暗雲の調べ
(さて……魔物を、探さないと)
綾香は腰を上げて歩き出した。
今の服装は学校の制服ではない。
映画や小説で目にする幻想世界の住人みたいな恰好。
華美なデザインで若干”女”を意識させすぎな気もするが。
『異性に対して強く”異性”を感じさせる装いの方が、魔素の流れが豊かになると言われているのですよ〜。ですので、見た目のデザインにも凝っているのです。特に、S級勇者の装備に手は抜けませんからね!』
女神談である。
本当だろうか。
綾香は昨日、自分で勝手に布を当てたりして露出を減らした。
(これでも少し、気恥ずかしいけど)
綾香は露出が嫌いだった。
だから制服の時も黒タイツを着用していた。
とはいえ学校の制服では防護が薄すぎるのも事実。
この装いには魔法(?)的な女神の加護も宿っているらしい。
今は命が最優先だ。
多少は我慢するしかない。
諦め気分で歩き出す。
(……勇者、か)
今では苦手な響きの言葉だ。
まるで勇気を持つのを、強制されているようで。
勇気を奮い立たせて邪悪に立ち向かってください。
逃げ道を塞ぐ魔法の呼び名。
大勢から押しつけられる勇気への期待と欲望。
勇者。
今は呪いの言葉にすら思えてならない。
「――――ッ!?」
何かの気配。
綾香は槍を構えた。
「はぁっ、はぁっ……あっ! そ、十河さん!」
「……鹿島、さん?」
確か彼女は戦場浅葱のグループの一員だったはずだ。
今、勇者たちは自然とグループにわかれている。
派閥。
教室にいた頃と、変わらない。
「どうしたの?」
「つ、伝えてくれって言われて……っ」
「まずは息を整えて。私は逃げないから」
「ごめんなさい……あ、ありがとう……」
鹿島小鳩。
クラスでは比較的おとなしい印象の子である。
しかし、ここにいるということは――
(女神の最初の試練を、突破したのよね……)
眠っていたから試練の現場は見ていない。
だが、彼女は虫も殺せなさそうな子だと思っていた。
あるいは、
(戦場さんが、何か細工をしたのかも……)
戦場浅葱は悪知恵の働く人物という印象がある。
何か細工をして小鳩を”合格”させたのかもしれない。
小鳩の息が整う。
「あの……すごく強い小牛鬼って魔物が、お城の人の間違いでまじっちゃったらしくて……小さい牛人間みたいな魔物らしいんだけど……だから、その……今すぐ集合地点に戻った方がいいかもと、思って……」
「わざわざここまで走って、私にそれを伝えにきてくれたの?」
小鳩は運動が苦手なイメージがあった。
気も強くない方だと思う。
「う、うんっ……十河さんは、生き残るべき人だから……っ」
少し引っかかる言い方だった。
まるで自分は最悪、死んでもいいみたいな――
「鹿島、さん?」
違和感に気づく。
小鳩の表情が、凍りついている。
綾香の背後を小鳩が指差す。
「あ、あれ……」
綾香は振り返った。
「ブっモぉルるルるッるゥぅ! ブ、ごォぉォおオお――――ッ!」
頭部が牛の人間。
体躯は小柄な部類。
が――怖気を引き起こす、威圧感。
金眼の魔物。
「ブんンぉォおオお――ッ!」
突進、してきた。
「鹿島さんは私の背後に! できるだけ離れて! 私が相手をするから!」
「で、でも――」
「大丈夫! 任せて!」
「は、はいっ!」
構えを取る。
(やれる、か?)
スゥゥゥゥ……
呼吸を、整える。
心の震えを止める。
しかと、相手を目で捉える。
祖母の言葉を思い出す。
『この技はタイミングと平常心が命だよ』
小牛鬼が迫る。
接触――
パシィッ!
「――――――――ッ」
ドッ、ガァァァンッ!
仰向けの体勢で、小牛鬼が、地面に激しくめり込む。
「げ、ゴ、ぃ……ッ、ご、ボっ……!?」
魔物が口から血泡を吐き出した。
受けた衝撃で、小牛鬼は動けなくなっている。
「鬼槍、流――」
小牛魔を圧するは、十河綾香。
「転槍・崩落十字……」
稽古の時、技の使用時はその名を声に出せと教えられた。
意識に染み込ませるためだよ、と祖母は言った。
あの頃の癖が今も抜けていない。
(でき、た……)
相手の力と勢いを利用する技。
合気道の論理に近いだろうか。
最初に相手の脇のあたりに槍を引っかける。
ここで相手の身体を支える”軸”を崩す。
直後、相手の懐へ自分の身体を素早く捻じ込む。
相手の勢いを利用しながら、槍を基軸に、相手の身体を絡め取る。
これで最終段階前の十字型が完成。
転じ、十字を回転させるように相手を地面へ打ちつける。
鬼槍流――”転槍・崩落十字”。
鬼気迫る表情で魔物を見おろす。
少しマウントにも近い体勢。
綾香は槍を逆手に持つと、穂先を魔物へ向けた。
(殺、す……殺さ、ないと……ッ)
強く、なるために。
腕に力を込める。
刹那、
「どけぇぇ十河ぉぉぉおおおおおお――――ッ!」
「え?」
ドンッ!
身体を、突き飛ばされた。
「きゃっ!?」
綾香は尻餅をつく。
先ほどまで小牛鬼を見おろしていたその位置。
成り変わっていたのは、桐原拓斗。
桐原が、動けない魔物へ腕を突き出す。
「【金色、龍鳴波】ぁぁああああ――――ッ!」
攻撃的な太い金色の光が小牛鬼を消滅させた。
荒い息をまじえながら、桐原が言う。
「これで――レベル、18……っ!」
綾香は呆然と目の前の光景を眺めていた。
小鳩の震える声。
「十河さん……い、今の……」
桐原が息を整える。
しばらくすると、彼は細い息を吐き出した。
綾香の方を見る。
いつものクールな顔つきで。
「サポート、ご苦労だった」
「え?」
(サポー、ト……?)
やれやれと息をつく桐原。
「危ないところだったな。気を抜くなよ、十河」
何ごともなかったかのように背を向ける桐原。
彼はそのまま歩き去った。
「何、今の……」
小鳩は放心状態。
混乱を処理できていない様子だった。
「カス」
突然の声に、ビクッとした。
小鳩も「え!?」と驚く。
いつの間にか高雄聖が近くに立っていた。
「カスね、彼」
綾香もようやく冷静になり、今起きたことを理解する。
要するに今のは経験値の横取りだ。
「……聖さんって、はっきり物を言うよね」
「十河さん、あなたはあれでいいのかしら?」
「今このクラスで、なるべく波風を立てたくないから……桐原君もまだ気持ちの整理がついていないんだと思う。だから、あんな――」
「甘いわね。そんな甘い考えだと、いずれ死ぬわよ?」
「……そうかも」
「私、あなたのそういう甘いところがあまり好きではないわ」
「……うん」
「まあ――」
踵を返す聖。
「好意を抱く余地がないほど、嫌いというわけでもないけれど」
どう受け取ればいいかわからない言葉を残し、聖は立ち去った。
綾香も少し遅れて小鳩と一緒に集合地点を目指す。
途中、遠くの空に暗雲が立ち込めているのに気づいた。
(今後、クラスメイト同士で金眼の奪い合いが起こるのかもしれない……諍いのもとに、ならないといいけど……)
十河綾香の胸中にも、今まさに、暗雲がごとき曇り空が広がり始めていた。
□
その日、アライオンに一報がもたらされた。
大陸の最北端を拠点とする大魔帝の軍勢が、初となる本格的な南進を開始。
この南進により、北の要と称されたマグナル王国の誇る大砦――通称”大誓壁”が陥落。
大誓壁の陥落後、大魔帝の軍勢は南進を停止。
以後、侵攻の気配はなし。
しかし、この不穏なる報は瞬く間に大陸全土を駆け巡り、各国は早急な対策を余儀なくされることとなった。
この報を十河綾香が知ることになるのは、森林帯の訓練を終えた日から、数えて三日目のことである。