢よりもずっと、夢のような世界が広がっていた。
今夜もう一話更新します。