散策調査
下の階に降りると主人が手もみで出迎えた。
「ご準備はできましたかハティ様?」
「ええ」
「こちらでございます」
洗い場へ案内される。
今の俺はもう用意してもらった衣服に着替えていた。
服はこのままもらっていいそうだ。
洗い場は宿の裏手にあった。
半屋外の洗い場。
今はほとんど日が落ちている。
が、灯りとして柱にランプが掛けてあった。
雨よけの庇もある。
洗い場を見渡す。
人力セルフコインランドリーな雰囲気。
まあ、便利な洗濯用の機械はないが。
壁から壁へ数本の紐が張られている。
紐には洗濯物がかかっていた。
不用心といえば不用心だ。
盗難を気にしない人間が使っているのだろうか?
諸注意等を俺に説明すると、主人は中へ戻っていった。
洗い場には俺一人となる。
「さて」
俺は備えつけの木製台に洗濯物を並べた。
ローブと制服。
下着類。
制服はなかなかにボロボロな状態だ。
破れたり千切ったりしたからな……。
「始めるか」
実の親と暮らしていた頃は洗濯もやらされていた。
叔父夫婦の家でも手伝いくらいはしていた。
なので、多少は洗濯の心得がある。
洗濯機がないので、さすがに同じ感覚でとはいかないだろうが。
壁の小棚に並ぶ小瓶を一本、手にする。
青みがかった液体。
洗濯用の液体だと主人が言っていた。
「こっちの世界の洗剤みたいなものか」
自由に使っていいと許可はもらっている。
次に、部屋の隅の水槽の蓋を外す。
小さい虫が浮いているが仕方あるまい。
桶に水をはる。
洗い液を使い、手もみで洗う。
大した量ではない。
洗濯はすぐに終わった。
今の服と同じく主人から貰い受けた麻袋。
そこへ洗った衣服を放り込む。
ひと通り洗濯を終えた俺は、本棟へ戻った。
主人に尋ねる。
「洗ったものを、部屋に干したいのですが」
主人が少し考え込む。
鉄貨を1枚主人に渡す。
主人はあっさり許可を出した。
ついでに干し台も貸してくれた。
俺は礼を言って階段をのぼると、部屋に入った。
洗濯物を置いてから、一度部屋を出る。
奥の物置から干し台を運び込む。
干し台にサクッと手早く洗濯物を干す。
洗濯物を入れていた濡れた麻袋もかけておく。
「ふぅ」
これでようやく、ひと息つけたか……。
ギシッ
ベッドに腰掛ける。
「ピ」
ベッドの下からフミョフミョとピギ丸が出てきた。
一段落するのを見計らったのだろうか。
「ピ、ピ、ピ、ピ」
ピギ丸が床の上で左右にプルプルし始めた。
こうして微弱にプルプルしているだけの時は、
”どうか自分のことはお気になさらず〜♪”
の意思表示だ。
オブジェ感覚で無視してくれということらしい。
俺が考え事を始めようとしたのを察したのだろうか。
だとすれば……。
なんなんだ、この空気を読めすぎるスライムは。
「………」
口もとに手をやり、俺は思案を始める。
このミルズで休息と今後の旅支度はできそうだ。
次は、その先の方針を決めねばならない。
当座の旅の資金はまだ気にしなくてよさそうだ。
あの四人組の手持ちは相当な額だった。
宝石の換金の必要性をまだ感じない程度には、懐は温かい。
次は目的の設定。
第一は禁呪の呪文書の読み手を捜すこと。
その読み手の情報を持つとされる人物。
金棲魔群帯に隠れ住むという禁忌の魔女。
最初の目的はやはり、禁忌の魔女に会うことか。
「あとで、魔群帯の情報集めもしてみるか。他は――」
少しずつこの世界の情報の把握をしていきたい。
腹を割って話せるこの世界の事情通が一人仲間にいると、楽なのだが。
「あとは……」
プルプルするピギ丸を見る。
魔物強化剤。
ピギ丸の能力向上。
いずれ、こいつに前衛を任せられる日もくるのだろうか?
▽
散策調査のため俺は宿の外へ出た。
空はすっかり暗い。
が、大通りは明るく賑やかだった。
廃棄遺跡とは大違いである。
通りには屋台も出ていた。
治安もそう悪くなさそうだ。
通りを軽く歩いてみることにする。
今のところ、よそ者を不審がる視線はない。
ここでも武器を携えている旅人風の人間が多く目についた。
街中での武器の携行は認められているらしい。
とある店先で、俺は立ち止まった。
看板のマークが目についたからだ。
剣と盾のマーク。
なんの店かは、ある程度なら看板のマークで把握できそうだ。
試しに看板のある店を捜してみることにする。
いくつかの看板に巡り合った。
武具を扱う店。
道具を扱う店。
衣服を扱う店。
食料を扱う店。
酒場。
他にも、想像のつく看板をいくつか確認できた。
「一般的な”町”からイメージする店はひと通りあるみたいだな……ただ、あれは――」
杖の紋章。
魔術道具なんかを売る店だろうか?
少し風変りな建物。
妖しげな洋館のテイストが連想される。
「あとは――」
書状っぽいマークの看板。
けっこう立派な建物だ。
関所の手形や何かの証書を発行する場所だろうか?
役所的な?
見ると、旅人や戦士風の人間が出入りしている。
いわゆる”冒険者ギルド”ってやつかもしれない。
他には、小さな神殿っぽい建物が目についた。
…………。
クソ女神を信仰していないことを神に祈ろう。
「で……」
あの辺が、俗にいう娼館とかのある区域か。
雰囲気でなんとなくわかる。
あそこに用はない。
俺は最初の通りへ戻った。
「町の把握は、こんなところか」
腹も減ってきた。
今夜はこのまま、宿へ戻るとしよう。
▽
皮袋の転送機能の問題点は、ゴミが残ることだ。
現代包装のゴミはやや処理に気を遣う。
現状どう処理すべきかを俺は決めあぐねていた。
森の中で一度、こんなことも思いついた。
ピギ丸がゴミを溶かしてくれるのではないか?
期待して試してみたが――無理だった。
付着していたソースなんかは溶かして(食べて?)くれた。
が、ビニールや紙類は溶かせないらしい。
溶かせるものとできないものとがあるようだ。
まあ、何もかも溶かせたら無限にゴミ処理ができてしまう。
そこまで都合よくはできていないか。
いずれにせよスライムは意外と奥が深い。
序盤の弱いだけの魔物という認識は、改める必要がありそうだ。
ピギ丸のことを考えつつ、木製のスプーンを手に取る。
俺は今、宿の一階で食事を取ろうとしていた。
この宿は一階の半分が酒場になっている。
食堂と兼用なのだそうだ。
俺は部屋の中央近くの卓に一人で座っていた。
あえてこうして食堂で食べるのには一応、意味もある。
まず、この世界の料理を少し体験してみたかった。
今日の料理。
肉メインの煮込みスープ。
細長い米を炒めた香草入りの料理。
あとはライ麦パン(だと思う)。
パンは切り分けられている。
ラスクっぽい平型。
煮込みスープを、スプーンで掬う。
ゆっくり啜る。
「ん?」
ウマい。
微妙にピリ辛。
スープに溶け出した野菜の味と辛さが絶妙に合う。
ピリッとした辛味と肉の脂が思った以上に調和していた。
胡椒っぽい風味も感じられるだろうか?
程よくスープを吸った葉菜もウマい。
「というか」
チラッ
平型のパンを摘まんでスープに浸す。
湿ったパン生地を噛む。
「――――」
予想通り。
これはウマい。
不安もあったがもはや吹き飛ばされた。
主人がこのパンと一緒に頼むのを勧めた理由がわかった。
なるほど……こういうことか。
次は香草入りの炒め飯をスプーンで口へ運ぶ。
うん、イケる……。
印象はパエリアに近いか?
塩っ気のある香草のアクセントが特にイケる。
極細に切られた炙り肉も、食べごたえにひと役買っている。
異世界の料理。
なかなか侮れない。
宿泊はオマケで、メインは食事。
確かに料理の値段は少し張った。
が、これなら主人の戦略も頷けようというもの。
喉が軽い渇きを覚える。
俺は、陶器のカップを手に取った。
入っているのは半透明の水。
アラマ水という飲み物らしい。
口に含む。
薄っすらと、ミントっぽい味。
口内がさっぱりする。
前の世界の料理と比べるとやや味は大雑把に感じる。
荒々しいとでも言おうか。
その分、がっつりした味を堪能できた。
繊細さや味のまとまりでは、現代メシに軍配が上がるだろう。
あくまで今のところは、だが。
しかし廃棄遺跡で食べた豚汁は、薄味だったがウマかったな……。
料理はまだ半分くらい残っている。
残りはゆっくり食べるとしよう。
この酒場で食べたのは、異世界の料理に触れる目論見もあった。
が、メインは情報収集。
食事どきのためか客の数は多い。
こういう場所でこそ得られる情報がきっとあるはずだ。
いざとなれば、酒でも奢って同席する手もある。
ゆったり食事を楽しむ体を装いつつ、俺は耳をそばだてた。