08.私が死んだ後も
「――犬を飼いたい?」
それから、アルノルト様の部屋を訪れると、彼は淡々とした声でそう繰り返した。
彼は大きな執務机で書類に目を通していた。窓から差し込む夕陽が机の上に広がる紙の端を照らし、彼の端正な横顔を静かに浮かび上がらせている。
「はい! 門の前で見つけたのですが、とても賢そうで……それに、もうすっかり懐いてしまいました」
私はそう言いながら、足元におとなしく座る白く大きな犬の頭を撫でた。
じっとアルノルト様を見上げているこの子の瞳に、彼の冷ややかな視線が映り込む。
「とてもいい子です。旦那様は私に『好きにしていい』と言いましたが、この子は私よりも長生きすると思いますので」
そこまで言うと、アルノルト様の動きがぴたりと止まった。
ペンを持ったまま、わずかに眉をひそめる。
そう、私が死んだ後もこの子がここで暮らしていけるように――。この屋敷の主人の許可をもらわなければならない。
アルノルト様は私とこの子に交互に視線を向けた後、静かに言った。
「……好きにしろ。後のことも心配はいらない」
「ありがとうございます!」
その言葉に、私はぱっと笑顔を向けた。
この子も嬉しそうにしっぽを振り、小さく鳴く。
「…………」
アルノルト様は特に興味がないのか、それ以上何も言わずに書類に視線を戻した。
淡々とした様子のままだけれど、それでもこの子を飼うことを許してくれただけで、私はとても嬉しい。
「旦那様、それからもう一つ」
「なんだ」
ちらりとこちらに視線を向けるアルノルト様に近づき、私は持参していた小さな包みを机の上に置いた。中には、丁寧に包んだ果実酒の瓶が入っている。
「お土産です」
「これは……市場の酒か?」
手に取りラベルを確認すると、アルノルト様はそれがどこで買ったものなのか、すぐにわかったようだ。
長い指が瓶の表面をなぞる。その仕草は無意識のものなのか、それとも何かを思い出しているのか――。
「はい。私も飲んでみましたが、口当たりがよくて美味しかったです。旦那様もお好きかなと思って」
「……そうか」
彼は静かに瓶を眺めた後、小さく頷いた。
「わざわざすまないな。礼を言う」
素っ気ない口調だったけれど、その言葉は確かに私に向けられたものだった。
アルノルト様くらいのお方だと、私でも買えるような値段の市場のお酒は口に合わないかもしれないとも思った。でも、これはほんの気持ち。
だから嘘でもお礼を言われて、嬉しく感じた。
「どういたしまして! お口に合えばいいのですが」
「この酒は俺も好みだ」
「……!」
旦那様も飲んだことがあるのね。さすが、領主様。
笑顔なんて見せてくれないけれど、きっと喜んでくれたのよね?
思わず私から笑みがこぼれる。
「それでは、お邪魔しました」
私は一礼して、部屋をあとにする。
扉を閉める前、ちらりと彼の姿を見ると、アルノルト様はゆっくりと果実酒の瓶を傾けて光に透かしていた。
琥珀色の液体が窓から差し込む夕陽を受けて、やわらかな輝きを放つ。
その後、彼がかすかに微笑んだように見えて、私の鼓動がドキリと高鳴る。
……本当に、なんて美しい人なのかしら。
ドキドキと弾む鼓動を抑えて、私は静かに扉を閉めた。
「わふっ」
犬が小さく鳴き、私の袖を甘噛みする。
「ふふっ、あなたもわかった? あの人、優しいのよ」
返事をするようにしっぽをふわりと振り、私の手に鼻を押し付ける。
「いつかアルノルト様も、遊んでくれるといいね」
「わふっ!」